第二十三話
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「ああ、おかえりなさいっ、あなたっ!」
ホテルに帰ると、マリアが脇目も振らずに飛び込んできた。それはわたしにしてみれば、ミノタウロスの一撃よりも威力が上である。当然かわさずに受け止めなければならず、わたしはマリアと抱擁を交わした。
マリアを胸に受け止めると、やっぱり衝撃は大きい。主に、精神面でのだけど。愛という名の破壊力は、勇者のわたしに効果抜群である。
マリアはホテルのロビーで待っていたわけで、けっこうな人だかりの前で抱きしめ合うこととなった。それどころか、ちゅーまでされてしまう。
といっても。わたしたちを見ているのは、レーネとアイシャ、それから騎士団の人たちであり、だいたい身内みたいなもんだ。
わたしの背後にいた聖女さまは、わたしとマリアのキスを見て、口に手を当てて頬を染めていた。
そこに嫉妬とかはないけれど、羨望の眼差しは誰が見てもくっきりと覗けたはずだ。
「マリア大丈夫だった? 何もなかった?」
「ええ、こちらは何も。アイシャちゃんとレーネちゃんが話し相手にもなってくれていましたし。エステルは……怪我はないみたいですね」
相変わらず、マリアは人の視線など意に介さず、わたしの全身をぺたぺたと診察してくる。くすぐったいし、恥ずかしいなあ。
マリアの気が済むまで身体を触らせてから、わたしたちはホテルの部屋に戻って話し合いをすることに決める。
レーネの指示によって騎士団は解散となり、今度はホテルではなくて街の外の警備を強めてくれるようだ。
ホテルの部屋は割りかし広いといっても、中にはわたしとマリア、レーネとアイシャ、そしてリリと聖女さまがいるわけで、狭さを感じるが、賑やかである。
「レーネは、やけに早く合流できたね」
「まぁね。ボクたちの騎士団はいい馬を使っているし、トリトーネに危機があるって知らせを受けたのもあって、父上がすぐ許可をくれたんだ」
得意げに語るレーネは、やっぱり姫の風格は感じられない。短い金髪は少年っぽさもあるし、おてんば娘って感じ。だけど、威張り散らしている、っていうよりかは威厳がある、って思える。そこが王家の血筋を受けし者と下々の民の違いなのかなあ?
「じゃあ、今後は魔族の国まで一緒に来れる感じ?」
「そうだね。トリトーネの安全が確認でき次第、出発したいな」
わたしもそれには同意する。
するとそこで、聖女さまがおずおずと口を開いた。
「あの……。わたくしも同行はできないでしょうか?」
「いいよ! 大歓迎だよ!」
間髪入れず承諾したのはリリだった。
わたしの意見など聞こうともしない。まあ、別にわたしも聖女さまに来て欲しくない、ってわけじゃないけど。
「聖女さまは、聖域のお仕事とかは平気なの?」
わたしの素朴な疑問に、聖女さまは縦に頷く。
「わたくしは女神さまの加護を受けし一族ですから。勇者さまにお供して、勇者さまのサポートに徹するのが、わたくしの役目でもあります。それから、魔族さんのことも詳しく知りたいですし……」
真摯に語る聖女さまの瞳は、燃えているような熱さが灯っている。けれど、彼女はわたしの顔だけは直視することができないようで、聖女さまの視線は空中を彷徨っていた。
マリアも、わたしと聖女さまの顔を見比べて、意図を探っているようだ。べ、別に、やましいことはないから、わたしは堂々としているけどね!
「エステルは女神さまのこと、なにかわかったんでしょうか?」
マリアに聞かれて、わたしは首を横に振るった。
「さっきは魔物退治しただけだしね。後で話を聞かせてもらおっか」
「それでは、明日、聖域で女神さまの伝承をお話しましょう。今日はゆっくりお休みしたほうがいいと思いますし」
明日、わたしは一体、何を知ることになるのだろうか。
聖女さまとは、デジャヴュみたいなものもあったし、わたしと聖女さまの繋がりは、まったくの赤の他人、ってわけでもないのかなあ。
ま、何もかもを知るのが怖い、とかはないけどね。事実がどうあれ、全て受け止めるし、マリアを生涯愛することに変わりはない。
すでに陽が落ちかけていた今日は、夕飯を取って、各々の自由行動となった。
リリは聖女さまに纏わりつくつもりなのか、行動をともにしたがっていたが、聖域の寮には入れてあげられない、と言われ断られていた。しょんぼりとするリリはさておき、アイシャとレーネは隣の部屋で仲良く過ごすようだ。
そしてわたしとマリアは。
夜風がひんやりとする頃合い。街に降り立っていた。
約束の、二人っきりのデートである。
大都会のトリトーネでは、夜間の外出でも治安が約束されているらしく、閑散としているわけではなかった。といっても。昼間のように喧騒さがあるわけでもなく、人通りはまばらだ。
夏場前だというのに夜になると肌寒いのは、街の至るところに流れている水路のせいだろう。ひんやりとした空気と、水が流れる心地よいサウンドが心を落ち着かせてくれる。
街灯に照らされた水路というのも、なかなかに風流で、外をぼーっと歩いているだけでもロマンチックなデートだった。マリアも、ご満悦である。
わたしたちは、示し合わせたわけでもなく立ち止まる。水面に映った、まるで財宝のような常夜灯の煌めきを眺めながら、手を握って無言だった。
気まずい雰囲気とかではなくって、お互いの思考が透けて見えるかのような、空気を共有しているときの静けさである。心と心が寄り添っているようなイメージだ。
わたしたちは何もかも通じ合っているから、マリアを横目で見やると、バッチリと目が合う。月を背景に、マリアはやんわりと微笑んでいた。
月明かりの青白い輪郭を纏ったマリア。月光に輝く、ウェーブの金髪。マリアは太陽も似合うけれど、月だって祝福してくれているのかってくらい神々しいんだから、完全無欠の女性だよね。
わたしたちは数秒間……恋人繋ぎをしながら、見つめ合っていた。いや、実際には数分間だったかもしれない。時すらも忘れてしまうほど、マリアとのイチャイチャデートはのめり込んでしまうよね。
「エステルは……聖女さまに好かれていましたよね?」
無言を破ったマリアは、脈絡のないことで口火を切った。
わたしは、不意をつかれたこともあってか、心臓が飛び出たのかと思ってしまう。
ま、まあ、やっぱり、気づくよね、マリア。けれどマリアの口ぶりからは、嫉妬だとか後ろめたい感情は一ミリも感じられなかった。
「なんか、そうみたいだね……。わたし、何もしてないのになあ? 魔物やっつけてただけなのに。終わったら、ああなってたんだよね」
わたしが首を傾げながら独りごちると、マリアはくすくす、っと忍び笑いを漏らした。まるで、簡単な問題も解けない子どもを見守っているかのような、母性溢れる笑い方である。
「エステルは、可愛いからしかたありませんよ。誰だってエステルのこと、好きになってしまいますから。モテモテですもんね、エステル。……さすがに、もう慣れてきましたけれどね」
「は、はぁ? 何言ってんだよ。モテモテなのはマリアのほうなのに。わたしがついていないと、すぐ声かけられちゃうでしょ、マリアなんて。一時も目が離せないんだからね、苦労するよほんと」
わたしが嘆いてみせるが、マリアは笑みを崩さない。それどころか、目を細めて、より、わたしを尊ぶような視線になっていた。
「エステルは、小さい頃から私を守ってくれてましたからね。でもね、エステルは気づいていないかもしれませんが、エステルもやっぱりモテモテですよ。特に、勇者さまになってからは、自信も満ちていて格好良いですから。私も、目が離せないんですよ」
「ふ~ん、マリアからみると、そうなんだ」
勇者になる前なんて、女の子に見向きもされなかったからね、わたし。とはいえ、マリアの言う通り、今はちやほやされるようになったのもまた事実。でもでも。わたしはマリアと違ってぼんやりしていないし。危なっかしいのはマリアのほうだよね。
ふーふ両方ともモテちゃうなんて、大変な家庭だな。
「エステルは綺麗な女の人を見ると鼻の下伸ばしていますから。でもね、ふらふらとついていっちゃう、ってことはしないから、信じることができます」
うぅ……。鼻の下、伸びてるのか……。
まあ、確かにわたしは、綺麗な女の人大好きだからね。主に、マリアのせいで性癖が歪んでしまったわけだけども。
「ねぇ。マリアは、どうしてわたしと結婚してくれたの? わたしが小さい頃に結婚しようって言ったから、それを守りたかったの?」
幼い頃から、マリアの裸をいっぱい見てきたわたしの性癖が歪んでしまったのは、自然の摂理と同じなわけで。じゃあ一体、マリアはどうしてわたしを好きになったのだろうか? 今更ながら、それが気になってしまった。
マリアは穏やかな笑みを一切崩さずに、頬にかかる金髪を耳にかけながら、春風のような吐息をつく。
「だって、エステルは小さい頃から可愛かったんですから。あんなに可愛い女の子が、私を守ろうと必死に駆け回っていたんですよ? 心を奪われてしまうのは当然です」
そして、さも当然といわんばかりに鼻を鳴らして豪語するマリアだった。
どうやら、性癖を歪められたのは、マリアも同じらしい。やっぱりわたしたちは、似たものふーふなんだよね。
「マリアを誰にも触らせたくなくて駆け回ってたの、無駄じゃなかったんだね。よかったよかった。明日は女神さまについて何かわかるかもしれないし。もっと明るい未来があるといいな」
「私は現状のままでも幸せですから。エステルも、もし、明日何もなかったとしても、落ち込まないでくださいね」
うーん。今朝はマリアを励ましていたはずなのに、今度はわたしが気を遣われている。マリアってば、優しすぎるからね。
といっても、わたしだって不安があるわけじゃない。
むしろ、マリアに子作りができない真実を知ってもらったから、憂うことなど何もなかった。
今夜のデートは、綺麗な街並みを散歩するだけの手抜きデートだったけれど。マリアはそれでも、常にニコニコとしていた。
ブラブラとした散歩デートが終わって、ホテルの床に就くと、早速淫らな時間が始まってしまう。
明日は神聖なる聖域で有り難いお話を聞くはずなのに、結局は今夜も朝方近くまで体を絡ませてしまうわたしとマリアだった。




