第十八話
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「ふぁー、おはよ、勇者ちゃん」
次の日。
アイシャからのノック音で目が覚めたわたしは、扉を開けると、アイシャの隣にリリウェルが突っ立っていることに気がついた。
リリは、かなり眠たげにしている。服装はラフなパーカーと短パン。最低限、耳と尻尾は隠せるような出で立ちだ。
一体、どうやってわたしたちの居場所を突き止めたのかは不明だが、どうやらアイシャの部屋で眠っていたらしい。
「リリ、帰ってたんだ」
「ん。まーね。なかなかいい娘さんだったじゃない、ここの子」
あくびをかきながら答えるリリの肌は、ツヤツヤとしていた。しかも、意味ありげな目線つきだ。
「え、ええ? どうして、あのお姉さんのことを知ってるの?」
「どーして、って。勇者ちゃんたちの居場所を聞いていたら、焼き鳥屋のおねーさんが知ってたみたいだったから。色々話を聞いたついでに……ね♡」
なんて手の早さだ。
ってゆーか、わたしたちの行き先くらい、先に聞いておけばいいのに。リリの考えていることはよくわからない。
それよりもそれよりも、あのきっぷの良かったお姉さんが、たった一夜でリリの毒牙にかかってしまうなんて。さすがはえっち魔族のリリ、油断ならないなあ。
「まったく、どれだけ遊び歩いてるのさ、リリってば。サフランは放っておいていいの?」
「あー、へーきへーき。あの子も、サバイバル生活は慣れっこだから。それに、レーネが来ないか、見てもらったりもしてるし」
「ふーん、後で美味しいもの持ってってあげないとね」
言って、わたしは部屋に戻ってマリアと一緒にお着替えをした。
今日の予定は、まだなんにもない。
ひとまずは、みんな揃ってホテルの一階で朝ごはんを摂ることにした。
一階にはレストランが併設されてあって、朝から賑わっている。
爽やかな空気が入り込んでいて、楽しい一日を予感させるには充分だ。
「おはよ、みんなお揃いだね」
わたしたちがトレイに料理を乗せてテーブルに向かうと、横手から声がかけられた。
焼き鳥屋のお姉さんだ。
彼女はこのホテルを経営しているオーナーの娘さんらしくって、家にいるようなラフな格好だ。Tシャツにスラックス姿で、凛々しい見た目は相変わらず。
どうやら、お姉さんも朝ごはんの時間みたい。
ちょうどいいので、相席することにした。
「あ~、今日は何しよっかなぁ」
わたしの向かい側に座ったリリは、頭の中が空っぽかのように、お気楽な発言をする。リリはしっかりした面もあるけれど、怠惰な性格でもあるんだよなあ。
「昨日こっちの子たちにはおすすめしたんだけど、聖域っていう綺麗なスポットがあるんだよ」
リリの隣に座っているのは、焼き鳥屋のお姉さん。彼女は、定期的にリリをちらちらと見やっては、悩ましげな吐息をついている。その雰囲気はどうみても、"女"を意識したもの。凛々しいお姉さんが女性らしさをアピールしているの、なんかドキドキしちゃうね。リリは、こんなお姉さんまで虜にしてしまって、恐ろしい魔族だよほんとに。
わたしだって女の子にはモテるようになったから、魔性の女、っていう境遇はまあ共感できるけどね!
「聖域ね~。なんか暇だし、行ってみよっかな」
「え~」
リリは暇を潰せるならばなんでもいいのか、聖域とやらに向かう気まんまんのようだ。
別に、リリと行動を共にする約束はないんだけど、なぜかわたしは抗議の声をあげていた。
「確かトリトーネの聖域っていえば、女神さまに関する地だったかしらね。勇者ちゃん、女神さまについて気になってたじゃん。ちょーどいいーんじゃない?」
「えっ、そうなの? ん~……じゃあ、ちょっとだけ、見てみよっかな……」
わたしは勇者でありながら、女神さまについてなんにも知らない。
かといって、教会で延々と歴史の授業のように、お説法などを聞かされるのも乗り気ではないなあ。でも、少しくらいは興味が出た。
「勇者? この子、勇者だっていうのかい?」
わたしたちの話を聞いていたお姉さんは、それがかなり驚くことだったのか、眉を持ち上げてわたしをまじまじと見つめていた。
そういえば、わたしは勇者だったんだ。
わたしのことを知らない人間からしたら、そりゃびっくりするよね。
でも、ショックでもある。わたし、誰から見ても威厳ないんだなあ、って……。
可愛いと褒められこそすれ、勇者みたいで格好良い! って持て囃されたことはないからなあ。
「そうだよ。ほら、ここに紋章あるでしょ? あ、ちなみに一応、内緒にしてるから、あんまり言いふらさないでね。リリと仲良いみたいだから、これは特別だよ」
わたしは手の甲をテーブルの上に投げ出して、そこに光り輝く女神の紋章を見せつける。知らない人からしたら、ただの綺麗なタトゥーにしか見えないかもだけど。勇者の力を発現させるときには、オーラを発するのである。
お姉さんは、やはりそれだけでは信用するに値しないのか、半信半疑、といった様子だった。
「ふ~ん、こんな小さい子がねぇ。勇者さまが誕生した話は聞いていたが……。ああ、そういえば聖女さまは勇者さまに会いたがっていたっけな。なおさら顔を出すといいよ」
お姉さんは記憶を漁りながらなのか、宙を見上げながら呟いた。
わたしは、再び出現した謎のワードに首を傾げる。
「聖女さまって誰? わたしのこと知ってるの?」
「ははは、聖域も知らないんだから、聖女さまも知らないか。聖女さまは、聖域の管理人みたいなものさ。女神さまに祝福されし一家が代々受け継いでいるんだよ。気になるなら会ってみるといいよ」
どうやら、女神さまに関する地っていうのは本当みたい。それに、聖女さま、なんて聞くと、素敵なお姉さまを想像しちゃうよね。だって、聖女=マリアみたいなもんでしょ。勝手にイメージを思い浮かべて、にやけてしまう。
「エステル、何かやらしいこと考えてますね? ダメですよ、聖女さまと仲良くしようなんて思っちゃ」
すると、すかさずマリアが私の妄想を打ち砕こうと攻め入ってきた。悪いことをしていないはずなのに、自然と身が竦んでしまう。わたし、尻に敷かれるタイプなのかな。
「えっ!? そそそ、そんなこと、思ってないもん!」
「エステルったら、わかりやすいんですから。どうせ聖女さまって聞いて、綺麗な女の人のことでも思い浮かべたんでしょう?」
「うう、ち、違う。聖女ってマリアにぴったりだなあって思ったの。マリアはものすごい美人だから、聖女って名乗っても違和感ないだろうし」
わたしは誠実な心を持ってしてマリアに訴えかける。
想いは伝わったのか、マリアも口元を綻ばせた。
「エステルは、私を褒めることは本当に上手なんですから。皆さんがいる前で、喜ばせないでください、もう♡」
マリアは頬に手を当てて、うっとりとしながら身をくねらせる。なんとも幸せな空気で満たされる食卓となった。
焼き鳥屋のお姉さんが、わたしたちの関係を訝しがり、アイシャもアイシャで成り行きを真顔で見守っている。リリだけが、のほほんとパンを食べていた。
「なんか、やたら雰囲気が良いね、この二人。き、昨日のあたしたちみたいだね……」
焼き鳥屋のお姉さんは、リリをちらちら窺いながら、後半は口の中だけで消えていくような小声で独りごちる。初々しさでいっぱいだ。
そんな女の子同士が発する甘菓子のような空間の中、会話に挟まってきたのは、意外にもアイシャだった。
「このおふたりは、結婚しているんですよ。女の子同士では交尾しても子どもができないのに、不思議で興味深いですよね」
アイシャは、淡々とした口調でありながらも、爆薬を投下したかのような発言をしてのけた。
わたしは、ぎこちなくマリアに首を向ける。
だってマリアは、女の子同士でも赤ちゃんができると信じていて、わたしとの子育てを切望しているのだから。
真実を知ったマリアは、どんな反応をするのだろうか。
できることなら、わたしの口から伝えたかったことだけど……。
マリアは、固まっていた。
右手に持っていた紅茶のカップを落とさなかったのは、彫像のようにカチカチになってしまったからなのか、はたまたテーブルを汚さないように配慮したのかは不明だ。
けれど、彼女は次の瞬間には咳払いをして、我に返った。
「うふふ、アイシャちゃんの冗談も、おもしろいですね。人間についてのお勉強、エステルと一緒に教えてあげましょうか?」
どうやらマリアは、アイシャが無知だからいい加減なことを口走ったのだと思ったみたいだ。
……人間の文化にあまり詳しくないドラゴンのアイシャだけど、彼女が言ったことは本当のことなんだよなあ。
逆に学問を修めているはずのマリアは、ちゅーで赤ちゃんができると思っちゃっているし。ドラゴンよりも無知なマリア、可愛すぎる!
って楽観視もしていられないな。
「マリアちゃん、目がマジなんだけど……。もしや勇者ちゃん、変なこと吹き込んでる?」
リリも、異変を感じ取ったらしい。
わたしに注がれる、みんなの視線。なんで、わたしが答えるみたいな空気になってるんだよ。
「へ、変なことってなんだよ。マリアがわたしとの赤ちゃんを望むの、そんなにおかしいことなの?」
わたしも、極限まではぐらかして答える。マリアを否定することは、したくなかったのだ。でも、真実にはいずれ直面しないといけなくて。今がその時だった。
「え、エステル……? 私、何か間違っていたんですか……?」
さしものマリアも、自分が間違っていると感づいたようだ。わたしに、助けを求めるような目つきで振り向いてきた。
不安と、疑心。マリアは揺らめいている。
わたしは、マリアの真っ白な手を取って、そっと握った。
「し、しかたないよ。マリアは知らなかっただけなんだから。わ、わたしも、言い出せなくって、ご、ごめん……」
「エステルは……知って、いたんですね……」
マリアの目元には涙が溜まっていく。
これほど悲しみに打ちひしがれるマリアなんて、見たこともなかった。
わたしが、マリアを泣かせたといっても過言ではない。マリアが受けた負の感情は、わたしにも共有される。だって、マリアとわたしは一心同体だし。マリアが悲しいなら、わたしも悲しくなるのだ。
だけどマリアは、わたしに気持ちを共有されるのが嫌だったのか、彼女にしては乱暴で、力任せに手を解いてきた。
「私一人で、浮かれていたんですね。……少し、一人にさせてください……」
マリアは音をあげながら椅子から立ち上がると、荒々しい足取りで部屋に戻っていった。
わたしは、彼女の背を呆然と見送ることしかできない。
もちろん、ふーふとして、わたしは即座にマリアを追いかけるべきだった。だけど、今のマリアになんて声をかければいいのかわからなかった。
心の底から謝ったのに、聞く耳を持たなかったし、たおやかなマリアなんて見る影もないほど落ち込んでいたんだから。
「私、まずいこと言ってしまいましたか?」
気まずい空気が流れているところ、アイシャが申し訳なさげに呟いた。
「あ、ううん、アイシャのせいじゃないよ。わたしが、マリアにきちんと訂正してあげてなかったのが悪いんだから」
「マリアちゃんって、天然だと思ってたけど、想像以上だったわ。きちんと慰めてあげなさいよね」
リリウェルも呆れるかと思ったけれど、真剣にマリアのことを心配しているみたいだった。
普通なら、馬鹿にされてもおかしくないような状況だったけれど。マリアは普段から人柄がよく、誰からも好かれる見た目と性格をしているお陰で、逆に力になってあげたくなるのだろう。
「ほら、魔族の国って女の人の結婚多いんでしょ? 女同士のふーふって、子どもとかどうしてるのかな、ってリリに相談してみようとは思ってたんだよね。なかなか機会がなくて、言い出せなかったんだけど……。わたしだって、マリアの願いは叶えたいって思ってたからさ」
ようやく悩み事を打ち明けることができたと思ったけれど、手遅れになってからだなんて。溜息をつきたい気分だ。
「まあ、女の子同士でも子作りできる種族の子もいるけど。基本は養子とかもらってるのかな? そういうのも魔王さまにでも聞いてみるといいよ」
沈み込むわたしを励ますように、リリも熱心に元気づけようとしてくれていた。
けど、最も気遣いが必要なのはマリアだ。わたしが落ち込んでどうする。
わたしは気合いを入れて立ち上がり、マリアのもとに向かうことにした。




