第十七話
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第四章 水の都 トリトーネ
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その大地は、かなり清涼だった。
気温は、これまで歩んできた土地よりも少しだけ低下しており、空気を肺に取り込むと涼やかで気持ちがいい。それに一役買っているのは、周囲に流れている水の道だろう。
目を這わせれば、至るところに水路が点在している。
わたしたちが訪れているのは、北の都・水の街と呼ばれるトリトーネという場所だった。
道程はかなり長かったので、久々の人里である。
相当に北上したらしくって、まだ夏前だというのに過ごしやすい温度だった。
そして、わたしの目を引くのは、造形美の感じられる町並みだ。
まるで湖の上に立てられた都市かと思うほど、水路上に建物が連なっている。どうやらそれがセールスポイントらしくって、観光業が盛んな栄えた都市だった。
わたしが望んでいた、大都市である。
もうね、テンション上がりまくり。
わたしはマリアと腕を組んで、歓声をあげていた。
人通りの多さ。目を引くお店たち。それから、水路を通るゴンドラ郡。それらがわたしの心を昂ぶらせ、瞳を輝かせる。
隣のマリアも、いつになく目を煌めかせ、水都にも勝る美しさを誇っていた。
わたしの後方には、リリウェルとアイシャが並んでいる。
リリは特に感慨深そうにはしていないが、アイシャは首をキョロキョロと忙しなく多方向へと向けていた。どうやら、大都市に感嘆する感情は、勇者のわたしと、ドラゴンの少女、同じもののようだ。
ハーピーは、変わらず街の外で待機。一緒に観光を楽しめないのは、ちょっとかわいそう。早いところ、人間と魔族が仲良く暮らせるようにしないといけないね。
「さてと。あたしはテキトーにブラついてくるから。アイシャのこと、よろしく~」
リリはそう言うと、わたしたちの返事は待たずして歩き出す。
彼女の見た目は、通りを歩く若者と比べてもなんら遜色はなく、魔族とは思えないほど違和感なしに風景に溶け込んでいる。
「ちょ、ちょっと、どこ行くんだよ。この後の予定はどうするの?」
わたしが呼び止めると、リリは鬱陶しげに振り返った。なんでそんなに面倒くさそうなんだよ。
「どーせ、レーネを待っている間はすることないかんね。テキトーに一週間は遊んでおいで。あたしも、勝手に遊ばせてもらうから。あんたたちと違って、あたしは欲求不満なのよ」
あてつけのように言い放つリリに反論できなかった。
だって、わたしとマリアは道中でも隙を見てはえっちしていたし。反面、リリはえっちな魔族であるにもかかわらず、夜はハーピーと見回り。しかも、えっちのお相手はおらず。一応、アイシャがいるにはいただろうけれど……手は出していないみたいだ。
見た目は年頃の女の子であるアイシャなので、ビジュアル面に不満はなさそうだけど。精神年齢はわたしと同じかそれ以下だし。性知識もないからね。下手に手を出して、ドラゴンになって暴れられても困ったのだろう。
「え、でも……」
見ず知らずの街にいきなり放り出されても、わたしとしても困ってしまう。
峡谷にあった小さな村とかならまだしも、こんなに大きな都市だと、どこに何があるのかもわかんないし。
しかし、わたしの戸惑いなどガン無視したリリは、そそくさと人混みに紛れていってしまった。何がそんなに彼女を駆り立てるのか。欲求不満だと言っていたし、人を突き動かす原動力はやっぱり女の子か。いや、リリは人じゃないけど。
待ち合わせ場所も指定しないでどっか行っちゃうんだもん、合流に問題が起きたらどうしろっていうんだよ。それに、この街で、騎士のお姫様・レーネが来るのを待たないといけない。
すれ違う可能性も充分にある。割といい加減なんだな、リリも。
途方に暮れそうだったわたしを現実に引き戻したのは、マリアだった。
「エステル? とりあえずホテルでも探しますか? それとも、ご飯にします?」
「あ、ああ……。どうしよっか。アイシャはお腹すいた?」
わたしが振り返って質問してみると、アイシャはふらふらと群衆についていきそうになっていた。
慌てて腕を掴む。
放っておいたら、瞬速で迷子になってしまうだろう。
もし、街中でドラゴンになってしまったとしたら大事だし、注意して見ていないといけないね。といっても、アイシャはお腹が減って我を忘れない限り、暴れたりはしないだろうけど。
「すみません。こっちのほうからいい匂いがしたものですから、つい」
アイシャは、匂いに釣られた癖に、無表情を一貫している。まあこれでも、表情はだいぶ和らいだほうだと思う。旅を共にしていると、多少の変化には気づきやすくなるものだ。
アイシャに合わせて、マリアの整った鼻もすんすんと動いた。あの鼻にいつもわたしの恥ずかしい箇所の匂いを嗅がれているんだから、不思議な気分だ。
「確かに、美味しそうな匂いがしていますね。エステル、行ってみましょうか?」
「じゃあ、そうしよっか。途中、よさそうなホテルがあったらそこに部屋を取ろうね」
「はい♪」
マリアはいつだって上機嫌。旅の疲れも感じさせない。
長旅ではあったけれど、大半はハーピーの背中に乗せてもらっていたマリアは、体力の消耗は激しくなかった。といっても、毎朝毎晩、全員分の食事を作っていたりして、大変ではあったはずだけど。それでも、マリアも生活には慣れてきたようだ。
わたしたちは、匂いの元である大通りに向かって歩を進めた。
そこはまるで、パレードでも行っているのかってくらい賑やかで。お祭り騒ぎのように、華やかだった。
ぶつかりそうになる人の波を巧みに避け、アイシャを見失わないように注意して、マリアと腕を組んでデート気分を満喫する。
すると、匂いの発生源が出現した。
アイシャが一目散に駆け出す。
わたしとマリアは、顔を見合わせてくすくすと笑った。
だって、普段は無表情でクールなアイシャが、美味しそうなものを見ると犬のようにはしゃぐのだから。
アイシャが駆け寄ったのは、出店と呼ばれるものだった。
お外で販売している、食べ物のお店だ。その場で調理して、その場で販売する出店は、大通りでの客寄せにぴったり。
この出店では、焼き鳥なるものが売られていた。
焼いた鶏肉に、ソースやら塩やら多様なトッピングが絡まっていて、匂いだけで涎が滴ってしまいそうな食べ物である。
わたしたちは大量に焼き鳥を購入し、隣のベンチでいただくことにした。
買った量があまりにも多かったためか、お店のお姉さんはおまけをしてくれる。頭に布を巻いて腕まくりしていたお姉さんは、男勝りの綺麗な人だった。
「お客さんたちは、観光かい?」
気分の良い食べっぷりを見せるアイシャを一瞥したお店のお姉さんが、屋台から声をかけてくれる。
わたしも、口元についたソースをマリアに拭ってもらいながら、頷いた。
「ええ、私たち、今日来たばかりなんです。どこかおすすめの観光スポットとか、ホテルがありましたら教えていただけませんか?」
マリアが、わたしの身だしなみを整えながら応対する。
お姉さんから見て、わたしたちはどのような関係に見えるのだろうか。どうせ、仲良し姉妹とかにしか思われないんだろうな。
マリアとお店のお姉さんは、同年代くらいだろう。マリアは結婚指輪を煌めかせているし、主婦のように映るのかな。
お店のお姉さんは、羨むような視線でマリアを見つめていた。
マリアは、こんな大都市の中でも一際目立つくらいに美人。どこに出しても恥ずかしくない、最高の嫁である。
「お嬢ちゃんたちは可愛いからね。特別に穴場を教えてあげるよ。ホテルはそこの向かい側の店が安くていいよ。って言っても、うちなんだけどね、ははは」
出店のお姉さんはかなり気さくなのか、豪快に笑いながら教えてくれる。
まあわたしとしては、ホテルなんてある程度清潔ならばどこでもいいと思っているので、素直に紹介された場所に決めた。このお姉さんもいい人そうだしね。
焼き鳥屋さんは繁盛しているらしく、客足が途絶えることはあまりなかったけれど、その都度、お姉さんはわたしたちに情報をくれる。
「あー、後、観光スポットといえば、聖域ってのがあるよ」
「聖域?」
聞き慣れない単語に、わたしは尋ね返した。食事は済んでいる。隣のアイシャは、まだ一心不乱に焼き鳥を頬張っているけど。
勇者業でお金を稼いでおいてよかった。大食らいがいても、懐の心配はないからね。
リリも魔族のくせに、やけにお金は持っていたな。どうやって稼いでいるのか聞いておけばよかった。
「この街では有名なんだけどね、まあ平たく言えば教会みたいなもんさ。綺麗な場所だから、観光スポットとしても人気だよ」
「教会かぁ……」
わたしは、興味を失ったように、通りを歩く人々に目を向けながら呟いた。
教会って単語は、どうにも堅苦しくって、観光をしに行く気になれない。わたし、お子様なのだろうか。
すると、傍らから、ふふふ、って春の陽気のような微笑がこぼれた。ついでに、蜜よりも甘い香りつきだ。
「エステルったら、わかりやすいんですから。エステルは教会だと退屈しちゃうんですよね♡」
小馬鹿にされたような台詞なのに、マリアが言うとそうは感じないのだから不思議だ。マリアは、わたしのことがよほど愛おしいのか、聖母の笑みをたたえたまま頭を撫でてくれる。人の往来が激しい場所だというのに、頬が緩んでしまうよ。
「はっはっは、そんなに教会っぽい場所じゃなくて、普通に綺麗な建物だから、暇だったら覗いてみるといいさ」
ま、頭の片隅には入れておこう。
その他に、お姉さんは食事処や観光スポット、マーケットの位置などを教えてくれる。
説明をしっかりと聞き遂げたわたしたちは、ホテルに移動することとなった。
お世話になった相手だし、一週間ほどは、お姉さんの家のホテルを予約する。
部屋は、一応二部屋とった。
マリアとえっちしたいから……ではない。断じて。アイシャだって同じ部屋だし。
しかし、わたしたちがホテルの部屋に入ろうとしたとき、アイシャは自主的に隣の部屋に移動しようとしていた。
「アイシャ、一人部屋がいいの?」
ドアノブに手をかけたアイシャは、首だけをわたしに向けてくる。彼女の表情からは、何も汲み取れない。
「いえ。夜はおふたりの邪魔をしてはいけないと、リリちゃんに教わっているので」
わたしは踵を滑らせそうになった。
リリめ、純情なアイシャに何を教えているんだよ。とはいえ、気遣われて嬉しいような、嬉しくないような。いや。マリアと気兼ねなくえっちできるから、嬉しいのは嬉しいんだけども。
「あ、ははは……。じゃあ、どこか出かけるときとか、お腹が減ったらノックしてね」
「はい。えっちの最中には遠慮しますから、ご安心ください」
わたしは、今度こそ空気を吹き出した。
一体、何をどこまで聞かされているんだ、アイシャ。えっちなことについて、詳しくわかるのだろうか。しかも教えたのがリリだとしたら、女の子同士のえっちにばかり博識になっていそうだな。
「女の子同士の交尾に興味はありますが、間に割って入ってはいけない、と念を押されていますので」
「うふふ、アイシャちゃんが良い子でよかったですね、エステル♡ エステルは夜だと元気いっぱいですからね」
「も、もういいでしょ、その話は! それじゃ、また明日美味しいもの探しにいこうね」
かくして、水の街トリトーネの一日は終わりを告げる。
一週間、食べ歩きするぞー!




