第十二話
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「この先に、ちょっとした村があるよ」
上空から先の様子を探ってきたハーピーが、そう告げた。
場所は峡谷の中間あたり。どうやら、谷間に作られた村らしい。旅人たちの休息所のような割合も兼ねているようだ。
時刻はお昼過ぎ。
マリアは、午前中はハーピーの背に乗せてもらって、お空を浮いていた。今はわたしと手を繋いで、地面に足をつけている。
「じゃー、今日は村で一泊ね。食料とかも補充しておこっか」
「一日ぶりのベッドだね、マリア」
宿を取ることさえ、感動になりそうだ。お外で寝るのって、けっこう身体が痛くなるもんだからね。
「エステルったら。はしゃいじゃっていますね」
マリアは別に、どこで眠ろうが幸せなのか、わたしを見ては微笑むばかりである。いついかなる時も、女神しているなあ、マリアって。
「今はまだ、村とか街がたくさんあるからいーけどね。魔族の国が近づいてくると、しばらくはテントだから。たっぷりベッドを堪能しとくといーよ」
リリが、はしゃいでいられるのは今だけだぞ、って忠告する風な口調で諌めてくる。
まあ。まだ旅立って二日目だしね。先のことを考えて不安になるわけでもないけれど、できるうちにベッドは楽しんじゃいたい。昨日はマリアとえっちできなかったし、今日こそは一緒にお風呂入ったり、裸の付き合いをしたいところ。
ハーピーは、人間の里に入り込むわけにはいかないので、離れた場所で休息をとるようだ。リリも彼女に付き添うらしい。ただ、食事などをハーピーに運ぶため、リリも一時的に、村には同行するようだった。
殺風景な峡谷を進むと、先が開けてくる。村の入口だ。
わたしの故郷とさして変わらない、辺鄙な村ではあるけれど、活気はあるみたいだった。
峡谷を抜けようとする人たちにとっては御用達らしく、村に入ってすぐの場所には、こういう集落ではおなじみの、宿屋兼、食事処の店が建っている。お酒なんかも飲めるようだけど、わたしとマリアには無縁の代物だ。
わたしたちは即座に宿を選択し、まずは部屋を取る。
そして二階の一室に荷物を置いた後に、食事を頂くことにした。
一階は、木造りテーブルが沢山設置された、食堂と酒場を兼ね備えた造りとなっている。
わたしは、ハンバーグ定食を注文していた。
「じゃー、明日は食料の買い出しした後に、村の出口で合流ね」
料理を待っている間、明日の予定を立てておく。
リリウェルはわたしと同じメニューを頼み、ついでにハーピーの分である焼き魚定食もオーダーしていた。
マリアは、椅子に座って足をぶらぶらさせているわたしに、白のナプキンを膝にかけてくれて、立派な保護者のような立ち回りをみせている。
「夜中、お腹が空いたら私たちの部屋にいらしてください。ハーピーさんに、そう伝えておいてくださいね」
マリアは、一人村の外で待機しているハーピーを思いやって、リリウェルに言伝を託す。やっぱり、マリアは優しいなあ。
わたしはテーブルの下で、マリアの手を握って、彼女の温かさを満喫する。足だって絡めたりして、わたしたちはいつでもどこでもラブラブだ。
リリウェルも、マリアの聖母っぷりを目の当たりにして、心が洗われているような澄んだ表情をしている。
食事は、さほど待たずに運ばれてきた。お昼時なので繁盛はしているけれど、手が回らない、ってほどでもないようだ。
マリアとわたしは時折、顔を見つめ合いながら、ハンバーグを口に運ぶ。そして、口元についたソースをマリアが拭ってくれたりしていると、隣の席の雑談がわたしの関心を引かせてきた。
「――この先の谷底に、モンスターが出たって話、聞いた?」
「聞いた聞いた。こんなときに、勇者さまがいてくれたらねぇ……」
聞き耳を立てていたのはわたしだけではなく、リリウェルもそうだった。
モンスターって単語を耳にしたからには、もしかしてハーピーが見つかったのかな、って危惧したけれど、どうやらそうでもない。ハーピーは、谷底にまでは行っていないだろうし、話の流れからも、今すぐに起こった出来事ではないだろうから。
わたしが勇者だよ、って言って飛び出て村民たちを安心させてもいいのだけれど。それが勇者の務めだし。でも、もうちょっと情報は欲しかった。民をぬか喜びさせるわけにもいかないしね。
リリウェルもそれに感づいたのか、わたしに目配せしてくる。
「今夜あたり、サフランと一緒に谷底のほうを見てみるよ。あたしたちと対話可能な相手かもしれないしね」
モンスター……つまるところ、魔族のリリウェルにならば、コミュニケーションがとれるかもしれない。わたしは頷いて、リリたちに情報収集を任せることにした。
「気をつけてくださいね、お二人とも……」
マリアも、不安げに双眸を揺らす。
勇者のわたしがいるから、危険はないはずだけど……。
モンスターというからには、どんな相手かもわからないし。緊張感が漂う一泊となりそうだ。
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「マリア、そんなに心配なの?」
水が滴る音。
わたしは、マリアの背に抱きつきながら、彼女の耳元で囁いた。
温かい。
肌と肌が合わさった状態。マリアの背は、水滴を弾いてツルツルと光り輝いている。背中に張り付いた金糸のようなロングヘアが艷やかだ。
わたしたちはシャワーを浴びている最中。
マリアは普段よりも口数が少なく、見るからに不安そう。
だからわたしは、後ろからハグしているんだけど、なかなかにマリアを癒やしきれない。
わたしは、マリアのお腹らへんに両腕を巻きつけて、手のひらで擦ってあげている。マリアの巨大な乳房が時たま触れて柔らかい。ついでに、石鹸で泡泡になっているので、すべすべっとした手触りがたまらなかった。
「少しだけ心配です……。だって、もしも危ない魔物が見つかったら、今夜はエステル、行ってしまうのでしょう?」
「ん……。まあ、必要だったら退治にいかないといけないけど。大丈夫だよ、すぐに終わらせてくるから」
どうやらマリアは、わたしと離れ離れになるのが怖いらしい。マリアらしい悩みだ。
でも、それも責めることはできない。
だって、今はもう夜更け。夜中にわたしが出歩くことなんて、なかったし。いつもよりも余計に心配させてしまうのも無理はなかった。
「エステルは勇者さまになってから、危険なことばっかり……。私も、エステルのお手伝いを何かできればよかったのに……」
マリアを戦いの場に連れて行ったら、こっちが心配でたまらなくなるよ。って言おうとして、ああ、今のマリアはこんな気持ちだったのか、って理解した。
マリアのうなじにキスをする。この状況でも、ぴくって反応しちゃうマリアが可愛い。
えっちをすれば、一時はマリアの不安を払拭できるのかもしれない。
でも、リリウェルたちがいつ、報告に戻ってくるかもわからないし。
一番は、元凶を断つことだ……。
だからわたしは、お風呂でのイチャイチャに留めておくことにした。
マリアだって、えっちに集中できるような精神面ではないようだったし。
室内に戻って、ベッドに座る。やはり、会話は最小限。
部屋には月明かりが忍び込んでいて、床を青白く浮かび上がらせていた。
その明かりを取り込んでくれている窓が、コンコンとノックされる。
ここは二階なので、常人ならば驚くかもしれないけれど、わたしたちには誰が来訪したのかわかっていた。
そっと窓を開くと、宙に浮かんでいるハーピーと、彼女の背に乗っているリリウェルがいた。
「どーだった……?」
わたしは開口一番、核心を突く。口調も、硬かったかもしれない。別に、魔物退治が怖いのではなくって、マリアのことが気がかりでしかたがないのだ。
「んー……ちょっとまずいかもしんないわね」
リリウェルは、口に出すのも憚られるのか、苦味を含んだ声色で切り出す。彼女が言い淀むなんて、何を見てきたのだろうか。わたしにまで緊張が伝染してくる。
「何がまずいんだよ」
「……ドラゴンがいたのよ」
「はっ!?」
わたしの驚きは、叫びとなって轟く。
窓が開け放たれている夜間の今、周囲に聞かれてしまってもおかしくはない声量だ。けど、配慮なんて忘れるくらいの衝撃がリリの言葉にはあったのだ。
ドラゴン。
それこそ、絵本の中にしか存在しないと思っていた生物。まさか実在して、しかも人里近くに現れるなんて。いやまあ。リリウェルとかハーピーも実際に存在しているのだから、ありえない話でもないけど。
けれどドラゴンの驚異といえば、普段はおっとりとしたマリアでさえ危機を感じ、わたしのパジャマの裾を掴んできていた。
魔族の偉い立場にいるというリリウェルですら、現状に憂いを抱いているのか、しばしの間沈黙が流れる。
が、わたしは勇者だ。
ドラゴンくらい、やっつけられる。
「で、そいつは暴れそうだったの? けっこう近くにいるってことなんでしょ?」
「んー。眠っていただけだから、わかんない。下手に起こして暴れられても困るから、ひとまず戻ってきたけど……。意思疎通ができるかは、試しておきたいかもね」
「そもそもさ、魔族とドラゴンって、コミュニケーションとれるの?」
「うん。ドラゴンって知能は高いからね。ただ、あいつらは魔族も人間も毛嫌いしているからねー。機嫌が悪い時なんかは、暴れちゃうかもしれないのよね」
それがリリウェルの杞憂らしい。
まあ、暴れてしまうのならば、止めるのは勇者の役目でしょ。たぶん。
「じゃあ、わたしが行ってなんとかしないと、か。ってゆーか、なんでドラゴンなんかがこんなところに? 歴史上で、人間が目撃した、って話は誰からも聞いたことなんてないけど」
「う~ん。それが、わかんないのよねえ。ドラゴンって、ひっそりと暮らしている生き物だし。魔族から見たって、出会ったことがある人なんて何百年も生きているやつくらいよ」
知識が無駄に豊富なリリウェルでさえ、わからないらしい。だからこそ、コミュニケーションをとりたいようだが、リスクもある。そこに悩みが発生しているようだ。
「ま、わたしが行くから。護衛は任せてよ、代わりに話とかはリリがしてよね。ってことで。今すぐ行こ。見失っても困るしね」
わたしが促すと、リリウェルは返答の代わりにじっと見つめてきた。リリの真摯な眼差しは、お仕事の面接をされているような気まずさがある。いや。わたしは面接とかしたことないけど。
夜風が漂ってくると、リリのピンク髪がゆらゆらと揺れる。ハーピーの背に乗った彼女は、髪と上体を中空に泳がせつつ、長らく思案していた。
「大真面目な話、勇者ちゃんの安全はほんっとーに保証できないよ?」
「いやいや。何を言ってるの。わたし、勇者だよ? 安全とかどーとかの前に、ドラゴンくらいよゆーだし」
まったく。みんながみんな、わたしを見た目だけで判別しようとするんだから。
といっても、わたしだってドラゴンと剣を交えたことがあるわけでもないし。相手がいかほどの力を持っているかは不明だ。
だけど。負ける気はまったくといっていいほど、しなかった。
それが女神さまにより力を授けられしものの自信だ。
「なーんか、勇者っぽくはないのよねえ、勇者ちゃんって。ほんとに大丈夫なのかしら」
「そうですよ、エステル……。ドラゴンだなんて……軍隊とかに任せてもよいのではないですか?」
マリアも、リリの助力を得たといわんばかりに、彼女に加勢する。
わたしの本気の力、そろそろみんなに見せたほうがいいのかもしれない。だって、これまで女神の力を駆使したのって、下位の魔物や雑用程度だからね。全力を見せないことには、みんなの信用を得られないのかもしれない。
それに、わたしの全力を披露したほうが、今後余計な心配をさせずに済むだろうし。
「じゃ、マリアもおいでよ。わたしが全部守ったげる。ただし、わたしの力に驚いても知らないからね?」
月光に照らされたマリアの顔は、赤面していた。
おそらく、わたしが凛々しかったのだろう。
リリウェルは疑いの眼差しを継続させていたが、彼女には口で何を言っても無駄っぽいし。ドラゴンとの戦いを見せたほうが手っ取り早い。
マリアには寝間着のままでいいように伝えて、わたしは動きやすい服装をチョイスして着替える。そして部屋に立て掛けてあった剣を腰に吊した。
ちなみに、ただの少女であったわたしは、剣の修練なんてしたこともなかったけれど、勇者になってからは自在に操れるようになっている。身体能力が桁違いに上昇したからだ。
「よしっ。リリ、案内よろしく。マリアはわたしが連れてくからね。んしょっと」
「きゃぁ」
マリアが可愛らしい悲鳴をあげた理由は、わたしが急に彼女をお姫様抱っこしたからだ。ひょいっと軽々しくマリアを抱えたまま、わたしは窓の縁に足をかける。
「マリア、ちょっとだけ我慢してね」
「えっ?」
呆然としたままのマリアは、さらに悲鳴をあげるはめになった。
わたしが二階から飛び降りたのだ。
風を切り、地面がみるみるうちに迫ってくる。
わたしは、猫のように軽やかに大地に着地した。マリアに衝撃はいっていないはずだ。が。マリアはまるで自分が二階から突き落とされたかのように目を回していた。いきなりだったので、ちょっと驚かせすぎちゃったかもしれない。
「……う~ん、見た目からは想像できない力強さねえ」
リリも、やっとこさわたしの強さの片鱗が窺えたのか、感心した溜息をついていた。
それから、わたしはリリに先導してもらい、マリアをお姫様抱っこしたまま、村の外へと出ていく。




