第十一話
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陽が沈みかけた時間帯。
わたしたちは峡谷に足を踏み入れていた。
剥き出しの岩壁、それから、緑の少ない地べたは殺風景にも映る。
今晩は、ここでキャンプをすることに決まっていた。
早速、わたしはどでかいリュックを地面に降ろし、一息つく。荷物の中にはキャンプに使える用具も取り揃えてある。
わたしがリュックを背もたれ代わりにして、どかっと座り込むと、マリアがすかさず隣に寄り添ってくれた。
「エステル、荷物重かったでしょう? お疲れさまです」
「ううん、全然へーき。それより、マリアのほうが長距離移動で疲れてるんじゃない? 本当にこの先も歩いて行けそう?」
「少し、足が痛くなっちゃいました。長い距離を歩いたことがなかったので……思ったよりも大変ですね」
マリアは、自分が迷惑をかけていると思ったのか、申し訳無さそうに萎縮している。
マリアと一緒に旅に出ることを決意したときから、こうなることは予想できていたので、わたしには遠慮しないでもいいのに。マリアってば、優しすぎるよね。
「じゃ、ゆっくり休まないとね。足もマッサージしてあげるよ。それでも疲れが取れなかったら、明日から抱っこするし、マリアは気兼ねしないでいいんだよ」
マリアが気を使わないように、家でお手伝いを申し出るみたいにして声をかける。
すると、マリアはうっすらと微笑んでくれた。どうやら、まだ引っかかりを感じるらしい。全力の笑顔ではなかった。
「エステルに甘えてしまって、ごめんなさい。私も、エステルがいないとなんにもできませんね」
太陽が沈むのと同期するようにして、マリアの顔にも影が差す。
わたしは、マリアのほっぺたに手のひらを当てて、すりすりしてあげた。マリアを慰めるなんて、いつもとは逆だ。ふーふなんだから、お互いが支えあうのは当然なんだけどね。
「いいじゃん。普段は、わたしがマリアに全部世話してもらってるし。こーいうときくらいは、わたしに任せてよ。マリアはわたしのために髪をとかしてくれたり、着替えさせてくれたりしてくれればいいの。他は、勇者のわたしの仕事」
わたしの懸命な励ましによって、ようやくマリアも元気を取り戻してくれた。
マリアはお礼の台詞を言う前に、唇に口づけをしてくれる。
「エステル、大好きです♡ 元気づけてくれて、ありがとうございます。それじゃあ、今日はマッサージをお願いしてしまいますね」
「うん、やってあげる。ついでに、おっぱいもマッサージしちゃうけどね」
「ふふ、それは毎日ですもんね、エステルったら」
わたしたちが二人の世界に入り込んでイチャついていると、背後から咳払いが飛んできた。
マリアが小声で驚き、わたしの顔からそっと遠ざかる。そういえば、リリたちも一緒にいたんだっけ。マリアとラブラブしていると、忘れがちになっちゃう。
「サフランが水汲みに行ったから。イチャついてないで、夕飯の準備するよ!」
リリが腰に手を当てて、指示を飛ばしてくる。
わたしはイチャイチャしていたことなどなかったかのように、ケロっとした態度で立ち上がった。
初のキャンプだ。
お外で料理して、食べて、テントで寝て、って楽しみだなあ。
わたしは疲れ知らずなので、テキパキと動き始める。
マリアには調理をしてもらいたいので、下準備まで休んでてもらうことにした。
もしもマリアの疲労がピークだったら、わたしたちだけで料理する旨を伝え、早速、荷物をゴソゴソと漁る。
まずは、火を使えるようにしないと。
それから、食材は……予め用意しておいたものがある。ここ二、三日は、補給なしでも大丈夫だろう。
調理器具もそそくさと取り出して、セッティングした。
リリもずぼらそうな性格なのに、意外と家事はできるみたいで、野菜の皮剥きなどなど手伝ってもらう。
さらには、マリアがゆっくりと休息をとれるように、テントも早めに設置することにした。
何もなかった荒野のような大地には、あっという間にキャンプ地が完成する。
遠くに目をやると、太陽が半分以上も隠れた景色が望めた。
雰囲気はバッチリだね。
ハーピーが水汲みを終え、帰還してきて、本格的に食事の準備が開始された。
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「ん~。やっぱりマリアちゃんのご飯は別格ねえ」
ご満悦の声をあげたのは、リリウェル。
わたしたちは焚き火を囲み、食事の最中だった。
時刻は、19時くらいだろうか? 少なくとも、周りは暗闇に覆われている。
焚き火から天空に昇る煙を見上げると、星空が一望できた。
調理は、最終的にマリアが介入してくれて、めちゃめちゃに出来栄えのいいスープが完成した。
当然、わたしも舌鼓を打ち、ハーピーですら何杯もおかわりをしている。
マリアは、もちろんわたしの隣。携帯用の小さな椅子に座っているマリアは、穏やかな表情をしていた。みんなで食事を囲むのが、賑やかで楽しいみたいだ。わたしも同じような気持ちである。
「マリアは昔っから実家のお手伝いもしてたもんね。ご飯が美味しいのは当然だよ。わたし以外に食べさせることなんてめったにないんだから、ありがたがってよね」
わたしはマリアが褒められると、自分のことよりも嬉しくなってしまい、ついつい自慢口調へ変化する。
リリは、もうわたしたちのラブラブっぷりには慣れてきたのか、無視したり、塩対応をするばかりだ。
「リリウェルさんたちは、普段どのような物を食べているのですか? 魔族さんは、食事も違うのかしら」
マリアも、リリたちが美味しそうに夕飯を口にしているのを見て、安堵しているのか、そんな疑問を口に出していた。
「んー、あたしが街に買いに行くこともあるけどー……サフランが魚取ってきてくれたりもしてるわねー。まあ、人間と食べてる物はあんま変わらないよ」
「魚を取ってきてくれるとか、動物っぽさがあるね」
わたしが思ったままな感想を言葉にすると、ハーピーは少しばかり拗ねた表情を見せる。動物、って形容されるのは嫌なのだろうか。
「ふん、どーせあたいは、人間社会に溶け込めないよ」
なるほど。
ハーピーは見た目のせいで、苦労してきたらしい。そもそも、わたしがリリウェルたちと出会ったきっかけも魔物の討伐だったし。姿形が"魔物"だと、悪しき者っていう潜在意識が働いちゃうしなあ。人間と魔物の和解は重要そうだね。
「私は一緒にいて、楽しいですよ。魔物さんと仲良くなれるなんて、エステルのおかげですね」
マリアは、やっぱり分け隔てなく優しくて。ハーピーにもにっこりと笑みを贈る。嫉妬しなくもないけれど。マリアが優しいのは昔っからだしね。寛容にならないといけないよね。
「マリアちゃんみたいないい娘は、明日っからサフランの背に乗せてもらうといいわよ。歩くの大変でしょう?」
リリウェルが提案すると、ハーピーも、一も二もなく頷く。
「そんな……。私、重たいですから」
「へーきへーき。あたいは人一人くらいなら、簡単に乗せられるよ。ご飯のお礼だと思って」
ハーピーも、マリアのことが気に入ったらしく、尽くしてあげたくなったらしい。さすが、誰からも好かれる達人のマリアである。
マリアは、自分ひとりでは決めきれないらしく、わたしのことを横目で窺ってくる。
だからわたしは、喉を鳴らして悩んだ。
マリアが、わたしに許可を求めてくれることは、嬉しい。
だって、マリアはわたしだけのマリアだから、他の人には触れさせたくないし……。
でも、マリアの旅が楽になるのならば……疲れないで済むのならば……それに越したことはないし。わたしが抱っこしてもいいんだけど、たぶん、マリアは体勢的に辛いだろうし、ハーピーの背中のほうがゆったりできるはずだ。
「本当は、わたしがマリアを背負ってあげたいけどね……。でも、マリアが乗ってみたいなら、乗せてもらうといいんじゃない? 空飛べるのも楽しそうだし」
快く……とまではいかないけれど、マリアの身体を労るならば、乗せてもらったほうがいいと判断した。
わたしが歯切れ悪かったせいか、マリアは、わたしの手を両手で包みこむようにして握ってくれる。
「私が皆さんみたいに体力なくて、ごめんなさい。エステルも、いつも私のこと見てくれて、ありがとうございます」
「ううん。マリアは普通の女性だから、しかたないよ。それに、マリアにはいつでも元気でいてもらいたいからね」
それで話は丸く収まって、明日から、マリアが疲れたらハーピーの背に乗って、飛んでもらうことになった。元はと言えば、わたしが背負ってあげたり、抱っこする予定だったのだけど。ハーピーのほうが手持ち無沙汰ということで、得することばかりだったのだ。
食事が終わると、後片付けをして、テントに入り込む。
わたしとマリアは二人専用。リリとハーピーはまた別の場所で休むようだ。魔族だけあって、どこでも眠れるらしい。
テント内で毛布にくるまって、マリアと横になる。
手を握って、密着して、マリアの吐息が感じられるくらいの距離。
旅の初日ってこともあってか、マリアは今にも眠ってしまいそうだった。
「お外で寝るのも、変な感じですね」
マリアがあくびを噛み殺しながら、喋りかけてくる。まだ眠りたくはない、けれど眠気が押し寄せている、そんな声色だ。わたしが足のマッサージをしたこともあってか、今日は早めの就寝になりそうだった。
が、わたしの予測を裏切って、テントの外に気配を感じる。
わたしが上体を起こすと、マリアはわたしのシャツの裾を掴んで、不安を訴えてきた。……どこにも行かないでね、ってことらしい。やっぱり、布団の中ではマリアのほうが子どもっぽいよね。
「勇者ちゃんたち、起きてる?」
外から飛んできた声は、リリウェルのものだった。
もしかしたら、わたしたちがえっちしていると思って、覗きにきたのだろうか。ま、まあ、マリアが疲れていなかったら、するつもりではあったけどさ……。
「どーしたの、リリ。眠れないの?」
「ううん、そーじゃなくって。やっぱり、夜、っていったらお喋りタイムじゃんね?」
ウキウキと、弾む声のリリ。
彼女の言いたいこともわからないでもないけれど……。深夜の女子会、って無性にワクワクするもんね。わたしは、マリアと以外にはしたことがないけれど……。
わたしはマリアに視線を投げて、様子を探ってみる。するとマリアも、他人の闖入で目が冴えてしまったのか、しっかりとした目つきで頷いていた。
「入っていーよ。何をお話するのか知んないけど」
「じゃ、遠慮なくおじゃましまーす。くんくん」
リリがテント内に侵入してくると同時、彼女は鼻を鳴らしていた。
なんて失礼な態度だ。わたし、匂うのだろうか。確かに、お風呂には入っていないし。でも、マリアはお風呂になんか入らなくてもいい匂いするんだよね。
「なーんだ、えっちはしてなかったのね」
ひとしきりテント内部の匂いを嗅ぎ終えたリリは、心底残念がっているのか、肩を落として嘆いた。
「お前……匂いだけでわかるのかよ……」
わたしが力なく突っ込むと、リリは悪びれもなく、満面の笑みを浮かべる。
「とーぜんでしょ。えっちな匂いしてたら、すぐわかるに決まってるじゃん」
淫らな話題を遠慮しないリリは、ずかずかとテントに入り込むと、あぐらをかいて座り込む。
わたしとマリアは隣り合って座り直し、テント内のランプを灯した。
「ハーピーは一緒じゃないの?」
「サフランは一応、その辺を飛び回って警備してるよ。そのうち戻ってくるんじゃない」
「あらあら。では、見回りが終わったら、お飲み物でも用意してあげないと、ですね」
マリアは気配り上手。颯爽と立ち上がって、コーヒーやら紅茶やらの準備を始めるみたいだ。
リリはマリアを制止させようとしたけれど、マリアが俊敏にお茶の器具を取り出したので、止められるはずもなかった。
「で、何の話がしたいの?」
マリアがテント外に出て、お湯を沸かしているのをしっかりと見守りながら、わたしはリリに尋ねた。
「ん~、昼間言ったやつだよ。勇者ちゃんの過去の面白い話、聞かせてね、って言ったでしょ」
リリは、わたしにというよりかは、マリアに聞こえるように声を張り上げて言ってのけた。
昼間の話、覚えていたのかよ。
わたしは、どんな恥ずかしい過去を暴露されてしまうのか、気が気ではなかった。マリアは口が軽いってわけではないけれど、わたしのこととなると我を忘れてお喋りしちゃいそうだしなあ。
「うふふ。では、何から話そうかしら」
鼻歌交じりのマリアは、コーヒーを淹れているのか、コクのある香りを漂わせながら、楽しげである。
そうして、カップを手にテントに戻ってきたマリアは、わたしとの思い出を滔々と語りだす。
やれ、わたしは昔からマリアに着せ替えさせられていたとか。お風呂でも身体を洗ってもらっていたとか。犬を見ては泣いていたことなど。今では考えられないような、わたしですら覚えていないことまで、マリアは紡いでいく。
「――ああ、あと。エステルは13歳になっても、おねしょしてしまったことがありましたね」
歓談の時が続いて、はや数十分。
マリアは銃弾よりも速いペースで語り、口が止まらない。
しかも飛び出る話題が際どすぎて、わたしは今回もまた、飲み物を吹き出してしまった。
「そ、それは言っちゃダメだって、マリア!!」
「その時のエステルったら、可愛くて可愛くて。一緒になって、おねしょの後始末をしたんですよね♡」
マリアにしてみれば、わたしとのどんな思い出にも愛しさがあるのか、常に幸福そうだった。ま、まあ、マリアが幸せなら、それでいいけどさ。わたしは常時、顔面が熱くなっちゃうよ。
「勇者ちゃん、13歳でおねしょしちゃったの? あらあら、そりゃー、マリアちゃんじゃなくても、ほっとけない女の子ねぇ」
リリウェルまで、マリアと一緒になってわたしを弄り倒す。
わたしは勇者さまだっていうのに、いじられキャラのような扱いばっかりである。
でもマリアは、わたしが膨れ面になりそうとみるや、ぬいぐるみを抱くみたいにして、胸にぎゅーってわたしの頭をかき抱いてきた。マリア、いい匂いする。マリアに抱かれていると、他のことなんて、どーでもよくなっちゃう。
「はい、ずっとずっと、エステルのこと、放っておけなかったんです。それなのにエステルったら、私の愛に気づいてくれなかったんですよね」
「だって、マリア……お姉ちゃんっぽいだけだったんだもん。恋人には見えなかったよ……」
リリウェルは不思議がっていた。なぜなら、今でこそ、信じられないくらいラブラブっぷりを披露するわたしたちが、昔はただの姉妹みたいだったのだから。わたしたちを知らない人からしたら、想像できないのも無理はない。
「お二人の話はだいたいわかったわ。じゃー、あたしから、いっこだけアドバイスあげるよ、マリアちゃんに」
「私に、ですか?」
リリウェルは、人差し指をピンと立てて、楽しげに目を細めている。嫌な予感しかしない。だいたい、リリウェルのアドバイスなんて、えっちなことに決まっているだろうし。
「聞いた感じだと、勇者ちゃんって、だいぶせっかちでしょ? えっちのときとか。だからさ、今度するとき、うーんと焦らしてみるといいよ? それで、今以上にメロメロになってくれるはず」
リリは、確信に満ちた声色でマリアに技を伝授する。わたしの予想通り、えっちな技だ。
マリアの反応は、目から鱗、といわんばかりに感動に打ち震えている。
「エステルを、焦らす……。ちょっとかわいそうですけど……でも、もっと私のことを愛してくれるのなら……試してみたいですね♡ ありがとうございます♪」
マリアはすっかり話を信じ込み、今すぐにでも実践したそうにしていた。
マリアに余計な入れ知恵しちゃって、リリにも困ったものだよ。わたしは今度から、焦らされちゃうらしいし。でもね、マリアにどんな風に焦らされるのかって興味がないわけではない。
その後、見回りを終えたハーピーも加わって、女子会には花が咲く。
マリアが疲れ果てて眠るまで、わたしたちの宴は終わらなかった。
楽しい一日だった。
旅が続く限り、今日みたいな毎日を送れるのだろう。
マリアの寝顔を見て、確信するわたしだった。




