論理的に正しいオオカミ少年
久しぶりに論理学の本を読んで、ふと思いつきました。
羊飼いの少年が悪戯心から「狼が来た!」と嘘をついた。
大人たちは羊と少年を守るため武器を持って狼を撃退しようと集まったが、そこに狼はおらず徒労に終わる。
羊飼いの少年は繰り返し同じ嘘を何度も何度もついた。
そうして月日が経ち、ついに運命の日が訪れた。そう、本当に狼が来たのだ。
羊飼いの少年はパニックにはならなかった。状況を正しく理解した。すなわち、大人たちの助力を得た上で狼を撃退しなければ羊が襲われる。座して待てば自らに降りかかる運命も羊のそれに準じるだろう。
そして自らの行いも正しく把握している。下っ端の些細な発言を暴言と断じながら自らの暴言は、俺が暴言と思わなければそれは暴言じゃないんだよ、と豪語するどこぞの隣の「人格者」部長とは違った。
村人にとって自分は「嘘つき」である。
ならば、だからこそ、この方法なら!
これでダメなら己の愚かな行いの自業自得だ!
羊飼いの少年は「覚悟」を決めた。
「狼がきていない! 狼なんかきていないんだ! 狼はきてない!」
必死に伝えた。
自分は「嘘つき」だ、つまり、自分の発言は嘘であると村人は認識してくれていると信じた。
そんな自分が「狼が来た」といってももう誰もが「狼がきてない」と認識してくれている。
ならば、そんな自分が「狼がきてない」といえば? 「羊飼いの少年の発言は必ず嘘なのだから「狼がきた」という意味なのでは?」と思ってくれると信じた。
村人たちは血相を変えた羊飼いの少年のその発言に、正しく違和感を持った。
血相を変えて叫んでいる。これはいつも通りだが、いつも以上に迫真の演技と感じた。
そして発言内容である「狼がきてない」。「狼がきた」ではなく「狼がきていない」。
以上のいつも異なる点から村人たちは何が起きたのかを考えた。そして一つの結論に達した。村人たちはもう一度羊飼いの少年を信じた。その嘘つきとしての矜持を信じた。
村人たちは再び武器を携え牧場に向かった。そして羊を襲わんとしている狼を協力して撃退した。羊飼いの少年の「覚悟」は正しく報われた。
その後も羊飼いの少年は「狼がきた」または「狼がきてない」と嘘をつき続けたが、必ず正しく「嘘」であったため、定例の安否報告として正しく機能した。羊は健やかに育ち、羊飼いの少年は羊飼いとしての職務を全うできた。
再び月日は流れ羊飼いの少年は、もう少年ではなく青年となった。そしてその姿は教会の中にあった。相対するのはこの村の牧師。
元羊飼いの青年は今後の身の処し方を相談に来たのだ。
「今日は、必ず嘘をつかなくては、と考えなくていいですよ、気を楽にして話してください」
牧師に促されて元羊飼いの青年は話す。
「自分は悪戯心などというくだらない動機で、長年、嘘をつき続けてきた。羊飼いの仕事は今、後継となる少年に引き継いでいる。これが終わったら村で居場所も合わせる顔もない。どうすればいいか、知恵を借りたくてきた」
朴訥と語る元羊飼いの青年。
「自分の罪を数えられたのですね。自分の罪に向き合う、容易なことではなかったと思います、私はあなたに敬意を払いますよ」
そう話す牧師。
「牧師は何故牧師というか、それは新約聖書の中で主が自らを「羊を飼う牧者」に例えたことに由来しています。羊飼いの少年の次の仕事として相応しいと思いませんか?」
「自分は罪深い人間だ、知識も教養も信仰心すらもない。そんな自分に務まるわけが……」
「罪を犯していない人間などいませんよ。問題はそれを自覚しているかどうかです。それに学ことなど後からでもいくらでもできます。本質的な地頭、それがあなたにはある、そう私は思っています」
「なぜ……」
「あなたの言動ですよ。では、なぜあなたは本当に狼がきた時に、狼がきてない、と言ったのです? ただの悪戯小僧なら、狼がきたといって誰からも顧みられず、羊もろとも狼の餌食になってたでしょうに」
「そうすることが正しいと思った…… あんたが……牧師様が定期的に開いている教室、自分も行ってる……なんて言えばいいのかな、算数の記号は足すときは絶対足すし引くときは絶対引くだろ、自分は嘘つきなんだからいつだって必ず嘘をつかないと村人は何を信じていいかわからなくなる、そう思った」
「その思考は論理的に正しいと私は感じます。初歩的な算術しか学んでいないのにその素養は得難い、そう思ったのです。確かに頑張って勉強してもらうことになります。それでも挑戦してみませんか」
「……その話を受ける……受けさせていただきます……」
「そう言ってくれると信じていましたよ。それで娘に対しても面目が立ちます?」
「!?」
「覚えているか知りませんが、あなたが正しく村人に警告してくれたお陰でうちの娘が狼の被害から逃れられたことがあるのですよ。それ以来娘があなたを気にしていましてね」
「……」
こうして悔い改めた元羊飼いの青年は村人全員に謝罪し、牧師の勉強を始めた。乾いた布が水を吸収するがごとく学んでいった元羊飼いの青年はついに牧師となった。
その隣に伴侶として立つ女性が、先代牧師の娘であることは言うまでもない。
その後の彼は、正直に言うことも嘘をつくこともあったが、その嘘は必ず他者を思いやってのものであった。「自分はもうオオカミ少年ではない」彼は折に触れてそういったという。
そうして後にこの村では「オオカミ少年」という言葉が生まれた。意味は「どんな危機的な状況でも必ず嘘をつく、嘘をつくことについては聖人もかくやと言うほどの誠実さと覚悟をもった者」
嘘をついたりつかなかったりする不誠実な言動の子供には「嘘をつくならオオカミ少年たれ!」と言われるようになったという。
B「と、いう小説を書いてみた。Aに急かされたからな」
A「連休の最終日にどうした? わざわざビデオチャットで」
B「いや、熱が36.9あってさ。PCRは陰性だったけど……で、寝たいんだけどもう寝れないのでモンハンやろうかと思ったけど小説書こうと思って、で、どうだった?」
A「冒頭の「撃退」のところあたりで、双剣をもった俺やガンランスを持ったお前なら狼がたとえ雷を身に纏った狼だろうとソロで倒せるけどな、とか思っちゃった。」
B「ゴジラだろうがキングコングだろうが、自分の好きな武器担いで挑むのがハンターだ、って言葉があるからな。だけどこれは普通の羊飼いだと思ってくれ」
A「あと、異世界にキリスト教があるとは限らないってじゃがいも警察に怒られない?」
B「これ、オオカミ少年の話です、正しくはイソップ童話の嘘をつく少年、だったかな、だから地球の話です。キリスト教あります」
A「失礼しました。つい何でもかんでも異世界だと思っちゃう癖が……ならいいか、牧師は結婚していいし、懺悔の部屋のシステムは神父の、とか言う話もあるけど悔い改めることはどっちも共通だしね」
B「正しく理解してくれて有難いよ」
A「あと、オオカミ少年はなんと言うべきだったか、の一つの解として面白かった、ところでなぜに論理学?」
B「久しぶりにゲーデルの不完全性定理の本読んで思いついた」
A「発想のきっかけが意味がわからん」
B「自分でもそう思う。とりあえず約束は守りました」
A「はい、果たしてもらいました。お大事に」
B「ではでは」
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