第61話 ハラルドとナタリーは悪魔と決戦する
全身から力がみなぎってくる。
ナタリーの膨大な魔力を杖に集めて、確実に魔法陣を構築する。
受け取った魔力がにじみ出て、俺たちの周囲に緑のオーラが放出された。
「何だ。本気で俺様達に叶うと思っているのかぁ?」
「わたしたちは、負けません……!」
「ケッ、面白くねえなあ」
命乞いを期待していたパウルは吐き捨てるように言った。
「まあ、別に構わねえさ。よほど死にたいらしいな」
『無謀。早急ニ息の音を止メ、我が生贄ニ捧げるノダ、パウル』
「言われなくたってそうするさ。あの膨大な魔力がありゃあ、この国自体を死の都に変えることだってできるからなァ!」
パウルは狂気的な笑みとともに、俺と同じ素材の杖を向けてくる。
杖先に魔法を収縮させた。
背後の悪魔は黒煙の残滓を残してパウルに体を寄せ、その手に絡みついた。
俺とナタリーがそうするみたいに、魔力を注ぎ込んでいる様子だ。
「ヒャーハハハッ! 力が、みなぎってきやがるぜェ!!」
「くっ……」
俺の首筋に冷や汗が流れる。
奴らの杖に宿った魔力は、俺たちのものと謙遜ないほどに膨大だ。
だがすでにナタリーからは、上級魔法百回分以上の途方もない魔力を受け取っている。引き出せる魔力はこれが限界で、どちらが勝つか想像もつかなかった。
杖を中心に渦巻く黒の焔が肥大化する。
その余波で巻き起こった暴風が、遺跡一帯をあおった。
蝋燭の炎はいっせいに消えて、土埃が吹き荒れる。
「消し炭になりやがれ、ハラルドォォォォッ!」
パウルは、魔力嵐の中で髪を逆巻かせた。
悪魔から受け取った魔力にそのまま身を任せているようだった。
「そうはいくかッ……!」
「何ッ!?」
だがその時、俺たちの周囲にも異変起こっていた。
杖に注がれた緑色の魔力が、嵐の中ではっきりと浮かび上がっている。
空中で二色の魔力が押し合っていた。
魔力は光系統の魔法陣に吸い込まれていた。
俺の使える最強の光系統魔法は、槍を作り上げる中級魔法だ。
それがバチバチと稲妻のような音を鳴らしながら、通常ではありえないほどに肥大化していった。
「貴様ッ、何だその魔法は!?」
悪魔の力に匹敵するような魔力を前に、パウルに明らかな動揺が見えた。
俺は、魔法を維持するのに必死で答えを返す余裕がなかった。
「う、うっ、うぐぅっ」
全身でしがみついているナタリーは、苦しそうな声をあげていた。
全身全霊で魔力を注ぎ込んでくれている。
それを全力で受け止め続けて、魔法を構築していく。
「お前に、負けるわけには、いかないッ……!」
光の槍は、聖教会の作り上げる魔法よりも神聖な気配を放っていた。
魔法には限界がある。
魔法は位階ごとに初級、中級、上級と分かれている。
それぞれ限度以上の魔力を注ぎ続けることに大きな意味はない。本来の倍の魔力を注いでも、威力や規模が倍になるわけではない。
魔法の力が、注がれた魔力量に比例しないのは常識だ。
だが上限があるわけではない。
『キ、貴様ァッ!』
「き、き、貴様っ、ハラルド……!!」
奴らにとって、この状況は想定外だったようだ。
俺たちが今作り出せる最高の魔法は、悪魔が動揺するほどのものであったらしい。
「もっと、もっと強く……ッ!!」
ナタリーが生まれ持った膨大すぎる魔力を、長い人生の中で磨いてきた類稀な『スキル』が必死に支え続ける。
たった一つの中級魔法に、千を超える上級魔法を放てる魔力が注がれる。
常識を覆して、未来を穿つための魔法は進化した。
鋭く、巨大に。
悪魔を滅せるくらいの膨大な光を作り上げる。
黄金色の輝きを持つ、聖なる光の槍が、この世界に顕現した。
『我ガ力を持っテ、死ぬガ良イニンゲンッ!!』
「ウガアアアッ!! 死ねハラルドッ!」
だが、悪魔の力を借りて作り出した地獄の炎も規格外だ。
絶大な熱風が遺跡を支配する。
古代魔法の防御がなければ、とっくに溶けて崩壊していただろう。
触れれば一瞬で命を落とす邪悪な業火が、杖を中心に黒の螺旋を描いた。
「『マルム・フレーマ・レクイエム』ッ!」
悪魔の力によって成しえた、命を刈り取るための、螺旋状の炎が迫る。
俺たちの真正面から向かってくる。
そこに存在しているだけで、膝を折ってしまいそうになる。
「『聖なる』――」
だが、それを感じているのは相手も同じはずだ。
全身を重ねて作り上げた、上級魔法を超える二人の攻撃が完成した。
「『槍』ッ、ですッ!」
ナタリーの声を引き金に放たれる。
零距離で、真っ向から激突した。
本物の悪魔の作り上げた、荒れ狂う地獄の業火。
エルフが強引に昇華させた、位階を遥かに逸脱した聖なる魔法。
激突の瞬間に魔力嵐が巻き起こる。
唯一纏ったローブが背中に大きく飛ばされそうになった。
「ぐぅぅ……ッ!!」
握った杖が反動で吹き飛ばされそうになる。
「う、う、うっ」
風に巻き込まれたナタリーの金色の髪が、背中のほうに大きく波打っていた。
お互いの致命傷になる魔法は、中心でぶつかりあって止まっている。
大量のエネルギーを撒き散らしながら、恐ろしいほど完璧に拮抗していた。
「っ、テメェ、クソがアアアッ!!」
パウルもまた、目から血を流して、俺に怒り叫んだ。
上級悪魔がパウルに注いでいる魔力量は桁外れだ。
この世に存在する人間を束ねても足りないのではないかと思うほどだ。
俺たちの使える魔力よりも遥かに多いが、それでも押し合っているのは、光と闇の相性差だった。
この状況を覆して勝利を得るために、お互いが命を注いでいた。
「ぐ、ぐっ……う、うぐぐ……」
これだけ魔力を注いでいるのに、敵の攻撃は全く止む気配がない。
遺跡の壁に張られた防御の魔法が、波打つように揺れ動いでる。
ナタリーが、俺の肩を握りしめた。
僅かに苦しそうな様子を見せている。
俺も魔法の制御を続けているが、今にも意識が飛んでしまいそうだ。
(これじゃ、ダメだ)
視界がチカチカしても両手で握った杖は手放さない。
闇と光が入り乱れる混沌とした戦場を、真っ直ぐに見続ける必要があった。
(俺にはまだ、できることがある……ッ!!)
すでに全力は出している。
だが今、勝つために限界を超えなければならない。
そのために、俺は、最悪の過去を思い出す。
『魔法の才能を持たないゴミは、我が家には不要』
俺を捨てた親の言葉を思い出した。
『ヒャーハハハッ! 一族の面汚しってやつは、惨めだなぁ!!』
都合の良い道具として扱った、兄弟を思い出した。
『魔力を奪う? 汚らわしいわね、そんな人間は必要ありません』
俺を見下した周りの人間を思い出した。
『ハラルドォ! テメェのあだ名は疫病神で決定だなあ!』
いいように使い潰した、かつての仲間の姿を思い出した。
俺の側にいた人間は、俺を蔑んだ。
無意識のうちに、波風を立てないように行動するようになった。
心の奥に鎖がかけられて、いつしか他人の罵倒を恐れて『スキル』の力を引き出せなくなっていた。
『わたしと、一緒に冒険に出てください』
今までの誰にもなかった決意の声が、闇の中にいた俺に届く。
それは、ずっと傍にいてくれるようになったナタリーの最初の言葉だ。
はっきりと分かった。
俺は、ナタリーに執着している。
仲間なんてものじゃない。
この瞬間に、もっとも強く、彼女という存在を求めた。
「っ……!?」
一緒に杖を握っているナタリーが、不自然な息をこぼして手を震わせた。
未知の感覚に戸惑っているのだろう。
違和感を感じているのは、直接肌が触れている心臓部分だ。
ナタリーの身体の中には、魔力の源が存在している。
俺の『スキル』が、触れて届く以上の場所に、手を伸ばしていた。
体の内側を弄られるような感覚に戸惑わないはずがない。
俺のスキル『代行魔術』は、相手が受け入れてくれなければ魔力を受け取ることはできない。
単に了解するだけではダメだ。
心から許してくれなければ、ほとんど引き出せないのだ。
俺は拒絶されることを恐れて、わずかに杖を握る手が揺らいだ。
「勝ってください、ハラルドさん……!」
ナタリーは言った。
生死にさえ関わる根源的な部分に、俺の存在を受け入れたとたん、まるで自分の中に『魔力』を持っているような錯覚に陥った。
肌を介して感じるものとは、比べ物にならないほど鮮明だ。
エルフ少女の内側に存在している魔力は美しい。
無限に湧きだす緑の魔力には底がない。
信じがたいほどの力を、本人ではない俺が使うことを、許された。
「おおおおっ、オオオッッッッ!!!」
狂ったように叫ぶ。
二人分の全力を杖に込める。
意識を失う寸前まで、限界点まで、俺は全て引き出した。
周囲の空間全てが、美しい新緑の魔力に包まれて、何も見えなくなった。
桁外れの魔力を注がれた魔法の聖槍は猛進した。
悪魔の呼び出した地獄の炎を全てを打ち破って、粉微塵に破壊した。
パウルは、悪魔は、敗北を悟った。
魔力の消滅した杖を持ちながらつぶやいた。
『馬鹿ナ、アリエン』
「そんな。俺様の、計画が……なんだっ、何なんだよこれは」
目の前に溢れる光を信じがたい表情で見ていた。
「喰らえッ、パウルゥゥゥ!!」
最後の刹那、パウルは絶叫した。
「テメェェ、殺してやるッ、ハラルドォーーッ!!」
悪魔に魂を捧げた人間は、光の中では生きていけない。
俺を惨たらしく殺し、ナタリーを生贄に捧げようとした悪魔は消失する。
黒の魔力は全て塗りつぶされ、膨大な光に呑まれた二者は塵に帰っていく。
断末魔は、打ち消えた。




