第26話 ハラルドはゴブリン族の雑兵を打ち払う
城かと見紛うほどの体格の魔物は、狐族の村を覆う巨大な影を作り出した。
トロールが一歩歩くごとに木々が無惨に折れる。手に持つ巨大な棍棒は、単純だが、集ったギルド構成員の戦意を折るのに十分な装備だった。
「あ、あれが魔物なのか……!?」
「でかすぎる。無理だ」
「あんなの人間に倒せるわけない」
人間の十倍を超える体格差の生物に心が折れるのは当然だった。
だが、そんな中で一人。
余裕そうに笑んでいる男がいた。
「ヒャハハっ。何ビビってんだ、お前ら!」
Aランクパーティのリーダー、デニス。
強気に自らの薄赤色に輝く金属で鍛えられた双剣を抜いた。
それはパーティ『赤蛇の牙』の名前の由来でもある特別な魔法武器だ。
「少しは戦いがいがある魔物が出てきたみたいねえ」
「クククッ。ああ、多少は歯応えのある魔物が出てきたって感じだぜェ」
アリアネも自身の杖を輝かせた。
彼らにとって、強力な魔物と戦うのは初めてではない。デニス達に支援魔法をかける。
「あんたら、しっかりしな!」
「そ、そうだ……! 俺たちにはデニスさんがいるんだ!」
「みんな武器を構えろ!」
堂々とした二人の態度に勇気づけられたギルドの一団は、一気に士気を取り戻す。
一斉に剣や弓、杖などの武器を持った。
デニスは彼らの先頭に立ち、体勢を低くして笑みを浮かべる。
――その一方。
盛り上がっている彼らをよそに、俺はその場から離れていく。
「どこに行くんですか? 戦わないんですか!?」
「あんなところにいて巻き込まれたら、最悪だろう。俺たちは魔法使いだぞ」
「あ、そうでした……!」
手を引かれたナタリーも、納得した様子で手を叩いた。
魔法使いは前衛で戦わない。巻き込まれないように後方から戦うのが鉄則だ。
そもそも連携自体が無理だ。
下手に加勢すれば揉めるのは目に見えている。
俺は、勝手に盛り上がり始めて彼らを冷たい目で見た。
「まさか本気で勝つつもりなのか、デニスは」
信じられない気持ちで、勝ち誇っているデニスを見た。
今まで積み上げてきた全てが自分の功績だったと、本気で思っている様子だ。
……まあ、何があっても自己責任か。
彼らの失敗を前提に、用意を始めた。
「そうだ。Aランクパーティの俺様がついているんだ。仲間を待つ必要なんてねえ」
光をまとったデニスは愚鈍なトロールに向かって駆け出した。
「デカブツは俺だけで倒してやるよ!!」
素早い動きで地面を蹴り、その場にぼんやりと立ち尽くすトロールに向かっていく。
凶暴な笑みで、両手に持った剣を振り上げた。
「死ねやッ!」
両手に構えていた剣が真紅に染まる。
ギルド構成員が喝采した。
「出たっ、デニスさんの魔双剣・デュオフレーマの一撃っ!」
「これであの魔物も終わりだ!」
彼らは、魔物が真っ二つに切り裂かれる光景を幻視した。
自分たちでは倒せない魔物。
だがデニスなら倒してくれると信じた。
そんな想いで見ていた彼らは見てしまう。
「は……?」
一番、わけがわからないという表情を浮かべたのは、デニス本人だった。
二本の剣はトロールを切り裂くことなく、半分ほど食い込んで止まった。
全く切り裂けていない。
僅かに焦げたような臭いはさせているものの、びくともしていなかった。
『グガァ』
蚊でも刺されたように鬱陶しそうに、トロールは片手でデニスを払った。
「ぐぼおおぁぁっ!!?」
あっけなく、それも派手に。
剣ごと地面に飛ばされてしまう。
地面に何度もバウンドし、勢いよく打ち捨てられた。
「デニスさん!?」
ギルドの人間は慌てるように叫んだ。
地面に痕を作り、四肢を投げ出している。
「デニス!? しっかりして!」
アリアネが駆け寄るが、無反応のままうなだれている。
デニスは白目を向いて意識を失っていた。
使い手を失った双剣は地面の上で紅色の輝きを無くす。
「う、うわああああっ! デニスさんがやられた!」
「嘘だろ、Aランクパーティのリーダー、デニスさんだぞ!?」
彼を心の支えにしていたギルド構成員達は、あっさり恐慌状態に陥った。
「もうダメだ、みんな逃げろおおッッ!」
「ま、待ちなあんたたち!」
アリアネが止めるが、無理だ。
蜘蛛の子を散らすように、鼻水を流しながら一目散に逃げ出していく。
倒されたデニスとアリアネは置き去りだ。
『ングゥ』
トロールは変わらず、悠然と真下で蠢く矮小な人間を見下ろしていた。
「ひっ……」
怯える人間を敵として認識した。
邪魔者を足で踏み潰そうと、二人の真上に足をあげる。
デニスは意識がなくアリアネは動けない。
巨大な足影が迫る。
「やっぱりこうなったか」
この展開を予想していた俺は、構えていた魔法を発動させた。
杖から緑色の光が放たれる。
動けない二人の体に、突然植物のツタが絡まった。
「なっ、なんだいこれは……うぁっ!?」
アリアネとデニスはそれに引っ張り出されて、放り投げられた。
直後、トロールの巨大な足が力一杯に地面を大きく踏みつける。
「うわっ!?」
そのまま逃げ出そうとしていた連中に、ずんと重たいものがのしかかった。
「デニスさんっ!? アリアネさんもっ」
「うぐっ……な、なんだったの」
意味もわからず投げ捨てられた二人。
アリアネは、尻餅をついてあたりを探す。
彼らに向かって叫んだ。
「そいつを連れてギルドに帰れ!」
「は、ハラルドッ……!」
広場のほうで叫んだ俺とナタリーを見つけると、敵意のこもった視線を向けてきた。
だが俺は意にも介さずに、続けて叫ぶ。
「ついでに、こいつも持って帰れ!」
操る植物のツタが、剣を放り捨てる。
アリアネは一瞬固まったが、地面に落ちたデニスの武器を拾い上げる。
「くそ野郎……あんたッ! これを持っていきな!!」
「は、はいぃっ!」
この状況下で、俺に反論する余裕はなかったようだ。
他のギルドの人間にそれを持たせて、同じように森の中に走り去って行った。
一方で愚鈍なトロールは不思議そうに足元を覗いていた。
人間を踏み潰したと思っているようで。失敗したことに気付いていないらしい。
これでようやく集中して戦える。
「ナタリー、作戦通りにやるぞ」
「は、はいですっ」
ゴブリン族の王を前に、緊張しまくっているナタリーの手を握りなおす。
先手必勝だ。
トロールが動いていない間に中級魔法を発動させる。
「水系統中級魔法『ウォーター・キューブ』!」
ナタリーと重ねた手から、水色の光が杖の先端に収縮して放たれる。
一直線にトロールの顔面に向かう。
唐突に顔面で水の立方体を形成した。
『グ……ングゥッ……!?』
空気のない環境に包まれた。
トロールは慌ててもがき始め、両手で払おうとする。
だが手は水を掠めるだけ。
ほとんど空振っている。
「そいつは力だけでは、どうにもならないだろう」
「やりました。あれなら、倒せます……!」
トロールに怯えていたナタリーも、喜ぶような声をあげた。
だがトロールは水中でニヤリと笑う。
俺は、この方法では駄目だと悟った。
「ダメだ! ナタリー、気をつけ――」
『ウォオォォッ! グオォォッ!』
トロールは突如、森中に届きそうな大声量で、理解不能な奇声を発した。
肌を痺れさせる声量に、ナタリーはますます涙目になって「ひぃっ」と悲鳴をこぼして、俺の腕をしっかりと掴み上げてきた。
顔面を覆っていた水は、内側から弾けて飛び散る。
しかし、それだけでは留まらない。
「は、ハラルドさん。森から音が……何かがいっぱい、近づいてきますっ」
「何だって?」
暴音が止んだあと。
訴えてきたナタリーの言葉を受けて、俺も感覚を研ぎ澄ます。
いくつもの魔力が集まっている。
それに気づいて、事態を察知した。
「っ……あいつまさか!」
トロールの笑みを見た俺は慌てて、周囲の森を見回した。
森から、いくつも気配が近づいてくる。
草木を揺らして次々に現れた。
『グブゥ』
『ヒヒヒィィイ!』
何十匹ものオーク。
それに加えて、百匹以上存在するゴブリンの軍勢だ。
紅色の瞳が全て、笑いながら自分たちを見ている。あれは優位を理解している顔だ。
「あッ」
「お、おい! しっかりしろ。俺に力を貸してくれ!」
大量のゴブリンを認識したナタリーが目を回してひっくり返った。
俺は慌てて支えて、呼び掛けた。
「ナタリー、大丈夫だ」
「だいじょうぶ……?」
「俺たちは勝てると言っただろう」
呻くナタリーを抱えながら、強気な笑みを浮かべる。
「……そう。この状況は想定済みだ」
俺が逆に笑ってみせると、ボスのトロールは不可解そうな表情を浮かべる。
思った通りの展開だ。トロールが一体だけで来るなんて最初から思っていない。
『ギィッ!?』
『グギギィィッ!』
突如、悲鳴と共に倒されていく。
オークとゴブリンは、予想外の背中からの攻撃に慌てて身を縮こまらせた。
「やれ! 俺たちで、ゴブリンどもを追い返すんだ!」
森から、大声で指示を飛ばしたのは、狐族の戦士の男だ。
次々に森側から無数の矢が飛ぶ。
石が投擲される。
潜んでいた狐族の攻撃で、広場に出たゴブリンはなすすべなく次々に倒された。上位種のオークも少しづつ減っていった。
「あれは狐族の方です!」
「魔法をかけた武器が役に立ったな」
ナタリーも、起き上がって声をあげた。
作戦が成功したことを悟った俺は、思わずにやついてしまう。
彼らが使っているのは、俺とナタリーが支援魔法をかけた武器だ。
通常より命中する。攻撃力も増す。
それに耐えきれずに、軍勢は散り散りになっていく。
トロールもゆっくりとした動きで周囲を見回した。そのとき背後から矢が突き刺さり、茫然と頭を撫でる。
『グガ……』
意味がわからないという顔だ。
やはりトロールには効かないようで、弓を射った男は怯む。
だが、軍勢が減れば十分だ。
トロールの徐々に状況を理解し始めたようだ。
『ウオォーーッッッ!!!』
配下をあっという間に失っていくトロールは、怒りの声をあげた。
『ギギィッ……』
『ガッ、グガァァ……』
だが、それに対してゴブリンとオークは一斉に弱気になって踵をかえしていく。
森の中から敵の攻撃を受けたことで怯んでしまったのだろう。トロールの周囲にいる個体を除いて、ほとんどが逃げ出してしまった。
彼らはズル賢い。
だからこそ自分たちが使い潰されることがわかってしまったのだ。
「後ろにゴブリン供を控えさせていたのは、失敗だったな」
俺が煽るように言うと、苛立ったトロールが俺のほうを見る。
『ウ、ゥウォォォッ!!』
大棍棒を振り上げ、苛立たしい様子で地面に打ち付けた。
大地が、揺れた。
紅色の瞳をより細めて、敵意を込めて息を吐きながら威嚇してきた。
恐ろしい形相に狐族が怯えた。
俺は真っ向から魔物の敵意に向かい合う。
「先に襲ってきたのは、お前達の方だ」
怯えるナタリーと互いに離れないように手を握りあう。
新しい魔法を構えながら、睨みつけた。
「お前を、ここで確実に仕留める」
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