入団試験編 7
ハフギールの鋭利な爪が、容赦なくミーシャに降りかかる。
間一髪でそれを避け、魔法を放つ。
「初級魔法火の矢!」
しかし、火の矢はハフギールの硬い鱗に阻まれたため、ダメージは通ってないようだ。
「上級魔法炎の牙…っと、あぶね」
火系統の魔法の中でも最上級の攻撃魔法。先程のケモノは即死した攻撃。
発動しようとしたが、その手は空を切り、集まった魔力は霧散した。
降ってきた爪を転がりながら避け、ミーシャは一筋冷や汗を流した。
(ったく、速いなぁ)
魔法は、上級であればあるほど、錬成に時間がかかる。
さらにその中でも火の牙は、錬成も遅く、何より攻撃力は高いがスピードが遅い魔法。ハフギールの素早い動きを捉えるのが難しい。
錬成に気を取られれば、鋭い爪でお陀仏だ。
「中級魔法火の刃!」
火を纏った刃でハフギールを斬りつける。
しかしまたしても、硬い鱗はミーシャの攻撃を許さない。
少し傷がついただけで、魔法の高度に見合ったダメージが与えられていない。
(…火系統の魔法をもってしても、かすり傷程度しか与えられないなんて)
魔獣はその名の通り習性は獣に近い。そのため、火や尖ったものに怯える特徴を持つ。
魔獣討伐において、火系統の魔法は最も有効な手段である。
それでもなお、ハフギールは強靭な鱗でもって、魔獣の習性をも跳ね除ける。
打開できない危機的状況の中、ふとミーシャは思い出した。
(…ししょーが言っていたな。
"魔獣に有効なのは火系統の魔法だ。例外はない。しかし、あくまでそれは、相手に確実に攻撃が通る状況下の元で、という前提がある場合のみだ。
海の中の魔獣。動きの速い魔獣。攻撃が通らないほど硬い魔獣。
そいつらに火系統の魔法を使うのは、融通が効かない頑固者の徒労でしかない。
海の中なら鋭い光魔法。動きが速いならスピードがある風魔法。そして、防御力があるなら貫通力がある雷魔法。
致命傷でなくともダメージを与えた上で、鈍ったところを確実に火魔法で倒す。
これが、賢い戦い方だ"って…)
ミーシャは改めて、目の前の敵を見上げる。
ハフギールは、動きも素早く鱗も硬い。
つまり
(動きを止めて鱗を砕き、その上で火系統魔法を叩き込む。これが、最善策だ…っ)
場違いだが、ミーシャは笑い出しそうになった。
(なんでこんな簡単なこと、気づかなかったんだろう。あのケモノのせいで、どこか動揺していたな)
先程のケモノは、それなりに彼女に精神的なダメージを与えていたようだ。
しかし、もうミーシャは迷わない。
大きく息を吐き、手元に意識を集中させる。
ハフギールの爪が振りかぶられるが、今から錬成する魔法は、他のものより反復を繰り返した、ミーシャにとって最も自信がある魔法。そして、彼女の師匠が専門としていた魔法。錬成速度は、他の魔法の比ではない。
「鎖拘束」
指を鳴らすと、ハフギールは爪を振りかぶった状態でピタリと動きを止めた。
否、止められた。
ハフギールの八方に出現した魔法陣から、鎖が飛び出しハフギールを拘束したからだ。
「中級魔法集中落雷」
広域落雷より対象へ与えるダメージ量が倍増する集中落雷。拘束されて動きが封じられているため、完璧に攻撃はキマった。
バラバラと一部だが鱗が剥がれる。剥き出しになった無防備な皮膚を、ミーシャは見逃さない。
両手を広げて出現したのは、ミーシャより一回りも大きいだろう魔法陣。
「確実に、仕留めてあげるよ。
上級魔法爆裂!」
一瞬の閃光と、遅れて凄まじい衝撃と音。
迷路は、鋭い光と轟音に包まれた。
sideエイネス
轟音が鳴り止んでも、会場内は静まりかえっていた。
当然だろう。突如ハフギールが動きを止めたと思えば、爆破が起こり皆の目と耳がダメージを受けたのだから。
轟音の後、誰よりもまず正気に戻ったエイネスは、ハフギールの魔力を探る。
(…ハフギールの気配が、ない?受験生の誰かが倒したのか!?)
ありえない、とエイネスは被りを振った。
ハフギールレベルの魔獣は、魔獣討伐専門の第一部隊をもってしても、隊長は例外だが、少なくとも30人で挑むレベルの化け物だ。
それを、アカデミーを卒業しているとはいえまだ若い者が討伐できるなんて、ありえない。
しかし
(まてよ、確か迷路に残った受験生の中に、あのガキもいたな…)
問題児、とエイネスが断じた黒髪の少女。
確かに予選の戦いぶりは見事だった。今期の受験生の中では頭二つ分はずぬけた実力を持っていた。
(いやでも、まさか…あいつはおそらくアカデミーは)
卒業してないだろうと、エイネスが呟いた時、わっと、周りから声が上がった。
「め、迷路から誰か出てくるぞ!!」
エイネスは出口に目を凝らした。
迷路の壁は、先程の爆発のせいでだいぶボロボロになっていた。
その奥から、迷路と同じくらいボロボロになった外套を纏った少女が、壁に手をつきながら現れた。
咳をしているが、それは爆発の余波をモロに受けたため、砂塵がひどく舞ったせいだろう。
身体中煤で汚れており、かすり傷もあるが、大きな怪我は特にない。
先程まで出入り口にあったバリアは、爆発の衝撃で吹き飛んだか、もしくは内側からなら出られるようになっていたのか、少女は簡単に出てきた。
少女が出口から出た途端、瞬間移動かの如く近づいたのは、水色の髪の少年だった。
少女の前でピタリと立ち止まり、手を取り、頰に触り、触診をしているようだが、その表情は、安堵と驚愕と動揺と不安がまざった、形容し難いものだ。
ある程度は少年の好きにさせていた少女だが、少年がずっと触れ続けているのでくすぐったくなったのか、「ルー」と呼んで少年の手に触れた。
「ルー、ボク、勝ったよ」
にへらと、口角だけを上げた下手くそな笑顔で、少女は少年に向けて人差し指と中指を立てた。
少年は一瞬何かを堪えるような色を見せたが、次の瞬間には目を柔らかく細めて、少女に微笑んだ。
その景色に、誰もが言葉を失った。
どこか、とても得難く美しい奇跡のような光景だと、思ったからだった。