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子/2

 再びの出会いは、ファーストコンタクトに比べれば穏やかだったろう。

 巨大……2m越えの熊ほどの大きさと考えれば子供にとってはなおさら大きい……なモンスターと、子供がいる光景といえばなんとなく絵本やファンタジーの一場面であるかのようだ。

 まぁ……鬼は黒くて、なんだか筋肉と硬質的な昆虫を思わせる硬い鎧めいたものも見る人によっては格好良く感じるだろう姿をしているが、子供……私の方は、特別美しい等ということもないボロボロの薄汚れた姿なのだから対比としてはなんだかなぁという感想ではある。

 おずおずと出ていけたのは昨日の事をすっかり頭の中のすみっこのほうに押しやってしまっていたからだろう。

 無意味に警戒するようにちょっとずつ近づいた私を何をするでもなく見ていてくれた鬼は、大変優しかったのだと思う。

 そう思う。優しかったのだ、鬼は。


「鬼さん!」


 鬼さん。

 鬼さんである。

 言葉が通じるとかなんとかより、まず鬼呼ばわり。

 通じるのかをおいても挨拶抜きだということもそうだが、人間に人間さん! というようなものである。センスのなさが惜しまれる。

 けれど、それ以外に言葉が出てこなかったのだ。行いはあほで突拍子もなく考え無しにしか見えないし実際そうだけれど、それでも私は緊張していたのだから。

 それは、相手が鬼だからという事もなかったわけではないだろうけれど、それよりもきっと――大きかったのは、別のものだ。


「……」


 鬼さん呼ばわりしたあと、ぐっとただ差し出した握りしめすぎてなんだか変形した薄汚れた食パンと、お礼の品のはずなのに落としたりしてところどころ皮も向けて無残な姿になったリンゴを差し出す子供。

 いや、私は実は殺されたかったのだろうか?

 人間同士でも下手をすれば『お、おう』となってしまいそうな行動である。子供だから許される行動だ。人間同士なら、だけれど。

 鬼も突拍子のない行動にとまどったか、しばらくじぃっとまた私を見た。


「わっ」


 本当はどう思ったのか。思っていたのか。

 私には今でもわかりはしない。

 ただ、やはり私は、あの鬼は優しかったのだと思うのだ。

 意図を察してくれたのだろうそっと近づいてきた鬼は、しゃがみ込むように、視線を合わせるようにかがみこんだ。

 そして、熊を一瞬で殺しせしめたその体で、硬質的で凶器になることがありありとわかる鋭い爪をもって、しかし傷つけることなく。

 お礼といいつつ、受け取りはすれど同じ人間同士でも口にしたくはないだろうしろものを受け取って目の前でそのまま口に放り込んでくれたのだ。


「……」


 なんだか幼い私は達成感に包まれてしまって、んふぅー! などと鼻息も荒くあまり感じたことのない感動に包まれていたのだから呆れたものだ。

 やったった! わたしやったった! と思ったかどうか細かくは覚えていないが大して間違ってない気持ちに包まれていた事は確信できる。


「ぅっ? う?」


 そんな私を見て、どう思ったのか。

 小動物を見た程度の可愛らしさをもしかしたら感じてくれたのかもしれない。

 それとも、ただ哀れに思ったか。

 また、傷つけないようにか、触れるか触れないか程度の慎重さで、頭に触れられているようだった。

 慣れてきたか、しばらくすると傷つけぬように優しくである所は変わらないが、少しだけ強く。

 それは、勘違いでなければきっと撫でてくれていたのだと思う。

 おかしな話ではあるが、今ならわかる。どこかそれは、慈しみのようなものが込められていたのだと。

 ――当時は、それが初めて向けられたもので、ただ温かいものだったということしかわからなかったけれど。


「んー。ん!」

「……」


 鬼は喋ることができなかったのか、それとも喋らなかっただけか。

 ただ、一ひねりで殺せるだろう幼い生物を傷つけぬようにしていることがはっきりわかる――ほとんどの人にとって化け物と呼ばれる姿の生き物と、同じ姿をしているはずの同胞はただ己を傷つける存在だという事しか知らない幼い生き物である私の奇妙な平穏がそこにはあった。

 あったのだ。

 私に、誰かへの優しさであるとか。

 私に、誰かが撫でてくれることの安心感だとか。

 私に、気をむけてくれる存在がいることだとか。

 そういう、いろいろなことを教えてくれたのは、人間ではなく鬼だった。

 私が鬼だと思って鬼だと呼んだ、人間以外の存在だった。


「あのね……あのね! おともだち、なって!」


 そういった私をおそらく戸惑いながら見た鬼は、その時何を思っていたのだろうか。





 それから。

 それからは、幼いころから数えても、有数の素晴らしい日々だったといっていいだろう。

 ――ただ話を聞いてくれる友達――だと一方的にでも思える――が、存在がいる生活とは初めてだったのだから。

 痛みを忘れることができた。

 心の奥底にずぅっとあるじくじくとした見ないふりをしていた何かも、毎日追加されるような打撲や火傷の跡も、何もかもを。

 出会いで変わるなんて、よく聞く話だがまぎれもなくそうだった。

 私にとって、それは人生を変えるほどの出会いだったのだ。

 その時は、ただ嬉しいばかりで理解のかけらもできなかったけれど、そうだったのだ。


「それでね!」


 毎日来る一振りで死んでしまうような生物の話を、鬼は黙って聞いてくれた。

 何を考えていたのかはわからないが、行けば向こうから姿を見せてくれたから会うのは簡単だったのだ。

 そして、何をするでもなくただ近くにいる。

 私はただ話しかけたりたまに勝手に触ったりした。

 ……私は実は死にたかったのではないだろうか?


「かたいかたい!」


 きゃっきゃと嬉しそうに触っている硬質的なそれは、ただぶつかるだけでたやすく私を潰してしまえるものである。

 そのことさえ私はわかろうともしていなかった。

 ただ死んでないのは鬼が私にどうしてか優しくあったからだ。

 今になって思う。

 熊と、私の違いとはなんだったのだろうか?

 私にとっては優しい記憶ばかりが残る、この鬼と呼んだ生き物にとって。

 人間の子供とそれ以外とに、どれほどの。


「くれるの? ありがとう!」


 毎日もっていってた冷凍食品。

 それも数日で逆に山に自生していたものだったのだろうか? 果物などを用意してくれるようになっていた。

 ――間違っていなければ、うぬぼれでなければ。

 それは、私という存在を見て、心配でもしてくれているようで。

 思い返せば、今でもただこみ上げてくる何かがある。

 火を扱って川魚らしきものを焼いてくれたこと等もあった。馬鹿だから何も不思議に思わなかったが、料理の知識等もあったのだろう。きっと私なんかより、ずっと頭も良かったのだろうとか、そういう後からわかることばかりだ。

 ただ、楽しくて。

 最初に会った時より、会うたびに。

 力強さがなくなった、なくなっていくように見えたのはきっと仲良くなったからだろうなんて、愚かな私は多分そんな目のそらし方をしていたはずである。




 その日も当たり前のように一緒にいたのだけれど、不意に鬼が手招きをして私を呼んだ。

 私は何の疑いもなく近寄って首をひねる。

 じっとしているようにと言いたいかのように一度頭をなでると、その大きな手のひらをこちらにかざすように向けてきていた。

 簡単に握りつぶしてしまえるだろう手に、恐怖は一切なく。ただ何をするのだろう? という好奇心にだけ満たされていた。

 ぱぁっと光る。

 その手の中から生まれたのだろうか、黒っぽい光という未体験の奇妙な輝き。

 綺麗な光だと思った。

 それは、幼い私にとっても、現在に至る私にとっても、一番きれいな光だった。

 不安のない、しかしどこか力強さのようなものを感じる光。


「わぁ、すごい! いたいがへった!」


 不思議な存在は、その通りというべきか不思議な力が使えるようだった。まるで魔法。それでも子供にとっては凄いものという大きなカテゴリですませてしまえる。

 腹を空かせているようだ、ということがわかるのだ。

 それは、傷ついていることくらい、わかりもするだろう。

 そして、やっぱり鬼は優しいから。

 鬱陶しくもよってくる、出会って毎日来る小さな存在でも、見過ごすままにしておけなかったのだろう。

 その光は、私に溶けるように吸収されていくようで、そのたびに痛みが減っていったのだ。


「うへーい」


 そんな間違いなく治療だろう行為をされながら、じっとしていられずにぽすんと大きな体に収まる。鬼はどこか困ったような雰囲気は出すものの、何かしてきたり不満に思ったようなそぶりはなく。

 記憶はないから、想像でしかないけれど、きっと父親とか年上の兄だとか、まともにそういう存在がいればこう感じたのかもしれないという安心感。

 続けられる綺麗な光。

 黒い光。

 私にとって、その時まできれいといえば白だとか鮮やかな色だったけれど、その日から黒になったほど印象的だった黒い光。

 とても温かかった、光。

 それは、物語で見る魔法のようには傷を一瞬で治したりはしなかったけれど、たしかに回復を促してくれる不思議なものだった。

 そして、痛みが消えた以上に、幻想的な体験以上に、何かとても満たされた気分になって、とにかくそれが嬉しかったのだ。

 傷の痛みが減っていって、馬鹿な私にも『あぁ、これは綺麗に治るんだ』ということを不思議と直感させてくれる力を持っていた。

 一瞬で治ったりしなかったのも、結果的には良かったのかもしれないと思う。

 さすがにそんなことがおきたら、あの親もどきもすぐに気づかずにはいられなかっただろうから。

 すぐには治らないが、光が消えた後も体の中で感じる力。

 ともすれば、私にとっては、傷が治るよりも嬉しい事だったかもしれない。

 夜の寂しさを、会っていない時の苦しさを、和らげてくれる気がしたから。

 そしてまた――その力を使われるたび、小さくなっていくような鬼の存在感の事からは、目をそらし続けていた。

 ずっとずっと、私は私が嬉しいという気持ちのままであったのだ。




 楽しかった日々というものはいつか終わるということを、どれだけの人間が子供のころ理解できたうえで納得できただろうか。

 とはいえ、納得できた人だってそれが理不尽によるものだったならそうはなれなかっただろうけれど。

 私はその日、割と日が浅い時間から地面に転がっていた。

 ここ数日で動く気力がなくなってしまっていたから。

 私は、傷は残るも温かなものが中から消えていない数日のうちに外に出れなくなってしまったのだ。そして、何日も会えないまま過ごしている。


 なんのことはない。

 ()()()()だ。


 全部そうだ。気まぐれでしかない。

 食事を抜くのも、わめくのも、蹴るのも殴るのも火のついたそれを押し付けてみるのも笑うのも、全部大した理由なんてものはない。彼彼女らにとって、私という存在はただの玩具かそれ以下の存在でしかなかったのだから。


 幼いからとはいえ、それでも()()()と縋り続けた、転がってもう動くのが億劫なレベルになってさえ。

 哀れだろうか、愚かだろうか。

 私個人は大変馬鹿だと思っている。

 その後の行動もそうだ。


 私がずっと思っていたことはといえば、縋りついていた記憶はといえば、あの友達のことで。

 そんなことはきっとありえないことだったろうけれど、寂しがってないかとか。押しつけがましくそんなことを考えたりしていた。


 半分になってしまって、その上ゴミ屑のようにくしゃくしゃにされて無造作にゴミ箱に捨てられてしまった本の代わりのように。記憶と、ぎりぎりのラインで支えてくれていたのだろう温かなそれに縋って。

 だからそれはきっと、最後の逃避のための行動だったのかもしれないけれど。

 やはり、愚かであることに変わりはない。

 何がといえば、もう私を含めて――取り巻くすべてが、どうしようもなくて。


「まま、おそと、いき」


 気力を振り絞って立ち上がって。

 勇気も振り絞って息を吸って近寄って。

 言えた言葉は最後まで吐き出すことはできなかった。


「あんたさぁ、マジ空気読めよ。あ、それにあんた勝手に冷凍食ったっしょ。困るっつったよなぁ! こっちにも予定ってもんがあんだっての」

「おー、飛ぶ飛ぶ……ははは! 軽いってすげぇよな! めっちゃ転がってんじゃん笑えてくるわー」


 風を切るような音が漏れたのは押し出されたからだ。

 ゲラゲラと笑い声と、ぶつぶつ呟かれながら行われた結果にちょっと浮いて、ごろごろと転がってぶつかる。

 この数日間で随分とぼろぼろになっていた私には、胸に抱えた温かな力があってもどうしようもない止めであった。


 今まで少しはあったかもしれなかった手加減らしきものが消え失せたのが原因だ。

 幼い私は知りようがなかったが――まぁ、酒とか怪しげな法にひっかかる類の薬とかを飲んでいたらしい。

 酔った上にイってるジャンキーに、力加減などできようもない。

 最初から最悪だったけれど、それにさらに追加されたのだからそれはそう。


「……っ……っ」


 せき込むのを無理やり抑え込む。涙が流れるのを必死にこらえる。

 うるさいと追加がくるのを防ぐため、鬱陶しいと追加されるのを防ぐため半ば反射で行った行動だ。鼻をすすることは回避したが、それでも涙は静かに流れ落ちた。

 こらえきれずに反射のように流れる涙のごとく、体は虫のように、痙攣するみたく抑え込んでも咳をこらえるごとに動く。


 隙間から空気と一緒にもれた液体は、果たしてどこから出てきたものか。色は何だったか。

 とても痛かった。

 とてもとても痛かった。

 温かなそれがなければ、その痛みさえなかったかもしれない。

 でもそれも消えてしまいそうで。


 手から水が零れ落ちるように、大切な何かが無くなってしまう。

 ただそれが寂しかったような覚えがある。

 やっぱり、細かくは色々と思い出せはしないのだけれど、温かなものが消えてしまいかけていることが悲しくて泣きそうで。

 その温かさと一緒に自分の体温が下がっていっていたのか、とてもとても寒くなっていて。

 ただ、痛いはずなのにそれはだんだんと消えていくようで。


 ――きっと、外から見ればそれは一目瞭然。

 それは虐待の終わりを予感させたものだったろう。

 もうすぐ終わることを誰しもが予感できるような風景だったろう。

 どういう終わり方をするのかが、はっきりわかってしまうような。


 それでも、ここにきても私は私が悪いのだとか、きっと明日は優しくしてくれるのだとか、そういうことばかりを考えていた気がする。それが確信できる程度にはその辺にいる虐待された子供の思考をしていた。思い出せるのはそういうことばかりだったから。

 ――本当はどこかで、もうどうしようもないことくらいわかっていたはずなのに。

 子供だって、わかる。不穏な空気もわかる。ダメだなっていうのだって、なんとなくはわかるものなのだ。

 わかりたくないだけだ。そんなもの。決まっている。

 知識として知らなくとも、わかることはある。

 認めたくないだけだ。そうだっただけなのだ。


 一番最初に認めてほしかった人に自分が必要とされていないという事実なんて、誰だって認めたくはないだろう。


 その証拠に――助けてと、一度でも考えなかったといえるかといえば、そうしなかったなんていえなくて。

 その瞬間に――力があるなら助けてくれと、厚顔無恥にもであった友達と呼ぶ存在に。

 出てくればどうなるのか――絵本の中身は嫌いだったくせに。

 助けてくれるとはどういうことを意味するのか――わからないふりをして。

 外に出れたのだから助けも呼ぼうと思えば呼べたのだ――大人たちには無視されて、子供たちには嫌われ続けていたけれど。それでも、警察などにいく知識ぐらいは会ったのだ。


 それでもそうしなかったくせに、私は助けを求めていたと思う。

 無秩序な怒りさえ向けていたかもしれない。

 色々なものを含めて、願ってなかったとは言えない。


 どうか(なんで)助けてください(助けてくれないの)、と。


 そればかりは、子供だったからと言い訳したくない。

 それさえ塗りつぶしてごまかしてしまえば、きっともう会えはしないのだろうけど。

 会えた時、あやまることさえ嘘になる気がするから。

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