修行初日
続きです。
アンさんと約束した修行の初日、まだ日も出ていない時間にボクは目を覚ました。
この日を待ちに待っていたボクは、すぐにキッチンに向かい、朝食のスープをサッと作り、パンと一緒に口に流し込んだ。
朝食を食べ終えたボクは、外出する準備をする。
すぐ近くには、まだ起きていないライカが、すーすーと小さな寝息を立てていた。
横目でライカをチラッと見ると、ズキッと心臓を刃物で突き刺すようなが痛みが走った。
心の中に嫌な感情がふつふつと湧き上がる。
ボクは、その感情から逃げるように家を出た。
明るくなり始めた空は、灰色に近い水色と太陽の温かい光りでオレンジ色に染まっていた。
太陽が昇るにつれ、オレンジ色ではなく眩しい黄色のような白色のような光りを放ち、空も青みを増していった。
王都コーラスには、早朝の少し水気を帯びた爽やかな香りと涼しい風が頬を撫で心地よい。
二日前、アンさんと出会った草原までは、ジョギングで二十分程の距離にあった。
まだ少し眠たい脳を起こすように、軽くストレッチをする。
草原まで走れば、体も温まるし準備運動にもなる。
「アンさん!おはようございます!」
「ん、来たわね、ノア君。それじゃあさっそく、素振り三千回いきましょうか」
「はい、素振り三千回ですね!・・・って、えっ?さ、三千回ですか!?」
「えっ?言ったでしょ?スパルタにビシバシいくって」
アンさんはウィンクをした。
あの美しい剣術を学ぶ一歩目が素振り三千回だ。
ボクは最高五百回までしかしたことがない。
「一ヶ月でノア君には、スタミナ、スピード、一秒間での攻撃の手数を増すこと、そして体の使い方をしっかり身に付けること・・・いいわね?」
やること目標が多いが、それをこなせば・・・。
「では、この素振りはスタミナとスピード、手数に当てはまると言うことですね?」
「正解。体の使い方はー・・・素振り終わったら教えてあげるから」
「わ、わかりました・・・三千回やります!一!二!三!ーー・・・」
「うんうん、素直でよろしい。あと言い忘れてたけど、最低でも一秒間に五回は切れるようにはなってもらうわ」
ん?
アンさんがさらっととんでもないこと言ったぞ?
一秒間に五回?
考えたこともなかったけど、一秒間にボクは何回攻撃できるんだ?
脳内でシュミレートしてみると・・・二回か三回だった。
アンさんは、一秒間に五回も攻撃ができるのか・・・凄い人だ。
ボクは、ライカへの好意を、ライカとオッズさんのことを、思い出さないように消し去るように無我夢中で素振りをした。
一時間半後・・・ボクはなんとか三千回、素振りを振り終えた。
素振りの疲労から地面に倒れるように座る。
両腕がプルプルしている。
「ノア君お疲れさま。思ったよりも早かったわね。二千回ぐらいまでは、一秒間に一回ペースだったのよ?」
「そ、そうですか・・・もう腕がプルプルしてて・・・」
「最初にしてはいいんじゃないかしら、とりあえず三十分で三千回できるようになりなさい。そうすれば、一秒間に四回ぐらいは攻撃できるわよ」
「一秒間に四回って凄いこと・・・なんですか?」
「う〜ん、Bランク以上の冒険者ならできるわね。つまりは普通よりはほんの少し凄いだけよ」
ですよね。
そう思うと、五回もさほど凄いことではないのだろう。
「アンさんは一秒間に何回攻撃できるんですか?」
「私は・・・そうね。二十回ぐらいかしら?」
「に、二十回・・・」
ボクは開いた口が塞がらない。
アンさんは本当に凄い人だ。
五回なんて本当に些細な回数だった。
「ボクもアンさんみたいになれますか!?」
「死ぬ気で頑張ればいつか・・・ね。でもそこは、私を超えるって言ってほしいわね」
アンさんは、美しい顔を綻ばせて笑いながら言った。
少しドキッとしてしまう。
「が、頑張ります・・・。アンさんを超えられるように!」
「よく言ったわ」
アンさんの笑顔はボクの荒んだ心を照らす太陽のようだ。
それから休憩を挟み、体の使い方について学ぶ。
「ノア君は縮地はできるよね?」
「はい、できます!」
縮地はロライドさんに教わった。
ランクの低い冒険者は、習得していない人が多い技術だったりする。
Bランクでも習得していない人は四割ほどいるとも・・・。
教えてくれたロライドさん曰く、上位ランクの冒険者・・・特に前衛の人には必須と言っていい技術。と言われている・・・らしい。
「とりあえず見せてほしいわ。あっ、身体強化は使いながらよ?」
「はい!」
ボクは全身の筋肉に魔力を流し、身体強化を発動しす。
ゆっくりと膝の力を抜き、瞬間的に地面を蹴る。
そのまま足を滑らすように前進する。
「ど、どうですか?」
「驚いたわ、凄いわね。ランクが低いのにここまでの熟練度・・・いいわね」
本当に驚いているようで、アンさんの目は見開いていた。
「ほ、本当ですか・・・よ、よかった!」
「じゃあそれを前だけじゃなく、前後左右できるようになりましょうか」
「はーー・・・えっ!?ぜ、前後左右ですか!?」
「そうよ。私はその技術をスキップって呼んでいるわ。スキップを使いこなせないと私の剣術を最大限に活かすことができない。私の剣術はね、回避と攻撃を同時にするの、そして敵が死ぬまで動きを止めることはしないわ。走って、躱して、跳んで、ひねって、攻撃する・・・だからスタミナとスピードと手数がいるの」
今の話を聞きと、やっぱりアンさんは凄い。
確かに、初めてアンさんの剣術を見たとき空中で体をひねり、回転させながら剣を振っていた。
「あとこの修行の間はずっと身体強化をするのよ?」
「・・・えっ!?ずっと身体強化をしたままですか!?魔力が枯渇しますよ!?」
「大丈夫よ。ここにマジックポーションをたんまり買ってあるわ。それに強い相手との戦闘は長期戦になることも多い・・・。ついでだと思って魔力量も長時間の身体強化も強化しておきましょう」
アンさんはボクのためにマジックポーションを用意してくれたみたいだ。
アンさんはお金に困っていないのだろうか?・・・いや、これは期待に応えて恩返しするべきだ。
にしても、ついでの感覚でボクの修行がキツくなっていくのは・・・恐ろしい。
「わかりました・・・。ボク頑張ります」
そう答え、早速スキップの修行に取り掛かる。
「まず膝の力を抜く・・・体を横にーー」
体の重心を右へ倒して・・・。
「このタイミングッ!」
ズザアァァ
「いッたッ・・・!」
やはり、初めてやることは、そう簡単にはできない。
ボクは勢いよく地面を滑った。
強い衝撃が顔にもズシンときたので、ヘルム被っていてよかった。
それでも肘や腕が地面と擦れ合い、若干人間おろしになっていた。
「大丈夫?」
アンさんがライフポーションを片手に、心配しながら近づいてきた。
「腕を擦りむいてだけなので大丈夫です!」
とは言ったものの、ジンジンと痛みが走り、血も流れている。
アンさんは慣れた手つきでサクっと手当てをしてくれた。
そして。
「さっきのステップは少し力みすぎたわね。それに蹴った後の体の倒し方も悪かったわ。もう少し上体を倒しすぎないようにしなさい」
アドバイスをくれる。
「はい。膝の力を抜く、体を右にーーッ!」
ザッ
「で、できた・・・?」
今度は上手く止まれた。
「形にはなっているわ。でも、距離が短すぎる・・・。あとはその形を軸に、距離を伸ばしていきましょう」
確かに、今ボクが使ったスキップは二メートルしか横に移動できていない。
これでは、スキップもどきだ。
縮地は五、六メートルはできる。
それぐらいできなければ話にならないだろう。
「スキップはどのくらいの距離を移動できればいいですか?」
「そうねー・・・。ノア君の縮地と同じ五、六メートルってところね。最低でもこのくらいはできてほしいわ。それに距離が伸びれば伸びるほど素早く、懐に入れるし、回避も移動も撹乱にも色々使えるわよ」
「が、頑張ります、アンさん!」
それから夕暮れまでやり続けたが、まだ成功というほどの成果はない。
それにここまで、十四回も魔力枯渇が起きて吐いてしまった。
魔力枯渇・・・それは魔力が減りすぎると、船酔いのように気持ちが悪くなる症状だ。
本当に酷くなると、吐いてしまう。
そして、魔力を回復したからと言って、すぐに体調が良くなるわけでもないので、魔法を使う際には調節が必要だ。
今回、アンさんはボクを魔力枯渇にすることも目的の一つで、その度にマジックポーションを飲んだ・・・ちなみに、その理由は。
「ノア君、魔力枯渇はいいことなのよ」
「ほ、本当ですか・・・。うっ、気持ち悪くなって吐くことがいいことなんでしょうか・・・」
思い出しただけで恥ずかしい。
アンさんの前で吐いてしまったのだ。
アンさんは美人だ、美人の前で吐いて平気な男はいないだろう。
「魔力枯渇を引き起こした時にマジックポーションを飲むと魔力量が増えていくのよ」
「うぇっ!?そ、そんなことーーうっぷっ」
ヤバい・・・。
十四回も魔力枯渇を引き起こし、とうに限界突破をしている状態で騒いだら・・・吐く。
「ノア君は少し横になってなさい」
ボクは言われた通り、草原に生えている木の木陰に横になって休んだ。
「私と、私の仲間で発見したのよ」
アンさんはドヤッと少し決め顔で言う。
魔力量の増やし方なんて、魔法使いのようにたくさんの場面で魔法を行使しないと増えないと思っていた。
だから凄いことなのだ、心がトックントックンとワクワクの気持ちで跳ね上がっている。
そして話はボクの修行へと切り替わる。
「ノア君が素振り三千回を三十分でできるようになれば、次の素振りから身体強化も同時進行させていくから覚悟していなさい」
アンさんはウィンクしながらスパルタなことを言っている。
しかし、今のボクにとっては・・・。
「魔力量が増えるんですね!?ボク、頑張ります!」
ボクはふんすと、気合を入れた。
この修行は、今のボクにとっては、嫌なことを忘れられる時間でもある。
だからいつも以上に興奮できるのかもしれない。
「うん、頑張りなさい」
アンさんは優しい声色で応援しながら、ボクの被っているヘルムを、コンコンと叩いた。
初日の修行はこうして終わった。
「ただいま!」
「おかえり。って、どうしたのそのヘルム。傷だらけだよ?」
ライカが心配してきた。それが嬉しいと思ってしまう。
でも・・・。
「縮地ーーじゃなかった、スキップっていう新しい技術の修行で顔面から転びまくっちゃって」
あはは。と、ボクは笑う。
修行で気持ちが少し軽くなっているのか、自然に笑えている気がする。
「そ、そうなんだ。心配させないでよ」
「大丈夫だよ。師匠がちゃんと見てくれているし、心配もしてくれているから」
ボクは無意識に、師匠。という言葉にアクセントをつけてしまった。
それに加えて、少し突き放すような言い方・・・瞬間、ライカの顔に影がさしたように見えた。
そんな顔しないでよ。
ボクだって本当はそんなこと言いたくーー。
ボクは自分の感情を押し殺して。
「明日の依頼、サクッと終わらせようね」
と言い、ライカから離れようとすると、腕を弱い力で掴まれた。
「の、ノア・・・あ、あのねーー」
苦しい表情をしているのだろうか、それに何かを言いたそうにしている気がする。
わからない。
あの日以来、脳と心がライカを拒絶をしているのか、ライカの思っていることと感じていることがわからなくなってきている。
「ん?どうしたの?」
「う、ううん、なんでもないよ。明日も頑張ろうね」
ライカは弱々しい声で笑った。
すれ違い始めたボクとライカの間には気づかぬ間に、見えない壁ができていた。
お互いが何かを恐れ、見て見ぬフリをしているのだ。
だからなのだろう、ボクはライカのことをしっかりと見ることがなくなっていってしまった。