もう、やめろよ
「ねえ、誰?私の机、隠そうって、決めたの」
扉の前に立って、私は問う。
まあ返事が返ってくることはない。
そうだろうなとは思うけど、一応聞いておかないと。聞いてみて、返事がなかったってことは先生に伝えないと。
ふふふ。さあ、怯えなさい。
今まで何も言い返して来なかったんだもの、びっくりしてるでしょう。
私より自分が強いと思ってる、あなた。少しは出てきたらどうなの。
金髪縦ロールことロザリーは、一番後ろの席で何人かの女子に囲まれて、無表情でこっちを見ている。
何、考えてるんだろう?
あいつ、どうやったら動くかな?
私に向かう目が、みんな、変わってる。
ばかにしている視線から、危険物を見る目に。
そうだ。
私は危険物だ。いちばん、つよいんだ。
それでいい。ばかなこと、二度と言わせない。
どうせ、ひとりだったんだ。
みんな、いらない。あの縦ロールにやり返せたら、それでいい。
みんなに怖がられてもいい。
本音を言いなさいよ。
直接かかってこないと、もう私は傷つかないよ。
さあ、早く。
「……なあ、もう、やめろよ」
その時、教室の窓側の席から声がした。
青い髪。紫の瞳。ああ、教室の中でほとんど誰とも話さない私も、あの子は覚えてる。
「俺のおやじが、こいつんとこによく行ってるんだけどさ。みんなが言ってるような店じゃねえぞ。
こいつに手なんか出したら店のおやじにぼこぼこにされるし、こいつ自身も強いんだ。
そう簡単に言いなりになんてならねえよ」
そう、あの子は。
カラムの、息子だ。
確か、五番目の子、ニムルス。
同じ年だって、聞いてた。
カラムは店で一度もこの子のことを話さなかったけど、同じ年ならこの教室にいるはずなんだ。
知ってたの?知ってて、黙ってたの?
「けっ、強えなんて嘘だ!俺に殴られっぱなしだったじゃん!!」
さっき私を殴った奴が声を上げた。
うん、わざと殴られたからね。
こっちが手を出したら、そこをすかさず揚げ足取ってくるでしょ。
カラムに免じて、許してあげてたんだよ。
私が誰かを殴ったら、カラムが悲しむから。
やり返さなくたって、私はいちばん、つよいんだからね。
「いや、確かだ。俺、一回店に行ってるんだけどさ、こいつが大人の冒険者をボコボコにしてるとこ、見たぞ」
ん?ボコボコ?
私でも、無理矢理手を引っ張ってお酌させようとした人に、張り手をくらわせた事くらいはあるよ。
でも、私が手出しするまでもなく、お父さんや店の常連の人たちがやっつけてくれるから……。
ほんとにカラムからうちのこと聞いてるの?
こいつ、ほんとは何も知らないんじゃない?
そもそもうち、そんなことに殆どならないんだけど。
カラムによく似た青いタレ目が、私をまっすぐ見つめてくる。
……そういうことか。乗っかっておくか。
黒いどろどろは、好機だと、私に囁いた。
思わぬ助け舟が出た。
ありがとう。利用させてもらうよ。
うちが誤解されっぱなしなのも、嫌だからね。
「あはは。うちはお父さんもお母さんも強いから、そういうことはめったにないんだけどね。
来てたんだ、気づかなかった」
これで、いいんだよね?
ありがとう。
あなたとは話したことないけど、いいやつなの?
そうだよね。
周りが悪口を信じてるときにふつうに男子が女子をかばうと、一緒にからかわれるだけだもんね。
被害者が二人になるだけだ。
うちの誤解を解く、いい機会をもらった。
今まで黙っていたのは、許してやってもいいよ。
にやっと嗤い返す。
それを見ると、ふっと笑って、つかつかと大股で。
ニムルスは窓辺から、私のところに一気に詰め寄った。
え、なに。
「お前、ずーっと能面みたいな顔してここにいるだろ。まあ周りがこんなんじゃ、無理もないけどな。
俺の顔、覚えてたか?」
ちょ、顔が近い。逆に見えない。
ちょっと後ずさる。
すっと、耳の後ろに手が回った。
ぐいっと顔をまた近づけてくる。
なんで。どうして。え、なに。
「覚えてないよな……ははっ、そんなに赤くなんなよ、何もしねえよ」
かっ、と、顔から火が出そうになる。
あ、赤くなんか!赤くなんかなってない!
ばっと、手を振り払う。
ははっと笑って、ニムルスは両手をあげる。
手を出しませんよ、の合図だ。
いや、顔は整ってる方だと思うよ?なんかでも、ちょっとタレ目で胡散臭い。
急に近づきすぎなんだよ!もう、焦ったからちょっと顔があっついじゃない!!
カラムに似てるからなのかな。安心してしまってた。こんな隙を見せるなんて、不覚!!
……あれ?
「ほら、男をたらしこむのはお手の物なのよね。ふふ、夜はとても大変なのでしょうね」
はっきりと、声が聞こえた。
私は、初めて噂の元をまっすぐ見つめた。
これまで、目を合わせないように、考えないように無視してきたから、まともに顔を見ていなかった。
ぐわっと、黒い気持ちが盛り返してくる。
金色の髪を縦に巻いて、肩まで伸ばしている。
あれは癖毛らしい。あの髪型以外にならないんだそうだ、かわいそうに。
ベージュの瞳と色合いは合っている。
ちょっとつり目だけど、髪型は変だけど、鼻筋も通っていて羨ましがられるくらいのきれいな子だ。
顔はね。
「ロザリー。こいつがそんなこと、してると思うか?俺が近づいただけで、こんなに茹で蛸みたいになってんだぜ?」
茹で蛸とはなんだ茹で蛸とは。
くっ、隙を見せたのが悔やまれる。
でも、ついに、あいつが出てきた。
金髪縦ロール。ロザリー。嘘の噂のはじまりの奴が。