帰還
今にも壊れそうな小さな棚と、ぼろぼろの食事をするためだけのテーブル、飲み水を貯める水瓶、俺が座っている、ベッド代わりの藁の塊。
水場も炊事場も共用のこの建物の中はとても狭い。
それらの家具だけでも、部屋はいっぱいだ。
そんな場所に、大柄の親父と、細身だが長身のおじさんこと国王、アランディーノ・コペランディが立っていた。部屋の空間は本当にぎりぎりだ。
当然、ダルクは手を出そうとしたら国王の首に手をかけることもできる。ように見える。
親父がいるから、その心配はないんだけど。見た目にはわからないだろう。ダルクはひたすら慌てていた。
変装しているつもりなんだろう、おじさんは、平民の服を着込んでいる。
どこで手に入れたいやその前にどうやって抜け出した。あ、地下通路なのかそうなのか。
こちらをちらと見た緑の瞳が、ふっと細められた。
何やってんだよ。危ねえよこんなとこにきたら。
ちょっと力が抜けた。
しかし、クロがディアスさんちに戻ってから用意したにしては、来るのが早すぎる。
親父をちらと見た。目が合うと、にやりと笑われた。
……お見通しだったか。俺が失敗するところまで。
ぐっと拳を握りこむ。くやしい。俺だって、一族なんだ。それなりに休まず鍛えてきたし、勉強だってしてきた。冒険者くずれの闇業者の後くらい、簡単につけられるはずだったんだ。
でも結果は、こうだ。口の中に血の味がすることに、今更ながら気がついた。いつの間にか、変に歯を食いしばって口の中を切っていたらしい。
「私が誰だか、わかりますか、ダルク」
静かに、おじさんは語りかける。
「……わかんねぇやつは、この界隈にはいねぇよ」
ダルクは、部屋の隅にできるだけ移動して、両手を上げていた。手を出しませんの合図だ。
その顔は、諦めに満ちていた。暴れても何にもならないことは、わかるらしい。
「あなたには選択肢はない。わかりますね」
ふっ、と、ダルクは少し下を向いてから、おじさんに向き直った。
「ああ、俺はここで終わりだ。ひとつだけ言ってもいいか」
口を開きかけたおじさんを、親父が制した。
「……カーライル家に俺が連れて行った、アリスってやつ。もしかしたら名前も変えられちまうかもしれんが、あいつは利用される。罪は犯すだろうが、親を人質にとられてんだ。考慮してやって欲しい」
そう言うと、ダルクはどすんと、床に座り込んだ。
「さあ、やってくれ。一思いだと嬉しいんだがな」
ふっ、と笑う声が聞こえた。おじさんだ。
一足、一足。ダルクに近づいて。
すっと、ダルクに手を伸ばす。
その手には、酒瓶が握られていた。
おじさんが椅子に座り、親父とダルクは並んで反対側の壁に寄りかかる。狭い部屋に椅子は一つしかなく、座るスペースがない。
「お前は帰ってろ。後で説教な」
親父がくいと窓を示す。屋根伝いに帰れってことらしい。
……説教か。ああ、失敗だったもんな。
クロが、俺の肩に乗ってきた。あ、屋根の上に連れて行って欲しいのか?まあ、降りたい時に降りるだろう。
窓から身を乗り出し、周囲を見渡す。誰もいないことを確認して、窓枠に足を乗せて、飛び上がり屋根を掴む。
よじ登ろうとするときに、俺がいた場所に座る親父とダルクが見えた。おい、座りたかっただけかよ。
ため息を吐きながら、屋根に登る。
そこには、一人、人がいた。
月明かりを背に、さらさらと揺れる髪。小さな顔。
「……リーナ」
屋根は、緩い三角形だ。てっぺんにいるリーナのところに、俺は歩いて行った。
クロは、俺の肩から降りてリーナの足元に行く。
「ねえ、なに、してるの」
……ん?
「なに、してたの」
俯いていたリーナの表情は、見えない。
「なんで、こんなとこにいたの」
えーっと、何から話そうか。
「なんで、こたえないの」
あ、いやその。これには訳が
「しつもんに、こたえて。でないと」
あ、ちょっと、まっ
こつ。
リーナの手が俺に触れた瞬間、風が吹いた。
視界がぐるりと廻る。
俺は隣の家の屋根に吹き飛ばされた。
いや、ちょっと、まずいって。周りのやつらに気づかれたら!
「わかった!わかった話すから!!落ち着けって!!」
リーナは、とっ、と、静かなひと蹴りで俺に肉薄する。
うわ、ほんとにまずいって!国王いるんだぞ国王!ばれたらどうすんだ!!
俺は、必死に逃げた。
とりあえず、エリサさんとディアスさんのところに行かないと。リーナがどこまで聞いてるのかわからない。
くすくす笑いながら、リーナは風を切って俺に肉薄してくる。やばい、あれ最大級に怒ってる。
ぶわっと風が吹いて飛ばされ、着地点にはすぐに追いついてくる。
ぎりぎり手加減されてる。そう感じるには充分だった。
大きな緑色の瞳が、月明かりを反射してぎらりと輝いた。その鋭い目と素早い身のこなしは、なんだか猫みたいだ。
屋根を蹴る音もほとんどしない。一体どうやって。
俺なんかよりよっぽど、この仕事に向いていそうだ。
巻き込んでしまうと思ったけど、これ、そうなっても全然問題ないんじゃないか?
……やっぱり、面白いな。こんなに強いのに、ふつうに生きようとしてるんだ、こいつは。
いけないのかもしれないけど。
全部、話してみたくなった。
なあ。そんなに強いのに、周りと全然違うのに。
ひとりぼっちな気分には、ならないのか?




