わんわん君 卒業の試練 後編 最終課題
ザムは、そのままハンカチを受け取って、外にかけ出した。
追いかけようとした俺を引き止めたのは、傷だらけのほそい、小さな手だった。
「今は一人にしてあげましょう。私が追いかけて、手だけ治療してすぐ戻るわ。あなたまだ試合があるでしょう」
う。そうだ。この後ひかえてるのは。
司祭様。ニムルス。リーナ。
ラスボス感すげぇ。
ん?ラスボスってなんだ?まぁいいか。
ザムの後を追いかけていく、遠い小さな背中。
きょり、だけじゃない。あの金の縦ロールは、やっぱり、遠い。
ぐっ、と、顔を上げる。
ダメだ。俺には俺の、やることが、まだあるんだ。
遠いなら、歩いていけばいい。
あっちがすごく速く走ってても、見えなくなるまでは、背中は見えるんだ。
見ていられるまでは。
なんか、心臓がきゅってなった。
ん?俺は走れないのか?足、速いぞ俺。
あれ。なんかわかんなくなってきた。
うん、ダメだ。考えるの、向いてない。
がたんと、ザムが倒したイスを直して、反対がわにすわる。
すっ、と。現れたのは、司祭様。
ほんとあんた何してんの。
「さぁ、注目のカード!司祭様とカイル、レディー」
リーナの声が開始のせんげんを始める。
まじでやるのか。とりあえず、ひじをついて手をつないだ。
「ゴー!!」
ぐいっ、どん。
……おい。司祭様。
「勝者、カイルー!!」
今、反対がわに腕、引っ張ったろ。自分が負けるように。
「ふっふっふ。いや、若い者にはやはり勝てませんね。いい勝負でした」
あくしゅを求めてこられた。いや絶対あんたのが強いよ。すげぇ力だった。
すっ、と、口に人差し指を当てて、話すな、と合図される。
そっか。戦いに参加したのは、俺をできるだけ勝たせるためだったのか。
司祭様の頭は、ただのふわふわパンじゃなかったみたいだ。疑ってごめんなさい。そしてなんでそんな強いの。なにもの。
とりあえず、あくしゅをした。みんなは気づいているのかいないのか、ふつうに拍手してくれた。
次は、ニムルスだ。
ぜったい瞬殺だと思ってたけど、ニムルスは、俺で遊びはじめた。
「ああっ!負けそうだ!リーナ、俺に力を!」
いやよゆうだろ。ギリギリ自分が負けないくらいのすき間を開けて、拳がぜんぜん動かない。
一番きつい形のはずなのに、鉄みたいに硬い。
「えー、なんで私が」
「大通りの焼き芋、2個」
「少ない。3個」
「……しょうがねぇな、3個で」
「ニムルス頑張れー」
「よっしゃ!うおぉぉぉ!!!」
……寸劇か。
俺は、その瞬間に負けた。
なんか色々、負けた。
ぱちぱちぱち。拍手がひびく。
「まあ、カイルでもわんわんでもどっちでもいいや、これからもよろしくな!」
がっちり交わされたあくしゅには、手が折れそうな力がこもっていた。
いや、もうめんどくさい。リーナをどうにかしようなんて、思ってないから。なんとかできるのお前くらいだから。
はぁ、と、ため息をついて。
次は、最後。リーナ戦だ。
結果より、大事なこと。ちゃんとするんだ。
俺はもう、わんわん君じゃ、ないんだ。
「さぁ、私の番ね」
かたん、と、椅子に座るリーナの髪が、さらっとなびく。
男連中が、ちょっとざわつく。うん、リーナが強いのはみんな予選でわかったと思うんだ。ちょっと変なのも、わかったと思うんだ。なのに。
そういえばロザリーが、ひろいんほせい、って言ってたな。なんだかわかんないけど。
めんどくせぇなもう。
いや、でも、それは言い訳だ。
俺が、思いっきり殴った相手だ。この右手で。
だから、だよな。注目、されるよな。
いつものように、ぐっ、と、手を繋ぐ。
いつものように、右手がじくじくと痛み出す。
毎日繰り返された。いつも負けた。何も言えなくなった。毎日、言いたかったこと。
今度こそ。
「さあ、いくよ!レディー、ゴー!!」
ぐっ、と、力を入れて、気づいた。
リーナの手が、ふわっと傾く。あっという間に、机につきそうになる。
え。なんで。
リーナ、力入れて、ない?
「何やってんの?わんわん君って、嫌なんでしょ?」
にやにやしながら、手をぷらぷらさせてくる。
……勝てるくせに、勝たないつもりか?
ばかにするな!!
ぐいっ、と、反対側に手を引っ張る。
さっき、俺に司祭様がやったことだ。
リーナは慌てて、自分の勝ちを直前で止める。
その大きな目はもっと大きくなって、こっちを見ていた。
「しょうがねえだろ!俺は!おまえの机をかくした!ぼうりょくをふるったんだ!お前は俺をばかにする資格があるんだよ!俺は、お前には勝っちゃダメなんだ!!」
ぐいぐい。お互いに負けようとして手を引っ張り合う、逆腕ずもうになった。
リーナはいつでも、思い通りの結果が出せるんだろうけどな。
え?え??って、どうしたらいいのかわかんないみたいだ。
ちくしょう。絶対に勝つもんか。
「あ、やきいも!」
ふっと、リーナの後ろをわざと見てみる。
「え?」リーナが振り向くと同時に。
どん!
俺の負けが、決定した。
「……え?あれ?やきいもは?あれ?」
こんな夏になろうって時にやきいもなんて、大通りの出店くらいでしか売ってねえよ。
がたん。俺は、立ち上がって、リーナに向き直った。
「机のこと、殴ったこと、本当に、本当に、ごめんなさい!ごめん、なさい!!」
がばっ、と、腰から上が地面と同じ向きになるくらい、頭を下げた。
涙は、こらえた。半年以上、こっそり全部出た。
もう、出がらしだ。だから、がまんできる。
「……やきいも」
え?
「やきいも、ないの?」
あれ?
なんか、寒くない?
「あーあ。リーナにとって、焼き芋はすんごい大事なんだぞ。カイル、お前毎日焼き芋持って店に行けよ。リーナに殺されるぞ」
……なにそれ。
「……やきいも、毎日?」
こくこくこく!!
頷くしかなかった。リーナから放たれた冷気、本当に魔法の冷気なんだ。命が危ない。
「よぉし、わかった!カイルは、うちで焼き芋のメニュー開発ね!それで許してあげる!!」
どっ、と、笑いが起こった。そんなに焼き芋大事か。
「わかったよ……。焼き方はわかるから、大丈夫だよ。後は仕入先くらいかな」
「紅あずまじゃないと認めない!!」
ええー。種類の指定あるのかよー。
……あれ?リーナ?
その、緑色の大きな目から。
ぽろぽろと、何かが出てきた。
「やきいも、食べたいーーー!!カイルのばかーーー!!!」
うえぇぇん、と、泣きじゃくるリーナに、ハンカチ屋はやっぱりハンカチを貸していた。
俺は、リーナを泣かせた報復に、ニムルスからこちょこちょの刑に処された。
そのあとしばらく、こちょこちょは、クラスでブームになった。
それからリーナもニムルスも、他のみんなも。
もう俺をわんわん君とは、言わなかった。




