お店のおしごと
「リーナちゃん、お水もらえるか?ちょっと酔ってきたみたいだ」
はっと、顔を上げる。
眉尻を下げたカラムが、こっちを見てる。
いけない。私、今、どんな顔してる?
ぐるぐると回る黒い気持ちを抑える。
「はい、かしこまりました!今持ってくるね」
けいごを使って、ちゃんとおしごとできることをアピールする。
そうだ。あんないやなことを思い出して、私の朝が台無しになるなんてごめんだ。
私を一番かわいがって、なでてくれているカラム。カラムには、早い時間にしか会えないんだから。
走らないで、早足で。お水を取りに行く。
料理をしているお父さんとお母さんの近くにある水瓶から、木のコップにお水を移す。
お母さんが、ぽんと頭に手を置いた。
じんわりと、あったかい何かが体のまんなかに広がった。
ここを継ぐしかないのなら、もういっそ一日中ここにいて、料理の勉強でも始めた方がいいんじゃないかな。
学校の成績は、私がいつもトップだ。魔法だって一番できる。
だって全部家で勉強して知ってるから。
本当は剣術だって、裏庭でお父さんに物心ついた頃から鍛えられている。
授業にさえ出られたら、あいつらをまとめて叩きのめすくらいの自信はある。
学校、行かなくて、いいかな。
いつも、お母さんに切り出そうとして、やめる。
それもなんだか、よるのおしごとがいそがしいから学校に来れないのねとか、あの子達は言い出しそうだ。
一生、街を歩くとそんな目で見られるなんて、嫌だ。
大通りのいざかやが何よ。私が何したっていうのよ。うちのお客さんが減らないのは変だなんて、なんでいえるの。関係ないじゃん。
あったかい気持ちと、黒いぐるぐるした気持ちが、戦っている。いけない。今は、学校じゃないんだ。
蓋をしろ。おさえろ。笑うんだ。
お父さんが、お母さんが、悲しむ。うちのお店があんなこと言われてるなんて、知られたら。
「カラム、お水!どうぞ」
ことんと、木のコップを置く。
あ、いけない。水瓶からお水を汲んだコップを、そのままカラムに持ってきてしまった。もうひとつのコップにお水を移して持って来ないと、濡れたままのコップを渡すことになっちゃうのに。
そうしたら、私の髪を更にカラムが激しくぐしゃぐしゃにした。
頭がぐらんぐらんする。
ずいぶんと長く、頭をぐしゃぐしゃにしてくる。
カラムの手は温かかった。
気づかれた。たぶん。なにかあったこと。
お客さんをいやな気分にさせるなんて、最低だ。
なにしてるの私。
「なんか困ったことがあったら俺らに言えよ。いつでも悪いやつなんかやっつけてやるんだからな」
にいっと口のはしを上げて、カラムが混じり気のない笑顔を向けてくる。
ふっと、肩の力が抜けた。
黒い気持ちが、すうっと私の奥に押し返される。
ぐるぐるする黒いものは、学校で私を守ってくれるけど。
今は、出てこなくて大丈夫。
私も、にっと笑い返した。
そう。学校には、行かなきゃ。私は何もわるいこと、してないんだもの。
あんなの、夜のわるい夢だ。どうせ私にはなんにもできやしない。
私の朝は、今から始まるんだから。
ほんとうは、私はあの中の誰よりも、強いんだ。
根拠も何もない噂になんか、負けないんだから。
心配なんか、かけない。つらくなんか、ない。
「わたしが困ることなんかないもん。お父さんとお母さんの子供だからね」
強がりだった。ふん、と、鼻息が出た。
はしたない。一瞬、カラムが固まる。
直後、カラムはぶははっと笑いだした。
「違いねえ。お前は、強い。同じ年の子の中じゃ、きっとこの街で一番な。大丈夫だな」
にやりと笑って、カラムが拳を私に向けてくる。
私も、拳を作ってごつんと突き合わせる。
冒険者の、勝利の挨拶。
そうだ。私は強い。誰よりも。
お店にいて、何が悪いんだ。
みんながばかだからわからないんだ。
黒いぐるぐるは、私の中で小さくなって喜んでいた。
うん、今日の朝は、いい朝だ。
カウンターの裏で、髪をさっと直す。もう、ほんとうにぐちゃぐちゃだ。カラムめ。
からんからん、と、お客さんが入って来る音が続く。
私は改めて、カウンターの裏からお客さん達を見てみた。
どの人も、体はごつかったり仕草が荒っぽかったりするけど、偉ぶったり無理を言う人じゃない。
ここのお客さんは、お父さんや常連の人が嫌なやつをやっつけてしまうから、いいひとばっかりだ。
本当に、みんなが言うような、へんなことをしようとするひとは、見たことがない。
私も、ばかだった。あんなばかなやつらのいうことをきいて、大好きな扉の鈴がいやになるなんて。
なぜか一人で来るお客さんが最近多い。
今も一人、若い男の人がカウンターに座った。
あれ、確か冒険者ギルドの職員さんだ。
お仕事の終わる時間が遅くて、ご飯がひとりで作れないらしい。遅くまでやってる、安い料理屋さんを巡ってるって言ってた。
確か独身だもんね。同じギルドの職員さんに、片思い中のはず。
今日はうちに来たのか。
お父さんと話す、そのひとの話が耳に飛び込んできた。
最近、大通りのいざかやに押されて、居心地のいい静かな店が減ってきているそうだ。
そのいざかやはどうなのかというと、とても賑やかな場所なので大所帯じゃないと入りづらい。
一人で入れる、いいお店が減ったと嘆いている。
いざかやは、若い冒険者が多くて割と、わるよい、をしている人が多いから、家族連れからもけいえんされているのだとか。
そういえば、ちょっと外でごはんを食べたい近所の家族連れなんかも最近は多い。
そうか。そうなのか。いざかやとうちは違うんだ。
お客さんが選ぶことだ。うちはうちで、いいんだ。
このままで、いいんだ。
にんまりと笑みがこぼれる。
うちはお父さんもお母さんも強いから、お酒が飲めるようになったばかりの若者が来たって安心だ。
揉め事は起きないし、わるよいなんてする人はいない。
飲みすぎだと思ったらうちはその人にお酒を出さない。ちゃんとお断りする。
まあそうすると大体愚痴大会が始まるんだけど、その八割以上が恋の悩みだ。
父さんや母さんが聞くこともあるし、時には店の常連さんも加わってわいわいやってたりする。
ちなみにこの冒険者ギルドの職員さんも、その一人。だから、私やお父さん、お母さんも、この人の恋模様をたくさん知っている。カラムも一回話に絡んだかな。
最近じゃ、酔っ払っていなくてもお父さんやお母さんに相談が始まる。
お父さんやお母さんは、器用に作業しながら話を聞いて、アドバイスをしている。
いつものことなので、慣れたものだ。今日も、ホーンラビットの肉を串焼きにしながらぺらぺらと話している。
職員さんの瞳に、信頼の色が見て取れる。
みんなは、ここで少しずつ仲良くなる。
静かに飲みたいひとはそっとしておいて。お話をしたいときには誰かが話を聞いてくれて。
とてもいい、お店なんだ。
どろどろした黒い気持ちは、お休みを取ることに決めたらしい。
私は、新しく入ってきたお客さんの注文を取りに、店内を早足で歩き出した。顔はもう、自然と笑顔になっていた。
やっぱり、私の朝は夕方に始まる。
お料理をはこんで、カウンターに戻るついでに空いたテーブルを片づける。
お皿が足りなくなりそうなタイミングを見計らって、お皿を洗って、足りなくなった水をくみに行く。
またお料理をはこんで、お会計をする。
作業をしている時は、自分が何かちがう生き物になったみたいな気持ちになる。
どんな用事を先にするか。次はどう動くか。
くふうして、もっとたくさんおしごとができないか。
体の全部で、考える。
お店の入り口の鈴の音、お客さんの表情やしぐさ、お肉が焼けるにおい、大きな水がめの中の見えないお水の残りぐあい、たくさん、感じるものがある。
打ち込むものがあるって、本当にいいよね。
それでほめられるなら、なおさらだ。
久しぶりのお客さんにあいさつする。
冒険者は遠くにえんせいすることもある。常連さんだった人が何ヶ月も急に来なくなることも珍しくない。
そんなお客さんに再会できた時の、ほっとする感じは、胸があったかくなる感じは、大好きだ。
無事で、よかった。
なでてもらって、どんな冒険だったのか聞いてみるのも、楽しみのひとつ。
もちろん毎日のように来ているお客さんへのサービスも忘れない。
注文を言われなくてもいつもの飲み物を出す。
へへ、あたり?
にやにやしてお客さんの顔を見ていると、そっと微笑まれる。やっぱり。
ぽんぽんと頭をなでられる。
そんなやりとりを見守っていてくれる、大好きなお父さんとお母さんがいる。
大好きな時間。
日付が変わる頃、大好きな私の1日は終わった。