二度目 ④
そしてもう1つエルムが道中決めていたことがあった。
それは村人を逃がすということであった。
「馬賊の棟梁を名乗る男が戦の前に申していました。」
行き先は各々の村ではない。
西か北か南か。
とにかくまだ見ぬ遠い土地である。
馬賊は東からこの地へやってきたから東へは行けぬ。
馬賊の棟梁ボグダは言った。
連中の目的は土地と女だと。
つまりこれは食物目当ての一時的な侵入ではない。
我々から土地を簒奪するための恒久的な侵略なのだ。
村で震えていればいつか過ぎる嵐ではない。
この暴力の氾濫から逃れるためには土地を離れるほかなかった。
しかしその決断を下すには自発的な力に頼ってはいられない。
失うものが余りにも大きいためだ。
強く明確な外的要因が必要となる。
そのためにエルムは再び嘘をついた。
「お前たちの一族は残らず殺し、土地と女を奪うと。」
確かに前回エルムはこの言葉をボグダから聞いている。
死の間際であったにも関わらずエルムの耳にはその悪意に満ちた声が鮮明に残っている。
とは言え今回、ボグダは何も言っていない。
というよりエルムはボグダには会ってもいない。
ただ、奴等の意図に変更が無いであろうことは容易に想像がつく。
最悪の事態たる村人への殺戮行為だけは避けなければならない。
そして、エルムのこの誘導的な情報開示は成功した。
「去らねばならぬか…父祖伝来のこの土地を…。」
一人の村長が声を震わせながら言った。
その言葉に論じ返すものはいない。
その場に居合わせる誰しもが顔を伏せ、地を見つめながら沈痛な面持ちで力なく頷くだけであった。
もしこれほどまでに確定的な情報がなければ、結論は大いに変わっていただろう。
討伐軍との合流、村での籠城戦、谷での待機。
そしてそれを導きだすまでにかかる時間も長くとったはずだ。
まごまごすればするほど馬賊は迫ってくる。
そして殺戮の時を迎えるのだ。
籠城したところで何になる?
残された30人ほどの男と女子供、老人で何ができる?
結果は目に見えていた。
嘘はついた。
しかし、これはつかざるを得ない嘘であった。
今こそ自分が不可解な経験を経てここにいる意味があるとエルムは確信した。
このために自分は帰ってきたのだ。
討伐軍の男たちは救えなかった。
しかし、残された女子供は救えるのだ。
男たちの死を無駄にしなくて済む。
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決断から行動までは早かった。
寝ていた者も起こし、村人たちは静かに、そして速やかに谷を発った。
もはや各々の村に帰ることはなかった。
これにもエルムの助言が大きな影響を与えた結果であった。
戦場から谷まで馬の足では半日もかからない。
今、ここに馬賊が到達していないということは、今回連中は案内してくれる捕虜をとり損ねたのだろう。
恐らく何の手がかりもなく周辺を捜索しているはずだ。
だからと言って時間に余裕があるわけではない。
闇が我々に味方をしてくれるうちに、可能な限り遠くに行かなくてはならない。
エルムの言葉は力強く、自信に溢れていた。
村長たちも迷う必要がなかった。
幸い、谷への滞在がどれほど長引くかわからなかったため、村人は十分な食糧を携行しており、そのまま村を離れても差し支えなかった。
とにかく西へ。
一番馬賊から遠ざかれる場所へ。
村人たちは黙々と歩いた。
一行の前方に数人の男たちを派遣し、物見に当たらせた。
後方と側面にも同じく男を配置し、何かあれば本隊に伝えさせた。
残る女子供、老人はひたすら歩いた。
昼はもちろんのこと、夜も寝る間を削って歩いた。
体力の乏しい老人たちから脱落者が相次いだ。
それでもとにかく一行は西へ向かった。
馬賊に遭遇しないことを神に感謝しつつ。
幾日か経って最初に到着した見知らぬ村では暖かい歓迎を受けた。
一行は久しぶりに安堵した。
しかしそこに彼らの家は建てられなかった。
彼らのために残された土地はもうなかったのだ。
幾らかの食糧を受け取り、また彼らに馬賊の脅威を伝えて、一行はまた西に向かって旅立った。
そんな行程を何度か繰り返した。
そしてとうとう彼らは"都市"というものにたどり着いた。
街をぐるりと囲む背よりも遥かに高い煉瓦の壁、石造りの巨大な建物の数々、溢れんばかりの人また人。
それまで、村長たちでさえ話でしか聞いたことがないものだった。
故郷の村に比べればずっと窮屈であった。
それでも、都市には流浪の一族を受け入れる余裕があった。
谷を離れてどれほどの月日が経ったことだろう。
村人たちはようやく安心して身体を休められる場所を見つけたのだ。
この旅で少なくない命が失われた。
それが無駄ではなかったことだけが村人たちの救いとなった。