プロローグ 偏差値45からのスタート
6時間目の授業が終わり、終礼が始まると、この前受けた模試の結果が返ってきた。結果はE判定。主人公・田上恭介は落胆しつつも新たな道に向かって決意表明をする。
第3回高2模試 文系型3教科偏差値45.4 第1志望 関政大学法学部 E判定
なんじゃこりゃ・・・
今まで2年間何をしてきたのかねぇ・・・
6時間目の授業が終わり、終礼で担任の先生から返された模試結果を見て正直ウンザリした。今まで毎日学校が終わったら予備校に向かい、夜遅くまで勉強しているからなおさらだ。
「今、模試の結果を返しました。復習をしないと成績は伸びないので必ず模試の復習をするように。それでは終礼終わります。」
女性担任の甲高い声が響く。その後、委員長の号令がかかる。
「起立」
「気を付け、礼」
「さようなら」
いつも通り平穏に1日が終わった。部活動をやっているわけでもないのでさっさと帰る。家で夕食を摂ったら、予備校に行って勉強をする。これが僕、田上恭介の普段である。
模試の結果報告を予備校に報告することは生徒の義務だ。だからいつも通り、予備校に行ったらまず予備校の担任に模試の結果を見せる。ちなみに僕の行っているところは全国的にも有名な大手予備校だ。
「うーん・・・」
予備校の担任がうなる。そりゃ、そうだ。毎日あんだけ勉強してこの結果なのだから。
「そもそもどうして毎日、予備校に来てハチマキを付けて勉強しているのにこんなに成績が上がらないのかねぇ。」
それはこっちが聞きたい。
「田上君、君はさあ、毎日予備校に来て勉強して偉いよ。」
まあ、たしかに。部活動をやっている生徒は授業がある日にしか来ないからな。
「でも1つ気になることがあるんだ。それは日々、物事に取り組みスピード。」
「その『物事に取り組むスピード』とは?」
「田上君は帰宅部だからほかの人に比べ、結構時間があるでしょ?」
僕は中学校の時は吹奏楽部に入り、クラリネットとバスクラリネットを掛け持ちしていた。練習は週6,7時間、平日は終学活終了後から18時30分まで。土日はまちまちで基本9時から13時または16時までのどちらかである。基本日曜日はオフであるが、演奏会が近づくと臨時で練習が入り、日曜日がつぶれる。朝練は毎週月~金の毎朝7時40分から。これが就業時間だったとしたら100%過労死して親が一生泣いて暮らしていたであろう。
正直、吹奏楽は好きだった。でもワーク・ライフ・バランスが取れない生活だった。朝練から始まって放課後練習に終わる毎日。週末になると1日練習・半日練習、時には発表会もある。本業である勉強を手につける時間がない。勉強に時間を取れない自分がなんか嫌だった。
だから、「高校に入ったら部活動をしない」と中学生の時から決めていた。だから部活動全入の高校は志望しなかった。どんなに反対されたとしても中学では叶わなかった「健康で文化的な最低限度の生活」をどうしてもしてみたかった。
話は予備校担任との二者面談に戻る。
「部活動をやっている人って田上君以上に時間がないんだ。」
言うまでもない。
「だからさ、物事に取り組むスピードが速いんだよ。嫌でも部活動をしないといけないし、嫌でも締め切りまでに課題を仕上げないといけないからね。」
「言われてみれば確かに。」
「あと1年もあるんだよ。田上君。気を引き締めて頑張ろうよ!これからだよ!」
「はぃ」
「声が小さい!元気な声で!」
「はい!」
「よーし!それじゃあ、自習に行ってらっしゃい!頑張れ!」
予備校担任の応援メッセージをありがあく頂戴し、僕は自習スペースへとむかった。
「本当に1年で偏差値を30も上げることができるだろうか。」
正直、不安だった。高校に入学してから2年間、偏差値は一向に上がっていないからだ。
不安になったとしても成績は上がらない。学問に王道はなし。何が何でも手を動かさないと成績は上がらない。そう思い、今日も机に向かった。
予備校のチャイムが営業終了の終わりを告げ、せっせと自転車を漕いで家に帰る。すると母にこう言われた。
「模試の結果、確か今日返ってくるはずだよね?見せてちょうだい。」
良くも悪くも鋭い母である。隠しても仕方がないのでしぶしぶ模試の結果を見せる。
「はぁ・・・」
母がため息をつく。
「毎日あれだけ勉強しているのになんで成績が上がらないのかねぇ。」
もう一度言うが、それは僕が聞きたい。
気持ちが憂鬱になってくるだけなのでお風呂に入り、さっさと寝ることにした。とりあえず、気持ちを切り替えて明日からも頑張ろう。
数日後、土曜日の朝のことである。両親が僕を呼び出した。どうやら家族会議を開くらしい。
「それで、家族会議って何?」
「模試の結果を見させてもらったのだが、全然、成績が上がっていないようだな。」
悪事千里を走る。母が父に模試の結果を見せたらしい。
「正直、やり方を変えないと変わらないと思うんだ。」
「それで?」
「すまないが、予備校を変えてもらう。」
「えっ!?そんな!ちょっと、待ってよ。」
やり方を変えることなんてわざわざ環境を変えないとできないことなのだろうか?
「大人数の授業ついていけてないだろ。」
僕が普段受けている英語と現代文の授業は60人~80人ほどがいる大人数の授業である。
「授業についていけていたらもっと成績が上がるはずだろ?一流講師の授業を受けてなぜ成績が上がらない?おかしいだろ?」
「でも、ちょっと待って!あと1年もあるんだよ!」
「何言っているんだ。あと1年しかないんだよ!たった1年しか!その考え方を変えなさい!」
「・・・・・・」
結局、今通っている大手予備校は辞めることになった。お金を出しているのは僕ではなく両親だ。だから両親の決定には逆らえなかった。春の面談で予備校担任が残念な顔をする中、母が淡々と退塾届を書き、押印した。これで正式に退塾が決まった。
で、新しい予備校は『松田塾』というところに決まった。「日本初!授業をしない塾」というキャッチフレーズを掲げている塾だ。そこでこの1年を賭けてみよう。そこに母の「待った」がかかった。
「日本史はここの松田塾にして、英語と国語は個別指導でイチから教えてもらおうよ。」
「塾の掛け持ちはめんどくさい。全部松田塾でいい。」
「でもね、英語と国語、本当に自学自習で出来る?基礎がないアンタにはプロにイチから教えてもらったほうがいいと思うのよ。」
「うーん・・・」
そうこう悩んでいるうちに松田塾の入塾面談ならぬ無料受験相談の日がやってきた。そこで、1週間の体験授業、いや、授業がない塾だから「体験特訓」をすることになった。1週間、指示通りにワークブックを進め、1週間後にテストを受け、その後、講師とマンツーマンで学習内容の進捗確認とコーチングをする。それを1週間無料体験できるのがこの「体験特訓」っていうヤツだ。今回は英語を体験することになった。
で、その「体験特訓」で受けたテストはというと、まさかの「0点」だった。まあ、英文法の穴埋め問題をテストでは全文英作文で出されるというインチキ臭かったところもあるのだが。
僕はあっさり母の言うことを聞き、英語は母が折込チラシで見つけてきた『英語専門塾Tsuyoshi』に行くことにした。そして、国語は『正経ゼミナール』というこれまた母が折込チラシで見つけた国語専門塾に行くことになった。まあいい。とりあえず親の言うことを聞いておこう。
こうして、偏差値45の僕の受験生活が本格的に始まった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
私自身、小説を書くのはこの作品が人生初めてです。拙い文章ではございますが、これからも読んでいただきましたら幸いです。
次回作品は『第1章 第1話 受験勉強よ~いドン!(前半)』を予定しております。
掲載時期は未定ではありますが、できる限り早く投稿できるよう努力してまいります。
今後ともよろしくお願い致します。