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実在するのは知っていた。しかしまさかこの国で、こんな近くで本物を目にする日が来るとは想像だにしていなかった。
紗綾の部屋を開けるなり、俺は膝から崩れ落ちた。敬虔なる信徒が神の御前でそうするように手を組み、恭しく頭を下げた。自然と涙が零れ落ちたのは己が内にある穢れが自然と離れていったからだろう。俺は幼い子どものように、声を上げるのを抑えられなかった。
「金髪幼女様――――――ッ!」
水色の修道服をお召しになられた金髪幼女様はふかふか虹模様のクッションに鎮座ましまし、俺のような業深き下賤にも慈悲深い微笑みを向けてくださった。
「どちらさまですかぁ? 背はちっちゃいですけど、みりるは幼女じゃないですよぉ?」
天上の楽器のように澄み切った御声に、非礼と知りつつ顔を上げた。神々しく輝く金色の髪はちょこんと座る腰辺りまでまっすぐに伸びて、この世のいかなる美に例えようとも敵わない美しさだ。
生きててよかった。初めて生きる喜びを知った。
「泣きながら土下座してんじゃないわよ――――――ッ!」
粗野な叫びとともに踏み抜く勢いで背中を踏まれ、潰れたカエルのような醜態を晒してしまった。だが問題ない。金髪幼女様の前ならどんな艱難辛苦にも耐えられる。大地を踏み割る鬼の足から転がり逃げて抗議する。
「おい紗綾! 金髪幼女様がいるなら何を置いてもまず紹介するべきじゃないのか! お前だけ独り占めなんてずるいぞ!」
「そんな台詞を真顔で言うようなあんたに紹介できる訳ないでしょ! あとみりるは幼女じゃないから! あんたの金髪幼女フォルダに入ってる子たちより一〇歳は上だから!」
「何を言ってるんだ! 金髪だったら幼女に決まってるだろう!」
「いい加減落ち着きなさいよ! あんたさっきから無茶苦茶言ってるからね!?」
「無茶苦茶言ってるのはお前だ! むしゃむしゃ食ってるのもお前だ!」
「…………」
ふむ、無言で鳩尾トーキックか。どうやら冷静になるべきなのは俺の方らしい。
確かに金髪=幼女ではない。これでは幼女=金髪になってしまう。百歩譲って考えれば確かに紹介したくないかもしれないかもしれないかもしれない。……あれ、結局どっちなんだ。もう少し冷静になった方がよさそうだ。かといって金髪幼女様を脳裏に焼き付けながら冷静になれるはずもない。壁に向かって座禅を組もう。目指せ、無の境地。
「ごめんねみりる。陸はちょっと頭がかわいそうな人なの。でも安心してね、あいつが指一本でもみりるに触れそうになったら私が捻り潰すから」
鬼が物騒な事を言っているが気にしない。無の境地、無の境地。
「陸さんは心がご病気なのですかぁ?」
「違います。金髪幼女をこよなく愛しているだけです」
「あんたには言ってないから! 黙って悟り開いてなさいよ!」
そうだった。無の境地、無の境地。
「ご病気だったらぁ、みりるが治してあげますよぉ?」
「だめなの、そうもいかないのよ。陸から金髪幼女好きを取ったら何も残らないの。きっと灰になって消えてしまうわ」
ひどい言われようだ……おっと。無の境地、無の境地。
「陸さんはかわいそうな人なのですねぇ」
金髪幼女様に言われたら認めるしかない。俺かわいそう。いや、そもそも幼女じゃないんだったか。金髪でテンション上がり過ぎててよく覚えてないな。
客観的に自分を見れているのは冷静になってきたからだろう。そろそろいいんじゃないだろうか。俺もみりるちゃんと話したい。あわよくば仲よくなってデートしたい。小さくてもいいから式は挙げたい。子どもは双子の女の子がいい。
……やっぱりもう少し悟り開いておこう。無の境地、無の境地。
「サーニャさん、ほんとにリヒトウくんを放っておくつもりなんですかぁ?」
「だから紗綾だってば。……行かないわよ。だって勇者じゃないし。普通の女の子だし」
「でもでもぉ、わざわざ世界隔壁を超えて来てくれたんですよぉ? ちょっと会ってあげるぐらいいいじゃないですかぁ」
「わざわざ城ごと乗り込んできたのよ? リベンジに決まってるわ。みりるちゃん代わりに追い返してきてよ。二度と来んなバーカって伝えといて」
「えぇー、きっと仲直りしに来ただけですよぉ。それにみりる、あんなおっきな扉作れないですよぉ」
濃い話だなオイ!
厨二力高過ぎて聞いてるこっちが恥ずかしい。こういうのを類友と呼ぶんだろうな。そういえばみりるちゃんもコスプレ香ばしい格好だよ。水色の修道服なんて普通ないよな。人の趣味にケチ付けるつもりはないが、金髪かわいいだけに残念だ。それに比べれば、あくまで比較してのレベルだが、センスに問題はあれ紗綾は日常的にコスプレはしてないだけマシなのか。だけどどうしてこうも虹に偏執してるんだろう。ジャージも虹。カーテンも虹。クッションもベッドも虹。
「なあ紗綾、別に否定する訳じゃないんだが何でこんなに虹尽くしなんだ?」
話の腰を折る意図も込め、座禅を組んだまま振り返って尋ねてみた。
「何よ陸、もう悟り開いたの?」
「開いたからこそあえてお前に尋ねてるんだ」
みりるちゃんが紗綾より重度の厨二病だと悟ったから嘘ではない。紗綾は虹まみれの部屋を興味なさげに見渡し、これまた興味なさげに答えた。
「特に理由なんてないわよ。きっかけはあったけど別に大した事じゃないわ。陸だって金髪幼女の画像集めまくってるのに理由なんてないでしょ? それと同じよ、たぶん」
「ちょっと待て。いつから俺の金髪幼女好きに理由がないと思っていた?」
「あったとしても聞きたくないわよ! 大体あんたその趣味隠したいんでしょ? 理由まで言っちゃったらさすがにみりるもドン引きよ?」
そうだった。なぜか金髪だから話しても問題ないと錯覚していた。金髪だからこそ余計に引いてしまうかもしれない。
「みりる分かりますよぉ? 赤ちゃんってかわいいですよねぇ」
何だよこいつ全然分かってねえな。髪も生え揃ってねえ幼女未満なんて検索した事もねえよ。
「赤ちゃんかわいいですよねー。ちなみに握力だけやけに高いのはお母さんから離れないためらしいですよー」
ザ・本音と建て前。日本人の美学。更に聞かれてもいない雑学をぶっ込む事で話が広がらないようにする京都の女将もびっくりの高等話術だ。
「へえぇ、そうなのですかぁー。でもでもみりるも強いのですよぉ」
てとてと歩いて隣に腰を下ろし、みりるちゃんは俺の手を取り小指をぎゅっと握った。所詮は女子中学生レベルの握力だ、痛くも何ともない。
しかしまさか握力の方で話を繋げてくるとは。俺の話術をもってしてもそもそも脈絡のない女子トークには敵わないらしい。本気で力を込めているらしくみりるちゃんはぎゅっと目を閉じ、真っ白な頬を僅かに赤らめていた。……これはこれでいいな。さすがは元幼女、何をしてもかわいらしい。仮にこれが真堂だったらイヤーカップからの目潰しコンボだ。かわいければ何でも許される。
「私も握力なら自信あるわよ?」
「知ってるから寄ってくんな。女子高生の握力六〇越えはマイナスポイントだと自覚しろ」
なぜか話題に入ってこようとした紗綾を一撃で撃沈せしめた。許してくれ、今はみりるちゃんのやわらかい手を全力で堪能していたいんだ。
「ぎゅーっ。痛いですかぁ?」
「痛い痛い。もう降参だよー」
かわいいなあ、たまんねえなあ。こっちこそぎゅーって抱きしめてしまいたいなあ。でもそんな事したら絶対あの鬼が首をぎゅーってしてくるからなあ。
「えへへー。ではではみりるが治してあげますよぉー」
握っていた指を今度は撫で始めた。懐かしい、紗綾から殴る蹴るなどの暴行を受けたらよく母さんがこうしてくれた。
「にゃむにゃむにゃむ。痛いの痛いのぉー、飛んでけぇー」
「飛んでけー」
投げ捨てるように小さく振られたみりるちゃんの手から、テニスボール大の黄色く光る何かが現れた。光は窓を透過し、弧を描いて落ちていった。
…………うん。もう少し悟り開いた方がよさそうだ。何か変なもん見えた。
「ぐはあッ!」
下から何か聞こえてきた。
「ははは。『痛いの』が誰かにぶつかっちゃったみたいだなあ」
「そうみたいですねぇ、ごめんなさいですぅ」
二人して笑っていると、窓を開けた紗綾が真剣な面持ちで下を見下ろしていた。あいつ話に混ぜてもらおうと必死だな。深刻そうな面持ちでハブられ紗綾は呟いた。
「……家の前で誰かうずくまってる」
「『痛いの』が直撃したってか? そいつは大変だ。みりるちゃんのぎゅーっは痛かったからなあ」
「うふふ。指だけじゃないですよぉ。みりるの『痛いの痛いの』はぁ、今までの痛い痛いをぜーんぶ飛ばしちゃうのですぅ」
「陸が今まで受けてきた痛みを全部……? 大変じゃない!」
「そうだな、毎日誰かさんから挨拶代わりに暴力受けてるからな」
そんな皮肉も聞かず、紗綾はいきなり部屋を飛び出していった。
「サーニャさんは心配性ですねぇ」
「そうだな」
適当に相槌を打ったが、さて、どう捉えればいい。
こんな冗談としか言えない話の流れで、紗綾が迫真の演技をする必要はあっただろうか?