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地上へ続く長いエスカレーターを上ると、想像以上の異常事態に思わず足を止めた。
何機ものヘリが羽音を鳴らす空の下は閑散としていた。上戸市の中心から僅か一キロほどの距離にありながら、市で二番目に大きいはずの街からは人という人が消えていた。いつも明るいうちから煌々としているはずの電光看板はみな光がなく、街自体がくすんでいるように見える。片側二車線の車道をパトカーで塞いでいるのはもっと西側で交通誘導が行われているからだろう。既に本来なら立入禁止の中に入っているのだと気付き、やや緊張を覚えた。
「どこかラーメン屋さんやってないかな?」
辺りを見渡す紗綾は今日も平常運転だった。呆れを通り越して危機感すら感じる。こいつは本当にまともな人生を送れるのだろうか。雑誌で結婚したくない一般人ランキングが特集されたらかなり上位に食い込むだろう。
「紗綾、お前の頭部は飾りなのか? 偉い人には分からんだけなのか?」
「お腹空いたんだもん。もっこす総本店って二四時間営業だったよね? やってないかな?」
「一〇時前から開いてるラーメン屋がないのは分かってるんだな。残念だが偉大なるもっこす様も他の店も今は全部お休みだ。もちろんコンビニもやってない。諦めろ」
「でもお腹空いたんだもん!」
ああもう喚くな面倒くせえ。今すぐ青年海外ボランティアに送り込んでやりたい。
無視して歩き始めるとリュックをぐいと引っ張られ、空腹の肉食動物は卑劣な手段に打って出た。
「みりるもお腹空いたよね! ラーメン食べたいよね!」
「みりるちゃんを味方にしようなんて卑怯だぞ! それに無理なものは無理だ! 俺に今からラーメン屋で修行しろとでも言うのか!?」
「そんなに待てないもん! お腹空いたお腹空いた! みりるもお腹空いて一歩も動けないって言ってる!」
「言ってないだろ! みりるちゃんは大丈夫だよね? このバカ女の言う事なんて聞かなくていいんだよ?」
紗綾に手を繋がれたみりるちゃんはにっこりと笑った。
「みりるもラーメン食べたいのですー」
「既に汚染が進んでいる……ッ!」
俺に言われてもどうしようもないというのに!
不意にスマホが震えて確かめると真堂からメールが届いていた。
『怪しまれるから黙らせろ』
だったら打開策を用意してこい!
ハイタッチを交わす二人。どうしてこの状況を未然に防げなかったのだろうか。
そうだ、真堂が悪い。あいつが早く家を出ようと急かすからうっかり朝食を忘れていた。ご飯がなければラーメンを食べればいいじゃないを地で行く紗綾を連れているのだ、こうなる事は目に見えていたじゃないか。
しかし、今からまた家に帰る訳にはいかない。なぜなら面倒だからだ。考えて立ち止まっている訳にもいかない。打開策を考えながら先へ進もう。
「みりるちゃんにお願いされてもここにラーメン屋はない。だがもしかしたらこの先にやってるラーメン屋があるかもしれない」
絶対ないと思うが。何ならないまま目的地へ着くつもりだが。とりあえず東、上戸市市役所の方へと歩き始める。市役所まで二キロぐらいだろうか。みりるちゃんの足が遅いとしても一時間かからないだろう。その前に自衛隊の包囲網があるはずだが、今のところそれらしき様子はない。できればぶつかる前に悪魔について聞いておきたいのだが、どう切り出せばいいものだろうか。
……いや、そもそもサーシャさんが転生した存在だと認めないのに、紗綾に聞いてどうするんだ。みりるちゃんからの伝聞として聞く事はできるが、だったらみりるちゃんに直接聞けばいい。真堂が紗綾を指名したのはみりるちゃんへの不信だけだろうし。
「みりるちゃん、悪魔ってどういう存在なのかな?」
尋ねるついでに手を繋ごうとするとなぜか紗綾が手を繋いできた。こいつはどうやっても俺とみりるちゃんを遠ざけたいらしい。振り払っても離さない。面倒くさいやつだ。
「すべからく滅ぼすべき神の敵です」
みりるちゃんは笑ってそう言った。これはマジだな。見つけ次第滅ぼす感じ、風呂場のカビと同レベル。
「悪魔は人の弱みに付け込むのですよ。本来なら努めて学び鍛えて得るものを、魂を代償に実現してしまうのです。神の法はこれを認めません。悪魔と契約して力を得る者が横行すれば、行き着く先は滅びです」
「なるほど」
この世界で言い伝えられている悪魔と似たようなものか。
「でもリヒトウくんは契約しちゃったんだよね。一国の王子様なのに。それなりに深い考えがあったんだと思うんだけど、実際どうだったの?」
尋ねにくい事こそ早めに聞いてしまった方がいい。みりるちゃんだって本当は仲直りしに来たなんて思っていないはずだ。そうでなければまず紗綾のところへ来たりはしない。
「真堂さんに尋ねておくよう頼まれたのですか?」
明るいトーンのまま、覗き込むように尋ね返してきた。やっぱり見抜かれてるんだな。
「そうだよ。頼まれたのは悪魔についてだけどね」
「そうなのですかー」
みりるちゃんの青い瞳を見つめていると吸い込まれそうになる。何らかの法術にかけられているのか、それともこれが恋なのか。
俺たちの熱い視線の交わりを絶つように紗綾はひょいと頭を下げ、俺を見つめてきた。
「だったら直接聞けばいいのにね?」
「頭のいい人は苦手なんだと。狭いコミュニティの一番でありたいやつなんだよ」
ぐいと額を押し上げて邪魔者を排除する。みりるちゃんは変わらずにこにこと笑っていた。
「リヒトウくんはとっても研究熱心なのですよ。熱が入り過ぎて悪魔の契約にまで興味を持ってしまったのです。幸い底辺の悪魔だったので魂にもあまり影響はありませんでしたし、教会の人達に知られる前に丸く収まってよかったのです」
めでたしめでたしとばかりにパチパチと手を打ち鳴らし、すぐにやめた。
「でもでも、今回の件に再び悪魔が絡んでいるかと言われれば、可能性は極めて高いと言わざるを得ないのです。理由はどうあれサーシャさんを追ってきたと考えるなら、まずサーシャさんのいきなりドーン! を防ぐ準備を整えているはずですから」
「いきなりドーン?」
悪魔なるものが絡んでいるという決して喜ばしくない話を聞いたのに、間の抜けたこっちの方が気になってしまった。
「そうです。いきなりドーン! なのです。サーシャさんは法術などの特別な技術を会得していた訳ではなく、純粋な力だけを極めた人だったのです。技術に頼った力であれば対策も立てられますが、単純な力の放出に対抗するには単純に防衛するしかないのです。なのでなので、異世界から城が現れた、きっと敵だと思う、いきなりドーン! で灰も残さず消し去られる危険性をまず防がなくてはいけないのです」
「わっ、私そんな事しないよ!? ちゃんと考えてたんだよ!?」
「うるさい黙れお前の話をしてるんじゃない!」
きつく睨み付けると紗綾は泣きそうな顔をした。頼むから前提を忘れないでくれ。




