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黒いスリッポンのような靴を履いた小さな足を時折にばたつかせながら、みりるちゃんは流れゆく街並みをじっと眺めている。車窓に薄く映るうっとりとした微笑みに声をかけた。
「何かおもしろいものでも見つけた?」
「全部おもしろいです。天まで伸びる四角い塔も、おっきな箱にいっぱい窓がある建物も、すごい速さで動いてるこの電車も、全部ぜーんぶおもしろいです」
窓の向こうにはいつもと同じ景色が流れている。青い空には白い雲がいくつか浮かび、街の向こうには六甲の山々がそびえている。こうして眺めていると避難命令が出ているようには思えない。いつもと同じ、平和な日常だ。
「みりるちゃんが暮らしてる世界とは、やっぱり違うんだろうね」
「全然違うのですよー。教会より高い建物を建てちゃだめですし、こんなに大きな街もないのです。何より町も法陣に見立てて作られるのでー、こんなにいろんな色のおうちもないのですよー」
教会より高い家を建ててはいけないって聞いた事あるな。世界が違っても同じような人間なら考える事も似るんだろうか。
「みりるちゃんって、俺や紗綾と変わらない人間だよね? 実は背中に翼があるとか、しっぽが生えてたりしないよね?」
「神様は自分と同じ姿になるよう人間をお作りになられたのでー、同じだと思いますよー」
よかった。今更だけど別の世界って曖昧だよな。宇宙人だって別の世界の人間と言えるし、だったらみりるちゃんだって宇宙人かもしれない。だけど同じ姿で同じような宗教観があるのならみりるちゃんの世界も地球とほぼ変わらないはず。便宜上の分類に過ぎない事だと分かってはいるが、それでもやっぱり気にはなる。
「でもでも、真堂さんはどうなんでしょうねー」
構図を探すように指で四角い枠を作り、みりるちゃんはその枠を真堂に向けた。片目を閉じて小さな枠に収めた真堂を見ているようだった。
「……どうなんでしょうとは、どういう事かな?」
まずい。勇者じゃないってばれるんじゃないのか。
「うーん。よく分からないのですが、魂が普通じゃないのです。重なっているのかそもそも質が違うのか……。あんな魂は初めて見るのです。おもしろいですねー」
「そうなんだ。魂が、ねえ」
同じように指で枠を作り覗いてみたが、対面の紗綾と談笑しているだけで、当たり前だが魂なんて見えない。思えば傀儡から偽りの魂とか何とかの時も当たり前みたいに言ってたが、魂の実在ってすごく驚くべき事だよな。おかしなやつが多過ぎて普通の感覚が麻痺してるようだ。
まあ今となってはそんなもの、何の役にも立たないが。
真堂ばかり見続けていてもおもしろくないのでみりるちゃんの顔を枠に収めた。
うん、かわいらしい。透き通る海のような青い瞳が素敵だ。
「みりるちゃん、写真撮ってもいいかな?」
青い瞳をぱちくりさせて、かわいい笑顔を見せてくれた。
「もちろんいいですよー!」
「ありがとう」
許可が取れたのでとりあえず一枚。素材からいいから余計なエフェクトはいらない。新しくみりるちゃんフォルダを作り、せっかくの車内なのでシャッタースピードを落とし、流れる景色と共にもう一枚。
「陸さんは、写真がお好きなのですかー?」
「そうでもないかな。撮りたいものがあれば撮る時もあるぐらい」
隣に座って一枚。
「そうなのですかー。みりるは写真好きなのです。サーシャちゃんと一緒に写ってるのは宝箱にしまってあるのです。みりるの宝物なのですよー」
「それは紗綾の事かな? ちょっと吊り革に掴まってみようか」
「両方ですー。サーシャちゃんも紗綾ちゃんも両方あるのです」
みりるちゃんが背伸びして腕を伸ばすと水色の修道服の袖が広がった。吊り革にはぎりぎり指先が引っ掛かるぐらい。うん、最高だ。
「両方って事は、みりるちゃんの世界にもカメラやスマホがあるの――っと」
電車が揺れ、倒れてきたみりるちゃんを受け止めた。滑らかな金髪から蜜のように甘い香りがして、このまま抱きしめてしまいたい衝動を抑えた。
「うふふ。ありがとうございますー」
「いいや、こちらこそありがとう。やっぱり座って撮ろう」
「はーい。陸さんも一緒に写りませんかー?」
「そうしようか」
自撮りってどうやるんだったかな。普段使わない機能はよく分からない。
手間取っているとタイミングを逃した質問の答えをわざわざ持ってきてくれた。
「私の国にカメラはないのです。法術で視覚を正確に記憶して、覚えた記憶をまた法術で正確に描くのですよ。専門的な術式なので使える人にお願いするのです」
「宮廷画家、いや写真屋さんみたいなものなのかな。思い出に残るいい写真ができそうだね。ちょっと時間がかかりそうだけど、それも悪くない」
「そうなのですよー。だから今まで撮った写真はぜーんぶ宝物なのです」
何だ、普通の撮影モードからワンタッチで切り替わるじゃないか。
「素敵だね。いつか機会があったらみりるちゃんの宝物を見てみたいな。……さて、ようやく準備できたよ。一緒に撮ろう」
「私のおうちに来ますか? 私もお見せしたいのですよー」
斜め上に離した液晶パネルを見ながらごく自然に腕を絡めて、みりるちゃんは俺の肩に頭を預けてくれた。……こんな妹が欲しかったなあ。
「陸さんも笑ってくださいー。何だか遠い目をしてますよー?」
「ああ、ごめんごめん」
俺も笑って、みりるちゃんと一緒に映った初めての一枚。みりるちゃんも満足してくれたようで、嬉しそうに画像を見つめていた。
「よかったらそれ、現像しようか。写真にしてみりるちゃんにあげる」
「ほんとですかっ! 嬉しいです、宝物にしますっ!」
この何より愛らしい笑顔も撮りたかったが、まあいい。一生忘れる事もない。すぐにでも印刷して渡してあげたいが、さすがにコンビニもやってないだろう。早くて家に帰ってからになるだろうが――その時の俺は、紗綾と今のままの関係を続けているのだろうか。
「……行きたいな。みりるちゃんのおうち。こことは違う世界も見てみたいし、サーシャさんの写真も見てみたい」
「紗綾さんそっくりだったのです。も少し大人でしたけど」
「そうなんだ」
理由は聞きたくない。どんな人だったかも尋ねないでおこう。
「みりるちゃんは、サーシャさんの仲間だったんだよね?」
「友達ではありますが、仲間ではなかったですよ?」
嫌な予感がした。リヒトウとやらを一緒に倒した仲間だと思っていたが、考えてみれば別の可能性だってあり得る。
「仲間じゃない? じゃあどうやって知り合ったの?」
例えば、みりるちゃんはリヒトウ側の人間だった、とか。
「リヒトウくんのお城へ向かう途中でばったり会ったのです。えへへ。ちょっと照れちゃうお話なのですが、法力が強くてリヒトウくんと間違えられちゃったのですよ」
照れ笑うみりるちゃんの本心は見抜けない。
「みりるちゃんはどうしてお城へ向かってたの?」
「リヒトウくんが神の法を破って、悪魔と契約しちゃったのですよ。私の国では神の法は絶対なのです。なので教会の偉い人たちが気付く前に、一緒に謝りに行こうとしてたのです」
「……じゃあ、みりるちゃんはリヒトウくんと知り合いだったんだ」
「うーん、知り合いというか」
みりるちゃんはほんの少しだけ目を落として、また顔を上げた。困ったように笑っていた。
「リヒトウくんはみりるの弟で、もうすぐパパから王位を受け継ぐ予定なのです」
思考に空白が生まれた。




