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リリーとアメシスト

作者: トマしゅー

ヘルムシュタットという地があった。そこは、ソルフォードという魔法使いの集団が、この世界とは少し次元のずれた空間に建設した場所であった。

 ソルフォードとは、最古の魔法使いの集団であった。この世界の魔法の祖ともいえる存在であった。全ての魔法はソルフォードに通じる、といっても過言では無かった。ありとあらゆる魔法を発展させ、新たな技術を生み出した。

 彼らは、ある試みを行っていた。宝石の魔法使いを顕現させることであった。宝石の魔法使いとは、兎角貴重な存在であった。現に噂を聞くのは、翠玉と柘榴石のみである。

ただの石では無く、「宝石」であることが重要なのであった。そもそも石と宝石の違いなど、存在しえない。それを価値づけたのは、人間であった。とある人間が魔法に触れ、その操る杖に輝く石が煌めいている。魔法は、形を取るもの、取らないものはあれど、光を伴いそこに存在しうる。石は石でも光る石、実際にそれは、この世界の物質の中でも質・密度の高い魔力を蓄積していた。それを知った、かの人間は、宝石が魔法使いとなったならば、それはどれほど素晴らしいことだろう。そう考えたのだ。その人間は、翠玉の魔法使いと知り合った。その翠玉の魔法使いの行方は、今は知れなかった。

自然物・感情が人の形を成し魔法使いとなるほか、魔力を持って生まれる人間もまた魔法使いと言えた。そのような魔法使いがほとんどであった。ソルフォードの中の位の高い魔法使いでさえも、そうだった。

宝石の魔法使いを夢に見た、その人間は、ソルフォードを立ち上げたものであった。その意志を受け継ぎ、彼らは宝石の魔法使いを生み出そうとしていたのであった。

ここに、紅縞瑪瑙があった。ヘルムシュタットの中心地にある、ブラッドフォード城の地下神殿に、神体として祀られていた。この宝石はその例に違わず、魔力を秘めていた。また、これはヘルムシュタットの空間を成立させるものでもあった。魔力源としては、それだけでも十分である。しかし、それで飽き足りるものなど、ここにはいるはずがない。

その石に、魔力を与え続けてみることにした。その魔力は外界からとある手段で回収したものであった。人間らしい手段であろうか。宝石の魔法使いが顕現するのは、その元となる宝石にある一定の魔力が蓄積された場合、奇跡の一歩手前の減少に等しい確率であるとされていた。

幾年も、そのようなことを続けた。気の遠くなる時間であった。


――来る日だ。


紅縞瑪瑙は妖しく光る。光は形を成しつつ、地に降り付いた。最初は何だかよく分からない生物のようであったが、徐々に人の形になった。

黒い光は、小さな男の子になった。

 澄んだ夜空のように真っ黒な髪、それは、月光りが差すような艶を抱いていた。その肌は白く、雪のようであった。

 数人の魔法使いたちがその姿を目撃していた。奇跡に等しいものを、自分たちは成し遂げたのだ。珍しく、明るい感情が湧き出た。しかし野心に溢れていた。

 魔法使いたちは、その男の子を抱え、中央機関へ捧げた。男の子は指を口にくわえ、すやすやと眠りについていた。現ソルフォードの首領が、生まれたばかりの彼にまみえた。積年の夢であった、宝石の魔法使いである。

 男の子は視線に当てられたのか、目を覚ました。その瞳は、紅と紫であった。まだ穢れを知らない、透き通った瞳をしていた。

男の子を中心に会合を開き、彼の処遇を話し合った。議論はすぐに纏まった。何故なら、宝石の魔法使いを抱えることになったならば、行うことはただ一つだったからである。小さく愛らしいその男の子は、その目的を知る由もなかった。


彼は、「サードニクス・ソルフォード」と名付けられた。随分と捻りのない名前であった。


サードニクスは、大切にされるために生まれてきたのではなかった。一人で立って歩き、周りの者の顔を覚え、ある程度の言葉を話せるようになってすぐ、苛烈な仕打ちを受けるばかりであった。ソルフォードの未来のための「教育」を受けていたのである。

魔法使いは一定の年齢になると固有の魔法の杖を発現させる。それは本人を取り巻く環境に適応したものとなる。「魔力は精神に同調する」という定説が反映される、代表的な事柄である。サードニクスが初めて発現させたのは、杖ではなかった。黒い剣だった。すぐ後に銃を発現させた。これは、珍しいことであった。

座学において、教育係の魔法使いたちに、ありとあらゆるものを叩きこまれた。覚えなければ、魔法による痛みを伴う罰を与えられたからだ。恐怖により植え付けられたその記憶は、否応がなしに彼の脳に染みついた。その中で特に強く仕込まれたのは、剣と銃であった。言うまでもなく、魔法使い、魔物を殺傷する器物である。サードニクスは、何のためにそんなことを覚えなければならないのか、と心の片隅で思ってしまった。

さらに、発現時の状況によるものも大きい。彼は屈強な魔物の潜む牢に放り込まれていた。所謂、蠱毒というものに近いことが行われていた。彼の魔力は魔物にとって大変有益なものであったと後に気付くことになるが、魔物は血眼で彼を喰いに来た。危機にさらされた状況下であったのだ。

ゆえに、彼が発現させたのは原型となる杖ではなく、武器であったのだ。

武器を発現させた後、魔法使いを相手にその扱い方を学んだ。本格的に殺し方を学ぶものであった。初めのうちは黒い剣しか発現させることができなかったが、黒い銃も表れるようになった。サードニクスは、銃の方を好むようになった。急所を撃ち抜けば、できるだけ早く、終わらせることができるからだ。裏を返せば、そうしなければ相手を長く苦しめることになった。この

――いつしかここから消えてしまいたい、そう思うようになった。つまり、このように嬲り、苦しみを与え続けるのではなく、殺してほしかったのだ。しかし、上の者はそれを許すはずがなかった。ただ一方で、彼に甘い言葉を投げかけることもあった。

「大きくなれば、外の世界へ出してやる」

 「外」というものが、何なのかは知らない。ただ、ここを抜け出せるのなら、もう何でも良い。それまで、耐えてみることにした。サードニクスは、思ったことを口に出さなかった。出せなかった。そして、我慢が得意だった。得意でなければならなかった。そうしなければ、自分を保っていられなかった。

 サードニクスは、訓練を受けるとき以外は自分の部屋にいた。一人でいられる時間は、ごくわずかであったのだが。部屋は一般的な子供部屋の大きさ程度であった。決して煌びやかとは言えないが、床も壁も高級な石で作られ、床には踏み心地のよい絨毯が敷かれていた。身分の高いものが住むことに十分な部屋であった。むしろ派手すぎないぶん、より高位なものに思われそうな繕いである。部屋には本棚、一人用の椅子、机、ベッドがあった。本棚には、座学の内容と同じことが書かれた本しかなかった。武器の扱い方、魔力の操り方、魔物、魔法使いとの戦闘についてであった。サードニクスはこれ以外のベッドで寝たことは無かったが、非常に気持ちの良いものであった。バルコニーがあり、なかなかの見晴らしであった。下には庭園があり、赤・黄・白・桃・橙、そして紫。時には、青や黒といった色とりどりの花が植わっていた。様々な種類の木があった。彼にとって、どれも教えられたことのないものであった。少し目線を遠くにやると、城下町が見えた。斜面に住宅が並び、通路が階段状になっていた。自分と同じくらいの子どもたちが、楽しそうに駆け回る様子が見えた気がした。

 この部屋にいるときのみ、彼は比較的安らかな気持ちでいられた。彼は、ここにおける食事でさえも苦痛であったのだ。他の者は美味しそうなステーキ、スープ、パン、美しい果物の盛り合わせ、魚のソテー、甘い香りのするデザートを食べていた。彼は、奇妙な魔物の四肢、目玉、内臓などを、薬草で煮込んだもの、炒めたもの、時には生きた小さなもの踊り食いすることもあった。もっと酷いものになると、毒を盛られたこともあった。死には至らないが、その日のベッドのシーツは、毒の作用で逆流して口から出た血で真っ赤になった。これも、「教育」の一環らしいと聞いた。何でも、毒に対する抵抗力を高めること、滋養強壮、魔物の魔力を取りこむことが目的であるらしい。いったい本当に効果があるのかどうか、その時は分からなかった。

数えきれないほどの知識を蓄えた。多くの魔法の使い方を身につけた。そんな彼は、たびたび住民達の前に姿を現した。その度に、崇め奉るかのような言葉を投げかけられるのであった。

「あの子がサードニクスって子でしょ?」

「神殿の紅縞から生まれたんですってね」

「あの子大きくなって、おれたちのために戦ってくれて、この国はさらに幸せになるんだってな!」

「どうか…この地に更なる繁栄をもたらしてくださいまし…」

幼い彼は、その言葉に対し怪訝な表情を浮かべることしかできなかった。

彼は教育と銘打ったあの時間の他は、いつも自分の部屋にいた。というよりは、出る事ができなかったのだ。生まれてこの方このような状況に置かれた小さな少年が、脱走を試みないわけがない。ましてこの部屋が外部から隔絶することを意図された構造ではないのだから、猶更である。うかつに外には出られない彼へのほんの少しだけの配慮なのだろう。しかし、そこから降りる事は決してできなかった。

住民達からはこの世の全ての富を堪能するかのような、極上の生活をしているに違いない、と思われていた。そういう訳でもなかった。彼は魔法の知識の他、何も知る権利を与えられなかった。彼の価値は、ソルフォードの魔法使いとして、住民、といってもほぼ上層部の魔法使いの繁栄ためだけであった。

そんな彼は、何もない時間、バルコニーで遠くを眺めるのが日課であった。この時、自分がどんな感情を抱いているか、彼ははっきりと理解したことがなかった。けれど、ほの暗い表情をしていた。「寂しさ」というものを絵に描いたようなものであった。

「はあ…」

彼の口元から零れ出た吐息は、うっすらと白かった。

――彼の視界を、何かが破った。

ひらひらと力なく、光が空から舞い落ちてきた。それは一部が焼け落ちているようであった。煙を放ち、どことなく痛ましい様子に見えた。

「あれは…?」

少年は目を凝らした。

蝶だ。確か、図鑑で見たことがある。自然界では昆虫の一種であり、この世界では魔法使い、魔物、妖精、様々な形態を取っていると学んだ。あれは何だろうか。上手く蝶を手に載せる事ができた。感覚はゼロに等しかった。彼は、手に取ったそれをじっと眺めた。

金色、桃色のグラデーションがかった美しい翅だった。そして、そこに描き出された柄はくるりと巻いた文様であった。広間や外壁の装飾、絵画の額や彫刻の台座のそれに近い。作られたようでいて、自然とそれが構成されたようでもある。一言でいうと、とてつもなく、美しかったのだ。

彼は、外の世界にあるものを除けば、おそらく普通に暮らす者たちより多くの概念、物を見てきた。けれど、その中で比類なく、彼を魅了したのだ。サードニクスは蝶を自分の部屋へ入れ、机の上に置き、手をかざした。

紫色の優しい光が、蝶を暖かに包み込んだ。蝶の翅の燃焼は収まった。そして、みるみるうちに翅は再生したようだ。不完全であってもあのように目を引き付けたこの翅が、完全なものとなったのだ。彼は、感じたことのない嬉しさを覚えた。そして再びその蝶を両手ですくいあげ、話しかけてみた。

「あの…だいじょう…ぶ?」

サードニクスは、心配そうに言った。このような顔をしたのは初めてだと、自分でも不思議に感じた。美しいその蝶は、それに答えた。

「ええ、大丈夫。ありがとう」

元通りになった羽根を羽ばたかせて言った。きらきらと鱗粉が舞い落ちた。彼はうっとりと見とれた。生きてきた中で感じた事のない感覚を覚えた。この蝶に出会ったのはついさっきのことだ。それなのに、新しい感情が目まぐるしく彼の何かを刺激した。それはほんのりと、心地よいものだった。

「君は…その、とっても、きれい…だね」

「うふふ。ありがと。私はウィスタリア。蝶の魔法使い」

 この蝶は、たいそう言葉に堪能なようだった。わずかな会話の中で、それを感じ取らせた。

「あなたは?」

 少年は、たどたどしく答えた。

「サードニクス…ソルフォード」

「そう、いい名前ね」

「そう…かなぁ」

 直接目にした相手に、自分について褒められたのは、もしかすると、生まれて初めてかもしれない。それは純粋に嬉しいことだ。けれど、複雑な部分もあった。

「僕は、あんまり好きじゃないんだけど」

 「サードニクス」とは、紅縞瑪瑙をそのまま指し示す言葉らしい。「ソルフォード」とは、言うまでもなく、自分を擁するこの魔法使いの集団の名だ。その二つを寄り合わせた名前である。一見悪いものでもなく、名前として機能を果たしている。しかし、彼は好ましく感じられなかったのだ。

 なぜなら、名前とは、その者にかける望みを託して付けられることが多いと小耳に挟んだことがあるからだ。自分の世話係も、自分を指導する者も、自分と同じ血を引くものから、何らかの形で「こうあってほしい」という願いを託されて名を与えられたものばかりであった。それに比べ、自分の名前はそのようなものが何も与えられていなかった。ただの、形式的な、それをそれと判断するためだけの名前であったのだ。

 それに、少々長く、名乗りづらいうえに呼びにくい。サードニクスはそもそも他人と関わるのは得意ではなかった。珍しく会話を行ったところで、自分の名を名乗って覚えてもらおうともしなかった。

「そうなの?かっこいい名前じゃない」

 この者は、ただ真っすぐに彼のことを褒めた。この蝶にとってはそのような名付方は知る由もなく、響きを耳にして、良いと感じただけなのであった。

「ありがとう。ウィスタリア」

「そうだ。ウィスタリア、君はどうして怪我をしていたの?」

「少し長くなるけど…いい?」

「うん、いいよ」

 ウィスタリアは落ち着いて、話を始めた。サードニクスはじっと蝶のほうを見つめた。

「私、この世界とは少し違う世界から来たの」

「ど、どういうこと…?」

「ええとね、『世界』って言っても色々な場所があるのよ。この地は『ヘルムシュタット』という名前だと聞いたわ。このヘルムシュタットとは違う町…というか、場所があるの。私は、このヘルムシュタットの外の世界からやってきたの」

「そ、そうなん…だ…」

 サードニクスは、理解しきれなかった。教えてもらったことがなかったからだ。この地、ヘルムシュタットが世界の全てだと思っていたのに。まさか、その他の場所、世界があるなんて思ってもみなかった。

「私には仲間たちがいてね、みんなで色々な世界を回って暮らしていたの。その途中で爆発に巻き込まれてしまって。少し次元の違うこの世界に来てしまったというわけ。それでね、この町を色々飛び回ってみたの」

 サードニクスはウィスタリアの話に没頭していた。「外の世界」というものが気になって仕方がなかった。その「外の世界」からやってきた者の話とあらば、とりわけ集中して聞かないわけがない。

「そうしていると、魔法使い達がいきなり攻撃をしてきてね…そこをあなた、サードニクスに助けてもらって、今ここにいるという訳」

「…酷いやつがいるんだね。許せない」

サードニクスは、ウィスタリアを攻撃した者たちに対し怒りの感情を覚えた。

「もう、どんな魔法使いだったか、顔なんてはっきりと覚えていないし、今はこの通りだから、そんな顔はしなくていいのよ」

 ウィスタリアは優しく、彼をなだめた。サードニクスは、このような感情を制御する術が分からなかった。

「ごめん…それにしても、別の世界かぁ」

「サードニクス、行ってみたいの?」

「僕、ずっとここにしかいたことないから」

「あら、そうなのね」

「それに、この場所…好きじゃない」

 ウィスタリアに、今まで過ごしてきた不満を吐き出すかのように言った。この者は、自分の全てを聞き留めてくれるような気がしたからだ。言ったからといって事態が好転するわけでもない。でも、誰かに聞いてほしかったのだ。その相手として、このウィスタリアはあまりに適していたのだ。

サードニクスは自分の今までの窮屈な生活を、全てウィスタリアに話した。ウィスタリアは、じっと聞いていた。彼が受けてきた、教育と銘打った行為の他は、包み隠さず話した。それを良いとも悪いともいわず、ただ黙って、受け止めるだけであった。

「僕は他の場所へ行ったことがない。だから、今僕がいるこの地にどのような思いを抱けばいいのか、はっきりとは分からない」

 彼の目に迷いが浮かんでいた。紅と紫、その瞳の揺らぎはいつに増してアンバランスであった。ウィスタリアはそれを逃さなかった。

「繁栄とか、幸せとか、僕はそれが何なのか、分からない。でも、本当に今のままでいいのかなって…僕はなんだか、このままでいるのが怖いんだ。けれど、それを解決するためにどうするべきか分からない」

ウィスタリアはゆっくりと彼に近づき、頬に寄り添った。

少年は、触れ合った部分の暖かさを感じた。蝶は、触れ合った彼の肌の冷たさを感じた。

「難しいこと、考えてるのね」

 ウィスタリアは静かに感心した。

「でも、今はこう思っている」

 少年の目の揺らぎが消えた。

「僕は、『外の世界』に行ってみたい」

 真っすぐに、ウィスタリアを見据えて言った。その声は、はっきりと通っていた。彼自身も、自分がこのような言葉を発せられたことに少し驚いた。今まで、何でも教えられていたようで、実はそうではなかったのかもしれない。それが正しいことなのかも、誰からも与えられることはなく、自分で判断することもなかった。

 ひと時の間、彼はこの蝶と言葉を交わし、初めて自分の意志というものの存在に気づいたのだ。

 この蝶の秘めた力は何であったのだろうか。魔法の源となる魔力は多種多様だ。単に魔法として載せるだけではない、ただそこにいるだけで作用することもある。この蝶の抱くそれは、自分を突き動かす何かであった。自分の感じたことのない、また言葉にできずとも求めていたものを授けてくれたのだ。それを、こんな僅かな時間で、溢れんばかりに与えられたのだ。

今後、このような存在に出会うことはあるのだろうか。サードニクスは、ウィスタリアとの出会いを、心の内で祝福した。

「ねえ、ウィスタリア」

「なあに?」

 ウィスタリアは暖かく彼に問いかける。

「僕があと少し大きくなるまで…ここに居てくれないかな」

 蝶ははっとした。嫌ではなかった。むしろ、嬉しいことだった。

「そうしたいところだけど…いいのかしら。私はここの部外者なのだけれど…迷惑じゃない?」

 サードニクスは、それに対する返答はとっくに考えていた。

「最近聞いたはなしだけれど、僕が大きくなったら、何かが変わる。それまで、君が見つからないように…僕が守る」

 彼の瞳は初めて、強さというもの映し出したようだ。

「頼もしいわね。じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうわ」

 ウィスタリアは、ふわりふわりと少年の周りを飛び回り、その翅をぱたぱたと愛らしくはばたかせた。明るく輝く鱗粉を振りまいて、体全体で喜びを表しているようだった。サードニクスも、その姿を見てにっこりとほほ笑んだ。

「いつか必ず、外の世界に行こう」

この日から、ウィスタリアはサードニクスの部屋に住む事になった。

「騒がしいぞ。サードニクス」

 サードニクスは、動じなかった。

「本の音読をしていただけだよ」

 世話係への必要最低限の愛想を表情として立てかけて、さらりと答えた。

「そうか」

 世話係の魔法使いは、扉を乱暴に閉めて、部屋を後にした。


 部屋にいるウィスタリアをかくまう方法は、彼の衣の切れ端を被ることであった。『宵闇の衣』という彼の装束は、気配を絶つ効果があった。術者であるサードニクスがこの部屋を離れていても、ここを訪れる程度の魔法使いの力は簡単に誤魔化せた。さらに、ウィスタリア自身もそれに近しい魔法を用いることができたのだ。思いのほか、身を隠して生活すること自体は容易であった。


ある日、彼が生まれた時のように、彼は城の広間に呼ばれた。ソルフォードの首領である男は、彼に向かって言った。

「お前は強くなり、ソルフォードの一人前の魔法使いに近づいてきたようだな」

「ありがとうございます」

無表情で返事をした。

「お前が大きくなったときの話をしよう」

「はい」

「ソルフォードの繁栄とは、この世全ての魔法に関わる財を集め、この地に捧げる事だ。それは分かっているな」

「はい」

 淡々と、それでいて明確に返事をした。

「以前にも少し話しただろうが、お前がもう少し成長したその暁には、お前を外の世界へ連れ出す」

「…!」

 揺れ動きそうになった感情を押し殺し、同様の反応を続ける。

「そこで、私達ソルフォードの幸せのために、働いてもらうぞ」

「はい!」

彼の眼は今までに無いほどの輝きを見せた。サードニクスは部屋へ戻った。本当は「スキップ」というものをしてみたかったが、流石にそれが許される場所でもなかった。いつもの無感情な足取りで長い廊下を歩いて行った。

「あいつ、すごく喜んでいたな」

「最近は少し反抗的なところも見られたが、あの様子ならよく働いてくれるだろう」

 取り巻きの魔法使いたちは口々に言った。彼は、そんな事など気にも留めなくなっていた。

彼はただ、外の世界に出られる。それだけのことで喜んでいたのだ。そこに出られるなら、今までのように虐げられることなんてなんでもない。それに、彼にはウィスタリアがいる。毎日、満身創痍で部屋に戻った。ウィスタリアは心配した。けれど、サードニクスは「大丈夫」と答えることしかしなかった。ウィスタリアは彼の言葉を信じるようにした。けれど、心配の気持ちを拭い去ったことは結局一度もなかった。しかし、サードニクスにとっては、ウィスタリアと言葉を交わし、触れ合えば、その苦痛は取り去られたのだ。


――「外の世界」へ一歩を踏み出す日だ。

 相変わらず、空は灰色しか見せてくれなかった。そして、雪は止むことがなかった。しんしんと、ヘルムシュタットに降り立っては、溶けて消えてゆく。


サードニクスは、成長した。といっても、まだまだ青年とは言えない。まして、成人した女性の一般的な身長にすら少し届かない程度の背丈であった。顔つきも、幾分大人びたものの、幼さを隠し切れないようであった。けれど、その瞳の艶めきは、ウィスタリアと出会い、決意したあの日から、より洗練されていた。鋭さを増しつつも、屈託のない輝きを抱いていた。

城の大広間で、出陣の式典が行われた。これほど多くの者が集まっているのは初めて見た。ソルフォードの統治者は純白のマントを手に取り、サードニクスに与えた。彼は、神体の証であるその布を身に纏った。白く靡くその衣を纏う、黒ずくめの彼の姿は、周りの者の心を一瞬で奪い去った。人々から賞賛の声が上がる。サードニクスはウィスタリアをこっそりと、その中へ隠した。

「行くぞ!」

 威勢よく声を放ったのは、あの男はサードニクスに戦闘の仕方を指導した魔法使いだ。彼が指揮をして、外の世界へ向かうようだ。その地で行うことは、魔法の財を集めてここへ持ち帰ることらしい。あの日聞いたことから何も変わっていなかった。彼に強いられてきた苛烈な戦闘訓練は、立ちはだかる凶悪な魔法使い・魔物を討伐する、さらに魔物の場合は生け捕りにして、新たな道具の材料とするためだったという。それだからと言ってあの仕打ちに納得したわけではなかった。ただ、数百人の魔法使いたちが、サードニクスとともに外の世界へ発った。

 外の世界へ移動する者たちは、ヘルムシュタットの都市の端へ移動した。城下町を通り抜けるその途中で、住民たちが歓声を上げた。皆嬉しそうな顔をしていた。色とりどりの紙切れや花びらが、ソルフォードの魔法使いたちに降り注いだ。目的地にたどり着いた。ヘルムシュタットでありながら、少し違う空気が流れる場所であった。森を切り開いて、その中心に台座が作られていた。荘厳な造りであった。次元の違う場所への移動であるから、その境目に近い場所で転移の魔法を扱うことが適切であるようだ。出陣は行わない、空間転移を専門とするらしい魔法使いたちが陣を描き、それが怪しく光り輝いた。その光の中に飛び込むと、外の世界へ移動できる。サードニクスは、前の者たちに続いてその光の中へ入った。


 ――一瞬のことだった。

魂を抜き取られるようで、感覚を奪われ、何も思考できなかった。けれど、嫌な感覚ではなかった。


 眩しい。眩しい…とは何だろう。城にいたとき、天井から釣り下がった明かりでもない。遠くから眺めた街灯でもない。ウィスタリアとも違うが、前者に比べれば、ウィスタリアのそれに近い。

「ここは…」

サードニクスは、ゆっくりと目を開いた。彼と、彼とともに来た集団は、青々とした草原の上に立っていた。そよ風が彼の頬に触れて通り過ぎた。彼は、真っ先に上に目をやって、驚いた。澄み切った青い空間が広がっていた。これが空だと認識するのに少しの時間を要した。そして、この眩しさの正体は、空に浮かぶあの眩しい物体が放つ光だった。とても直視することのできるものではなかった。けれど、初めて目にする不可思議な物体に、興味を抑えられなかった。あれは一体近くにあるのか、遠くにあるのか、気になって仕方がなかった。

「すごい…こんな世界が…あるなんて…」

少年は、感動に浸りきっていた。紅と紫の瞳はあまりの嬉しさに潤んで歪んだ。

「あら、ヘルムシュタットはいつも曇り空で雪が降っていたものね。太陽を見るのは初めて?」

「太陽…?あれは太陽って言うんだ!」

 ヘルムシュタットでは、決して見ることのできなかったものを早々に見ることができた。教わることもなかった。外の世界のほんの一片を見るだけで、これほどの気持ちに覆われるとは、もっと別の場所に行ってみたら、どれほどの感動を得られるのだろう。僕は、今とは違う存在になれるのだろうか、と考えを巡らせた。

 彼は、下のほうにも目をやった。眼下に建物がいくつも見える。集落のようだ。とてものどかな場所に見えた。魔法使いたちが外を出歩いているのが見えた。大人も、子供もいる。桃色の髪をした者たちが数多くいた。きっと、一族で暮らしているのだろう。皆、明るく笑っていた。魔物の姿も見えた。彼が出会ってきた凶悪なものではなかった。人の膝丈ぐらいの大きさで、四足歩行で、毛むくじゃらで、長い鼻をしていた。尻尾を振って、魔法使いの子供たちと戯れていた。

「幸せ」という言葉は幾度と聞いてきたものであったが、それが何であるのか、彼には分からなかった。心が満ち足りていること、とは言うけれど、満ち足りるための条件が、人物によって異なりすぎている。少なくとも、自分自身のそれすらも、まだ見つけられていない。けれど、「幸せ」というものの一つの答えが、今自分が目にする光景なのではないか、と彼は感じた。


清々しく穏やかな思索に耽る時間は、刹那だった。

「構えろ!撃て!」

 耳障りな声だった。けれど、今から行う行為に対して、本気であることだけはよく伝わってきた。

魔法使いたちに向かって、同行者たちは銃弾を打ち込んだ。一つが当たった。子供の一人が倒れ伏した。周りにいた者たちが駆け寄るが、手遅れだったようだ。

 次々に銃声が響き渡る。次々に人々は倒れる。頭を打ちぬかれた者はすぐに動かなくなったようだ。しかし、他の箇所に銃弾を撃ち込まれた者は、痛みに悶え苦しんでいるようだった。その傷からは赤い血が流れだし、地面を染め上げていた。

 数人の命が絶たれ、パニックを引き起こした後、ソルフォードの魔法使いたちは丘の下の集落へ侵入を始めた。その最中、手に持った爆弾を建物へ投げ入れる者もいた。建物は簡単に爆発した。爆風で建物を構成していた素材は凶器となり、村人たちを襲った。赤い炎は集落の家財を糧に燃え上がり、当たり一帯を煙で覆いつくした。太陽は見えなくなった。煤で光が遮られ、その集落を包む空気は暗転した。

 サードニクスは、今目の前で繰り広げられる事象を、理解できなかった。何のために、どうして、こんなことを、頭の中でその言葉が意味もなくループした。

「サードニクス、さっさとしろ!」

「…」

 不思議と、煩いと思わなかった。

「何すんのかわかんねぇのか?今までの練習の成果をここで出すんだよ。手早く殺してこの村の財を回収するぞ!とっとと降りろ!」

 当たり前のことのように、その男は言った。そして、サードニクスの背中を思い切り叩き、集落のほうへ落とした。

彼は、ソルフォードにとっての「外の世界へ出る」という意義を、全く理解していなかった。

彼を擁する魔法使い集団、ソルフォードは、この世のありとあらゆる財を手にし、その力を享受することが存在意義であった。魔法の世界を先導し、発達させていく第一の組織であると言う。それは何一つ嘘を述べてはいなかった。けれど、全てを表しているわけでもなかった。

その手段を達成するために、他の存在など目にもかけなかったのだ。それを、彼は知らなかった。

違う。誰よりも分かっていたはずなのに。自分も同様のことをされたのに、心のどこかで、彼らに依存する気持ちがあったのか。自分を外に連れ出してくれるという言葉に、甘んじてしまったのか。自分を擁する彼らしか、自分という存在を表す指標にしかなりえなかったのだ。

「ママっ!ママぁ!」

 子供が母親に縋りつく。母親は体の所々を失っていた。しかし、我が子を守ろうと意識を保っていたようだ。

「こ、殺さないでくださ」

 口の中に銃口を押し込まれ、引き金が瞬時に引かれる。頭が吹き飛んだ。子は泣き叫ぶ。

「ママああああああ」

 子も後を追わされた。魔法使いは笑いながらその様子を眺めていた。

「いや…やめて…!」

 杖を用いて魔法を放つ者は、無抵抗な住民の身体を無理やり捻じ曲げた。

「もうだめだ…この世の終わりだ…」

 逃げるのを諦め、祈りを捧げるものもいた。どんな者も例外なく、引き裂かれるか、撃ち抜かれて死んでいった。

「た…たすけてくださ…」

 老人が助けを求める。

「こんなこと…やめろっ!」

 惨たらしい光景に耐えきれなくなったサードニクスは気を保てなくなった。何も考えず、老人の前に飛び出した。けれど、力が及ぶはずがなかった。自分を、訓練と称した行為の中で瀕死に追いやった者たちの一人だった。

「何やってるんだお前。邪魔だ」

 サードニクスの鳩尾めがけて、膝を入れた。殺すのと変わらないほどの力だった。彼は突き飛ばされ、崩れた建物の壁にたたきつけられた。内臓が歪められたようだ。行き場をなくした血液が口から塊となって吐き出された。

その魔法使いはサードニクスから目を背けた。そして、先ほどの老人の胴体に刃物を突き立て、瞬く間にその老人は原型をとどめなくなった。

見たくないものを、また、見た。彼は、自身の痛みとは別の、吐き気を催した。そして、地面に倒れ伏した。

「外の世界で…こんなことを…していたのか…僕を育てたソルフォードは。あの場所から出られたなら、どんな命令も苦しくない…そう…思っていたのに…」

 彼は、その惨状に身動きが取れなくなっていた。自分が受けてきた苦痛など、これに比べれば取るに足りない。存在しないのも同然だった。自分の傷なんてどうでもいい。あのような明るく美しい光景を見せてくれた、無辜の者たちが、なぜこのような目に合わねばならないのか。ただただ、絶望することしかできなかった。

言うまでもなく、ウィスタリアもその惨状に、言葉にすることのできない怒りを覚えていた。そして、その蝶は彼のマントから飛び出した。姿を隠す魔法を解いた。

「サードニクス…」

ウィスタリアは、サードニクスの心配をした。けれど、もうそれどころではなかった。そんな余裕もなく村人たちは殺害されてゆく。サードニクスの戦闘の指導を行っていたという男の前に飛び出した。そして、新たに殺されんとする村人の前に現れた。

「おい、なんだそれは」

 男はそんな蝶に目をかけることもなかった。サードニクスが今、言うことを聞かないことに加え、これを隠していたことに苛立ちを覚えた。

「ねえ…あなたたち。やめなさいよ、こんな事」

 ウィスタリアの声は、今までに見せたことのない感情をむき出しにしていた。

「何ごちゃごちゃ言ってんだこの虫。殺すぞ」

「物を奪うことも絶対にあってはいけない。けど、命を奪うことはそれ以上にしてはならないのよ」

「どけ、クソムシが」

 銃口をウィスタリアに向け、無作為に放った。翅が撃ち抜かれた。穴を開けられた。修復を試みるが、痛みにふらついた。けれど、後ろにいた村人を守った。

「逃げ…て…」

 村人は怯えながら逃げた。

 こんな小さな、人型でない魔法使いに自分の魔法を防がれたことに、その男は激昂した。そして、手に持った自分の銃を投げ捨て、ウィスタリアに掴みかかった。

「うぜぇんだよ!死ね!」

 渾身の力で弱った蝶を握り潰した。痛みでは済まなかった。声も出せなかった。しかし、ウィスタリアは死ななかった。けれど、息も絶え絶えであった。そのまま力なく、ひらひら、ぽとん、と地面に落ちた。貫かれ、砕けた翅がふるふると、弱々しく震えていた。

 男は、その姿を嘲笑した。

「はははは、おもしれぇ」

 足を振り上げ、全体重を乗せてウィスタリアを踏みつけた。何度も何度も、数えるのが追い付かない程だった。

「結構生き残るもんなんだなァ」

 男は幾度か、足を離してその蝶を観察した。飛び上がろうと、蝶がもがく様子を見つめた。飛び立つことに成功しそうになれば、再び踏みつけた。しかし、いい加減に飽きたらしい。踏みつけたのち、足を捻り回し、その翅が形をとどめなくなるように、念入りに粉々にした。

サードニクスは、身動きが取れなかった。その光景を力なく見つめていた。その目から光は失われていた。

ウィスタリアが、どこで息を絶ったのかわからなかった。

けれど、もうあの声を聞くことは二度とない。あの姿を目にすることは絶対にかなわない。あの暖かさに触れることも、金輪際できなくなってしまった。それだけは、明確に認識していた。けれど、自分には何もできないと思った。

「おい、さっきの虫。お前のおもちゃか?」

 何事もなかったかのように、笑いながら男は言う。

「お前にはずいぶんイラつかせられたからな。戦力にならないようじゃ、お前なんかとっくにこの村の連中同様殺してるんだが。…死なせるなって言われてるからな」

サードニクスは、耳を一切傾けなかった。

「寝てんのか?一人からでいいから殺してみろよ。なあ」

男は銃口を少年の胸に押し当てた。言いつけがあると言っていたが、引き金を引きたくてたまらないようだった。

「なあ!」

銃口を押し当てる力が途端に強くなる。彼は、自分の気に入らないことがあると直ぐにこうなる癖がある。昔からよく知っている。今更気に留めることではない。頭に血が上りに上った彼は銃で少年の頭を殴りつけた。鈍い音がした。再び、彼は倒れた。衝撃で皮膚が避け、頭から血が滴り流れた。白い肌と相まって、より赤く見えた。


――暫くして、男の問いかけに、サードニクスは応えた。


「…わかった。言うことを破ってばかりで、ごめんなさい。殺せばいいんだよね」

 うなだれる体をゆっくりと起こした。男に負わされた怪我を気に掛ける様子もなかった。彼は、手に銃を取った。銃は構造が難しいから、こうやって作り上げるのに何度も失敗した。その度、ついさっきされたように、銃口で殴りつけられた気がする。いや、普通に銃弾を撃ち込まれていただろうか。余計な考えだった。銃はどのように使うんだったか、思い出したいだけだった。

「そうだよ、簡単なことだ」

 男はふっと表情を変え、笑った。漸く事が自分の思い通りに運んだ。それでも尚、手間かけさせやがって、と少年への文句を垂れ流していた。

「一人」

 銃声が鳴り響いた。淀んだ空気を切り裂いた。

「…?」

 男は何が起こったのか理解できなかった。あたりを見回す。死体が散らばり、仲間たちが自分のほうを見つめている姿しかない。男はの身体に何かついているのかと思った。

 銃弾が撃ち込まれていた。急所を数発、明らかに殺す気はないような箇所であった。男はそれを認識した途端、膝から崩れ落ちた。そして痛みに悶え転げた。

「サードニクス、なにふざけてんだ」

「ふざけたつもりなんて無いよ。『言うことを破ってばかりで、ごめんなさい』。その言葉の通りに動いただけじゃないか」

「お前…ッ!裏切ったな!」

その魔法使いの男は他の仲間を一気に呼び寄せた。そして一斉に武器を構えさせた。また、自分の傷をすぐさま治すように命令した。数人が男を取り囲み、治癒の施術を行った。他の者たちは、サードニクスを取り囲んだ。

「サードニクス…お前のような、人様の言うことを聞けないバカには、仕置きが必要だなァ!」

 数十人もの魔法使いたちが、一斉に彼に飛び掛かった。剣を振りかざす者、鉈で襲い掛かる者、刃物を投げつける者、銃の引き金を引く者、ありとあらゆる手段で彼を負傷させようと試みた。魔法を用いる者は、杖を振りかざし、彼の足元から出現させた、黒い影のようなもので彼を縛り付けた。身動きの取れない少年を、大人数十人がかりで攻撃するのだ。きっと、ひとたまりもないだろう。

 それは全く反対の結果に終わった。

 彼は自分を縛り付ける影をいとも簡単に解いた。力の弱い点を探り当て、そこに軽く力を入れてやっただけのことだ。

 剣を彼の身体に突き刺したと思いきや、気が付けば少年が持っていた赤い光を纏う黒い剣で、自分の腕が切り落とされていた。ごとん、と落ちた音を聞く隙もなく首を切り落とされた。首が落ちる前に胴体も真っ二つになっていたようだった。

 銃弾が彼の頭を貫く須臾、彼は自身の銃でそれを跳ね返して叩き落していたようだ。数を打てば当たると、仲間に少しばかり当たってもよいと、射手の魔法使いは乱射した。たった一発、彼の頬をかすったようだ。しかし他は、見事に彼の思った通り、仲間の魔法使いの身体に撃ち込まれていた。そのミスを反省する間もなく、その者はいつの間にか頭部に銃弾が撃ち込まれたようで、意識が途絶えた。

 刃物によって、生意気なその少年を一思いに切り裂いてやろうと思った者たちは、そのままそっくりそれを返されてしまった。まさか自分の、仲間の身体の中身をこんな形で見ることになるなんて、絶望という名の、ある種の感動を与えられた後に、目の前が真っ暗になっていった。

 遠くから、杖によって魔法を放ち彼を害そうとした者たちは、その惨状に怖気づいたのか、壁を作ったり、気配を隠したり、しまいには逃げ出そうとする者も現れた。

 暁の如く燃える紅い眼差しは、それを捕らえて逃すはずがなかった。

 魔法使いたちに向かって、銃を数発撃ち込んだ。防御の姿勢をとる者には、先ほどの束縛を解いたのと同様の手段で、その守りを破ってやったのだ。そのまま魔法を使う隙を与えることなく、彼らの急所へ銃弾を次々に撃ち込む。そして杖を封じるべく力の源となる箇所を破壊した。倒れ込む魔法使いたちのもとへ駆け、彼らの命乞いに、基本的には一切耳を傾けることなく、一人ずつ、銃弾を全身に埋め込んでいった。もう体の後も分からないほどの数、撃ち込まれたようだった。多くの魔法使いがいたが、それは一瞬のことだった。作業のようにそれを実行した。少しだけ、気まぐれで命乞いの言葉を聞いてみることもあったが、至極どうでもよい内容だった。聞いたこと後悔して、今度は剣で四肢を、切り離し、最後には一思いにお胴体を突き刺し、抉って、最大限の痛みを与えた。魔法使いたちは、何も話さなくなった。

 あの男は、治癒を受けたにもかかわらず、立っていられないようだった。何とも間抜けな姿だ。サードニクスは、昔からそのようなことは感じ取っていたが、今回は立場が違う。最早この場に残るソルフォードの魔法使いは、彼ら二人だけであった。残りは集落の者たちと同様の姿になってしまっていた。

 男は、ゆっくりと自分に向かって歩いてくる、まだ幼いはずの少年に恐れをなした。これは、現在のソルフォードの統率者、いや、それよりも恐ろしい、もっと別の存在の気配を感じ取った。しかしその男の身分では、生きている間にその正体を知ることはできなかった。

 彼の瞳は、紅と紫だったはずだ。けれど、今は違う。左右共に紅だったのだ。まるで、この地に放たれた炎を映し出しているかのようだった。業火のようでもあった。彼は、こんな鋭く差すような瞳をしていただろうか。こんなもの、見たことがない。赤い目の魔法使い自体は珍しくない。けれど、こんな、目の前のものを滅ぼしてやろうと、最大限の殺意を持って相手を穿つ眼光を備えたものが、この世にいるとは思わなかった。

 男は、後ずさる。体の震えが止まらない。少年はゆっくりと近づいてくる。男がやめてほしい、と目をつむったその時、彼は歩みを止めた。黒い剣は持っておらず、銃だけをその手に携えていた。なんだ、と男は気が抜けた。もしかして、話が通じる状態なのかもしれないと安易に考えた。けれど、その通りだった。サードニクスは、男に語りかけた。落ち着いた声だった。

「…お礼を言いたいんだ」

 サードニクスは、男に感謝した。心からの感謝だった。

「ど、どういうことだ」

 男は戸惑った。銃剣、だった。

 男の胴体に、それが突き刺された。男が痛みを感じる時間を取ってから、銃口が体の深くに達していることを確認してから、引き金をゆっくりと引いた。


「僕に、殺し方を教えてくれて、ありがとう」


男の体は飛び散った。

少年の白い肌は、いろいろなもので汚れ切っていた。洗っても、二度と落ちることのない穢れに染まったかのようであった。


サードニクスは、周囲を見回した。確か、生き残った住民はわずかにいたはずだ。彼らを探し、安全な場所へ連れて行こう。そう考えた。

逃げ延びた住民はすぐに見つかった。近くの瓦礫の影に埋もれていたようだ。桃色の髪をした、彼と同じくらいの年の少女だった。その少女に近づき、彼はそっと手を差し出した。もう大丈夫だ、あの連中は全員死んだ、安心していいよ、という思いだった。

少女は、その手を拒んだ。

ぺしっ、と彼の手を叩いた。少女は口をつぐんで顔を背けていた。サードニクスの姿を、決して見ないようにしていた。けれど、はっきりと、彼に向かって、言い放った。

「来ないで」

 思いもよらぬ言葉だった。刺すように冷たかった。おかしい、彼女にとって、この村を襲撃し、家族を虐殺したものを返り討ちにした自分の存在は、救いをもたらす者ではなかったのか。

「…こわ…かったの、あなた」

 彼女は見てわかるほどに、震えていた。そして、彼女は恐る恐る立ち上がり、彼から離れた。距離を取ったのを何度も振り返って確認しながら、炎の及んでいない森のほうへ駆けて行った。他の住民も、彼女と同様の行動をとった。散り散りになり、彼の前から姿を消した。

 燃え上がる赤い炎と、瓦礫と亡骸の山を背に、少年は独りになった。

 彼は、どうして自分が拒絶されたのかを考えていた。自分が彼らの立場であったら、自分は、どうしただろうか。素直に、「助けてくれて、ありがとう」とでも言ったのだろうか。差し出された手を取り、それに縋ったのだろうか。

 おそらく、そんなことはできない。

貰ったばかりの白いマントを翻し、その全体を見回した。誰のものか分からない血痕にまみれていた。自分の手を見た。黒い手袋をしているから、その跡ははっきりとは分からない。けれど、べっとりとした感触がこびりつく。匂いもした。手袋と袖の間の僅かに覗かせた素肌にまで及んでいた。彼女たちが目にした彼の姿は、窮地に救いの手を差し伸べる者ではなかったのだろう。


――死をもたらす者でしかなかったのだ。


知ってる。知っている。知っていた。あの時、あの場所で、彼らが僕に教えてくれたことだ。何の当てつけでもなく、あの連中は、自分の身体を切り裂いて、殴打した。教育と称していたが、そんなものではない。心のどこかでそう思っていた。けれど、今になってようやくわかった。紛れもなくあれは、僕に教えてくれていたのだ。それをここで発揮したまでのこと。僕は、自身の役目を果たしただけのことだ。自分に対しての罪など、あるはずがない。汚れた手など、どうということはない。

逃げて行った彼らへの咎が残るだけだ。

ああ、理解したよ。僕はこの場所に生まれてしまったから、そういう存在なのだろう。先ほどの住民たちの認識は、なに一つ間違っていない。彼らのとった行動は、最も正しいものだ。

ソルフォードとは、なんて愚かな集団だろう。知られたくないことを隠して僕を育てたようだけれど、それと引き換えに、必要なものとして教えたことが、自らの身を滅ぼすことになるなんて、誰が想像したのだろうか。

幸せの形は、先ほどのこの村の様子が、まさにその一つなのではないかと、僕は考えていた。誰だってそうありたいと断言できるわけではないけれど、僕はあの姿に憧れた。幸せとは、心が満たされていることを指すのであって、僕はおそらく、この村のようになれたなら、心が満たされるのだろう。きっとそれは、あの蝶、ウィスタリアが側にいてくれた時のような、そんな気持ちになれるのだろう。自分を取り囲む人、物、環境がそうさせてくれるのだと思う。

でも、そんなことを願うのは、もうやめた。僕という存在は、そうあることを許されないものだと思う。だから、新しい願いを考えた。何者でもない、僕だけの望みだ。きっと、それを成しえるのは僕だけだろう。

ソルフォードを抹消する。

僕の心が満たされるのは、きっとその事実だけだ。その他の手段によって満たされることなど、あってはならない。もうこの世には存在しないと思い込むしかない。あったとしても、それとは距離を置くべきだ。僕のような存在が、触れてはならないものだ。先ほどの住人の二の舞になるようなことは、あってはならない。ウィスタリアのような存在を、生み出してはいけない。


サードニクスは、思いを巡らせながら佇んでいた。長い時間だったが、そのそれは終わった。邪魔をするものはもう、誰もいなかった。

「さて…と、これからどうしようか」

 少年は紅と紫の瞳をぱちくりさせた。刺すような紅い瞳はそこにはなかった。けれど、彼は一貫して正気であった。自分が何をしたのか、鮮明に覚えている。けれど、今はそうである意味もない。

「一人になって、寂しくなったなぁ」

 心からの言葉だった。少年は、困ったように微笑みを浮かべた。その顔を目にするものはいない。

 少年は、この地を後にした。時間が経てば、この炎は収まる様子だった。彼がこの地にできることはもう、何もなかった。


 ヘルムシュタットにて、陣の周りで魔法使いたちを送り出した者たちは、異変に気付いた。誰一人として帰ってこなかったのだ。あのような村を壊滅に追いやるなど、日常茶飯事に等しい。それに、ソルフォードの魔法使いであっても、何人いなくなろうと構うことはない。増やして補充すればよいだけのことだった。しかし、サードニクスもいなかった。彼の替えはいない。彼を失うことだけは、絶対にあってはならなかった。

「何だ、誰一人帰ってこない…だと?バカな!」

 大勢の魔法使いたちの間に、どよめきが起こる。

「我らソルフォードの魔法使いたちが殲滅させられた可能性があるというのか。外の世界に我々を超えるものなど存在しないはずなのに」

首領の男すらも驚いた。動揺を隠し切れないようだった。

「うふふ、何者かの…例えば、裏切り者の、仕業ではなくて」

 一人の女の魔法使いが言った。

「チッ、その痕跡の魔力を調べろ」

 首領は命令した。一刻も早く、という様子だった。苛立ちが隠し切れない様子だった。

「はっ」

 調査を主とする魔法使いたちをその地に送った。そして、間もなく通達が来た。使いの者の声は憔悴していた。

「サードニクスが…やったようです」

ソルフォードの魔法使いたちは、沈黙に包まれた。

「あら、目的は達成されたのではなくて?今までの教育でかなうことのなかった、彼の紅い魔力を覚醒させたならば、どんな形であっても成功だって、どなたが言っていたのを聞いたのだけれど」

 先ほど発言した、女の魔法使いは高らかな声で言う。再び、魔法使いたちは騒然とする。そんなこと、聞いたことがないという声が上がった。しかし、首領は知っていたようだ。ただ、苦い表情をしていた。

「それは…そうだ。だが、このような形では」

「ふうん、貴方には行き渡っていたのですね。けれど、もう少し先を見据える力、物事の裏を探る力を身につけたほうがいいのではなくて?」

「さっきから余計なことを…誰だ、お前は」

 女は黒い布で顔を隠していた。首領は、その布を力いっぱい引き剥がした。

 翠玉と見紛う宝石のような、豊かで艶めかしい髪がふわりと現れた。そしてその女の顔も、それに類するものだった。煌き、全てを射抜くような金色の瞳をしていた。間違いなく、どんな者をも魅了する、この世で作られたものとは思えない容貌をしていた。世界中の優れた彫刻家、画家の技術を結集させても到底及ぶことのない美しさであった。

 しかし、ここにいる者がそれに惑わされることは決してなかった。皆、畏怖の情を抱かざるをえない状態にさせられていた。

女の被っていた漆黒の布は、気配を隠す類のものであった。それはついさっきまで、首領やその取り巻きの魔法使いたちが感じていたものに近しい力を帯びていた。しかし、誰もが思った。なぜ、この女がここにいるのか。そして、この黒い布を所有しているのか。戸惑う魔法使いたちを、翠色の髪をした女は冷笑を浮かべて見下す。

「ええ、ええ、知っていますわよね?私の事。全く、美しすぎて目立ってしまうのも困りものですわ」

 髪を腕にかけ、わざと困ったように、それでいて艶めかしい笑みを、女は浮かべた。

「うふふ、私、貴方たちのことを嫌っていますから、ヒントを与えてその上この姿まで現してあげたこと、幸運に思ってくださらないと駄目よ?」

「意味の分からないことばかり言うな、エメリィ・ブランデッド。お前はもうソルフォードとは関係ないはずだ」

「あら、まあ…無いと言えば無いのですけれどねぇ。けれど、切っても切り離せない関係にもあるのですから。昔のソルフォードにとってはね。私、昔の、とっても昔のソルフォードは、これでも愛していましたのに」

「昔に固執するとは、愚かな者のすることだ。早くここを離れろ。さもなくば」

 首領は片手を挙げ、周囲の魔法使いたちに命令した。この女を殺せ、と。一斉に彼らはその中心の女に銃口を向けた。しかし、その表情に覇気がない。命令をただ遂行するだけの無機質な表情すらなかった。首領の男ですら、額から汗を滴らせていた。

「あら…手荒で、それでいて無意味なことをしますのね」

「ああ、知っている。貴様は死なないんだろう。しかし無痛ではないのだろう」

「全くその通りなのですわ。痛いのには慣れっこで、貴方たちから与えられる程度のものなど、とりたててどうってことはないのですが…こんなところでお洋服を汚したくありませんもの」

 エメリィは杖を取り出した。装飾に彩られた、煌びやかな金色の杖だった。彼女は小柄だった。その彼女を超える大きさの杖だった。それを軽々と、思い切り振り上げた。魔法使いたちを、彼女の放った光が取り囲む。

「ごきげんよう、ソルフォードの皆様」

 杖を振りかざした。光に取り巻かれた台座の一帯から、金色の鎖が勢い良く、何十、いや、何百本も伸びた。そしてその先に武具が取り付けられたものもあった。運悪く身体を貫かれた魔法使いもいた。鎖同士が擦れ合う音とともに、何人かの叫び声が上がった。

 翠玉の女は、場を荒らしてその場を去った。さぞ、満足げな顔をしていただろう。首領の男も例外なく負傷した。ソルフォードの魔法使いたちは、二つの事象によって、虐げられた。そして、その二つの事象の関連を、この場にいる者の中で詳細に知る者はいなかった。首領の男ですらそうだった。

 彼は、表向きの首領でしかなかった。彼をさらに支配する者たちがいたのだ。エメリィは、その者たちとの関係を示唆していた。サードニクスの紅の魔力の覚醒は、その者たちの意図したことだった。それよりももっと、ずっと前から、生まれた時から彼を支配続けたのは、そちら側だったのだ。

 彼は、そのことに気づいていなかった。

 

 サードニクスは、これといったあてもなく、歩き続けた。兎角、この世界に関する知識を得るという目的はあった。何も知らない自分がこの地に生きるために、最低限の情報が欲しいと思っていた。あの忌まわしき存在を絶つという目的は、普段は心の内に沈めておくことにした。思い出しただけで、虫唾が走るからだ。平静を保つ。常に笑っていよう。穏やかでいよう。可能な限り、あの時のようにならないように、そっと静かに、気づかれないように、誰かに手を差し伸べよう。自身にとっても、他の者にとっても、それがよい。そう考えるようになった。

「くしゅん!」

あまりに急なものだった。生まれてこの方、病気らしい病気などしたことがなかったのに、珍しいことであった。この世界では現在、雪は降っていない。寒いわけでもない。不思議なものだった。

「誰かが…噂してるのかな」

 確か、くしゃみをするとそのようなことが起こっている、などという言葉を教えてくれた者がいる。懐かしい声を思い出す。きらきらと揺れる、暖かい光を瞼の裏に映し出した。しかし、それはもう二度と触れることができないものだった。

 忌まわしき存在は心のうちに沈めておく。しかし、懐かしく愛おしいあの光も、同様にしていた。それらに対し抱く感情は、全くの正反対であった。けれど、どちらも、彼の心を震わせてたまらないものだったからだ。思い出すと、嬉しいはずなのに、苦しかった。息が詰まりそうになったのだ。ふと、少年は、頬に冷たさを感じた。雪に似ている気がしたけれど、違っていた。

 涙だ。

 一粒の透明な雫は、白い頬を伝った。それに続いて、幾粒も、零れ落ちた。少年は、それを手に取った。黒い手袋に染みた。あまりに小さくて、その跡は見えなかった。涙の形など、見えるはずもなかった。その流した涙の意味を、彼はまだ、理解できなかった。

 涙が収まった。濡れた瞳を腕で無理やりこすり、拭い去った。そして、真っすぐに目の前を見据えた。紅と紫の瞳に、歪みはなかった。その輝きは鮮明だった。


 少年は、地面を踏みしめ、静かに歩み始めた。


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