ある晴れた日に
戦闘無しのシーンを描くのがここまで難しいとは…。
窓辺に止まった鳩の聲で直継は目を覚ました。
地下に暖房用ボイラーがあるおかげで薄暗い部屋は冷えていなかったが、直継はベットから出ることができなかった。昨夜、遅くまで外出していたからだ。
しかし、兵学校時代に叩き込まれてもはや習慣化していた定時起床は、今この時も意思に反して遺憾無く発揮され、直継に覚醒を強いていた。
のろのろとした動作でカーテンに手を伸ばす。
目を刺すような光はない。重たいまぶたを薄く開くと、冬の低い雲とスモッグにかすんだ街並みが見える。
産業革命の恩恵と弊害を同時に受けたイングラスではよくある光景だ。
第一次ヴィへレアフィヨルド沖海戦から10日ほどが過ぎた。
軍楽隊の演奏とともに艦隊が凱旋入港したその日、ヴィへレアフィヨルド沖の勝利とデュリエッタ島の陥落は新聞とラジオによって大々的に報じられた。
当然のことながら新兵器の士気高揚効果は絶大で、第4飛行戦列艦隊の英雄的遅滞戦闘とともに少々過大に書かれていた。
しかしながら、そこに第4飛行戦列艦隊の姿はなく、壊滅した艦隊の被害状況も陸軍が吹っ飛んだことへの言及も、命を顧みない英雄的美談にはなったが、勝利の前にそれらは極力伏せられていた。
むしろ不自然なほどに隠されていた。とある筋では第4飛行戦列艦隊の生き残りは夜間に入港させられたのち乗組員は一箇所に集められたと聞くし、現在かの艦隊が入渠中の船渠には目張りがされている。
唯一沿岸部の街で、プロイス王国海軍の仮装巡洋艦から発艦した航空騎が厭戦宣伝ビラを撒いて行ったという噂以外に、市民が現実を知ることは完全に規制されていた。
無論、そのビラもすぐさま回収されたと聞く。
現在、直継はイングラス帝国海軍北部の拠点、ノース・ベル軍港に滞在している。元より、ここは先の戦いで甚大な被害を負った第4飛行戦列艦隊の母港でもある。
流石は世界最大最強と誉れ高いロイヤルネイビーだけあって、規模も設備も皆一級品のものばかりだ。
窓の外を見やりながら伸びをして、首をコキリと鳴らす。
どうやら睡眠欲よりも習慣性の方が勝ったようだ。
時計など見ずともだいたいわかるのだが、一応確認する。
6時30分。少々早いが身支度を整えているうちに朝食の時間になるだろう。
きれい好き、おしゃれ好きが多いことで有名な海軍の中で、直継は珍しく「寝癖が直っていて髭が剃られていれば困らない」という身だしなみ最低限男だったのだが、ウィルフ・ボールドウィンという紳士の模範のような人間と会ってからというもの、身だしなみに気と金を使わざるを得なくなっていた。
公の場で恥をかくことは少なくなったが、全く面倒なことである。
少し文句を言いながら、しかしそれまでの自分を反省もしながら…。直継は身支度を整えて部屋を出た。
*****
食事を済ませると上官への挨拶も早々に直継は街へと出かけることにした。
公式な行動表において、一応今日は任務も書類仕事もないことになっている。
宿舎の玄関にはボーイではなく衛兵が立っている。それはこの宿が海軍士官向けの宿舎であることを示している。
直立不動で敬礼し、彼は問うた。
「失礼、外出目的とおおよその帰宿時間をお聞きしても?」
「ええ、少し散歩に。正午過ぎには戻ります。」
「護衛、もしくは護身用の武器はお持ちになられましたか?」
その問いに直継は腰のホルスターを示した。入っているのは旭海軍の制式リボルバー拳銃だ。
「確認しました。」
そうして「ご協力感謝します。」と言うと、彼はキビキビとした動きで扉を開けて、直継が出るのを見届けると再び敬礼して見送った。
宿舎を出るとそこは軍港へ続く大通りである。笠をかぶった太陽がスモッグに遮られて、鈍色の光が石畳を照らしている。
ここ数年のイングラスの天気を考えれば、これは晴れているうちに入るので絶好の散歩日和である。
軍港近くは海軍従事者で溢れている。水兵、士官、港湾労働者、そして彼等を相手にする商魂たくましい多種多様な商売人がひしめいている。
この街の経済は海軍が回しているのだ。
そんな賑やかな街中には同時に、それとは真逆の妙な緊張感も存在している。
街の辻々にライフルを吊った歩哨が立っている。先程、宿舎の玄関で護身武器の有無を問われたことといい、3ヶ月前の着任時にはなかったことだ。
これはこの国が戦時中だからだとか、軍港の街だからというわけではない。今やイングラス帝国北部の街の殆どがこうした状況にあるのだ。
*****
原因はこの国の成り立ちにある。
時は遡って国がイングラス帝国として統一される前、ここアルビオン島には4つの王国が存在していた。
彼らは互いに領土を巡って戦争を繰り返していたが、次第にイングラス王国が優勢となっていった。二つの国が相次いでイングラスに恭順を示す中、最後まで激しい抵抗を続けたのがアルビオン島の北部、カレドニアを領土としていたスコットリア王国だった。
彼等の抵抗は凄まじく、カレドニア全土が戦場になった。
文字通りの皆兵状態だったのだ。故にイングラス王国軍はどんな小さな村も余すことなく襲撃した。
1147年の帝国成立までの長きに渡る血みどろの争いはイングラスにもスコットリアにも深い傷跡と禍根を残した。
併呑はアイデンティティの危機を意味していた。
先祖代々から血に刻まれたイングラスへの恨みは決してそれを良しとしない。
憎しみにとらわれた支配者もまた旧スコットリア領民の反応に過敏であった。
初代イングラス皇帝は戦争の天才であったかもしれないが、内政に関しては全くの無能であった。
彼は反発に対し虐げることしかしなかったのだ。
集会の禁止、重税、見せしめ、地名の変更、文化の破壊。そして最後に、終戦時の条文により生命が保証されていたスコットリア王国の象徴である王族を軟禁から収監ヘと切り替えたことが、誇り高きスコットリア人の血を沸騰させた。
1162年、カレドニア戦争再発。
戦争はイングラスの戦術的勝利、戦略的敗北に終わり、人民には文化が、スコットリア王家は監視下のもとで再び生きることを許容された。
そこからイングラス帝国は拡張期に入り、隣国カルヴァーナ王国との70年に渡る戦争、北の海の蛮族との戦争、その他数々の植民地戦争と国ぐるみの総力戦である第一次大陸利権戦争が始まったことで協調論調が高まり、反発は一旦沈静化していた。
しかし、同戦争が事実上の敗北に終わり、終戦のゴタゴタの中で「(万が一)本土決戦の際はカレドニアを捨て石にする(意訳)」な機密書類が漏洩したこと、財政難による重税、冷戦期の旧スコットリア人派兵率増加(*実際は体格が良く、強かったから重宝されただけ)などの影響で、王政の復活・栄誉ある独立の機運は再び燃え上がった。
そこに第二次大陸利権戦争が発生したものだからアルビオン島北部の反政府運動は日増しに悪化。現在に至っている。
*****
さて、話を戻そう。
そんなピリピリとした街中ではのんびりと散歩などしてはいられないと、直継は足早に歩き出した。
軍港から離れれば警備の目は多少減り、落ち着いた港町の空気を感じられるはずだ。
歩く。歩く。
正面から歩いてきた知り合いの士官に敬礼をして歩く。
陽気に笑う兵士に返礼をして歩く。
ようやく故郷へ帰ることを許された兵士を送る列に黙祷して歩く。
顔見知りになった少年から新聞を買って歩く。
そうして歩いて行くと雲が切れ、光が差してきた。
久しぶりに見る透き通った光だ。
今いるのは軍港とは反対側、商港からも外れた静かな場所だ。
対岸まで数十メートルしかないような小さな入江にはこれまた小さな漁船がひしめき、桟橋では猫があくびをしているようなのどかな港町だ。
潮風に混じって人の営みの匂いがする。
祖国から遠く離れた地で、直接的ではないにしろ戦争に関わっている直継にとって、見ず知らずのこの場所も心地よいものだ。
「いい天気ですねぇ、異国の軍人さん。何か見えますかい?」
岸壁に腰掛けて記事に偏りのある新聞を読んでいると、若い漁師体の男が1人、直継の斜め後ろに立っていた。
時計を見やると午前10時40分になるところだった。
予定時間ピッタリである。
「ああ、よく晴れていて海峡の向こう側まで見通せそうなくらいだ。」
直継がそう答えると男は二カリと笑い、横に座って握手を求めた。
「情報局の相馬です。大使館でのパーティぶりですね。」
イングラスの言葉ではない。最も使い慣れた祖国の言葉だ。
身長は直継よりも少し低い位だろうか、初対面の人間でも臆せずに話せそうな笑顔をしているが、その雰囲気は鋭かった。
「お久しぶりです。今の情勢下、大使館職員がイングラス北部に出向くのは大変ではなかったですか?」
「いいえ、私の大使館での役職は事務ですし、こちらの仕事も、あくまでも情報を人から人に運んでいるだけで本職は別におりますから。」
そう言うと相馬は懐から書類の束を取り出した。
「早速、遠洋漁業の成果をお知らせします。今日は別件で本国からの伝達事項も承っております。周囲に人員を配置していますから、多少はゆっくり話せるでしょう。」
*****
「戦況は報道されているほど良くはありません。」
相馬は各戦線にいる協力者からの情報を総括して話し始めた。
海峡の向こう側についての内容はこうだ。
イングラスが新兵器を投入したことによって本土侵攻が現実味を帯び始めた大陸興商連合国の陸軍は、少しでも防衛線を外へと広げるためにカルヴァーナ国境の塹壕線に対して猛攻を仕掛けており、守勢に回っていること。
次に、西海航路同盟軍が大陸攻略にあたり必須となるプロイスの世界一の技術によって建設された対艦狙撃高射砲群 通称:シュタッヘルシュヴァイン(ヤマアラシの意)とその防御要塞群の攻略が遅々として進んでいないこと。
北方戦線における陸戦では早くも猛威を振るい始めた冬将軍によって戦線が完全に停滞してしまっていること。
そして何より、部隊の指揮権をもつ門閥貴族連中が、手柄を取り合い足の引っ張り合いをしているという近代軍隊にあるまじき状態にあると言うのだ。
「前々から腐っているとは思っていましたが、そこまでとは…。日の沈まぬ帝国も落ちたものですね。」
「ええ、まったくです。一部では『傾いていた国の経済を立て直すために、帝政への不満の矛先をすげ替えて戦争を仕掛けた』とまで言われている国です。今代の皇帝に増長した貴族を押さえるだけの権威はありますまい。」
相馬があまりにもスラスラと批判を口にするので直継は誰かに聞かれはしないかと不安になったが、そういえば人員を配置してあったのだなと胸をなで下ろした。
「それにしても、イングラスはせっかく新兵器を入手したのに内陸攻撃にはそれほど積極的に使用してきません。これも戦況膠着の一端と考えているのですが…。あの兵器について海軍の方がお詳しいかもしれませんね。」
「今回の情報には陸軍情報部の協力も多く含まれています。」と、相馬は続けた。要するに「お前らも情報を出せ」と言っているのだ。
「まあ、良いです。いずれ担当者が報告に来るのでしょう。今度はアルバトス皇国の情勢です。アルバトス軍は北方戦線に戦力を集中しています。対イングラス側唯一の大型不凍港、ヴェルゲンに駐留する空軍の西方新領域統制艦隊は減少した戦力以上の補充を得ているようです。大半は南方艦隊からの引き抜きでしょう。オストラント=ハンザベルク二重帝国に南方戦線の大部分を委譲したようです。老朽艦が大半を占める南方艦隊ですが、数はいます。もっとも、デュリエッタという防波堤を失った時点でイングラスの優位は揺らぎませんが。」
それほどまでにデュリエッタ島というのは面倒くさい位置にあったのだ。
周辺の制海権、制空権の情勢を一気に変えてしまうほどに。
加えて、イングラスには新兵器:飛空戦艦がある。空の戦いは陸の要塞攻略とはわけが違う。いかんともしがたい性能差がある現状、単純に考えれば、攻勢をかけるイングラスが後のないアルバトスに負けることはまずない。
唯一救いがあるとすれば、アルバトスの皇帝が類稀な賢帝であったことである。
先の海戦で敗れたゲンリフ・ミハイロヴィチ・ドロフスキフ中将の艦隊司令官続投が決定したのだ。
当初、アルバトス空軍上層部と海軍作戦部は敗戦の責任によってドロフスキフを解任、然るべき処分を行う方針を示していたが、皇帝アレクサンドル4世の鶴の一声がそれを覆した。
これだけ聞くと職権の乱用や贔屓、横暴と思うかもしれないが、今回に限って言えばこの判断は妥当であると言える。
軍隊において責任の追及による規律の維持は最重要事項の一つであるが、ほとんど限られた情報しかない敵の対応に経験者を当てること、そして敗戦から学んだことを活かすこともまた重要である。
そして、破れたとはいえドロフスキフ中将は前大戦から戦い抜いて来た歴戦の名将だ。現段階で彼以上の適任は存在しない。
勝ち目は薄く、かつ敗戦時の被害も大きいが、やるからにはどんな些細な条件でも万全を期すべきだろう。
「共通報告事項は以上です。
それと今回はこちらも。」
相馬は報告をまとめた書類と一緒に封筒を差し出した。封筒は海軍のもので、大使館で押したであろう封蝋には旭の国章が押されている。
「海軍省からの電報です。おそらく召還命令でしょう。」
直継は受け取るなりその場で封を切った。
本来、任期終了時期は定められており、変更があっても帰国数ヶ月前には通知が来るものだが、今回は「至急帰国セヨ」との文面と運賃が高いことで有名な高速旅客飛行船の搭乗券が手配されている旨が記載してあった。
「これはどうも。文面を読む限りどうやら情報を欲しているのは海軍も同じらしい。」
「大使館の方の手続きはこちらで進めさせていただきます。御国の為、お勤めを全うしてください。それではまたいずれどこかで。」
「はい、相馬さんもお体に気をつけて。」
直継と相馬は握手を交わしそに場を後にした。
天気は晴れ、でも話している内容は曇天を通り越して真っ黒な雷雲。
次回も政治系、策謀系の話になる予定




