長いプロローグ
大空を征く軍艦はロマンだよね!
200年前、気球は初めて神話以外の方法で人類を大空へと連れて行った。人は遂に「神々の領域」へと足を踏み入れたのだ。
しかし、たとえ人類が神々の領域にたどり着こうとも、そのことによって安寧がもたらされることはなかった。
空に登れたとしても人は神になったわけではない。神々ですら止めることのできなかった闘争というものを、人ごときが止めることができるだろうか?
神聖にして不可侵だった空が戦場と化すのにはそう時間はかからなかった。
鉄器然り、火薬然り。
最新技術というものはどこの世界、いつの時代も軍事利用されることは最早常識である。
気球の登場は戦争を変えた。
二次元だった戦場は三次元になり、地平線の向こう側も見通せるようになった。
風任せだった動力は試行錯誤を繰り返し、牽引ロープから巨大な団扇、オールから人力式外輪へと変わり、投石や放火が始まった。
当然のことながら、これら対地攻撃気球へのカウンターもすぐさま考案され、弓弩兵気球や銃兵気球が誕生。遂に戦争は空対空の戦いへと進出した。
こうなると、気球部隊という兵科は最も損耗率の高い兵科となった。
盾を載せようが、ゴム樹脂を気嚢に染み込こませようが、銃弾は軽々と気嚢を貫通して乗員の命を奪い続けた。ましてや、頭上にあるのは高価なヘリウムではなく高可燃性の水素だ。小休止に吸うタバコすら致命傷になりかねない。(勿論禁止されてはいたが…。)
各国で度々、気球装甲化計画の話が上がっていたが、水素の飛行可能重量には限界があり、効果的な装甲を施せるとはお世辞にも言えなかった。蒸気機関推進器を導入する計画も同様の理由で却下されている。
そんな技術的に停滞している中、常識を根本からぶち壊す物質が発見される。
超軽量特殊ガス「ルディエール」だ。
とある辺境の片田舎で発見されたこの気体は水素よりはるかに軽く、鉄すらも浮かせる浮揚力を発揮した。
読者の方ならお分りいただけたと思うが、この物質の価値が跳ね上がったのは言うまでもない。
世界各国でガス井の発見と採掘が盛んに試みられ、早くも開発競争が始まろうとしていた。
だが、このルディエール、夢の新物質であっても完全無欠の万能物質であるわけではない。
物質が温度や圧力によってその形態が変わることはご存じだろうか?簡単にいうと状態変化のことである。
通常、一部の例外を除いて物質は気体⇔液体⇔固体の順に状態が変化する。その時に体積あたりの質量も変化するのだが、それらは一定であり、化学法則下において式で表すことが可能だ。
だが、ルディエールはその法則から逸脱している。
気体状態においては浮揚力を発揮するが、液体ではごくわずか、固体では浮揚力を全く発しない。則ちこれこそがルディエールをルディエールたらしめる性質なわけだが、はて、常温下において大気より軽い液体などかつて存在しただろうか?科学者のノートに書き殴られた計算式の上では液体は大気よりも重くなる筈だったのだが…。
ここに計算上の齟齬が生じたのだ。液化ルディエールが重すぎる。何度計算しても体積と質量の釣り合いが取れず、のちに専用の係数を当てるに至った。これが扱いにくさとして一点。
固体は強い昇華性を持ち、固形物として安定させるには他の鉱物との結合が必要である。
したがって自然界に存在する固形ルディエールは殆どがこの形態をとっている。この状態を工業用語で「ルディエール鉱石」と呼ぶが、この鉱石、精製に凄まじく手間がかかるのである。
粉砕、水溶、加熱、結晶化を繰り返しながら分留して純粋な液化ルディエールを取り出さなければ工業使用することができないというのだ。
星の極に近い場所で採掘されるルディエールはほとんどがコレなので、圧倒的な労力とコストがかかる。これが二点目。
一応、固体にも例外は存在する。自然界のごく限られた条件下で生成される高純度結晶別名:飛翔結晶体 は気体よりも遙かに強力で、無尽蔵とも思える浮揚力を発揮する。
ただし、絶対数が少ないことに加えて、固体特有の強力な昇華性は健在であり、その保存の難しさから国有研究機関でしかお目にかかれないような代物だ。これでは実用性に乏しい。
とどめに、有能と思われていた気体ですら温度や圧力に非常に影響されるため、取り扱いは困難を極める。
それでも、研究者たちはこの未知の気体に大いなる興味と期待を抱いていた。どんなに厄介なものでも各国は経済の許す限り国費を注ぎ込んで研究を続けた。
ルディエールの発見と研究が人類にとって幸福であったかどうかを一概に判断するのは難しい。
ただ、はっきりと言えるのはルディエールが戦争のあり方を根本から変えてしまったということだ。
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統一暦1470年代、大陸列強は二つの勢力に分かれていた。
一つは西海に浮かぶ島国、海洋国家〈イングラス帝国〉と陸軍国家〈カルヴァーナ王国〉を要する〔西海航路同盟〕。
もう一つは大陸北辺に広大な領土をもつ〈神聖アルバトス皇国〉と技術大国〈プロイス王国〉を主軸とする〔大陸興商連合〕である。
1455年~70年は常に危機感と隣り合わせだった。
日照不足による小麦の不作から始まった飢餓と貧困は市場経済が確立しつつあった西海世界に甚大な被害をもたらした。
物がない、金がないでは経済が回るわけもなく、築き上げてきた産業はたちまち廃れ、街には失業者が溢れた。列強国は植民地からの過度な搾取によってこの危機を乗り切ろうとしたが、反乱を誘発させるだけだった。
そこで各国政府は外部から富を獲得するのではなく、自らの力のみで経済を回す方向へと転換した。貿易は自らの勢力圏内にみにとどめて富の流失を防ぎ、公共事業や官営工場を拡充してひたすら内需を拡大したのだ。ブロック経済の完成である。
このときに力を注いだ分野が、軍需産業とルディエール採掘/研究であり、その急先鋒がイングラス帝国であった。
列強国の経済が回復していく一方、中小国はもがき苦しんでいた。経済の回復は遅々として進まず、列強の軍事力に怯えながら民衆の暴発を防ぐのは、とてつもなく骨が折れることだと想像に難くない。
貧しさと圧倒的な力の前に民衆は政治に対して無責任になる。
君主制国家が大半を占めるこの時代。いつまでも経済を立て直せず、勢力図への意思決定もしない政府に、抑圧され続けてきた民衆の不満は募るばかり。
それを引き金に暴動が起きる。
そこに漬け込んで列強は内部工作を仕掛ける。
あとは「攻め滅ぼされる前に」という考えが蔓延した民衆が勝手に、クーデターやら暗殺やらを引き起こし、彼等によって打ち立てられた政権が隣国の軍隊を招き入れるまでが一連の流れだ。
列強への併合までいかずとも従属を望む国が続出したのだ。
「併合や属国化は領土拡大を目的としている列強にとっていいことばかりじゃないか。」と思われるかもしれない。しかし、手放しで喜べることなど、この世のどこにも存在しないということを忘れてはいないだろうか?
緩衝国がなくなった列強間の緊張は急激に高まっていった。植民地争いをしている国同士や宗教的に相容れない国が隣同士になった暁には目も当てられない。列強は最悪事態を避けるために残った緩衝国に経済支援を行ってはみたものの、残念ながら事態は悪い方へと転がり続けた。
こうなると、列強国のとる道は一つ。仲間を増やすことだ。表向きは円滑な流通と安定した為替レートを保つための経済連携であったが、連携が「敵の敵は味方」の理論で膨らんだ軍事同盟であることは誰の目にも明らかだった。
国境沿いの民衆同士の暴動に対する軍の介入と、在留民保護を名目とした越境行為によって全面戦争へと突入する。
統一暦1476年から4年間続いた第一次大陸利権戦争、後に第一次大戦とも呼称される戦争である。
この戦争は様々な面で世界初であったが、軍事においては、戦争の常識をがらりと変えてしまったある兵器の登場以上に特筆すべきことはないだろう。
それ程までにそいつは強大で強力だった。
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かつてない規模の軍勢がかつてないほど広大な戦域で衝突したこの戦争は開戦から半年と経たずに泥沼の様相を呈していた。総力戦という言葉が生まれたのはこの年である。
戦線は停滞し、どちらかが根をあげるまで永遠と続く国力の削り合いが始まったのだ。
戦争初期、戦場の主役は騎兵と軽気球であった。
軽気球とは銃兵気球の発展型であり、拠点攻撃用の爆撃気球を重気球としたときの対となる分類である。
主な任務は敵気球の排除と地上のソフトターゲット掃討で、最新のスクリュー型足漕ぎ推進器を搭載した小型快足気球だ。
初期の戦場は広大な草原や郊外の田園地帯で、機動性を生かした戦いは大いに戦果を挙げた。
しかし、この二つの兵科は維持/運用に莫大なコストがかかる。通常の軍隊でも、大勢の人間を養うために膨大な食料や装備品、衛生用品が必要であるが、それに加えて騎兵には最強の足にして最大の消費者が存在しているからだ。
気球の運用には大量の水素ガスや予備の気嚢も必要だ。
持ち前の機動力は攻めるに守るに大いに発揮されたが、その補給は極めて重鈍で、軍の侵攻の妨げにさえなった。
この当時、大規模輸送手段は船と汽車しかなく、戦域の隅々まで補給を行き届かせることは不可能に近い。
一応近世のような略奪は条約で禁止されていた。完全なるゼロではなかったが、大戦初期は未だ軍の誇りと規律が生きていたことを示すように件数は少なかった。
ならば自力で補給線を確保せねばならない。
自然、戦闘は主要交通網周りに集中していった。強固な守備陣がしかれた拠点を突破するのは非常に困難で、多くの兵士が重砲と対空砲の餌食となった。
ところが…。
戦争2年目の1748年7月。
唐突に戦争は戦争でなくなった。
より正確に言うならば、それは戦いでも争いでもなく、虐殺という言葉が似合った。
それはたった一国の兵器によってもたらされた、しかし圧倒的な変革であった。
装甲飛行船。
世界で初めてルディエールの制御技術を獲得したイングラス帝国によって生み出された空の化け物は陸海空の全てを支配した。
木造の船体に鉄板を張り巡らせ、無数の砲で周囲に睨みを効かせた要塞が黒煙を吐きながら大空を進撃する。
防御拠点を撃ち潰し、対気球用の対空斉初砲を何の問題にもせず、地上に雨雲のような黒い影を落として鉄の雨を降らせる。
その姿は航路同盟軍兵士に尊敬と希望を与えるとともに、興商連合軍兵士には恐怖と絶望、そして尊厳のない死を与えた。
船の上に飛行船を載せたような形-----長い船体に流線型の気嚢を持ち、胴からヒレのように突き出した翼を持つその姿から、彼らは畏怖を込めてこう呼ばれた。
「鋼の鯨」と。
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ではこの戦争がその後西海航路同盟軍の勝利に終わったのか、といえば決してそうではない。
新兵器というものは往々にしてその運用には不備があるものだ。今回もその例に漏なかった。
不備というのは補給の課題であった。
この当時、内燃機関はまだ発明されていない。
先ほども述べたように大量輸送手段といえば船と鉄道しかなく、当然のことながら大陸内部へと侵攻する航路同盟軍に有用な路線は興商連合軍の最後の抵抗によって片っ端から破壊されていた。これでは石炭も砲弾も運べない。
線路は一度破壊されると再敷設には多くの時間と労力がかかる。工事の間、興商連合軍は絶えず襲撃を仕掛け、出血を強いた。
絶え間ない襲撃と軍令部の無茶な要求に苦しんだ航路同盟軍野戦敷設師団には少なくない損害が出ており、工期に遅れが目立っていた。侵攻は明らかに停滞していたのである。
そして、航路同盟軍の最大の誤算は敵軍に世界一の科学力を誇る国がいたことだ。
先を越されてしまった彼らの「技術」への執念は凄まじく、拷問潜入窃盗からついには敵艦移乗戦闘に至るまで、考えうる限りのあらゆる手段を行使した。
結果、興商連合はイングラスに遅れること1年あまりで、イングラス製装甲飛行船を圧倒しうる性能を持った第二世代型装甲飛行船を就役させ、大陸内陸から徐々に航路同盟軍を駆逐していった。
開戦から4年。人口減少と国土の荒廃によって、流石の両陣営の継戦能力はほとんどなく、あるのは多額の財政赤字と国民の不満ばかりであった。
興商連合が優勢であったものの依然として戦闘は継続されていた。航路同盟も全ての大陸の拠点を失うわけにはいかず必死の抵抗を見せていたからだ。
4年間も続き約2000万もの人間が死んだ大陸利権戦争は西海航路同盟が内陸進出の足がかりを失った以外は、いくつかの植民地と割譲地が双方を行き来したのみで終結を向かえる。
勝利宣言をした大陸興商連合に対し、西海航路同盟は敗北を認めず、和平交渉は平行線をたどった。新秩序も安寧の世も生まれず、荒廃した大地と憎悪と不満が残った。
憎悪は怨嗟となり、怨嗟は世論となって復讐を叫んだ。不満はエネルギーとなり、あふれ出たエネルギーは再び定められた敵へと向かう。
装甲飛行船の数こそが国力を表し、戦争の勝敗を決めるようになった。建艦競争による軍拡と排他主義の時代、「冷戦」と呼べるほどのものではないにしろ、両陣営間のギスギスとした静かな対立がはじまったのだ。
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それからから20年、ギリギリで保ってきたかりそめの平和は終わりを告げ、世界は再び戦火に飲まれようとしている。
再び上げ直しました。
コレ以降は完成のみを目指します。