霞むアルビオン
遅れました。
こちらでも更新を続けますが、以降はカクヨムの方が優先的に更新されますので把握よろしくお願いします。
現在カクヨムでは3話先まで投稿されています。
翌日、アルビオン島では朝から雨が降り、もやの中に閉じ込められていた。
搭乗予定の極東行き高速旅客飛行船は浮媒に軍用より純度の低い商用ルディエールガスを利用した一等商船に分類される船である。全金属製では無く、軽量化のために船体の一部に羽布を使用していた。
水素飛行船やルディエール水素併用の二等商船よりは頑丈にできており、風雨にも強いとはいえあんまり強く降られて出航が危ぶまれる。この地を一刻も早く離れたい、そして離れなければならない直継にとってはそれでは困るのだ。
幸い、雨は昼前には上がり、北風が雨のあとに立ちこめる霧を流し去ったから、午後の出航は問題ないだろう。
書類を片付け、小太りの上官に挨拶をし、手配された車で郊外の軍用飛行場へ向かった。
平時であればもっと南、首都へ鉄路で行かねばならないのだが、戦争が始まってからは航路が変わったらしい。
飛行場といってもそんなにたいそうなものではない。大きな格納庫が並んでいる巨大な原っぱだ。
だがそんな原っぱの地上数メートルに今まさに地上作業員によって引き出されてきた大型飛行船が浮いている様は初めて見る者を圧倒するだろう。
軍で装甲飛行船を見慣れている直継だったが、旅客用の飛行船をこんなに間近で見る機会はこれまで滅多になかった。
前者は軍艦から派生し、艦橋、マスト、機関諸々が水上艦由来のものであるのに対し、後者は気球から進化し、より洗練された空力形状を持っている。船ではあるが水上艦とは違う。「装甲飛行艦(船)と金属製飛行船の差は軍用か否かだけである。」と言う者もいるが、葉巻型にも近いそれは同じ飛行船という名を持ちながらもほとんど別物である。
地上には不格好な箱形の胴と長い布張りの翼をもつ機械が並んでいる。暖機運転をしているその脇を抜け、タラップの人だかりの前で車は止まった。
見送り人などいない。車も軍がチャーターしたタクシーなのだから、荷物を降ろしてチップを受け取るとすぐに帰って行った。
それにしても…と直継は目の前の人だかりを見やる。
このご時世、戦闘空域をかすめて飛ぶリスクの高い大陸横断航路。もはや軍人と商人、そして後ろ暗い事情がある者くらいしか乗らないであろうによくこんなにも集まったものだ。
地上作業員と乗客の間を縫って歩いていると直継は一つの見知った顔を目にした。
見送りはいないはずだが、それはどう見ても見間違えようのない顔だった。
「ご苦労だった、結城君。よく仕事を果たした。」
起伏の少ない声、感情の読めない表情。葛西だ。
「そう露骨にいやな顔をしないでくれ。誰も来なかろうとせっかく見送りに来たのだから。」
葛西はそう言うがこの男なんの理由も無く一士官を送りに来るのはあり得ない。思わず直継から問いかけた。
「それで、用件とは?」
「失敬だな。ホントにただの見送りさ。まあ、一つあるとすれば…」
葛西はズイッと肩が触れる距離に近づいた。
「君の友人、ウィルフ・ボールドウィンと第一海軍卿派が接触した。遠からず彼も動き出すだろう。それと我々も計画の第二段階に移行する。事は取り返しの付かない段階に至ろうとしている。君も抜かるなよ。」
直継は言葉を発さなかった。
何も感じなかったのだ。
友を失わされた怒りも悲しみも、何もなくただ情報を受け取ったに過ぎなかった。
葛西の話を聞きながら目では滑走路(といっても本当にただの原っぱなのだが。)に出てきた機械を追っていた。
「航空機か、近年急激に実用化が進んできたな。我が国でもいくつか試作されていたのだからそんなに珍しいものでもあるまい?もっとも、未だ空戦が出来ず航続距離も短いから、近距離偵察や沿岸哨戒しかできないのはどの国も同じようだが。」
航空機、それは純粋にエンジンの出力と翼による揚力で飛行する非浮媒依存式飛行機械。ルディエールガス全盛の世においてルディエールを積まないという選択をした機械の鳥。
直継も旭海軍の試作機を見たことがある。
旋回は航空騎に劣り、垂直離着陸はできず、積載量は逆立ちしても空中艦艇に届かない。速度を失うことは高度を失うことを意味し、翼端失速すれば絶望的なダンスが待っている。
それでも超可燃性の危険物を、それも空戦中無防備になる機体後部に背負った航空騎よりかはるかにパイロットの安全性が高いのもまた事実。今はまだ未熟でもいずれは航空機が空戦の花形になる日も来るのではないだろうか…。
技術戦争とも言われる時代、日進月歩の技術開発はつい先日、化け物を空に放ったばかりなのだから。
「搭乗者の方は旅券と搭乗券をご用意の上タラップへ!」
思考を遮る係員の声で辺りは一段と慌ただしくなった。
「さて、長きに渡る任務ご苦労だった。君は実に有能な人材だ。本国までの道中の安全を願っているよ。」
「葛西さんほどの方にお褒めいただけるとは光栄です。益々の活躍をお祈り致します。それでは。」
好きにはなれない人物だったが、礼儀を忘れては旭男児の名折れだ。
きっちりと礼をしてタラップへ向かう。
「結城!」
振り向くと宙を舞う手帳が一冊。
「これは?」
「さっきまで君の横でブンブン言ってた機械の資料さ。しばらく前に作っていた。大した価値はないが、土産にはなるだろう?」
全く、抜け目のない男である。
やはり用件はあったのだ。
再び礼をして今度こそ別れる。
ブンブン言ってた奴が空へ舞い上がり、尾部の識別用吹き流しをはためかせながら上空を旋回している。
「お急ぎください!」
係員が急かす。
荷物の重量検査等々手続きを済ませる。秤の横には重量オーバーでおいていくことになったであろう複数の鞄が積まれていた。
乗り込むと、間もなくタラップが離れて、地上要員に誘導されながらゆっくりと風上に舳先を向ける。
軍艦とはまた趣の異なる浮遊感だ。
午後3時9分。結城直継は初の海外任地を後にした。
*****
ルディエールを用いた飛行船の最大の特徴は上部に展望甲板を持つことだ。
客室に荷物を置いて甲板に出る頃には飛行船はすっかり高度を上げ終えてアルビオン島を南下していた。
アルビオン島の東に広がる戦闘空域を迂回するためだ。
先ほどの航空機2機が先導についている。確か外洋に出るときは海軍の飛行フリゲート2隻が護衛に付くはずだから、彼ら航続距離的にも合流地点までの誘導役であろう。
飛行船の足に合わせてノコギリ航法で飛ぶ航空機の後席では航法士兼偵察手が陽気に手を振っていた。
これでも旅客飛行船は武装や装甲が無い分かなり軽量だから軍の主力艦よりも速いのだが、代わりに乗員区画が大きく機関室が圧迫されている。居住性と引き換えに速度を棄てているため航空機に追いつけるような足は持ち合わせていないのだ。
手を振り返しながらも直継はもう片方の手でコートの裾をしっかり掴んでいた。
時折、立ち上がってきた雲が西に傾きかけた陽光を遮ると体感温度は一気に下がる。
それでも直継は甲板にいた。
客室に戻っても退屈だったし、何より、彼は風を感じながら見る空の景色が好きだったからだ。
眼下には石灰岩台地の上に拓かれた耕作地が広がり、少し離れた街は工場が吐き出す蒸気と黒煙で霞んでいる。そこに暖流から蒸発した水蒸気が合わさり、海面付近から干し草の山のような雲が立ち上がってくる。
人の暮らしと自然が繋がっている。そう実感できる光景が好きなのだ。
*****
ふと気がつくと先行する航空機が大きくバンクを振っている。続いて発光信号。
信号の先に目を移すと雲の間から複数の艦影が姿を現す。
もはや職業病か、懐から無意識のうちに双眼鏡を取り出していた。
大きな艦隊だ。
一等装甲飛行船クラスが6隻以上いる。
艦隊の中にイングラスでは珍しい大口径砲搭載艦:中央砲塔艦プリンス・アルバートの姿を見つけたことで、これが来るべき攻勢のためにノースベル軍港に回航中のイングラス海軍第一空中艦隊であるとわかった。
見事な艦様に思わず子供のような声が出た直継はハッと周囲を見渡す。
先刻より甲板に人気はなかったが、さっきの感嘆はあまりにも大きすぎた。
そして甲板の前端に立つ一人の女性の姿を認め、彼は後悔に襲われるのだ。
派手ではないながらも上質なコートに身を包み、プラチナブロンドの髪をなびかせた彼女は貴族の令嬢か。もしそうならこんな航路に乗っている時点で相当訳ありだが、お付きの者がいないところを見るとそういうわけでもないらしい。
直継の視線に気がついたのか、それとも日の傾いた甲板がさむかったのか、彼女は船室に戻っていった。
日没間際、航行灯が灯る頃。
飛行船はアルビオン島の南端に差し掛かり、護衛の飛行フリゲート二隻と交代した航空機二機が大きく旋回して航路を離れた。すれ違いざまにバンクを振って発光信号「貴船の航海の無事を祈る」を打つ、絵に描いたような美しい交信だった。
夕闇にアルビオン島が霞んでゆく。街にはチラチラと明かりが灯り、戦争は遠くにあるようだった。
そこからあとの外の様子を直継は知らない。
船室に戻って食事を取っていたし、何より日の落ちたあとの海は真っ暗だったから。
ただ、船が大きく揺れ、東への変針点に差し掛かったころ船内アナウンスが入り、灯火管制航行に移行した時は肝を冷やした。
どうやら大陸興商連合陣営所属:ヒスパニア王国の哨戒網に掛かったらしく、迎撃に上がってきた敵艦に飛行フリゲート二隻が対応しに向かったようだった。
幸いなことに、ヒスパニアは海軍大国ではなかったし、捕捉してきた敵艦も砲艦クラスの小型艦であったから数度の砲声が轟いただけで追い返すことができたようで、その後は何事もなく同盟国イタレニア王国の寄港地に入ることができた。
翌日はイタレニア海軍の護衛の元地中海を抜け、ようやくユーリシア大陸の非戦闘地帯に入ることができた。
このような民間船を真面目に護衛してくれるのは、万が一、国際問題に発展した場合でも自国の立場を良くするためだという。
敵対陣営の民間船であれば通称破壊の対象になるため、自国の担当領域で沈められては何かと困るのだ。
護衛と別れた飛行船は一路東へ進む。
4000mを悠に超える山々が連なり、大陸を、そして文化を東洋と西洋とに二分する山脈。その航行不能地帯唯一の東西通路である中央海を目指して。
*****
その後もいくつかの国と寄港地に立ち寄り、客や荷物が増えたり減ったりを繰り返してようやく反対側の海へ出る。
東太洋、そして旭海。
約半年振りの故郷を鮮やかに照らし出した日の出は、この国の名を表していた。