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7.大好きな気持ち


 目覚めたくない、目覚めたい、目覚めたくない、目覚めたい……ずっとその繰り返し。

 愛結は堂々めぐりの意識の中で、諦めの境地に達していた。

 ぐぅぅーー、と盛大にお腹の虫が鳴ったのだ。


「愛結??」


 近くにいた母が、声をかけてくる。

 これ以上、母に心配をかける訳にもいかない。

 本当はもう意識は戻っていたけれど、現実を受け入れたくなくて寝たふりをしていた。


 こんな状況でもお腹は空いてしまうのだ。


 愛結はそっと、瞼を開いた。


 そして。


「お母さん、お腹空いた……」


 開口一番のその一言に、母は泣き笑いで頷いた。


「愛結の好きなもの、いっぱい作ってあげるからね」


 なんだか久しぶりに、母に抱きしめられた気がする。

 母のぬくもりを感じて、愛結も涙が止まらなくなった。


 目覚めてからずっと、右足に違和感がある。

 ギプスてガチガチに固められていて、自分でも動かせない。

 本当に、自分はもう走れない。そう実感した。


 そして、こんな傷だらけでみっともない姿を祐樹に見られたくないし、もう面倒をかけたくない。

 そもそもこの事故は、愛結の不注意が原因なのだ。

 全面的に車が悪かったとしても、愛結は自分の責任でもあると自覚していた。

 だけど、祐樹は違うだろう。

 愛結に何かあれば、いつも祐樹は自分のせいだと愛結に謝るのだ。

 愛結自身が解決しなければいけないことでも、祐樹が責任を感じることもあった。


 だから。


(私が祐樹を好きな気持ちは、絶対に気づかれちゃいけないの)


 これから先、祐樹の側に自分がいられなくても。

 祐樹が笑っていてくれたらそれでいい。幸せでいてくれたら、愛結はそれでいい。

 自分のことは、自分でちゃんとするから……。



 愛結は、嘘をつくのが下手だ。というよりも、祐樹の観察眼が鋭くて、何も言わなくてもいつも愛結の変化に気づく。

 でももう、気づかせる訳にはいかない。

 そのためには、自分の気持ちが落ち着くまでは祐樹には会えない。

 リハビリを終えて、自分で歩けるようになって、祐樹がいなくても愛結は平気なのだと笑ってみせなければ。


 自分でも極端だな、とは思ったが、愛結は祐樹との接触を避け続けた。


 でもいつも思い浮かぶのは祐樹の顔ばかり。

 今頃何をしているんだろうとか、愛結と会えないことで何を思っているんだろうとか、もう泣いてないといいな、とか女の子に言い寄られてるのかな、とか……自分から離れようと決意したくせに、気になって仕方なかった。


「何かしてないと、おかしくなっちゃいそうだよ」


 何も出来ないベットの上では、ずっと祐樹のことを考えてしまう。

 何か暇を潰せるものはないかと思った時、学校のことを思い出した。

 三週間も休んでいるのだ、今のままでは授業についていけない。

 ただでさえ成績があまり良いとはいえない愛結だ。

 このままでは卒業も危ぶまれる、と愛結は親友の加奈に連絡をとった。


 それから数日、加奈は毎日授業をまとめたノートを持って、愛結の見舞いにきてくれる。

 初めてベットの上の包帯だらけの愛結を見た加奈は号泣して、宥めるのが大変だった。

 出来ることがあったらなんでも言って、と心からの優しい言葉をかけてくれた。


 ぼんやりと、もうそろそろ加奈が来る時間だなぁと思っていると、ノックの音がして病室の扉が開かれた。


「愛結ー! 遅くなってごめんね」


「加奈ー! 来てくれてありが……」


 大好きな親友の姿にぱっと笑顔を浮かべたが、その後ろにいた人物を見て愛結は笑顔のまま固まった。



「祐樹……」


 怒っている、とすぐに分かった。

 祐樹にいっぱい心配をかけたこと、痛いほど分かっている。

 でも、もう祐樹には頼らないと決めたのだ。


 早く追い返さないと、祐樹は長い脚ですぐに愛結の近くへ来てしまう。


「祐樹、帰っ…………っんぅ!?」


 帰って。そう言おうとしていたのに、いきなり祐樹が近づいてきて、何が起こったのか訳が分からないままに唇を奪われていた。

 すぐに拒めなかったのは、愛結が祐樹を好きだからか。

 拒絶しなかったことで、祐樹はさらに口づけを深くする。

 息が出来ないほどにキスは激しくて、祐樹の想いが嫌でも伝わってきた。


 永遠にも感じた突然のキスは、祐樹の舌が愛結の唇をちろりと舐めて終わりを告げた。


「……ど、どうして」


「もう待つのはやめた。愛結に会えなくて、俺がどれだけ苦しかったか分かるか?」


 分かる。だって、愛結も祐樹に会えなくて苦しかったから。


「愛結がいてくれなきゃ、俺は俺でいられない」


 愛結も、祐樹がいないと自分が自分じゃないみたいだった。

 いつもみたいに、何かを楽しむことが出来なかった。


「俺は愛結が好きだ。悪いが、逃げようとしても、離れようとしても、俺は絶対に愛結を手放せない」


 真剣な表情で、真っ直ぐに向けられた熱い想い。


 もし、祐樹に告白されたら「幼馴染でいよう」と言うつもりだった。

 もう、私のことにはかまわないでーーと。


 それなのに、視界は涙で滲んで、声は嗚咽で発せない。


「うぇ、ふぇううぅ……」


 我ながら、なんとも不細工な泣き顔だろうと思いながらも、止めることが出来ない。


 無理だ。こんなにも嬉しいのに、こんなにも好きだと思うのに、祐樹に冷たくするなんて。

 祐樹のために、と決めたこと。

 今はよくても、きっと愛結は祐樹を縛り付けてしまう。

 そんなことしたくなかった。


「泣くなよ。ほら、そんな風に目をこすったら後で腫れるぞ」


 人が必死で抑えようとしているのに、祐樹はいつものように優しい言葉をかけてくる。

 乙女の初キスを奪ったのに、なんだこの余裕の態度は。

 なんだか、むかついてきた。


「し、信じられない! ファーストキスだよ?!」


「俺もだ」


「は?? う、嘘。あ、あんなに……」


 上手かったのに。

 思わず良かったことを伝えそうになって、慌てて愛結は口元を抑えた。

 顔はきっと真っ赤になっている。

 今更ながら、さっきのキスの感触が鮮明に蘇ってきて、祐樹の顔を見ていられない。


「……む、無理だから。祐樹とは、幼馴染でしかないから……もう、あんなことしないで。私に、構わないで」


 羞恥の勢いに乗せて、愛結はいっきに伝えなければいけないことを伝えた。


 それなのに。


「じゃあ、なんで本気で拒まなかった? 愛結が嫌なことはしたくない。逃げられる隙は与えたつもりだよ」


 たしかに、愛結は祐樹からのキスを拒まなかった。拒めなかった。


 探るように、祐樹が愛結をじっと見つめてくる。

 その瞳の中に不安や心配の色が見えて、愛結は耐えられなくなる。


「……だって、私は勉強も出来ないし、普段から抜けてて、馬鹿だし、唯一の特技だった陸上さえ、もうこの足じゃ無理なんだよ? これ以上、祐樹に迷惑かけたくない。私、祐樹の負担になりたくない!」


 やっぱり、祐樹に嘘はつけない。会ってしまうと、もう駄目だ。


「本当に、愛結は馬鹿だな」


 祐樹が、呆れたような笑みを浮かべる。


「俺が、そんなことで愛結から離れると思ってたのか? 今更だろう。何年の付き合いだと思ってるんだ?」


「でも、今までも面倒なこといっぱいあったし、もうこれ以上無理して欲しくない」


「面倒だなんて思ったことないし、俺は愛結といられたらそれでいいんだ。今までも、これからも」


 真剣に、懇願するように紡がれた言葉と、向けられた熱い視線。

 祐樹から、目が離せない。


「離れてる間、本当に生きた心地がしなかった。俺を愛結の側にいさせてくれないか?」


「……今まで以上に面倒くさいことが多くなっても、私のこと見捨てたりしない? 離れたりしない?」


 祐樹のことが大好きだから、迷惑をかけたくない。

 だから離れよう。それは、詭弁だった。

 事故の後遺症で傷が残ったり、リハビリも必要になって、祐樹から見捨てられたら今よりもずっと苦しい。

 だから、自分から離れれば傷は浅く済むんじゃないかと思ったのだ。


「あぁ、愛結から離れない。出会った時からずっと、俺は愛結が大好きなんだ。これからも変わらない」


 にっこりと、祐樹は笑う。

 優しくて、何があっても大丈夫だと安心できる、愛結の大好きな笑顔。


「…………あ、あのね。わ、私も……祐樹が……す、好き、だよ」


 好き。というただ一言を言うだけに、どうしてこんなにも緊張してしまうのだろう。

 自分の気持ちなのに、心臓がドクドクとうるさくてうまく伝えられたか分からない。

 ましてや、相手は幼い頃から知っている幼馴染だと言うのに。


「愛結、可愛すぎ……大好きだ」


 もう一度、愛結の存在を確かめるようにぎゅっと祐樹が抱きしめる。

 愛結もそっと祐樹の背に手を回した。

 幼馴染として、何度も抱きしめ合ったことがあるのに、互いに想いを通じ合っての抱擁は全然違っていた。


「なぁ愛結。 走れないなんて、簡単に言うなよ。愛結は、走ることが大好きだろう? 俺も頑張るからさ、また一緒に走ろう。何があっても、俺が側にいるから」


 耳元で響く祐樹の声が、あまりに優しくて愛結は嗚咽をもらす。


 もう走れない。何もしないままに、そう諦めてしまっていた。

 走るための努力もしないで、自分で自分を諦めていた。


 祐樹の言う通りだ。

 頑張ってみよう。

 一度は手離すことを決めた手を、再びとる。

 もう、この手がないとダメだと気づいたから。


「……うん、うん。祐樹、ありがとう」


 目から溢れる涙は止まらなくて、泣き止むまで祐樹がずっと抱きしめてくれた。


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