1.幼馴染の二人
「いってきまーすっ」
「こらこら、愛結! あんた鞄忘れてる!」
「あ! ほんとだ! ありがとう、お母さん」
「もぅー、あんたは高校生になっても抜けてるんだから」
はいはーい、と母の声を聞き流し、バタバタと愛結は玄関から飛び出した。
西藤愛結、十七歳。森ケ崎学園高校二年生。
天真爛漫で素直で明るい性格だが、かなり抜けている。
「ドジっ子といえば?」と聞けばクラスの全員が愛結と答えるほど、愛結はいつも何かをしでかす。
忘れ物は序の口で、授業で配布するプリントをばらまいてしまったり、実験実習では器具を壊したり。
学校帰りに買い食いをしようものなら見事に落とすことも。
買い物に行けばレジに商品を忘れ、トイレで携帯や財布を忘れた回数は数えたくもないほど。もはやドジっ子という可愛いレベルではない。
それでも、そんな愛結にも得意なことはある。
勉強や芸術センスはなくても走ることが大好きで、今や陸上部のエースだ。
生まれつき色素が薄い茶色がかった黒髪はポニーテールに、ほんのり色づく唇は満面の笑みを浮かべている。
校則で化粧は禁止されているが、乾燥する唇に色付きリップは必需品だ。
紺色のブレザーに白いシャツ、胸元のリボンには赤のラインが入っていて、可愛らしい。
膝上丈のプリーツスカートと紺色のソックスの間は世に言う絶対領域なのだが。
そんなことを気にする愛結ではない。
風をきって走ることが気持ち良くて、自分も風になったような心地で高校への通学路を走る。
「おーい、愛結! またお前はそんな格好で走ってる」
ふいに聞こえたのは、よく知る声。
「祐樹! おはよう」
幼馴染である相良祐樹の姿を見つけ、 愛結は笑顔を向けた。
二人の家から近いどちらともなく決めた待ち合わせ場所の公園で、祐樹は少し呆れたような笑みを浮かべて愛結を待っていた。
女子の制服と同じ紺色のブレザーに赤いラインの入ったネクタイ。
すらりと伸びた長い脚。ごく普通のブレザーの制服を祐樹はモデルよろしく着こなしている。
愛結と違って真っ黒い短髪、目鼻立ちの整った顔、程よく日に焼けた健康的な肌。
幼い頃の祐樹は女の子と間違えられるぐらい可愛かったのに、すっかり体つきは男で、誰もが振り返るイケメンになってしまった。
身長150センチのよく喋る愛結と身長178センチの物静かな祐樹。
性格も正反対のでこぼこコンビの二人が一緒にいるのは昔からのお約束だった。
初めて祐樹と出会ったのは、保育所だった。
お互い両親の仕事が忙しくて、最後まで残っていたのが祐樹と愛結の二人だった。
そのおかげで、迎えに来る母親同士も仲良くなって、家族ぐるみで祐樹とはよく遊んだ。
家も近く、幼稚園、小学校、中学校、そして高校までずっと祐樹と一緒だ。
愛結は何かあったらすぐに祐樹に相談するし、祐樹に対しては何の秘密もないと断言できる。
しかし祐樹の方は中学の頃から男の子らしくなってきて、女子が放っておかなかった。
祐樹のモテ期は高校に入ってさらに白熱しているが、いくらモテても誰と付き合うでもなく、何事もなかったかのように愛結と一緒にいる。
それが不思議で、とても嬉しかった。
「おはよ、愛結。前から思ってたけど、お前さ、スカート履いてる自覚あんの?」
「あるよー。だって、女の子だし?」
「だったら。ただでさえ風が強い日におもいきり走るなよ。見えるぞ」
「んー? 別にいいんじゃないの? 見られても減るもんじゃないし。私のパンツ見えたところで、嬉しくないでしょー!」
「いや、見えたらダメだろ」
珍しく、祐樹がむきになっている。いつも淡々として、あまり感情を表に出さないのに。
こういう時は、大人しく従った方がいい。
「わかったぁ……気をつけます」
「ん、分かればよろしい」
愛結が不服ながらも返事をすると、祐樹はにっと笑って愛結の頭を撫でた。
(最近、こういう小言が多くなってきたなぁ……)
ぼんやりとそんなことを思っていたのも一瞬で、すぐに愛結は昨日見たテレビ番組や最近ハマっているアプリゲームについて話し始める。
愛結の話に相槌を打ちながら、時々淡々と突っ込みを入れる祐樹。
二人でいたら、話が途切れることはない。と言っても、基本的に喋るのは愛結ばかりなのだが。
「……でね、すごいんだよ! なんと、明日のログインボーナスは……っわわっ!」
愛結が話に夢中になっていると、急に祐樹に身体を引き寄せられた。かと思うと次の瞬間、車が勢いよく通り過ぎていく。隣で、祐樹が大きく息を吐く。
「ちゃんと周り見ろ。危ないだろ」
「……あ、ありがと」
いつも祐樹は愛結のことを守ってくれる。かなり抜けている愛結が今まで平穏無事に過ごせていたのは、半分以上祐樹のおかげと言ってもいい。
大事にならないうちに、祐樹が未然に防いでくれたりする。
(どうして、祐樹はこんな面倒な幼馴染の私と一緒にいてくれてるんだろう)
不思議だなぁと祐樹を見つめると、昔から知る幼馴染のはずなのに全然知らない男の子に見えて愛結はどぎまぎした。
「これから気をつけろよ。……どした? 俺の顔になんかついてるか?」
「な、なんでもないっ! 早く行こ!」
「ちょ、急に走り出すなよ」
誤魔化すように祐樹の手を引いて、愛結は走る。
(祐樹の手って、こんなにしっかりしてたんだ……)
また、自分が知ろうとしていなかった祐樹を見つけてしまった。幼い頃から一緒にいるはずなのに、どうして。
(祐樹がこの前変なこと言うからだ……っ!)
愛結は数日前、祐樹と帰った日のことを思い出す。