プロローグ
木の根を枕にして地面に寝転がる。木の葉が作る木陰は涼やかで、太陽の熱が届いていない地面は背中に当たると冷たかったがとりあえずどうでもよかった。スーツが皴になるとか、土で汚れるとかも一切考えなかった。服装のことで悩む理由を失ってしまったためだ。いや、青空の下の解放感の前では、すべては些事なのかもしれない。風が吹き、雲は流れ、今日はいい天気だ。
うららかな陽気に身を任せていると、いつの間か俺は眠ってしまった。
突然だが異世界に転移した。
こちらに来たのが唐突なら、そのきっかけも唐突だった。俺はここに来ることを事前に知っていたわけじゃない。
仕事を終えて家に帰ろうと歩いているときのことだ。一本道の先、なにやら前方に光が見えた。しかも位置的に我が家の近く。もし、これがあからさま離れていたり、別の方向であれば俺は意識を向けず、日常におこったちょっとした変化に一瞬だけ興味を持って次の瞬間にはそれを失っているに違いなかっただろう。ところが実際は俺の家の近くから光は発していた。だから、近くの住人が何かしているんだろう、くらいの関心は持っていた。
家に近づくにしたがって、光も近づいた。そして光源が分かる距離に来た頃には俺の好奇心は警戒心に代わっていた。通りに面したちょっとおしゃれなアパートの一階の角部屋、すなわち俺の部屋から光はあふれていたからである。訳が分からなかった。光はカーテンを閉めてない俺の部屋から駄々洩れで、年季が入っているお隣の家の壁が新築の如く白くなるくらいには明るかった。正直、目に悪そうな白色光だが、我が家にはこんなに光る物体はない。無かったはずだ。ちょっと記憶に自信がなくなってきた。もしかしたらパソコンとテレビと照明の隠されていた力が解放されたのかもしれない。迷惑なことだ。本気を出したのが外出中でなければ目がつぶれていたかもしれない。そのくらい光っている。
ただ問題があるとすればなぜ今になって本気を出したのかということだ。まさかなんとなくで光ったのではあるまい。しかし、もし意思を持って光ったのだとしたら、今後は彼らの人格を尊重し、このようなすれ違いが起こらないよう日ごろからよくコミュニケーションをとるように心がけたい。なんとなくで光られて目を潰されては困るからだ。ただ、俺の記憶が正しければ奴らはあくまで指示待ち上等の家電製品に過ぎないはず。つまり誰かの指示があって初めて動くわけであり、それは俺の部屋に誰かが侵入して弄らなければこうはならないということだ。
混乱から無駄な道草と遠回りをしてしまったが、とどのつまり、俺は我が家にいるかもしれない不審者に対し警戒していた。もちろん、不審者はすでに我が家を漁り終わった後であの光はただの置き土産なのかもしれないが。もしそうだとしたら嫌な置き土産もあったものである。電気くらい消していってくれ。ご近所さんから「迷惑な野郎め」という目で見られるのも、それを言われるもの俺なのだ。ついでに電気代がかさむからやめてくれ。こんなに光ったら熱もすごいだろう。火災の危険もあるのだ。
ところで、ご近所さん含め通りすがりの誰もかれもこの謎発光を気にしていない。仮に人が集まってでもしたらそこそこダルかったので、それはそれでありがたいのだが、近くを通っても眩しがる素振りすらないというのは皆さんスルースキルを鍛えすぎである。もしかしたら集団心理的な何かが働いているのかもしれない。
俺は家に入ることにした。本来であればこの異常事態に際し、警察に通報するなり相談するなりして第三者の到着でも待つべきだったのかもしれない。しかし、鞄と食料の入ったエコバックと泊り明けの疲れた体を引きずっていた俺は、極めて速やかに休みたかった。ありていに言えば考えるのが面倒になっていたのだ。ついでに、なんとなく大丈夫だろうという自信もあった。勿論根拠はない。
携帯を取り出し、いつでも通報できる態勢を作りつつ、警戒しながらゆっくりと扉を開け、そして即座に閉めた。
知らない人がいた。
奥の部屋に、たぶん正座していた。たぶんというのは光っていてまともに見え無かったからである。
というかなにあれ。全身が光っていたけど、宇宙人?宇宙人なの?
宇宙人を逮捕できる法律が日本にあるかどうかはさておき、俺は躊躇なく警察に電話した。不審人物が住居不法侵入しているのは間違いないからだ。