第五話:一
【五】
「おっそーいッ!」
ナトゥーアの首都ヴォルトにあるギルド本部前で、ヒロトを視界に入れたナナミが憤慨して声を上げる。ナナミに近付いて来たヒロトは、憤慨するナナミに対して苦笑いを浮かべた。
「まだ約束の時間の一〇分前だぞ」
「女の子を待たせる時点でダメよ」
「それはごめん」
否定出来ない理由を突き付けられ、腕を組んで憤慨しているナナミの言葉に素直に謝ったヒロトは、ナナミの全身を見て小さくため息を吐く。
「やっぱりか」
「人の体見てため息吐くなんて失礼ね!」
「別に体を見てたわけじゃない。俺が見てたのはナナミの装備だよ。ナナミ、装備の更新をしてないから」
「装備の更新?」
ナナミはヒロトに言われて自分の身に付けている装備を見て、再びヒロトに顔を向けて首を傾げる。
「ナナミが装備してる防具と武器は最初から持っている装備、いわゆる初期装備ってやつだ。だから、レベル一〇になったナナミには性能が合わなくなってる。もし、そのままダンジョンに挑戦したら装備の性能が低くてまともに戦えない。シックザールではプレイヤーの素のステータスよりも、武器や防具の性能が重要だ。ダンジョンで装備がドロップする可能性もあるけど、入る前にはまず装備を揃えないといけないな。とりあえず、マーケットで適当なのを――」
「ええっ! 装備買うお金なんかないわよ?」
「…………」
ビックリして声を上げるナナミに、ヒロトは腕を組んで怪訝な視線を向ける。そして、低い声で尋ねた。
「ナナミ、ゴールドをいったい何に使ったんだ」
「え? 可愛いスカートとか帽子とか、ブラウスとか?」
「……なるほど、見た目装備に使ったのか」
ヒロトはナナミの言葉に、頭痛を抑えるように頭を押さえて深く長いため息を吐いた。
シックザールはキャラクターカスタマイズを重視していて、ゲーム開始時のキャラクターメイキングが細かく出来る。
一度キャラクターメイクを終えると、顔は変更が出来ないものの、髪型の変更は理容師にゴールドを支払えば何度でも変更出来る。その、キャラクターカスタマイズの一つとして、シックザールの世界には見た目装備と呼ばれる装備品が存在する。
見た目装備はその名の通り、見た目を重視して作られた装備品のことを指す。
通常の装備品には、装備品にステータスが設定され、中には戦闘を有利に進めるために特殊効果が備わっているものもある。しかし、見た目装備は見た目を重視して作られているためステータスは設定されていない。
つまりは、武器でも防具でも、見た目装備は戦闘に全く有利に働かない。
見た目装備はナナミのような女性プレイヤーにとても人気で、製作は簡単な物もあれば難しいものもある上、ダンジョンで稀にドロップするものもある。そういう希少価値の高い物は、必然的にマーケットでの販売価格も高くなる。
そんな見た目装備をマーケットで買い漁っていれば、クエストの報酬で貯まったゴールドが無くなっても当然だった。
「だって、可愛い服を着たいじゃん!」
ため息を吐いたヒロトに向かい、若干の恥ずかしさを感じながらナナミは顔を真っ赤にして叫ぶ。しかし、ヒロトはナナミの気持ちを分かっていないわけではなかった。ヒロトも見た目の格好良い装備は好きだから、見た目に気を遣うという気持ちも理解出来たからだ。
「まあ、ナナミの気持ちは分かるけど……じゃあ、今はなんで初期装備なんだ?」
ヒロトは見た目装備ではなく、初期装備の防具を着ているナナミに尋ねる。それに、ナナミは当然のように答えた。
「だって、今から戦闘するかもしれないのに、防御力のない装備じゃ危ないでしょ? 見た目装備は普通に街の中を歩く時だけ着替えるのよ」
「なるほど、装備のステータスを気にすることはしてるんだな。でも、見た目スロットに装備すれば、戦闘用の装備品を装備しながら見た目だけ見た目装備に反映できるんだぞ」
「ええっ!? 本当に!?」
ヒロトの言葉にナナミは声を上げて驚く。それに、ヒロトは小さく笑みを浮かべて答える。
「本当だ。装備画面をよく見てみろ」
ヒロトはナナミに見た目装備の装備方法を教える。すると、ナナミは飾りっ気のない鎧姿から白いブラウスと赤いスカート、足には革製のブーツを履いた姿に変わった。
「可愛い眼鏡もあったんだけど、お金が足りなくて」
様変わりした自分の姿を見ながら、ナナミは言う。
「まあ、そのせいで戦闘用の装備を買う金も無くしてるけどな……。あっ、そう言えばクエスト報酬があるだろ?」
「ああ、なんかちょくちょく色々もらったわね。鎧とか剣とか」
「とりあえず、ステータス見て強いやつを装備しないと」
ナナミはヒロトのアドバイスでレベル上げにクエストを使っていた。クエストでは経験値報酬以外にゴールドや装備品の報酬もある。その報酬の存在を思い出したヒロトはナナミに装備の変更を促した。
ヒロトに指示を受けたナナミが装備を変更し、ヒロトがその状況を確認すると頷いた。
「よし、少し心許ないけど、初期装備に比べれば良いな」
「でも、装備は良くてもパーティーメンバーが集まらなかった……」
装備を調えると、ナナミはため息交じりに元気のない声を出す。
ナナミは今日、初ダンジョンに挑戦しようとしていた。しかし、ナナミはヒロト以外のフレンドが出来なかった。だから、これから全く知らないプレイヤー二人を集めなければならない。それを不安に思っての元気のない声だった。
「まあ、始めたばかりのプレイヤーだと、まだプレイヤー間のネットワークが出来てないからな。俺もこのサーバーに来たばかりで知り合いも居なかったし。でも、色んなコンテンツに行ってる間にフレンドも増える」
「まあ、お遣いクエストばかりじゃ人とも会わないしね。じゃあ、パーティー募集を出すしかないわね」
「その前に突入条件を満たすためにクエストをやらないと」
ヒロトが歩き出すと、ナナミは後ろで首を傾げる。
「ダンジョンに入るために、なんでクエストをやらないといけないの?」
「ダンジョンにはただ入るだけじゃなくて、それぞれに突入するための根拠みたいなストーリー背景があるんだよ。まあ、そんなに長いクエストじゃないからちゃちゃっとやろう」
二人はギルド本部の奥に行き、カウンターの前でうろたえている男性に近付く。
「こんな人、ギルド本部に居たっけ?」
「ナナミがレベル一〇になったから出現したんだ。今から行くダンジョンは、レベル一〇が突入条件になってるから、プレイヤーのレベルがレベル一〇になるまでは出ないようになってるんだよ。その人に話し掛けてクエストを開始して」
「分かったわ。あの――」
ナナミがうろたえている男性に話し掛けようとした瞬間、男性はナナミの方に勢いよく振り向いた。
「たっ、助けてくれッ! 頼む! 金ならあるっ! 俺の娘を助けてほしいんだッ!」
「キャッ!」
物凄く焦った表情で大きな声を出す男性に、ナナミは体をビクッと跳ね上げさせて後退る。そして、ヒロトの方に怪訝な表情を向けた。
「このおじさん、うるさいんだけど」
「そういうキャラなんだよ。ほら、続き続き」
ヒロトに促され、ナナミは男性に視線を戻して口を開く。
「あの、どうしたんですか?」
「俺はツァールライヒ森林で木こりをやってるんだッ! それで、伐採所の近くで遊んでた娘が居なくなってしまってッ! 頼むッ! 娘を探してくれないか!? とりあえず、ツァールライヒ森林にある伐採所に来てくれッ!」
そう一方的に言い残した木こりの男性は、ギルド本部の出口の方に走っていきスッと消えた。それを見送ったナナミは腕を組んでニヤッと笑う。
「なんか、うるさいおじさんだったけど、クエスト自体は冒険って感じのクエストね」
「さ、木こりの親父が言ってたツァールライヒ森林の伐採所に行ってみよう」
楽しそうに笑うナナミに笑顔を向けたヒロトは、ナナミを連れてギルド本部からツァールライヒ森林へ向かう。
ツァールライヒ森林はヴォルトの周囲を覆っている森林地帯の総称。ヒロトとナナミはヴォルトの出入り口からツァールライヒ森林に出て、ナナミはすっかり手慣れた手付きで地図を開いて伐採所を探す。
「ここから北西の方向ね。さ、行くわよ!」
ナナミは地図で目的地を見付け、先頭に立って森の奥へ進んでいく。ヒロトはナナミの後ろを付いて行きながら、弓を抜いて目を閉じた。
「サーチ」
そうヒロトが言うと、ヒロトは周囲の状況を研ぎ澄まされた感覚で感じ取る。その感覚に、何体かのモンスターの気配が引っ掛かった。
「ヒロト? 何してるの?」
「プレイヤーキラーが居ないか警戒してたんだ。フィールドに出たらプレイヤーキルをされる可能性があるからな」
「そっか。私は若葉マークも無いし狙われるかもしれないのね」
「まあ、ツァールライヒ森林はシックザールを始めたばかりのプレイヤーが多いから、プレイヤーキラーの間でも手を出さないようにしようって暗黙の了解がある。だから、そこまで過敏に警戒しなくても良いんだけど」
プレイヤーキルを行うプレイヤーキラーの多くは、プレイヤーキルをロールプレイとして楽しんでいる。多くのプレイヤーキラーはキルする際の攻防を楽しむ気質がある。そして、強いプレイヤーをキルすることに固執するプレイヤーも多い。
そういうプレイヤーは、自分達よりも遥かにレベルが低いプレイヤーを、何の抵抗もされずに虐殺しても楽しまない。更に、将来強敵になるかもしれないプレイヤーの芽を摘んで、将来の楽しみを無くさないために、多くのプレイヤーが低レベル帯のプレイヤーには手を出さないという暗黙の了解に従っている。
「その暗黙の了解があるなら、警戒しなくていいんじゃない?」
「まあ、暗黙の了解だからな。運営が規約として禁止してるわけじゃないから守らなくても何の問題もない。それに、低レベル帯のプレイヤーをキルすることを楽しむプレイヤーも稀に居るんだ。でもまあ、そういうプレイヤーは大抵弱いけど」
低レベル帯のプレイヤーをキルするプレイヤーキラーは、大抵は低レベル帯のプレイヤー以外をキル出来る実力が無いプレイヤーの場合が多い。
ただ、特殊な例で、強いプレイヤーキラーでも低レベルプレイヤーのキルを好むプレイヤーも存在する。そういうプレイヤーキラーは皮肉の意味も込めて、ある意味、生粋のプレイヤーキラーと言われている。