第四話:二
二人はマーケットを抜けて人通りの少ない路地に入る。その少し薄暗い路地の壁に背中を付けたファーガスは、少し離れた場所に立っているヒロトに向けて口を開いた。
「日本勢の戦闘系ギルド、尖鋭隊を主力メンバーとした破天の塔五階攻略パーティー幻のワールドファースト事件」
低く抑えた声で発せられたファーガスのその言葉に、ヒロトは表情を崩さず真顔のまま視線を返す。その事件は、ヒロトが以前居たサーバーで参加したパーティーに関することだった。
「一階から四階までは、海外勢の戦闘系ギルド、リッターオルデンにワールドファーストを取られていた。しかし、尖鋭隊を主力とした野良攻略パーティーが残りヒットポイント一〇パーセントまで、五階のボスであるヨルムンガンドを追い詰めた。だが、ヨルムンガンドのヒットポイントが残り一〇パーセントを切ったところで、出しゃばったダークナイトがメインタンクの邪魔をして防御バフ発動が遅れて戦闘不能。そこから一気に崩れて全滅した。それが、当初広まった話だったな」
「俺が出しゃばって一気に崩れたのは事実ですからね」
ファーガスの言葉を聞き終えたヒロトは、ファーガスに乾いた笑顔を向けて軽い口調で答える。
破天の塔五階の攻略時、ヒロトは尖鋭隊の攻略パーティーに補充として参加している身だった。
本来は、パーティーとして参加している以上、攻略のために意見を言い合うのは当然のことだった。しかし、尖鋭隊の主力メンバーは部外者からとやかく言われることを嫌う気質の人間が多かった。特に、ヒロトのようなアタッカーには。
攻略に失敗した尖鋭隊は、残り一〇パーセントでワールドファーストを逃したということから、その失態と悔しさを発散する場所を探していた。そして、攻略失敗の責任を押し付ける相手を探していた。
それがヒロトだったのだ。
「最初に尖鋭隊の誰かがインターネットの匿名掲示板にあるシックザールのサーバースレッドに事件の概要を書き込んだ。今まで海外勢に破天の塔のワールドファーストを取られていただけに、シックザールの日本勢は日本勢がワールドファーストを取れなかったことに大騒ぎになった。そして、件のダークナイトが活動しているサーバーでは、そのダークナイトが誰なのかを特定しようという動きは盛んになった。その結果、ダークナイトが誰であるか特定されると、そのダークナイトに対して報復が行われた」
ファーガスの言葉を聞きながら、ヒロトは少し湿った石の地面へ視線を落とす。
インターネットで問題になっていた、幻のワールドファースト事件の当事者であるヒロトは、件のダークナイトがヒロトだと特定されてから様々な報復行動を受けた。
フィールドを歩いている時に複数名のプレイヤーからいきなり囲まれてプレイヤーキルを仕掛けられることは日常茶飯事で、参加したパーティー募集のパーティーから無言で除名される、いわゆるキックされることも頻発した。
更に、パーティーに入れてもらえなくなったヒロトがパーティー募集を出せば、ヒロトが件のダークナイトであるということを他のプレイヤーが拡散し、ヒロトのパーティーに参加しないように他のプレイヤーが結託した。中には、ヒロトのパーティーにわざわざ参加してヒロトに直接誹謗中傷を浴びせてからパーティーを抜ける者も居た。
ただ、ヒロトはその状況に騒がず黙って堪えていた。
人の興味は時間が経てば薄れていく。だから、ヒロトを中傷しているプレイヤー達の興味が他の何かに逸れれば、状況も落ち着くとヒロトは思っていた。しかし、状況はヒロトのフレンドが思いやりゆえに起こした行動が悪化させてしまう。
ヒロトの所属していたギルドのメンバーでヒロトのフレンドのプレイヤーが、ヒロトが他のプレイヤーから受けている誹謗中傷をGMコールで通報した。
誹謗中傷はハラスメント行為であるため、フレンドの通報は正当性のあるもので決して間違った行動ではなかった。そして、当然、ヒロトに誹謗中傷を浴びせていたプレイヤー達は、ゲームマスターから厳重注意を受けた。だが、それでプレイヤー達の行動が鎮静化するわけではなく、逆にプレイヤー達の怒りを加熱させてしまった。
「ダークナイトが所属していたギルドメンバーの大量プレイヤーキル。ギルドメンバーは一〇数人、プレイヤーキルパーティーは一〇〇人規模だったそうだな」
ヒロトはファーガスの声に、悔しさを押さえるように右手の拳を振るわせながら握り締めて答えた。
「フレンド達が、俺が凹んでるだろうからってギルドイベントを企画してくれて、みんなでイベントを楽しんでる時でした。……全身黒色の装備で統一したプレイヤー達に囲まれてやられました……。相手が多過ぎて、こっちは手も足も出ませんでしたよ」
ヒロトは、自分を楽しませようと元気付けようとしてくれたフレンド達が目の前で次々とキルされ、キルをしたプレイヤー達が笑みを浮かべる光景を思い出し、その光景から目を逸らそうと強く目を瞑る。しかし、脳裏に焼き付いたその光景から目を逸らすことは出来なかった。
「……酷いことをするやつらも居るものだな。サーバー移動はそれが原因か?」
「はい。俺が居たら、フレンドがまともにシックザールを遊べない状態だったので」
ヒロトはファーガスに視線を向けず答える。その俯いたヒロトに、ファーガスは変わらず落ち着いた声で言った。
「最近、その幻のワールドファースト事件に急展開があった」
「急展開、ですか?」
顔を上げたヒロトは、ファーガスの言った言葉に目を見開く。
「ああ、幻のワールドファースト事件で攻略パーティーに参加していた尖鋭隊ではない野良のプレイヤーが、謝罪文と一緒に当時の攻略動画をネットで公開したんだ」
「攻略動画と、謝罪文?」
ヒロトは眉をひそめて首を傾げる。
破天の塔のような高難易度のコンテンツでは、攻略方法を導き出すためゲーム画面を録画して見直すプレイヤーが多い。その録画した映像を後で見返せば、プレイ中とは違い冷静な目で客観的に見ることが出来るからだ。それに、パーティー全体や敵の動きもそうだが、自分の動きも分析出来る。だから、ゲーム画面を録画していること自体には何の違和感もヒロトは感じなかった。ただ、謝罪文という言葉に違和感を抱いた。
「動画を公開したプレイヤーは、問題が大きくなってプレイヤーキルにまで発展した後まで黙っていたことを謝罪していた。それで、当時の状況の大まかな説明も一緒に書いていた。メインタンクのパラディンが防御バフの回しをミスして戦闘不能になった直後、ヘイト一位になったダークナイトが前に出てヨルムンガンドを引き付け、被ダメアップデバフが残っているホーリーナイトではなく、被ダメアップデバフのないサードタンクのバーサーカーにスイッチの指示をした。しかし、焦ったバーサーカーがヨルムンガンドの背面でタンクスイッチを行ってしまい、後ろを振り返ったヨルムンガンドがブレスを吐いてダークナイト以外のパーティーメンバーを戦闘不能にしてしまい全滅した。だから、事件で話題になったダークナイトは戦犯ではなかったと。それに、動画を公開したプレイヤーから見て、ダークナイトのプレイは全く問題ないどころか、自分も参考にしたほど上手いプレイだったと書いている。もちろん、戦闘開始から全滅まで録画されていた動画は説明通りの状況を映していた。今は、セカンドタンクとサードタンクにヘイト二位を譲らなかった高DPSアタッカーとして有名だぞ」
ファーガスはニヤッと笑ってヒロトに言うが、ヒロトは変わらず視線を落とし続ける。
「……そうですか」
誹謗中傷に集団プレイヤーキルにまで発展してからの動画公開。それはあまりにも遅過ぎると言える。
実際、ヒロトは無実の罪でサーバー移動まで行っている。しかし、その遅過ぎる動画公開を誰かが非難することは出来なかった。もちろん、ヒロト自身も。
いくら同じパーティーで攻略していたとしても、加熱しているトラブルに横から首を突っ込めば、自分にそのトラブルが飛び火する恐れがあったからだ。トラブルに巻き込まれた結果どうなるかは、ヒロト自身が物語っていた。
視線を落としているヒロトに、ファーガスは同情の念が籠もった視線を向ける。そして、話を続けた。
「その動画と謝罪文の公開後、今度は嘘を吐いて集団プレイヤーキルまで誘導した尖鋭隊に対する批判が高まってな。尖鋭隊のメンバーは自分達がやったように誹謗中傷を浴びせられ集団プレイヤーキルを受けた。皮肉なことに、その中には自分達が誘導して一緒にプレイヤーキルをやったプレイヤーも居たそうだ。まあ、俺はキルした時点でそいつらも尖鋭隊と同罪だと思うがな」
ファーガスの言う通り、ただ尖鋭隊の発信した情報だけを信じてヒロトやヒロトの所属していたギルドのメンバー達をキルした時点で、そのプレイヤー達は悪質だと言える。たとえ、真実を知って嘘を吐いていた尖鋭隊のメンバーをキルしたところで、無実のヒロト達をキルしたということは消えるわけじゃない。
「サーバーで活動出来なくなった尖鋭隊のメンバーは別サーバーにサブキャラを作ったようだが、それも特定されて、結局、サブキャラもプレーヤーキルを受けた。それで、ついさっきゲームマスターから全プレイヤーに、今回の件に対して落ち着いた行動を取るようにコメントが出た」
「ゲームマスターから直接コメントが? 珍しいですね」
ヒロトは目を丸くして驚く。
基本的に、ゲームマスターは裏方に徹して必要な情報以外は発しない。緊急に対応が必要な致命的なバグが発覚した時や、それに伴う緊急メンテナンスの実施。そう言った場合に、ゲームマスターから状況説明のためにコメントが出されるのはそのような、運営側として情報を発するべき場合のみだ。だから、今回のように、プレイヤー間のトラブルにゲームマスターが介入してくるのはかなり珍しいことだった。だが、それだけ状況が酷く悪化したという現れでもある。
「尖鋭隊はブログやSNSで破天の塔の攻略を含めて、シックザールのプレイ状況に限らず私生活の情報も発信していたからな。そこから、ネット自警団がリアル情報を調べて晒したらしい」
「それは、かなりやり過ぎですね」
尖鋭隊から被害を受けた身であるヒロトも、ファーガスから聞いた話には背筋が凍る思いがした。
確かに、尖鋭隊が行った行動は悪意のある行動だ。全く責任のないヒロトに攻略失敗の責任を転嫁し、ヒロトとヒロトの所属していたギルドメンバーを、シックザールを正常に楽しめない状況に陥らせた。しかし、それの代償にリアル情報の晒しは重過ぎた。
「リアル情報を晒されたメンバーは、晒しがあった以降、ゲームのアカウントを削除してシックザールを辞めている。尖鋭隊のやった行動は酷いものだが、ネット自警団の行動もやり過ぎだな」
「リアル情報の晒しにまで発展したなら、ゲームマスターが出てくるのも当然ですね」
「一応、これで幻のワールドファースト事件は完結したことになっている。が、お前の所属していたギルドマスターがSNSでコメントを出してたぞ。ギルドに戻ってきてほしいそうだ」
ヒロトはそれを聞いて、もたれ掛かっていた壁から背中を離して笑う。その笑みは、嬉しさがある笑みではなく、諦めからくる乾いた笑みだった。
「もう、全財産はたいて店を買いましたからね。当分はこのサーバーから離れる気はないです」
ヒロトはたとえ事件が自分の責任ではなかったという真実が広まって解決したとしても、自分がフレンドをトラブルに巻き込んだことは変わらないと考えていた。だから、今更元のサーバーに戻ろうとは思わなかった。
「そうか。まあ、どのサーバーでやっていくかも個人の自由だからな。それで、これからどうするんだ?」
「とりあえず、ファーミングをやっているプレイヤーの情報を集めないといけません。情報集め、よろしくお願いします」
ファーガスに頭を下げたヒロトは、路地の出入り口に向かって歩き始める。そのヒロトの背中に向かってファーガスは声を掛ける。
「無闇に首を突っ込むなよ」
「大丈夫です。今からフレンドと約束があるんです。それに付き合うだけですから」
「そうか。じゃあ、また顔を出しに来い。金は貸さないが、商売相手と話の相手にはなってやる」
「はい。ファーガスさんもうちの店に来て下さい」
笑顔でファーガスと言葉を交わしたヒロトは、路地を出て大通りを歩いて行く。ファーガスは、その後ろ姿を見送りながら小さく息を吐いた。