第三話:一
【三】
森の中に生えた高い木の太い枝の上に座り、ヒロトは左手で弓を構えて右手で矢をつがえて弦を引き絞る。そのヒロトの視線の先には、木の下に茂った草むらの中をノソノソと歩く鳥獣種のモンスターが見えていた。
ヒロトが引き絞った弦を離すと、弓から勢い良く矢が放たれる。風を切る音を響かせた矢は、離れた場所に居た鳥獣種モンスターに命中し、一瞬でモンスターのヒットポイントをゼロにした。
モンスターが光の粒になって霧散して消える様子を眺めていると、ヒロトにシステムメッセージで、鶏肉一個と卵一個のアイテムドロップが知らされる。
「これで鶏肉が九九個と卵が一九八個。これで目標の数には達したな」
背伸びをしてあくびをしたヒロトは、アイテムの確認画面を閉じる。
ヒロトは森に食材アイテムを調達しに来ていて、今の一体で目標にしていた食材は全て調達が完了した。
アイテム調達が終わって撤収するために木の枝から下りようとしたヒロトは、視界の端で動く人影を見て、下りようとした体を止めて視線をその人影に向けた。
「詠士……か?」
森の中を走るローブを来た人影。腰に分厚い本を下げていることから、ヒーラーに分類される詠士というクラスのプレイヤーであるのが分かった。
詠士は治癒の力の秘められた言葉を使い味方を回復するヒーラー。その、ヒロトの視線の先に居る詠士は少し様子がおかしかった。走りながら、何度も後ろを振り返っていたのだ。
ヒロトが詠士が振り返った方向に視線を向けると、詠士の後ろから一〇数体のモンスターが一斉に詠士を追い掛けていた。
「モンスタープレイヤーキルを掛けられたか、それとも自分で引っ掛けて手に負えなくなったか」
詠士の状況を予想しながらも、ヒロトは弓を構えて引き絞る。そして、引き絞った弦を放して矢を放った。
ヒロトが放った矢は、詠士を追い掛けるモンスターに命中し、矢を受けたモンスターが霧散するのを確認しながら、ヒロトは次々と他のモンスターに向かって矢を放った。
放たれる矢は、詠士を追い掛けるモンスターを次々と射貫いて、遂には詠士を追い掛けていたモンスターを全滅させた。
後ろを振り返った詠士は、追い掛けて来ていたモンスターが全滅したことに驚いて周囲を見渡す。そんな詠士に枝の上から下りてヒロトは声を掛けた。
「こんにちは。モンスターに結構絡まれてたけど大丈夫?」
「近道をしようと道を外れたら、モンスターにいっぱい追い掛けられてしまって……。もしかして、モンスターはあなたが?」
「余計なお世話かとも思ったんだけど、結構な数に絡まれてたみたいだから一応ね」
手にした弓を持ち上げてヒロトがそう言うと、詠士はローブのフードを上げて深々と頭を下げた。
「いえ、本当に助かりました! あのままだとモンスターに囲まれて戦闘不能にされていました。あっ、あの、私はリーナと言います」
フードを上げた詠士は黒のボブカットに真っ白な肌をした大人しそうな少女で、頬を薄く赤く染めてたどたどしくヒロトへ自己紹介をする。
リーナは深々と下げた頭を持ち上げて、改めてヒロトの顔を見て笑顔を向けた。そのリーナにヒロトは柔らかい笑顔を返す。
「俺はヒロト。ヴォルトの外れでラオネンっていうレスト――食事や飲み物を出す店をやってる」
自分の持っている店、ラオネンについて紹介しようとしたヒロトは、自分の店がレストランというほどおしゃれな場所ではないと思い、かなりふんわりとした表現でぼかす。しかし、看板にレストランと冠しているから、今更レストランに対して恥ずかしがっても意味が無い。
「そうなんですか! では、商人さんなんですね!」
「そうそう。まあ、利益も全然出ないダメ商人だけど。だから、原材料節約のためにハンターもやってる」
自分の背中に装備した弓を視線で示しヒロトが言うと、リーナはキラキラとした目で背中の弓を見る。
「その弓、格好いいですね!」
「ああ、これ? これは五〇までレベル上げた後に受けられる簡単なクエストの報酬だよ。そんなに難しいクエストじゃないし、弓士のレベルを上げてハンターが五〇になったら誰でも簡単に取れるんだ」
「ヒロトさんは五〇レベルなんですか!?」
「そうそう。俺のことはヒロトでいいよ。俺もリーナって呼ばせてもらうし。レベルはすぐにリーナも五〇になるよ」
五〇レベルは、現在のシックザールのレベルキャップ、いわゆるレベルの上限になっている。しかし、ヒロトの言う通り、五〇レベルは五〇レベルに達した側からは全く凄いことではない。でも、リーナのような新米冒険者にとってレベルキャップ到達は最初の大きな目標だ。
「リーナは今レベル幾つ?」
「今はレベル三です」
「三か~。三でこの森を突っ切るのは厳しいよ。特に詠士は他の戦闘職よりも防御が低いから、モンスターに群がられると耐えられなくなる」
「そうなんですか」
「ギルド本部の教官から、パーティープレイの基本クエストは受けた?」
「はい! シックザールに来た時に、案内の人から冒険に出る前に行った方が良いと聞いたので」
「そっか。じゃあ、パーティープレイは分かってるんだな」
ヒロトはそこで、どこかの誰かとは大違いだと思うが、それは言葉に出さずに飲み込む。
「詠士はヒーラーだから、味方を回復するのが役割だけど、まず最優先にするのは自分が生き残ることだ。パーティープレイでもそれは変わらないから、日頃から危険な場所に行くくせは抜いてた方が良い。もし、敵陣に突っ込みたいって意欲があるなら、タンクをやるのをおすすめするよ」
「いえ、私はモンスターと戦うのは苦手で」
リーナは苦笑いを浮かべてヒロトに答える。それを見て、ヒロトはニッコリ笑った。
「ヒーラーは臆病くらいの方が合ってると思う。さっきも言ったけど、ヒーラーが戦闘不能になったら元も子もないから」
ヒロトは周辺を見渡してリーナの後を歩いてくるプレイヤーが居ないのを確認して、リーナが一人で行動しているのだろうと察した。
「リーナは、シックザールに友達は居る?」
「は、はい。ここに来てすぐに声を掛けてくれた方が居て、今はその方に色々教わっています。あっ! いけない! 待ち合わせをしているんでした!」
「じゃあ急がないと。でも、森を突っ切るのは避けて、ちゃんと道を歩いて行った方が良い。急がば回れって言葉もあるし」
「はい! ありがとうございました!」
リーナは小走りで森の中を通った街道を駆けていく。その後ろ姿を見ながら、ヒロトは森の中で背伸びをし、自分の所持アイテムを確認する。
「鶏肉と卵は集まったけど、別の材料を集めるかな~」
ヒロトはラオネンを持ってから、戦闘系のコンテンツの一線を退き、生活系コンテンツの中でも、生産系のコンテンツをまったりとこなしている。だが、生産系のコンテンツも、最新の物をずっと追い掛け続けているというわけでもない。ゆったりのんびり、自分のペースで楽しんでいる。
生産系のコンテンツには、生産スキルというものが関係してくる。
生産スキルは、現在のシックザールに調理、服飾、鎧制作、鍛冶、錬金、大工の六種類が存在する。そのスキルの熟練度を上げてスキルのレベルを高くし、より希少なアイテムを製作出来るようになるシステムになる。
そのスキルを最大まで高めた上に、希少な素材アイテムを使って製作を行うには、かなりの根気とそれなりの運が必要になる。ただ、ヒロトはそこまでの最先端生産プレイヤーではない。
ヒロトは弓を背負ったまま森をゆっくり歩く。
小鳥のさえずりや穏やかな風に揺れた木の葉が鳴らす音を聞きながら、森に生えている野草を採取していく。
野草の採取は、生産で使う生産スキルとは別の採取スキルが関係してくる。
採取スキルには、野草採取、木材採取、鉱物採取、魚類採取の四つが存在し、採取スキルも生産スキルと同じように熟練度が上がれば、より希少なアイテムの採取が可能になる。
ヒロトが森を歩きながら野草採取をしていると、森の中にある拓けた場所で複数の人達の声と、固有技の発動音が響くのが聞こえた。
ヒロトはとっさに姿勢を低くして、草の影からその声と発動音を響かせている広場の様子を窺う。
「違う! その回しじゃない! 最初は周囲の敵にフルスイングで敵視を稼げ!」
広場の端では、ランスと大盾を背中に背負ったパラディンの男性が腕を組んで声を張り上げる。そのパラディンの視線の先に居るのは、金属製の鎧に身を包んだ槍士だった。槍士の頭上には若葉マークが付いていて、一目でルーキーということが見て窺える。
「ルーキープレイヤーへの指導か?」
パラディンが槍士に戦い方を教えているのを見て、ヒロトは姿勢を低くしたまま呟く。
シックザールのプレイヤーには、新人教育に熱心な先輩プレイヤーは少なからず存在する。それはプレイヤーの善意による行動でもあるが、先輩プレイヤーがルーキーに指導を行うのは他にも理由がある。
シックザールではダンジョン等のコンテンツの難易度が上がるに連れて、その難易度の高いコンテンツのプレイヤー人口は少なくなっていく。それは、単に難しいところに耐えうるプレイヤースキルを持ったプレイヤーが少ないからだ。その少ないプレイヤー人口を増やすために、先輩プレイヤーは新人プレイヤーのゲームプレイをフォローすることがある。ルーキーを育てることは、将来の高難易度コンテンツに挑戦するプレイヤーの母数を増やすことになり、先輩プレイヤーとしてメリットがあるからだ。
ヒロトは、視線の先で行われている光景も、その先輩プレイヤーによるルーキー教育の風景だと思った。
「よーし、全員集まったな。今日はダンジョン挑戦のためにレベル上げをするぞ。俺に付いてこいっ!」
広場には、パラディンと槍士以外にも数名のプレイヤーが居て、その全員を纏めるようにパラディンが声を掛けて歩き出す。パラディン以外は全てルーキープレイヤーだった。
ただのルーキー教育だと思ったヒロトだったが、どういう指導をするのか気になり、野草採取の手を止めてパラディン達の後を追い掛ける。
「リーナの言ってた色々教えてくれる人ってのは、あのパラディンだったのか」
その一団の後方に、リーナが居た。なんとなく、リーナと会話した時の頼りなさから、ヒロトはリーナのことが心配になった。
パラディン率いるプレイヤーの一団は、森を奥に進んでモンスターが配置されている場所の前で待機する。
パラディンはルーキープレイヤー達を振り返った。
「まずはタンクが敵を釣って自分に敵視を集めろ。アタッカーは素早く敵の殲滅だ。ヒーラーはタンクのヒットポイントに気を配れ。タンクが戦闘不能になると一気に崩れるぞ」
「「「はい」」」
「よし、戦闘はタンクだ。教えた通りにやってみろ」
パラディンが指示すると、剣士が剣を構えてモンスターの一段に突っ込んでいく。
「はあっ! ラウンドライオット!」
モンスター達の中央に走り込んだ剣士は、剣士の固有技ラウンドライオットを使用する。
剣風を伴う素早い回転斬りをおこなうラウンドライオットは、自身の周囲へ向けた範囲攻撃。そして、攻撃を受けた敵の敵視を上昇させる効果がある。そのため、複数のモンスターの敵視を一度に稼ぐのに適した固有技だ。
「くらえ!」
モンスターを攻撃した剣士のプレイヤーがモンスターを引きつけ、それをアタッカーのプレイヤーが攻撃して倒す。そして、攻撃を受けてヒットポイントが減ったタンクやアタッカーをヒーラーが回復していた。それは正に、シックザールで日常的に行われるパーティープレイそのものだった。
「なるほど、実戦的なパーティープレイの練習か」
ヒロトはその光景を見て、感嘆の声を出して感心する。
いくらギルド本部でパーティープレイの基本を教えてもらえると言っても、実際に他のプレイヤーと戦闘を行うのとでは全く違う。タンクの位置取りや、アタッカーの攻撃開始タイミング、ヒーラーの回復タイミングと、パーティーの状況に合わせて臨機応変に対応しなければならない。それは、全ての戦闘が予め決められたシナリオ通りに進むチュートリアルでは経験出来ないものだ。
パラディンのやっているフィールド配置のモンスターを使っての練習なら、まだダンジョンに突入出来ないレベルのプレイヤーでも、パーティープレイを経験出来る。モンスターからの経験値は少なく、キャラクター自身のレベルアップには効果的ではないものの、プレイヤー自身のパーティープレイ経験を積み重ねる上では良い方法だった。
ヒロトが向けている視線の先で、リーナも回復技を使ってタンクやアタッカーの回復を行っている。その様子を見て、ヒロトは安心して背を向けて野草の採取に戻ろうとした。しかし、そのヒロトの背中に、パラディンの大きな声が届く。
「全員、ドロップしたアイテムは俺に集めろ。モンスターがリポップしたら反復練習だ」
「「「はい」」」
パラディンの言葉にルーキー達は素直に返事をして、再び出現したモンスターに対して、同じようにパーティープレイの基本に従った戦いをする。だが、さっきまで感心して見ていた光景に、ヒロトは訝しげな視線を向ける。
ヒロトはその視線を、端でルーキー達を見ているパラディンに向ける。ヒロトの目には、そのパラディンが口を小さく歪めて薄く笑っているように見えた。