第二話:二
ラオネンに戻ったヒロトは、カウンターの向こう側にある椅子に座り、カウンターに肘をついて欠伸を噛み殺した。
街外れにあることで立地が悪い上に、開店したばかりで良い評判も悪い評判も無いラオネンには、客は全く来ない。しかし、ヒロトは全く気にしていない。むしろ、この暇な状況をヒロトは楽しんでいた。
元々居たサーバーでは戦闘系のコンテンツをひたすらやり続けていたヒロトは、その他の生活系のコンテンツにほとんど触れてこなかった。
シックザールには、ダンジョン攻略のような戦うことが主な楽しみとされている戦闘系コンテンツとは違い、シックザール内で店を持ったり物を作って売買したりと言った生活系コンテンツと呼ばれるものも存在する。
生活系コンテンツの多くはプレイヤー一人でのんびり出来るものが多く、黙々と生活系コンテンツをプレイするプレイヤーも少なからず存在する。ただ、のんびり出来るから簡単というわけではなく、生活系コンテンツでも難しいものは存在する。だが、戦闘系コンテンツのようなプレイスキルに左右される難しさというよりも、運や根気が必要な難しさではある。
「ん? 呼び出し?」
ボーッとしていたヒロトのアイテムバッグに入れた通信機から軽快なメロディーが流れて、ヒロトは通信機を取り出し通信を受ける。そして、巻き貝の形をした通信機からは大きなナナミの声が響いた。
『ヒロト! 今何処に居るのよ!』
「ナナミか。今は俺の店に――」
『そこどこっ!』
「街の外れの――」
『分かんない!』
「格闘士とナナミが揉めてた街灯の近くだ」
『分かった。今すぐ行くから!』
そう言って切られた通信機を見詰めて、ヒロトは眉をひそめる。怒鳴り声を上げるナナミの様子から、ヒロトはナナミに良くないことが起こったのは分かったが、情報が少なすぎて首を傾げる。
「今度は何に怒ってるんだ?」
そう通信機に尋ねたヒロトは、無言の通信機をアイテムバッグに仕舞い、また店の外へ出る。そして店の前から街灯の方を眺めていると、すぐに街灯の下にナナミが走って来た。
「おーい、ナナミ。こっちだ」
街灯の下に居るナナミへヒロトが手を上げてそう声を上げると、周囲をキョロキョロ見渡していたナナミの視線がヒロトで止まる。そして、ヒロトに向かって猛ダッシュで駆け寄って来た。
「ちょっと! ヒロト聞いてよッ!」
「分かった分かった。とりあえず中に入って落ち着け。飲み物くらいは出してやる」
何やら怒った様子のナナミをなだめながら店の中に案内する。
店内に入ったヒロトは店の奥でホットミルクを作り、カウンター席に座ったナナミの前にホットミルクの入ったカップを置く。
「奢りだから気にせず飲んでくれ」
「ありがと」
目の前に置かれた木製のカップに入ったホットミルクに口を付けたナナミは、ブスッとした表情をホットミルクに向ける。
「で? 今度はどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないわよ! 何なのよ、あのクエストは!」
「あのクエストって?」
「だって意味分かんないじゃん! 数メートルしか離れてない相手に贈り物を届けろとか、目の前に散らばってるアイテムを拾えとか、自分でやれっての!」
ゴクゴクとホットミルクを飲み干し、ナナミは空になったコップを荒々しくカウンターの上に置いた。
ナナミの不満の種になったクエストは、シックザールや他のMMORPGに限らず、クエストシステムのあるゲームでは定番のことだった。
ナナミが不満を向けているクエストは、通称お使いクエストと呼ばれ、文字通りお使いのような仕事をやらされるクエストになる。見方によれば、お使い程度のクエストで経験値やゴールドを稼げるから楽だ。とも見えるが、大抵はつまらないクエストを繰り返しやらされる、と見るプレイヤーが多い。お使いクエストという通称も、クエストのつまらなさを皮肉って呼ばれるようになったものだ。
「ナナミは今レベルいくつだっけ?」
「今は五」
「じゃあ、あと五はレベルを上げないとダンジョンは挑戦出来ないな。一番簡単なダンジョンでもレベル一〇からだし」
「はぁ? あんなつまんないクエスト、まだやらないといけないの?」
ヒロトの言葉に不満のこもった言葉を返したナナミは、カウンターの上に突っ伏した。
「もうイヤ……飽きた……」
「クエスト以外で経験値を稼いだらどうだ?」
カウンターの上に突っ伏すナナミを見下ろし、ヒロトは両腕を組んで声を掛ける。それに、ナナミは勢いよく顔を上げてヒロトを見上げた。
「えっ? クエスト以外?」
「クエストほど効率は良くないけど、街の外に居るモンスターを倒せば経験値が貰えるんだ」
「それを早く教えてよ! じゃあ――」
「こら、人の話を最後まで聞け」
店を飛び出して行こうとするナナミを制して、ヒロトはナナミにカウンター席に座るよう促す。そしてナナミが席に腰を下ろしたのを見て、ヒロトは話を再開した。
「街の外にはモンスターが居る。この周辺に居るモンスターは弱いから、よっぽどバカじゃない限りやられはしない」
「はぁ!? じゃあ私がそのバカだって言うの?」
「こらこら熱くなるな。俺はそんなこと言ってないだろ。シックザールにプレイヤーキルがあるのは知ってるか?」
「ああ、教官の説明でも言ってたわ。外に出る時は気を付けろって。でも私にはこれがあるし」
ニヤッと笑ったナナミは、自分の頭の上を指さす。その先には、ナナミの頭上でクルクル回る若葉マークがあった。
「教官も言ってたし、ヒロトが初めて会った時に自分で言ってたじゃない。若葉マークが付いてるルーキーはキル出来ないって」
得意げにそう言ったナナミに、ヒロトは冷静な言葉を返した。
「いや、出来るぞ」
「はぁ? じゃあ何? ヒロトと教官は私に嘘を教えたってこと?」
「いや、嘘じゃない。プレイヤーはルーキーに攻撃は出来ない。でも、攻撃しなくてもプレイヤーをキル出来る方法がある」
「プレイヤーを攻撃しなくてもプレイヤーをキル出来る方法?」
首を傾げたナナミに、ヒロトは真剣な口調で答える。
「ああ、俗にモンスタープレイヤーキルって言う方法だ」
「モンスタープレイヤーキル?」
ナナミは聞いたことのない用語に首を傾げる。そのナナミにヒロトは説明をした。
「ああ、フィールドに居るモンスターを他のプレイヤーになすり付けるやり方だ。モンスタープレイヤーキルなら、直接攻撃出来ないルーキー相手でもキル出来る」
「何よ! そんなの卑怯じゃない!」
ヒロトの話を聞いて、席から立ち上がったナナミは、両手をカウンターについて怒りを露わにする。しかし、ヒロトは首を振った。
「システム上は、ルーキーはモンスターに襲われただけだ。やり方はナナミの言う通り卑怯だが、システム上は問題ない」
「でも、それってモンスタープレイヤーキルをする方には何のメリットもないじゃない。ルーキーをモンスターに倒させたって、なすりつけたやつがゴールドを貰えるわけじゃないでしょ?」
「ああ、でもモンスタープレイヤーキルをする人達はゴールドが欲しいわけじゃない。上手くプレイヤーをキルすることを楽しんでるんだよ」
シックザールをプレイするプレイヤーは全世界で数一〇〇万規模になる。そのプレイヤー達の中には悪党を演じるヒールプレイを楽しむプレイヤーも居る。そのプレイヤー達は他のプレイヤーからゴールドを奪うと言うよりも、プレイヤーをキルすること自体を楽しんでいる。
「なんか、やな感じ」
「シックザールは自由度が高くて人気のゲームだからな。そういう楽しみを求めてプレイする人も居る」
「じゃあどうしろって言うのよ」
ストンと腰を落としたナナミは、カウンターの上に置かれた空のコップに視線を落とす。そんなナナミにヒロトは笑顔を浮かべて声を掛ける。
「一緒に行こう。モンスタープレイヤーキラーが出ても、一人より二人の方が対処しやすい。それに俺はカンストしてるし、この辺のモンスターは複数に絡まれても瞬殺出来るから」
「カンスト?」
「今、シックザールではレベルの上限が五〇なんだ。そのレベル上限に達していることをカウンターストップ、略してカンストって言うんだ。カンストしてるやつが一人居れば、この辺のモンスターに絡まれても全く怖くない。だから、モンスタープレイヤーキラーが出ても対処出来る」
ヴォルト近辺のモンスターのレベルは最大でも一〇。五〇レベルのクラスからすれば全く脅威ではない。だから、カンストしているヒロトが居れば、たとえナナミがモンスタープレイヤーキラーに遭遇したとしても、キルされる可能性は限りなく低い。
「それともう一つ注意点。この辺のモンスター狩りはクエストよりも経験値が稼げないから、息抜きだと思ってやった方がいい。最初に簡単なクエストを繰り返すのは、クエストの受け方とか操作に慣れさせる意味があるんだ。つまらないと思うけど、簡単なクエストで効率よく経験値が稼げるからやった方が良い」
「了解! じゃあ早速行きましょ! 街の外出るの楽しみ!」
ヒロトの話を聞いているのかいないのか、席から立ち上がったナナミは店の出入り口まで駆けて行ってヒロトを振り返る。
「ほら! ヒロト急いで!」
ナナミはヒロトを急かすように声を掛けてラオネンの外へ出て行く。
「全く。本当に楽しそうだな」
シックザールを始めた直後は、何もかもが初めて目にすることで、何もかもが初めて経験することだ。だから、全てが新鮮で全てが楽しくなる。ナナミの浮かべていた笑顔は、そのルーキープレイヤー特有の、シックザールという世界に向けた期待感が表れた笑顔だった。その笑顔を見て、ヒロトも自身がルーキーだった頃を思い出した。そして、自分がシックザールを導いた、ルーキープレイヤーだったエリアルランサーのことも。
「おーい! 俺を置いてったら意味ないだろ!」
ヒロトは笑い混じりにラオネンの外にそう叫びながら駆け出した。