第二話:一
【二】
ヴォルトの外れにある真新しい木造の建物。その建物の前に、看板を出したヒロトは大きな欠伸をした。
ヒロトが出した看板には、筆記体の英字で『レストラン ラオネン』と書かれている。その字体からおしゃれさを感じる。だが、看板が出された建物は味のある庶民的な外観をしていた。
看板を出し終えたヒロトは建物の中へ入り、真新しい家具の並んだ店内を見渡す。
カウンターの奥には食器棚や調理器具が置かれ、カウンターの前には三席の丸椅子がある。壁際には小さなテーブルを挟むように置かれた椅子二脚というテーブル席が二組。満席になっても七名の客しか入らない小さな店だ。
「この規模で一〇〇〇万ゴールドだからなー。デカい店持ってる人はどんだけ金持ちなんだろ」
そう呟いたヒロトは、カウンター席に座ってスベスベとしたカウンターの表面を手で撫でる。その直後だった。
「ふざけるなッ!」
店の外から、男性の大きな怒鳴り声が聞こえてくる。その声に店の出入り口を振り向いたヒロトは大きく溜め息を吐いた。
「トラブルか……」
シックザールのジャンルであるMMORPGは、日本語圏で『大規模多人数同時参加型オンラインRPG』と呼ばれる。つまり、同時に多人数のプレイヤーがプレイするゲームになる。
シックザールでは、その多人数のプレイヤーでの共闘や対戦を行え、その中でプレイヤー同士の交流が行われる。それが、シックザールの楽しさでもある。しかし、その交流は何も好意的な交流だけではない。
人と人が関わるのだから当然、プレイヤー間で揉めてトラブルが発生することもある。そして、さっきの怒鳴り声のような声が響くのは、十中八九プレイヤー間のトラブルが原因だ。
プレイヤー間のトラブルはトラブルの当人だけで解決するのが普通だ。全く関係ないプレイヤーが口を出せばトラブルを治めるどころか、かえって火に油を注ぎかねない。だが、それが分かっていながらヒロトは店の外へ飛び出した。
店の近くにある街灯の下で、背中に木製のトンファーを背負った格闘士の男性プレイヤーが立っている。そして、格闘士の正面には、腰に初期装備の片手剣を携え、背中に同じく初期装備の盾を背負った剣士が立って居た。その二人はにらみ合い、明らかに揉めている最中だった。
褐色の肌に赤髪の長いポニーテールをした剣士の少女は、目の前で自分を指さしている格闘士に睨みを返して声を張り上げた。
「ハァッ? 意味分かんないしッ! そもそも男のくせにしつこいとか気持ち悪いのよ!」
お互い顔を真っ赤にして怒鳴り合う剣士と格闘士の姿を、周りを通り過ぎるプレイヤー達は遠巻きに見ている。それはそれで、正しい行動であるとも言える。しかし、ヒロトは二人に向かって足を進めた。
「黙って聞いてれば好き放題言いやがって!」
「さっきから一秒も黙ってないじゃない! 自分から声掛けといてよく言うわね!」
「このッ!」
「わー、待て待て!」
格闘士がトンファーを手に取ったと同時に、ヒロトは両手を前に突き出して格闘士を制する。
「落ち着け。首都内でのプレイヤー攻撃は出来ないぞ。それに、プレイヤー攻撃出来ても相手はルーキーだ」
ヒロトは剣士の少女の頭上に浮かんだ若葉マークを指さす。その若葉マークは剣士の彼女がルーキーであることを示すマークだった。
ルーキーとはシックザールを開始してから二四時間未満のプレイヤーを指す言葉で、ルーキーに対しては一切のプレイヤー攻撃は行えない。
もし仮に、ルーキーを攻撃した場合、攻撃したプレイヤーの目の前に断罪者と呼ばれるNPCが出現し瞬殺される。更に、瞬殺されたプレイヤーは強制的に隔離世界に送られ、隔離世界で待ち構えていたゲームマスターに「なんでここに居るかお分かりですか?」という丁寧な決まり文句から始まるお叱りを受ける。そして、散々お叱りを受けた末に、所持ゴールドを全額没収されてしまう。
現状では、首都内での攻撃自体が不可能なためトンファーが弾かれるだけで済み、断罪者は現れない。だが、たとえシステムとしてルール違反とされなくても、ルーキーに対して攻撃するというのは褒められることではない。
「いったい何があったんだ?」
「俺は帰る!」
ヒロトは事情を聞こうと格闘士の男性に尋ねるが、格闘士の男性は構わずそう吐き捨て、舌打ちをしてその場から立ち去って行く。それを見送ったヒロトは、残った剣士の少女に視線を向けた。
「君、シックザールはいつから?」
「二時間くらい前から」
格闘士に怒鳴られたことが尾を引いているのか、剣士の少女は唇を尖らせて不機嫌そうに答える。
「それで? さっきの格闘士とは何があったんだ?」
「いきなり近付いて来て、結婚しませんかって言うから、うるさい変態って言ったら、向こうがキレたのよ」
「なるほど……」
ヒロトは頭を右手で抱え、格闘士の男性が立ち去った方向に視線を向けて小さく息を吐いた。
結婚は、シックザールをプレイする男性プレイヤーと女性プレイヤーがゲーム内で結婚をするシステムそのままを指す。
男性プレイヤーの中には、その結婚システムの相手を見付けるために、女性プレイヤーと仲良くなろうとするプレイヤーも多い。
ただ、プレイヤー全てがきちんと結婚に至るまでの段階を踏めるプレイヤーばかりではない。さっきの格闘士のように、いきなり結婚を申し込んでしまうプレイヤーも少ないが存在してしまう。
声を掛けられる側の女性プレイヤーとしては、いきなり声を掛けられた初対面の男性から結婚を申し込まれても気味が悪い。だから、剣士の少女の反応は自然なものだった。
「災難だったな」
「ホントよ! いきなり変態に出会すなんて!」
当然の怒りを露わにする少女を見て、ヒロトは剣士の少女に言葉を掛ける。
「お節介ついでに、シックザールを始めたばかりなら、この街のギルド本部にいる教官からパーティープレイの基礎ってクエストを受けてた方がいいよ。経験値も貰えるし、やってるのとやってないのじゃ、知識的な意味で結構今後のプレイに影響するから」
「ギルド本部?」
彼女は首を傾げて眉をひそめる。剣士の少女の反応は無理もなかった。シックザールを始めて二時間の剣士の少女が、街の建物を全て把握出来ているわけがないからだ。
「えっと、場所はここ」
ヒロトはヴォルトの地図を表示してギルド本部の場所を教える。しかし、剣士の少女は今度は逆向きに首を傾げて眉をひそめた。
「私は今、この地図の何処に居るわけ?」
「……ギルド本部まで案内するから付いてきて」
自分で地図を開けば、地図上に自分の位置が表示される。それに、地図はギルド本部に行けば無償で配られている。だが、まだギルド本部の場所を知らない剣士の少女が、地図を持っていないことは明らかで、ヒロトは剣士の少女を案内することにした。
「俺はヒロト。君の名前は?」
ヒロトはギルド本部まで歩きながら、剣士の少女へ自己紹介をする。それに、剣士の少女はさっきまでの不機嫌な表情は消して答えた。
「私はナナミよ。それでヒロト、パーティープレイの基礎って?」
「まあ、それはクエストを受ければ分かる。着いた、ここがヴォルトのギルド本部だ」
木造の大きな建物の正面にあるスイングドアを抜けると、最奥のカウンターに沢山のプレイヤーが群がっていた。その全てが、人間の操作するプレイヤーキャラクター達だった。
様々な外見のプレイヤーが行き交う姿を見て、ナナミは目を見開いて驚く。
「す、すごい」
「ギルドでは色んな種類のクエストが受けられる。クエストにはそれぞれ目的があって、その目的を達成すればゴールドや報酬のアイテム、他には経験値を貰えるんだ。みんなそのクエストを受けたり、クエストの完了を報告したりするために来てるんだ。それで、ナナミに受けてほしいクエストはこの人から受けられる」
ギルドの端に立っている屈強な男性を指さし、ヒロトはナナミに顔を向ける。
「おうヒロト。新入りを連れてきたのか?」
「久しぶり教官。彼女にクエストを受けさせてほしいんだ」
「分かった。パーティープレイの基礎、のクエストを受注するか?」
「え?」
急に教官に話し掛けられたナナミは戸惑って聞き返し、視線をヒロトに向ける。
「とりあえず受けて」
視線を合わせたヒロトにそう言われ、ナナミは戸惑いながらも頷いた。
「受けるわ」
「よーし、では訓練場に移動する」
そう言った教官は、ヒロトとナナミに背を向けてギルド本部の奥にゆっくり歩いて行く。
「ついて来て。地下にある訓練場でパーティープレイのチュートリアルが始まるから」
ヒロトは教官の後をついて行きながら、ナナミに手招きをする。
二人が教官について行き地下へ着くと、ギルド本部の地下には円形の訓練場が広がっていた。その訓練場の中央には、教官が腕組みをして立っている。
「シックザールのパーティープレイにはロールというものが重要になる。ロールにはパーティーの盾となるタンクと、ダメージを回復してパーティーを支えるヒーラー、そして敵を素早く殲滅する役割のアタッカーがある」
「タンクとヒーラーとアタッカー? 私はどれ?」
「剣士であるナナミはタンクだ。クラスにはそれぞれ適したロールがある。冒険に慣れて余裕が出来たら他のロールのクラスをやってみるといいだろう」
教官が手招きをすると、訓練場にいきなり一人の兵士が現れる。
「タンクはパーティーの盾となるため、敵の攻撃を自分に集める必要がある。そこで重要になるのがヘイトだ」
「ヘイト?」
「ヘイトは敵視とも言い、どれだけ相手に狙われているかを示す。説明するために、一時的に私とパーティーを組もう」
教官の言葉の直後、ナナミの視界にパーティーメンバー欄が表示されて『教官』というキャラクター名とヒットポイントとマジックポイントを示すバーが表示された。そして、教官が腰から剣を抜くと、現れた兵士が自身の持った槍を向けて空振りを繰り返す。
「パーティーメンバー欄の名前の横を見ろ。私の名前の横に一という数字が見えるだろう?」
「うん。確かに一って書いてある。私の名前の横には二って書いてあるわね」
「その数字は今誰が一番この兵士のヘイトが高いかを表している。そして、この兵士はパーティー内で一番ヘイトの高いプレイヤーをターゲットして攻撃してくる。タンクは、常にパーティー内でヘイト一位を維持しなければならない。それがタンクの役割だからな」
教官は抜き身の剣で、自分に空振りを繰り返す兵士を指した。
「ナナミ、この兵士を攻撃してヘイト一位を俺から奪ってみろ」
「分かった。 はあっ!」
教官の指示を受けて、ナナミは右手に持った剣で兵士を斬り付ける。ナナミの攻撃が命中すると、兵士は体の正面をナナミに向けて、今度はナナミに向かって空振りを繰り返し始めた。
「上出来だ。タンクを行えるクラスの通常攻撃は、他のクラスの通常攻撃よりもヘイトの上昇率が高くなっている。しかし、だからと言ってサボっていてはヘイトをすぐに他のメンバーに取られてしまう。タンクとして戦う時は、常にヘイトの順位に注意して戦うように」
そう言った教官が二連撃を兵士へ加えると、また兵士はナナミから教官へ空振りを始める。
「攻撃を続けることでもヘイトを稼げるが、ヘイト上昇効果のある固有技を織り交ぜることで、効率よくヘイトを稼ぐことが出来る。剣士の固有技、スラッシュラッシュを使ってみろ。固有技を使う時は、技名を叫ぶんだ」
「分かったわ。スラッシュラッシュ!」
ナナミが固有技名を叫ぶと、ナナミの剣が光のエフェクトを纏い、自動的に右斜め振り下ろし、左斜め振り下ろし、右横斬り、左横切り、正面縦斬りの五連撃を行うスラッシュラッシュが発動する。スラッシュラッシュを受けた兵士は、スラッシュラッシュを繰り出したナナミに向かってまた空振りを向けた。
「スラッシュラッシュには、敵一体のターゲットを自分に向けるという効果がある。もし他のメンバーにヘイトを取られてしまった場合は、すかさずスラッシュラッシュを叩き込んでヘイトを取り返せ」
その後、盾による防御方法や、自身の防御力を高める、防御バフの扱い方のチュートリアルが行われ、全てのチュートリアルが終了すると、教官は両腕を組んで大きく頷いた。
「よーし今回はこんなものだろう。これでパーティープレイの基礎、のクエストは終了だ。だが、パーティープレイで最も重要なのはプレイヤー同士の助け合いだ。仲良くマナーを守ったパーティープレイを心掛けるように!」
そう言い終えた教官は階段を上り元の場所に帰って行く。それを見送ったナナミは小さく息を吐いた。
「ふぅ~、タンクって結構大変ね。敵が何体も出て来たら全部のヘイトを集めないといけないんでしょ?」
「まあ、最初の方は多くてせいぜい一度に三体くらいだよ。もちろん、レベルが高くなってくると、一度にもっと沢山の敵が出てくるけど」
「ふーん。ところでさ、次は何をやればいいの?」
ナナミは周囲を見渡した後にヒロトへ尋ねる。地下の訓練場には、訓練を行っているアニメーションを繰り返すNPC以外には、ヒロトとナナミしか居ない。
「上のクエストカウンターで今のレベルに合ったクエストを受注出来るから、それをこなしてレベル上げかな。そのうち、ダンジョンに行ってボスを倒して来いとか、そういうクエストも受けられるようになる」
「マジ!? ダンジョン、チョー楽しみ!」
満面の笑みで飛び上がって喜ぶナナミに、ヒロトは近付いて一枚の紙を差し出す。
「これ、フレンド登録証。使えば自動的に俺がナナミのフレンドリストに登録されるから、何か困ったことがあったら声を掛けて」
「えっ? フレンドになってくれるの!?」
ヒロトからフレンド登録証を受け取ったナナミは、嬉しそうに声を上げて聞き返す。
「もちろん。まあ、これも何かの縁だし、街外れで店もや――」
「ありがと! うわー! フレンドとか凄い!」
両手でフレンド登録証を持ったナナミがすかさずフレンド登録証を使用すると、フレンドリストにヒロトの名前が追加される。ヒロトも自分のフレンドリストを確認すると、ナナミの名前が追加されていた。
フレンドはシックザール内での友達関係を表し、フレンド同士は離れた場所に居ても通信機というアイテムを使ってコミュニケーションを取ることが出来る。
「じゃあ、さっそくクエストやってくる!」
「ああ、気を付けて」
ナナミが手を振って階段を駆け上がって行くのを見送ったヒロトは、両手を腰に置いて小さくはにかみ呟いた。
「さて、店に戻るか」