第一話:二
タンクスイッチは、ダークナイトが言ったようにデバフの残ったタンクとスイッチしても意味がない。だから、タンク達が互いのデバフ状況を把握している必要がある。それをクリア目前で怠っていたパラディンは、タンクとしてパーティーメンバーに醜態を晒した。しかし、パラディンはそれに構う気が起きないほどダークナイトの発言に腹を立てた。
シックザールでは、ロール制による弊害によりプレイヤーの間で優劣が出来てしまっている。
タンクは敵の攻撃を受けてパーティーを守るという役割上、ダンジョン攻略において先頭に立ち、パーティーリーダーのように行動することが多い。そのため、パーティーの行動を決定するため、パーティー内では発言力が強い。
ヒーラーは回復や蘇生をするという重要度が高いロールのため、タンクに次いで二番目に発言力がある。しかし、アタッカーは発言力が一番弱かった。
アタッカーはダメージを出すという大きな役割がある。しかし、アタッカーが戦闘不能になってもパーティーは目に見えて崩れない。
タンクが戦闘不能になれば、今回のヨルムンガンド戦のように他のパーティーメンバーを敵が攻撃して全滅を招く。そして、ヒーラーが戦闘不能になれば、回復出来るプレイヤーが居なくなり、タンクを支えきれなくなって全滅を招く。だが、アタッカーが戦闘不能になったからと言って、パーティーは全滅にならない。
破天の塔のような高難易度レイド攻略には、一定時間に定められたダメージ量を出せなければ全滅になる、DPSチェックと呼ばれるシーンが戦闘中に存在する。そのDPSチェックを越えられなければ、強制的に全滅になる攻撃を敵がしてくる。そのため、DPSチェックを越えられないという点では、アタッカーの戦闘不能は致命的な損失になっている。だが、戦闘不能で分かりやすくパーティーが崩れてしまうタンクとヒーラーに比べて、アタッカーは軽視される節がある。だから、アタッカーはプレイヤー間で最下位の地位に置かれている。
そのアタッカーに反論されたため、タンクのパラディンは怒ったのだ。
「てめぇの代わりなんて幾らでも居るんだよッ! 出て行けッ!」
パラディンの言葉にダークナイトは小さく溜め息を吐いて立ち上がる。パーティーから出て行け、その言葉はダークナイトにパーティーから外れろという意味だった。
パラディンがダークナイトをパーティーから追い出す行為はキックと呼ばれ、正当性のないキックはシックザールの規約違反に当たる。
「分かった。じゃあ、俺はこれで失礼する」
ダークナイトは、パラディンの不当なキックを素直に受け止めた。それは、自分の非を認めたというわけではなく、不当なキックを行うパラディンと一緒には攻略出来ないという意思表示だった。しかし、ダークナイトが歩き出そうとした瞬間、女性プレイヤーの声が上がる。
「私もこれで失礼します」
ダークナイトの隣に座っていた、スピアを背中に携えたエリアルランサーが、ダークナイトに続いて立ち上がった。銀髪をした北欧系美女のエリアルランサーのパーティー離脱発言に、ダークナイトをキックしたパラディンは焦った様子で声を掛ける。
「き、君は抜けなくて良いだろ。他のアタッカーを補充すれば、次の挑戦でクリア出来る! ワールドファーストは逃したけど、上手く行けばワールドセカンドだぞ? クリアしたくないのか?」
そのパラディンの言葉に、エリアルランサーは冷たい視線を返して口を開いた。
「パラディンさん。パラディンさんはヘイトシステムはご存知ですか?」
「ヘイトシステム? そんなの初歩の初歩だろ。タンクなら当たり前だ」
ヘイトシステム。そのヘイトシステムのヘイトは、敵視という言葉を意味する。
シックザールでの戦闘において、パーティーが戦う敵にはそれぞれヘイトというものが存在する。シックザールでヘイトは内部では数値化されているものの公開はされていない。しかし、ヘイトは順位としてパーティーに表示される。基本的に、そのヘイトの順位が高いプレイヤーへ向かって、シックザールの敵は攻撃をしてくる。
ヘイト一位のプレイヤーが戦闘不能になれば、ヘイト二位のプレイヤーがヘイト一位に繰り上がり、敵は新しくヘイト一位になったプレイヤーへターゲットを向けて攻撃をしてくる。それが、ヘイトシステムの仕組みになる。
ヘイトシステム上、敵はヘイトが一位のプレイヤーへターゲットして攻撃を行うため、メインタンクはその役割から、常にヘイト一位を維持しなければならない。だから、高難易度レイドまで挑戦するタンクが、ヘイトシステムを理解していないのはあり得ない話だ。それは、パラディンにヘイトシステムについて尋ねたエリアルランサーも分かっている。つまりは、エリアルランサーはパラディンに皮肉を込めてヘイトシステムについて尋ねたのだ。
「知っていましたか? さっきのヨルムンガンド戦、ヘイト二位はずっとダークナイトでした」
「なっ、なんだって!?」
エリアルランサーの言葉にパラディンは驚く。
今回の破天の塔五階攻略パーティーには、パラディン、ホーリーナイト、バーサーカーの三名がタンクとして参加していた。タンクの扱う固有技にはヘイトを上昇させる効果のある攻撃が多い。だが、メインタンクをしているパラディンからヘイト一位を取るわけにはいかないため、ホーリーナイトもバーサーカーもヘイト上昇は避けた攻撃を行っていた。しかし、それでもタンクを担うクラスの通常攻撃もヘイトを上げやすく設定されている。だから、メインタンクでなくても、タンクは自然とヘイトを稼いでしまうため、必然的にヘイト上位に居るものだ。しかし、今回のヨルムンガンド戦では、メインタンクを担っていない二人のタンクを差し置いて、ダークナイトがヘイト二位を維持していた。
ヘイトの上昇は、タンクの固有技や通常攻撃以外にも二つ存在する。
一つはヒーラーの行う回復行動。
ヒーラーがパーティーを支えるために回復魔法や回復技を使用すると、ヒーラーに対するヘイトは上昇していく。
そしてもう一つは、相手に与えたダメージ量。
ヘイトの意味である敵視という言葉から想像しやすいように、自分に多くのダメージを与えているプレイヤーはヘイト順位が高くなる。しかし、メインタンクのヘイト効果のある技で上昇するヘイトよりもダメージによるヘイトの上昇率が少ないため、いくら攻撃力が高いからといって、必死にヘイト一位を維持しようとしているメインタンクからヘイト一位を奪うことはまずあり得ない。
今回のパーティーでもヘイト一位は常に、その時メインを張っているタンクが持っていた。しかし、二位は常にダークナイトだった。それは、ダークナイトの与えていたダメージが、サブタンク二名が無意識に稼いでいるヘイトを上回る程出ていたということになる。それは、並のアタッカーでは陥らない状態だ。
つまり、ダークナイトはアタッカーとして異常な程のDPSを叩き出していたということになる。
「パラディンさんが戦闘不能になった時にダークナイトが前へ出たのは、自分がヘイト一位になって攻撃が自分へ向いた時にパーティーを巻き込まないためです。ダークナイトがバーサーカーさんにスイッチを指示したのも、さっきダークナイトが言っていたように間違っていません。焦ったバーサーカーさんが、ヨルムンガンドの前に出ずに背面でスイッチしたのが良くなかったんです。それなのに、パーティーで一番DPSを出しながらパーティーをフォローしたダークナイトをキックするなんて……。私はそんなタンクにはついて行けません」
そう言い切ったエリアルランサーは、隣に居るダークナイトに顔を向ける。
「行きましょう、ヒロトさん」
破天の塔五階クリアパーティーが出た数日後、シックザールの一プレイヤーであるヒロトは木製のベンチに腰掛けて目の前を流れる川を眺めていた。
ヒロトが居るのは、シックザールに存在するグロース大陸の東部に建国されたナトゥーアの首都ヴォルト。ナトゥーアは全体的に自然豊かな国で、ヴォルトも森の真ん中にあり木造の建物で統一された落ち着いた街だ。
シックザール内の時間で早朝の今、ヒロトは背中に携えた漆黒の両手剣の柄に手を触れる。その表情は少し憂いを帯びていて、寂しさが滲んでいた。
「ヒロトさん、クエストに付き合ってくれませんか?」
ベンチから立ち上がろうとしたヒロトの前に、背中にキラキラと輝くクリスタル製のスピアを携えたエリアルランサーが現れた。
「クエスト?」
「はい」
「まあ、いいけど今更ユキナがやるクエストなんてあったか?」
時間を気にする様子を見せたヒロトに、ユキナと呼ばれたエリアルランサーは声を掛ける。
「行っちゃうんですね」
ユキナはヒロトの顔を見て、自然な笑顔を浮かべようとする。しかし、そのユキナの声には寂しさが込められていて、ヒロトを引き止めるような色も混じっていた。だが、ヒロトはそんなユキナにニコッと明るく笑って言葉を返す。
「そんな寂しい顔するなよ」
「でもサーバーを移動するんですよね……」
遂に笑顔も浮かべられなくなったユキナは、弱々しい声を漏らしながら地面に視線を落とした。
シックザールを含めたMMORPGでは、サーバーという物が存在する。
サーバーはプレイヤーがオンラインプレイをする際に繋げる接続先のコンピューターを指す。ヒロト達がプレイするシックザールには、合計で六〇のサーバーが設置されている。
それぞれのサーバーでプレイ出来る内容は全く同じだが、別サーバーのプレイヤーとは一緒に遊ぶことは出来ない。つまり、ヒロトが今居るサーバーから別のサーバーに移動すると、ヒロトとユキナは一緒に遊べなくなり、ゲーム上でもう会えなくなる。
「なんでヒロトさんがサーバーを変えないといけないんですか!」
顔を俯かせて寂しさを滲ませていたユキナは、顔を上げて涙に潤んだ瞳でヒロトに叫ぶ。しかし、ヒロトはそのユキナに苦笑いを浮かべた。
「そうは言われてもな。このサーバーに居るとギルドのみんなに迷惑が掛かるだろ? それに、俺もこのサーバーじゃまともに遊べなくなったし」
シックザールではプレイヤー間でギルドという集団を組織出来る。ユキナとヒロトは同じギルドに所属していた。
ヒロトは破天の塔五階攻略の失敗後、サーバー内で『破天の塔攻略を台無しにしたプレイヤー』という評判になっていた。そのせいでヒロト本人のみならず、ヒロトと同じギルドのメンバーにも誹謗中傷が向けられ、つい最近では同じギルドメンバーにプレイヤーキルの被害が出た。
プレイヤーキルは他のプレイヤーを攻撃して戦闘不能にする行為を指す。
シックザールではプレイヤーキルがシステム上可能になっていて、他のMMORPGであるような、経験値が減ったり所持品を全て落としたりしてしまうようなデスペナルティーがない。シックザールのデスペナルティーは、所持金のごく一部を失うくらいという軽いものだ。
デスペナルティーが軽いため、シックザールでは安易な理由でもプレイヤーをキルしてしまう人が多い。ヒロトは、その安易なプレイヤーキルの原因に自分がなってしまったことをギルドメンバーに申し訳なく思っていた。
ヒロトの所属していたギルドのメンバーに対するプレイヤーキルは、ヒロトに味方したプレイヤー達への見せしめだった。だが、たとえデスペナルティーがないとしても、プレイヤーキルをされるのは気持ちの良い話ではない。そして、自分のせいで一緒に遊んでいたギルドメンバーがプレイヤーキルをされたことは、ヒロトにとって耐えられることではなかった。
「私も一緒に――」
「なんでユキナまでサーバーを変える必要があるんだよ。ギルドでも楽しそうにしてるじゃないか。それにみんなで頑張ってマイハウスを買ったばかりだろ。あんなにゴールド稼ぎ頑張ってたのに抜けるなんてもったいない」
「確かに今のギルドは居心地が良いです。だからみんなでマイハウスを持つために頑張りました。でも、そこにヒロトさんが居ないのは納得出来ません! ヒロトさんだってゴールド稼ぎをした上に、貯金してたゴールドをギルドに寄付して協力してくれたじゃないですか!」
「そうは言われてもな。もう手続きをした後だし、それに……やっぱり俺はこのサーバーに居ちゃダメなんだ」
涼し気な美女の見た目からは想像出来ない熱い口調で言うユキナに、ヒロトは苦笑いを返す。
ユキナは俯いて拳を握り、首を振ってヒロトを見返す。
「…………ヒロトさん、行かないで下さい」
「ごめんな」
弱々しくそう言うユキナに困ったように笑ったヒロトは、近くにあった屋台へ近付いて買い物をして戻って来る。
戻って来たヒロトは右手をユキナに差し出す。その右手には、ホカホカと湯気を立ち上らせるパイが握られていた。
「ホカホカのハニーパイ……ヒロトさんと初めて会った時に奢ってくれましたよね」
「あの時は痛々しかったな。初めてプレイヤーキルされてしょぼくれてたユキナは、あのベンチに座り込んでた」
ヒロトは視線の先にあった切り株で出来たベンチを指さして笑う。それを、ユキナは両手でハニーパイを持ちながら、必死に笑顔を作った。
「そこにヒロトさんがハニーパイを持って優しく声を掛けてくれて。私はヒロトさんに出会わなければ、ここまでシックザールを続けてませんでした。だから――」
「んで? クエストは何のクエストを受けるんだ?」
自分の分のハニーパイをかじりながら、ヒロトはユキナの話を遮る。ヒロトは昔のことを思い出されて恥ずかしくなったのだ。そんなヒロトの態度に、ユキナはニッコリ笑った。
「ヒロトさんは照れ屋ですね」
「からかうなよ。それで? クエストってのは?」
ばつが悪そうに視線を逸らしたヒロトが言うと、ユキナはクスッと笑って視線をヒロトの横顔に向ける。
「ヒロトさんと初めて一緒にやったクエストです」