エクレア
この小説は完全なフィクションです。
「うわぁ……私またおちてるなぁ」
ぼんやりと目覚めて、つぶやいた。そこには自分の部屋で遭難している自分がいたからだ。捨てればいいだけなのに、隣の山はタバコの空き箱でできている。かごにいれるべきなのに、その隣の山はお洋服でできている。しまう場所はちゃんとあるのに、反対側の山は文庫本でできている。私は遭難していた。
寝転がったままくしゃくしゃとかいた頭から、一房の髪が目の前に下りてくる。白いものが混じっている。
「増えたなぁ……」
特にこの何ヶ月かで増えた気がする。もうすでにそやつを見つけたときのショックはない。
はじめて白髪を発見したのは、確か二十三歳くらいのときだった。ショックだった。すかさず抜いた。その後は何年もお見かけしなかった。たぶんストレスだったのだろう。初めて眉毛の中に見つけたときは、さらにショックだった。
「白眉って賢い人のことだよ」と誰かに言われ、納得したふりをして、それでも抜いた。最近でもごくたまにお見かけする。
まつげの中に発見したときのショックは言い表せない。
「えっ……」
絶句。しばし固まる。肺に酸素が残っているくらいの時間は固まっていた。息をしていなかったことに気づいて動き始めた。抜こうにもまぶたがついてきて抜けず、それはそれは慎重にはさみで切った。あれ以来まだお見かけしていない。
大人になるとはじめてはあまり楽しいことではなくなるのはなぜだろう。初めての皺、初めての物忘れ、初めての白髪……もうやつを初めて発見できる体毛の生えている場所も数少ない。
春は基本的に苦手だ。それはたぶん、最後の卒業からだろう。それまでは春が来れば否応なしに新しい環境が待っていた。いつもステップアップが用意されていたのだ。それがなくなってから、春が好きではなくなった。わくわくしなくなり、そのうちぐだぐだするようになった。
「小学校六年生は中学一年生になり、中学二年生は三年生になる。卒業した新入社員たちは社会人になって、みんなステップアップしているのに。私は去年とおんなじだ」
いや、同じではない。確実に年だけ食って、後退すらしているのではないか。
今年こそ、おちたくなかった。だからいつもと違うことを心がけてみた。
占いはみない。登録していた占いを解除し、かの有名占い師から卒業した。
ふらふらとのみにいかない。早起きするようにして、早寝してしまうようにした。
他人と比べない。人は人、自分は自分。いつもそうして生きているのに、こんなときだけ比べるなんてずるいよと言い聞かせた。
だがだめだった。偶然にも――たぶん偶然にも、周りに不幸な人が続出した。父親が不幸に見舞われた人が二人、自身が事故にあった人が二人。
「やっぱり私のせいかなぁ……」
負のオーラを撒き散らしている気がしてならない。どんなに偶然だと言い聞かせても、心の片隅で信じていない自分がいる。
たとえば自分が欝だと診断されたらどうなるんだろう。病名がつけばちょっとは楽かもしれない。欝はがんばってはいけない病気らしい。これ以上がんばらないなんて、それこそ罪悪だ。怠けている自分に耐えられなくなる。
「本当に病気の人に申し訳ない」と思いそうだ。きっと欝じゃなくて怠けたい病だから。それにこれくらいの落ち込みは大人になれば誰でも経験するだろう。
「年末、大掃除したかな」
ぼんやりと考える。一昨日の夕食のメニューすら思い出せないのに、そんなことは覚えちゃいない。
「……大切なのは、現実。今は自分の部屋でごみに埋もれているのだけは、紛れもない事実」
心に浮かんだことは、どんなに時間がかかっても思い出さないと、記憶力は衰えていく一方だというどこかで聞いたフレーズが脳裏をよぎるが、見なかったことにする。
ため息が出る。幸せがにげるらしいが、もうにげそうな幸せもみあたらない。
「私、なんのためにいきてるんだろ」
そう思ってしまい、目をぎゅっとつぶって眉間に皺を寄せた。
そんなテーマは誰でも一度は考えるだろう。私は中学生のとき、暇さえあれば考えていた気がする。それは『私』はなんのために生きているか、ではなく『人』はだった気がする。生意気で純朴だった当時の私の結論は『死ぬため』となった。他のことはその人の置かれた立場や持っているものによって違うけれど『死』だけは必ず訪れる。そんな結論からだったような気がする。要するに究極の結果至上主義だったわけだ。その後は遠い未来のことよりも、たった今が大切になってしまい、考えることさえしなくなっていた。
大人になって、周りにも自分にもちょっとは寛大になった私は結果だけがすべてではないと思えるようになった。だがそれはさらに人生を複雑なものにしている。
「だったら、何のために?」
そう考えてしまう自分がいるのだ。それが見出せないならば、結果を出すしかないような気分に襲われる。
周りに降りかかる不幸、無気力な時間、そういえば厄年かもしれない自分……
「お払いいくべきかな」ごにょごにょと口の中で言って寝返りをうつ。出かけたくない。
初詣以外にほとんど神社仏閣に立ち寄らない私が、去年の秋、わざわざ京都まで行ったことを思い出した。
そこはお願い事をひとつだけかなえてくれるお寺だった。私は以前そこのお守りをお土産にもらい
「宝くじがあたりますように」と願った。そこそこの金額があたった。それからもう何年もたっていたが、なんとなく思い立ってお参りにいったのだ。説法では、欲の深いお願いはきいてもらえないと説いていた。だが強く願うことで自分自身も努力をするから願いが叶うともいっていた。自分の身の丈にあったことを願い、そのために精進しろということなのか。
「あたんないなぁ」
私はまた宝くじがあたるようにと願った。今度は『億単位で』との断りつきだ。それを欲深だとは思わない。億単位の当選金があるくじを買い続けているから、努力も怠ってはいない。
人生において欲ほど必要なことはないと信じている。
きれいだといわれたい。賢くなりたい。好きだといわれたい。楽をしたい。いい酒を飲みたい。いい女を抱きたい……欲があってこそ、人間は努力をする。だから欲ほど大切なものはないと思っている。
私がだめになるときはだいたい欲がなくなる。なんでも、
「別にいいや」と思ってしまう。だってもともときれいじゃないし、『薔薇』って漢字はかけないけれど読めるくらいの教養はある。好きだといわれたい相手もいないし、これ以上楽をしたら罰があたる。いい酒にもいい女にも興味はない。
自分の楽しみが思い出せない。カチカチと耳障りな音のする目覚ましを眺める。そういえば毎週見ているドラマを見逃してしまった。でも、まあいい。見ているときは楽しいけれど、見逃してもこんなもんだ。
「ん……?」
逃す、という言葉が無気力な心に珍しくひっかかった。
「逃す、逃す……私は何かを逃した」
ドラマはわかっているけどひっかかるほどのことではない。なんだろう……今日は木曜日。くじの売り切れまではまだ時間もあるし。今日は四月三日……
「ああ!」
一年で一番ファニーな日を忘れて逃していた。エープリルフール。毎年楽しい嘘を考えてこのいやな時期を乗り切る糧にしていたのに、今年はいつもと違うことをしようなんて試みにでたものだからすっかり忘れていた。痛恨のミスだ。嘘をつかなかったエープリルフールなんて大人になってから初めてじゃないか。
私は寝転んだまま両手で頭を抱えた。しばらくそうやって自分の失敗を後悔していたが、そのうち笑いがこみ上げてきた。
「なんだ、初めてでも楽しいこともあるじゃん」
確かに後悔しているけれど、忘れていた自分がこんなに悔しいことを思い知った。誰かかが驚く顔を見ることを楽しみにしている自分の無害な底意地の悪さに気がついた。
「くくくくく……」
小さくだけれど、声を上げて笑った。なんだ、まだまだ子供じゃないか。そんなこともすっかり忘れて大人のふりでいろいろ行き詰っていた。あまえたやつめ。中学生のときとちっとも変わってない。明確には見えないかもしれないけれど、まだまだ進歩の余地があるじゃないか。忍び笑いをしていると、お腹がぐうとなった。そういえば最後に何か食べたのはいつだっけ。
私は思いついて立ち上がり、適当に着替えた。エクレアを買いに行こう。足元でタバコの空き箱の山が崩れたがそんなちっぽけなことは気にしない。今の私はファニーなことを思いついている。エクレアにかかっているチョコだけを食べて、そのあとは中のカスタードだけ食べてやる。それから他の味付けを許さないシューだけを堪能するのだ。
そう、私は今、大人気ない食べ方をするために生きている。誰にも迷惑はかからないけれど、エイプリルフールを忘れた大人ぶりっこの自分に復讐する欲望を満たすために。
食パンの額縁食べも、いいかなぁと思ったのですが、エクレアのほうがかわいいので採用しました。




