第四話 殺人鬼に一目ぼれ
ある日、私は通っているS市立大学の食堂内で、エミと一緒にご飯を食べていた。
「エミ、本当にそれだけでいいの?」
「なにがだね?」
「いや……サラダと冷奴だけで足りるのかなーって……」
「ふむ、私がスポーツ選手であればこれでは足りないだろうがね。『獲物』である私にはこれくらいで十分なのだよ」
そういえば、エミは心なしか食事というものをあまり楽しんでいないように感じられる時がある。なんというか、不機嫌になるというか……何か食事というものにトラウマがあるのだろうか。
「ふむ、ルリはハンバーグ定食を選んだのか」
「え? うん、ちょっと今日は午後の講義が多いから、エネルギー貯めるためにね」
「ルリの栄養源になるのであれば、牛や豚も本望だろう。少し嫉妬してしまうね」
……どういう意味だろう、今の。
「ところでだ、君の午後の講義というのは二年生の必修科目のようだが……私が参加してしまっていいのかね?」
「私がエミから目を離した隙に、『殺されてました』なんてことになるより遥かにマシ。教授に何か言われたら、論文の盗作でもネタにして脅すまでよ」
「これは恐ろしいね。どうやら私は君から逃れることは出来ないようだ」
「それがわかっているなら、いい加減『殺されたい』っていう願望は、小説の中だけにしてほしいものね」
「これは手厳しい」
くくく、と口の中で含むような笑いを見せた後、エミは鞄から紙の束を取り出した。
「そんなルリの要望にお応えして、また小説を持ってきた。今度は今までの作品とは設定を大きく変えたものだ」
「……設定の変更、ねえ」
いくら設定を変更しても、エミのことだから『殺されたい』という根幹のテーマは変わっていないのだろう。そう思いながら小説を受け取って、タイトルを見てみる。
『ああっ、ぶち殺されたいっ!!』
「……」
「どうしたのかね?」
「あのさ、なんか前よりタイトルが過激になっているけど、設定をどう変えたの?」
「殺人鬼に殺されることになった少女が、自分を殺しにきた殺人鬼に一目ぼれする話だ」
「……」
それはもう、小説というよりエミの願望ではないだろうか?
まあいいだろう。とりあえず読んでみることにした。
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あの頃の私は、毎日がつまらなかった。
「おはよー、今日も寒いね」
「うんうん、でも皆元気そうじゃん」
「学校楽しいからねー」
クラスメイトの女子たちが友達同士で楽しそうに会話しているのを、私こと椚 千代子は横目で羨ましそうに見ていることしか出来なかった。
「そういえばさ、佳代子はカレシとどうなったの?」
「あー、なんかさ、バイト先にもっと格好いいイケメン見つけちゃったからさ、もういいやって思ってフッちゃった」
「マジ!? アンタ、カレシに求めるレベル高過ぎでしょ!?」
「しょうがないじゃん。イケメン見つけちゃったんだから」
クラスメイトたちは、恋人の話題で盛り上がっている。おそらく私には一生縁のない話題であるだろう。
私もかつては恋人の一人でも作ろうと、化粧やファッションに気を使った時期もあった。だけど世間では格好いいと言われる男の人を紹介されても、どうしてもその人に興味を持てなかった。『彼女を作りたい』という願望が見え透いていて、私自身はさして好きではないということがなんとなくわかってしまったからだ。
そんな男の人と数人出会った時点で、私は無理に恋人を作ろうとするのを止めてしまった。好きでもない人と一緒にいるほど、苦痛なことはない。格好いいと言われる人さえも好きになれない私は、この先簡単には恋人を作ることも出来ないだろう。少なくとも高校にいる間には。
そのうち私には、男の人を紹介してくれる友達すらいなくなってしまった。仕方のないことだ、こんな面白くも無い女の近くにいたい人間などいないだろう。
「あーあ、疲れたなあ……」
図書委員の仕事で遅くまで残っていたせいで、かなり遅い時間に下校することになってしまった。辺りはもうすっかり暗くなっており、田舎であるこの町の通学路はあまり街灯も人気も無い。
そんな道を一人で歩いていると言うのに、私は全く危機感を持っていなかった。だからだろう。
私の後をゆっくり走る、黒いワンボックスカーの存在に全く気付かなかった。
「う、う……」
気づけば私は知らない森の中に縛られた状態で横たわっていた。夜なのに森の中だとわかったのは、私をここまで連れてきたらしい男が大きな懐中電灯で辺りを照らしていたからだ。
「お、気づいたか。声を出しても構わないよ、椚千代子さん」
そう言われて、私は男を見る。彼は特に顔を隠すということはせず、長い前髪を垂らした端正な素顔をこちらにむけていた。彼の容姿を見て、私はある疑問が浮かび上がる。
「あの……」
「ん?」
「どうして、こんなことするんですか?」
あくまで個人的な可能だが、彼くらい顔が整っていれば、こんなことをせずとも女性とそういう行為に及ぶのはわけないだろう。なのにどうしてわざわざ法に触れる行為をするのだろうか。
「あ、もしかして君、俺がレイプ目的だと思ってる?」
「え?」
「違う違う、俺の目的は、こっち」
そう言うと彼は、足元にあった黒い鞄から大きなサバイバルナイフを取り出した。それを見て私の背筋が凍るが、縛られた状態では何もできない。
「わ、私を殺すんですか?」
「ん? そうだよ」
まるでジュースを買ってくるような気軽さで、私に死刑宣告をしてきた。
「な、なんで……?」
どんな理由を聞いても納得は出来ないだろうが、一応聞いてみる。
だがそれが、この後の私の気持ちを大きく変えることとなった。
「いや、実はさ。俺、君に一目ぼれしたんだよ。君を見た時から、『この子の悲鳴を聞いてみたいなー』とか、『この子がもだえ苦しむ姿を見たいなー』って願望が抑えきれなくてさ。それでとうとうやっちゃったわけ」
その言葉に、私の心がゾクリと震える。
今、この人はこう言ったんだ。
他でもない、この私を、嬲り殺してみたいと。
「あの……」
「なに?」
「こういうことするのって、初めてですか?」
私は何を聞いているのだろう。こんなに手馴れているのなら、初めてに決まって……
「うん、初めてだよ。人を殺すのも初めて。だからちょっと緊張してるんだ」
あ、あ、あ……
すごいすごいすごい、私、今すごい嬉しい。
この人は私を見て、『人を殺してみたい』という欲求が抑えきれなくなったんだ。私がこの人を殺人鬼に変えたんだ。
この人は、『他でもないこの子を殺してみたい』と思ってくれたんだ。私のことをそこまで好きでいてくれるんだ。そして私はそれほどまでに私を思ってくれている人に、これから殺されるんだ。
「さて、そろそろ始めちゃってもいいかな? あ、この辺一帯には誰もいないはずだから、いくら大声出しても無駄だからね」
「は、はい、お願いします……」
「は?」
しまった。この状況で『お願いします』はおかしい。普通なら泣き叫んで命乞いをするべきなんだ。それが一般人の反応だ。
だけど私はこれから殺されるというのに、まるで悲壮な気分になっていなかった。むしろ初めて私をここまで好いてくれている男性がいるという事実で幸福感に満たされていた。
「あのさ、一応言っておくけど、冗談じゃないからね? 君はここで死ぬからね?」
「あ、あの、助けてください!」
「お、やっと自分の現状理解した? でもだめー。ここまでやって逃がすわけないじゃん」
どうやら彼の中ではもう私を殺すことは決定事項らしい。この状況ではどうあっても私は助からない。運命を受け入れるしかない。
なんて残酷なのだろう。自分が殺されるとわかっているのに、抵抗すら許されないなんて。ゾクゾクしてしまう。
「さて、いきなり指を切り落とすのはあれだし、まずはこっち使おうかなー」
そう言って彼はさっきのカバンからハンマーを取り出した。そして私の足を彼の手元に引っ張り、ハンマーの狙いを定める。こうなると流石に私も恐怖を感じてきた。どれほどの痛みが私を襲うのだろう。
「ひ、や、やめ……」
半分は本気で助けを求めてみる。
「だーめ、やめない」
しかし彼は満面の笑顔でハンマーを私の左足に振り下ろした。
「ぎ、ああああああああああああっ!!」
叩かれた瞬間、私の足に冷たい感触が伝わり、その後に激痛と共におそろしいほどの熱さが伝わる。痛い、今まで感じたほどのないくらいに痛い。でも私が彼を恨む権利は無い。なぜなら彼をこうしてしまったのは私なのだから。私がいなければ彼はこうはならなかったのだから。
「お、結構いい声出すね。やっぱり君にしてよかった」
「あ、ぐううううう……」
あまりの激痛に両目から涙が溢れ出る。視界がなぜか黄色く染まる。しかしこの痛みがなぜか愛おしい。彼の私への愛情の証だからなのだろうか。
「じゃ、次は右足行きまーす。こんどはナイフでねー」
彼は次の凶器を宣言してくれる。どうやら私に心の準備をさせてくれるようだ。その気遣いが嬉しい。
そう考えている内に、ナイフが私の右太ももに刺さった。
「が、ぐ、ああああああああああっ!!」
「おー、まだそんなに声が出るんだ。感心感心」
両足に大けがを負った私は、うまくバタつくことも出来ない。こうなればもう、解放されたとしても逃げ出すことは無理だろう。彼がここで見逃してくれても、私はこの森の中で朽ち果てるのだろう。私としては、最期の時まで彼と一緒にいたいが。
さらに彼は、両腕や腹部、両肩、両手の指などにハンマーやナイフを振りおろし、その度に私の悲鳴を聞いて楽しんだ。
「ご、ぐ、ぶ……」
「うーん、さすがにちょっと悲鳴が小さくなったし、単調になってきたね。じゃあ、そろそろトドメ刺そうか」
「あ、ぶ……」
もはや私は上手く声を出すことも出来ず、前もほとんど見えない。それでもまだ彼は私の頭は一切傷つけてはいない。おそらくは最後に取っておくつもりなのだろう。
「じゃ、千代子ちゃん。ありがとねー」
彼は私に馬乗りになり、ハンマーを両手で振りかぶる。
「……!!」
そして私は見た、彼が私にトドメを刺す瞬間の顔を。
だがそれが、『生きている私』が最後に見た光景だった。
……
…………
「……あれ?」
気づくと私は、同じ森の中で立っていた。しかし特に縛られているということも無く、傷を負っている様子も無い。
「まさか、あれは夢?」
そんなバカな。あれが夢だとでも言うのか。あんなにリアルな夢が……
しかし私は、自分の足もとの土が不自然に掘り起こされた跡があることに気づいた。ためしにそこを掘り返してみる。
「やっぱり、夢じゃなかったんだ……」
そこには、先ほどまで彼を楽しませていた私の亡骸があった。記憶通り、全身を殴打され滅多刺しにされ、頭が陥没している。
「死んじゃったんだね、私……」
そう、私は死んだ。その事実がとても悲しい。
もっと生きたかった。もっと彼を楽しませたかった。もっと彼に殺されてみたかった。だけどそれももうできない。
……もうできない? 本当に?
試しに私はその辺りにある木に触れてみる。触ることが出来た。その感触もある。
よく見れば私にはちゃんと足もある。地面に立っている感触もある。
もしかして、私は……
私はあることを試すために、とりあえずは森を出て町を目指すことにした。
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「え、これ続くの?」
結構な文字数を読んだ気がするが、この小説はまだ続くらしい。
「ああ、主人公は愛しい殺人鬼に惨殺された。しかし彼女はそれ以上を望むのだ」
「う、うん、これもう思いっきりエミの願望だよね?」
自分が楽しむのと同時に、相手も楽しませたいという考えが実にエミらしい。しかしこれからどう続くというのか。
「主人公である椚千代子は、これから自分を殺した殺人鬼に会いに行くのだ」
「……一応聞くけど、何をしに?」
「決まっているだろう、もう一度自分を殺してもらうためだ」
「……」
もはやエミがどこに向かっているのかいまいちわからなくなってきたが、とりあえず続きを読むことにした。