第一話 叶わぬなら、せめて文字で
とある日曜日、私こと黛 瑠璃子は、親友であり守るべき存在である柏 恵美の自宅に招待された。
「ふふっ、日曜日に呼び出してくるなんて……エミもすっかり諦めたのかなぁ」
大切な友達が休日に自分と遊ぶことを提案してくれることが、たまらなく嬉しい。エミに出会う前の私は、碌に友達もいなかったから。
私とエミは同じ大学に通っている。そして学校にいる時は基本的に私はエミと行動を共にするようにしている。そうでもないと、彼女が殺されてしまうかもしれないから。
『殺されてしまうかもしれない』というのは、冗談でも比喩でもない。そのままの意味だ。柏恵美という女は、『自分では絶対に敵わない相手に容赦なく殺されてみたい』という、常人には理解し難い願望を持っているのだ。
高校生の頃のエミは自身のその願望に従い、様々なトラブルを起こした。そして遂には、『自分を殺してくれる存在』を見つけ出し本当に殺されそうになったこともあった。
だがそれは失敗した。私をはじめとする、エミを守る者たちによって。私はエミの目論見を悉く叩き潰し、最終的にその願望は決して叶わないのだと彼女に思い知らせた。
その結果、エミは私を『支配者』として認め、表向きは普通に生活するようになった。
だがまだ油断は出来ない。私は彼女がまだ『殺されたい』という願望を捨てていないことを知っている。だから大学でも彼女から目を離さないようにしているし、休日でもGPSで彼女の居場所を常に見張っている。エミが無残に殺されるなど、私は決して許さないのだ。
そう思いながらエミの自宅に到着した私は呼び鈴を押す。しばらくするとスピーカーから女性にしては低めで、芝居がかった口調の声が聞こえてきた。
『ふむ、よく来てくれたねルリ。入りたまえ』
スピーカーから音が途切れたのと同時に門が開錠される。うん、言いつけ通りちゃんと鍵はかけているようだ。
エミは油断していると自宅の鍵をかけずに眠ることがある。泥棒が入り放題だが、彼女が求めているのは寝ている間に自分の命を奪いに来る『狩る側』だ。だから、私は以前エミにこう言った。
『そんなことしても来るのは泥棒だけだし、今度そんなことしたら、私がエミの家に泊まり込んで四六時中監視するから』
それを聞いたエミは少し嬉しそうな顔をして、
『なるほど、流石は私の支配者、私に一片の自由も許さないと言うわけか。ある意味では狩る側よりも恐ろしい存在だよ』
正直褒められているのか貶されているのかわからなかったが、言うことを聞いてくれているようで何よりだ。
玄関の扉を開けると、エミが出迎えてくれた。
「ようこそ、私の支配者。獲物である私は君の手から逃れることは出来はしない。この家にはこの玄関しか出口は無いのだからね。つまり君はこの閉鎖された空間でゆっくりと私を蹂躙することが……」
「おじゃましまーす」
両手を広げながら仰々しい口上を述べるエミを無視し、私は靴を脱いでスリッパを履いた。エミは少し不満そうな顔をしたが、直後にいつもの薄笑いを浮かべて私に近づく。
「くく、君は私の願望を成就させないことに関しては本当に徹底している。これもまた私の求めた『絶望』の形だよ」
「はいはい、お菓子と飲み物持ってきたよ。もちろん毒なんて入れてないから安心してね」
「くはは、お気遣いありがたく受け取ろう」
リビングでお菓子をお皿に乗せた後、お盆にジュースとコップとお菓子の皿を乗せてエミの自室に向かう。彼女の部屋は、『外側からしかカギがかからない』という奇妙なものだった。
「さてルリ、これがこの部屋のカギだ。私が先に入るから、君は後から入って来給え」
そう言ってエミは先に部屋に入り、ドアを閉めようとする。私はそれを開いている手でドアを掴んで阻止した。
「はい、一緒に部屋に入ろうねエミ」
「ははは、これは一本取られたね」
大方私を廊下に残した状態でカギをかけさせ、『内側からは開かない部屋に閉じ込められ、餓死していく自分』というシチュエーションを作りたかったのだろうが、そんなことはさせない。
かくして私とエミはとても平和的にお菓子をいただくことになった。
「それでエミ、今日はどうしたの?」
「なに、実は君に許可を取りたいことがあってね」
「許可?」
許可を取りたいということは、やはり私が許すかどうかが微妙なラインのことなのだろうか。まあ、エミが死ぬ可能性のあるものだったら、全て却下であることには変わらない。
「実はね、小説を書こうと思っているのだよ」
だが予想に反して、彼女に似つかわしくない言葉が出てきた。
「エミが、小説?」
「そうだ。君はやはり私が『狩られる』ことを許してくれそうもない。だからどうせ叶わぬ夢なら、せめて小説にそれを込めようと思うのだよ」
「ああ、そういうこと……」
確かにそれでエミの願望が少しでも満たされるのなら、私にとっても好都合かもしれない。
「うん、いいと思うよ。それくらいなら」
「本当かね? いやあ、嬉しいね」
エミは少し目を細めて笑顔を作る。その表情はいつもの薄笑いではなく、本当に喜んでいる時の顔だ。
「それでだ、実は冒頭まで書いてみたのだがね。それを君に読んで欲しいのだよ」
「え、もうあるの?」
「ああ、これを見給え」
そう言ってエミは机の上にあった紙の束を私に渡してきた。一番上の紙には、タイトルであろう文字が大きく書かれている。
『ああっ、食べられたいっ!』
「……」
「どうしたのかね?」
「あのさ、これどういう話?」
「バイオハザードでゾンビが溢れかえる街に住む少女が、『ゾンビに食べられたい衝動』を抑えられずにゾンビの群れに身を任せる話だ」
「……」
とりあえず私は、その『ああっ、食べられたいっ!』を読んでみることにした。




