彼女の涙
会社を早退して、途中で買い物をしてから大斗さんのマンションへ向かう。
栄養失調になるぐらい何も食べていなかったのなら、きっと冷蔵庫は空っぽだろうと思って、少し多めに買った。こんなときは、体に優しいものが良いだろう。
もし眠ってたら起こしちゃいけないと思って、合鍵を使った。あまり音を立てないように、ゆっくりと扉を閉める。
部屋の中は静かで、やっぱり眠ってるんだろうな…と思いながら、廊下の先にあるガラス戸をあけると、
「おかえり」
そこには大斗さんが待っていて、ふわっと抱きしめられた。
彼の匂いが嬉しくて、私も素直に抱きしめ返す。
「ふふっ、ただいま。起きてたの?」
「うん。凛が戻ってきてくれるか心配で…。あ、一人でこんなに買って。重かっただろ?」
荷物を受け取ってくれて、私の少し赤くなった手を見る大斗さん。
「大丈夫だよ。私、会社でコピー用紙とかしょっちゅう運んでるし」
企画部には事務要員がいないから、コピーや資料作成なんかは下っ端のわたしや、阪本くんの仕事だ。
「それも、今度から俺がやるから。凛は何でも自分でやろうとするんだよなあ」
「いいよー。阪本くんも一緒だし」
「………」
…あ、今は禁句だった…。
大斗さんの前で阪本くんの名前を出すなんて。
「…あのね、わたし、ちゃんとけじめ付けてきたから」
「え?」
「阪本くんと、ちゃんと話したの」
私の脳裏には、さっき交わしたばかりの阪本くんとの会話が蘇っていた。
それを悟った大斗さんは、優しく微笑む。
「そっか…。次は、俺の番だな」
「え?」
「けじめ。…実は、ここに森山を呼んでるんだ」
それから1時間後ぐらいに、仕事を終えた森山さんがやって来た。
仕事後なのにメイクはばっちりで、さすがだと思う。いや、私の意識が低いだけかもしれないけど。
「吉川、大丈夫なの?倒れたって聞いたけど…」
「ああ。俺はもう大丈夫。…それより、」
テーブルに向き合って座っていて、お互いなんだか気まずい。
「俺たちがつきあってるなんて、どうして嘘ついたんだ」
大斗さんの声がいつもより少し低くて、なんだか怖い。強気な森山さんも、その声を聞いて少し戸惑っているようだ。
「…それは…、あのとき皿池さんを見て、もしほんとに彼女だったらどうしようって、思って。…吉川を、とられたくなくて…」
「俺、あのあと佐藤に聞いてみたんだけどさ、もうあんまり好きじゃないっていうの、誤解だったよ。あれ、友達の話だったんだってさ。それを早とちりして、おまえに急に連絡絶たれたって心配してた。あそこまでおまえのこと思ってくれるやつ、他にいないよ」
「………」
森山さんは、黙って大斗さんの言葉を受け止めている。
先ほどまで大斗さんに向けられていたその視線は、テーブルに落ちていた。
「俺には、凛がいるから。何を言われてもこの気持ちは変わらないし、凛を手放す気もない。…だから、森山はまっすぐに佐藤と向き合ってみろよ」
「…ごめん…、なさい…」
森山さんは泣きながら、うわごとのように何度もごめんなさいを繰り返していた。
彼女はただ寂しかっただけなのかもしれないな…と、私はなんとなく思った。




