うちにおいでよ(前編)
そして土曜日、18時。私はとあるマンションのエントランスにいた。
完全オートロックのマンションで、エントランスで先にチャイムを押さなくてはいけない。…見るからに高そうなマンションだ。
緊張しながらもパネル状のチャイムを押し、課長が出てくるのを待つ。
『はい』
『あっ、皿池です…』
『どうぞ、上がってきて』
緊張が伝わったのか、少し笑われてしまった。恥ずかしい…。
ガチャッという音とともに開いた、2枚のガラス扉を通り、私は中へと入っていった。
「いらっしゃい。待ってたよ」
「おじゃまします…」
私服の課長、初めて見た…。シワひとつないストライプのシャツと、深緑のチノパン。おうちなのにきっちりしてるのは、わたしが来るから?それとも、普段からそうなのかな。
玄関で靴を揃える私を、課長はじっと見ている。
「あの、何か…?」
「いや?可愛いなーと思って」
カッと顔が熱を帯びる。…なんでこの人は、そんな恥ずかしいことを平気で言えるんだろう。
確かに、今日は少し気合を入れてきた。つもり。
会社ではオフィスカジュアルで、紺を基調とした綺麗めのファッションが多いけど、今日は暖色系。胸下で切り替えのあるピンクベージュのワンピースに、サマーニットのカーディガンを羽織っている。髪もシュシュでハーフアップにして、天然パーマの毛先を活かせるようにした。
こんな恰好したの、いつ振りだろう。
「さ、入って」
「はい!」
課長に続いて部屋に入ると…、目に飛び込んできたのは広いダイニングキッチン。部屋の中は白と黒を基調としていて、シンプルかつセンスのいいインテリアで揃えられている。
両脇には2つの扉があるから、2DKだろうか。1人暮らしにしては広いほうだ。
「すごく綺麗にされてるんですね」
「最近は寝に帰るだけだから、実はさっきまで散らかってたんだ。凛が来るから、急いで掃除したんだよ」
すごく自然だし、笑いながら言うから、あやうく聞き逃してしまいそうだったけど。
いま、『凛』って、言った…。
「コーヒーでも入れるね。ここ座って」
「あ、はい…」
窓際に置かれた、白いソファをすすめられる。見るからにふかふかしている。
座ると、思ったとおりとても座り心地が良くて、私はすぐに気に入ってしまった。
「課長は、一人暮らしが長いんですか?」
コーヒーが入った可愛いマグカップ(これも慌てて買ってきたらしい)を片手に、私が何気なく言うと、課長は少しむっとした顔をする。
「いまはプライベートだよ?」
「あ…」
「あはは、やり直し」
課長は楽しそうに笑いながら、コーヒーを一口飲んだ。
ほんとにリラックスしている様子で、なんだか少しドキッとしてしまった。
「……大斗…さんは、一人暮らしが長いんですか?」
「うーん、そうだね。中学・高校は全寮制のとこで、大学から1人暮らしだから…、かれこれ9年になるかな」
「そうなんですね。なんだか、慣れた感じだなと思って」
「そうかな。…あのさ、もう1つ、注文つけていい?敬語も禁止、って」
大斗さんは「お願い!」と言いながら、顔の前で手を合わせた。
「え!?それはちょっと…。上司だし、3歳も年上だし」
「俺、プライベートでは仕事のこと忘れたいほうなんだ。それに、もっと凛と近づきたい」
真顔で言われて、私は「わかりました」と答えざるを得なかった。




