懺悔
私と彼女は依存し合っている。彼女はまだ気付いていない。私だけだ。私だけなのだ。
心臓の端から悪雲が渦巻く。肺は蝕まれ、ろくに息さえできぬ。口から零れる懺悔の言葉は深く澱んでいる。頭に何か差し込まれたか、きりきりと痛みは断続的に、吐き気と眩暈が震える手にペンを握らせた。
私は狂ってなんぞいない。腐ってなんぞいない。現に仮面を人前で外したことはなかったじゃないか。景気づけるために書こうと思ったが、これじゃあ本末転倒だ。もういい。終いだ。終いだ。うっちゃっておいてくれ。「うっちゃっておいてくれ!!」
罪と罰の一端が浮かぶ。ドフトエフスキイは何を思ったのだろうか。狂人か、廃人か、はたまた自尊心の回復か、名誉か。駄目だ、全てが非現実に見えてくる。全てがベールを被っている。けち臭い。なぜ私だけにその姿を見せてくれないのか。世界は美しかったと誰かは云っていた。その通りならその姿を見せて呉れないか。駄目ならいい。私は皮を剥いでまで醜い世界を見たくはない。
もう疲れたのだ。自分の姿が解らずに、偽りか、真か、どちらともつかぬまま人と顔を合わせるのは。好きなのかも嫌いなのかも解らぬ。こうして、自らの殻の中に閉じこもっていては何も得られない。伝えるべきか。そうすればすぐ死ねる。死ななければ心地よく生きられる。そうしないのは他人の指図が嫌いだからに過ぎぬ。他人の予想通りにはなりたくない。誰かの枠組みの中で生きることに憤りさえ感じる。彼や彼女が仮に私を好いていたとしても、そうでないにしても、なにも変わらない。生きることに意味を見出すことさえ、無意味だ。
吐き出した言葉の一片一片に言霊が宿るなら、私の言葉の一片は何が宿っているのだろうか。大したことは口に出さないので、何も宿っていないに違いない。見えないものの一つ一つを掬い上げ、旋律を感じるならば、何も多くのことを話す必要はない。それが解る人はどれほど居るのであろうか。矛盾に秘められた真の心をどれほどの者が察しているのだろうか。口に出せないことがもどかしい。気付けばくだらない言葉で濁している。ふざけて、なかったことにしている。全く逆のことを口走っている。素直なつもりであるのに、素直になりきれないでいる。
こんなに苦しんでも苦しんでいない。他と比べたらまだまだだ。それで甘えようというなら死んでしまえ。死んでしまえ。自分自身を殺してしまえ。最期の言葉もないだろうに。可哀相な子だ。そうしていつものように、自らの手で自らの血を抉るのだ。