女スパイ Miyuki 「極秘チップをさがせ」
「スパイ」それは映画の中だけで活躍する人物だと思っている方もいるかもしれない。ジェームス・ボンドのように秘密兵器を搭載したスポーツカーを乗り回し、プレイボーイを気取るダンディーガイが存在するかどうかはわからないが、確かにいるのだ「スパイ」と呼ばれる特殊な人間達が。それも我々のすぐ身近に身を潜め諜報活動を行っている。これはある一人の女スパイを追った物語である。
女スパイMiyukiは今日も機密情報を集めるためにシンガーソングライターを隠れみのとし高級バーでピアノを演奏していた。
「今日もおいしそうな情報を持ったおじさま達が沢山いらしゃっていること……」
「クラブL」官公庁のすぐ近くにあり、政界人、財界人が多く訪れることで有名な超高級バーだ。
Miyukiはここに来る男達をその美貌と美声を武器に情報を聞き出した。
「あら、Yさん、ずいぶんお久しぶりじゃなくって」
「あ~、Miyukiちゃ~ん、このところ忙しくってさあ。今日は思いっきり楽しむよ!」
「じゃあ今日はYさんのお気に入りの曲、歌って差し上げますよ」
Miyukiは落ち着いた濃いグリーンのドレスを身にまとい、その妖艶な指使いでピアノの鍵盤を舞うように奏でた。
「ねえ、Yさん。何か楽しいお話はなぁい? 私、つまらない男の話は聞きたくないの。Yさんのようにエキサイティングな生き方をしている人のお話聞きたいな」
「ん~。どんな話がいいかなあ~」
「私、刺激的な話が聞きたい。Yさんて防衛関係の仕事なさってるんでしょ?」
「ああ、そうだよ。じゃあ、ちょっとだけ教えてあげよう。絶対に喋っちゃだめだよ。今ね、極秘で、ある国の軍と共同開発している人口知能搭載型アンドロイド兵器が……」
Miyukiにとって男達から情報を引き出すのは小学生を諭すよりも簡単なことだった。
「008、ご苦労だったな。また極秘情報を手に入れたようだな」
「ええ、なんてことないわ、ミスターⅩ」
Miyukiの所属する諜報機関のボスであるミスターⅩは008ことMiyukiを出迎えた。
「008」それは女スパイMiyukiのコードネームである。このコードネームは超一流の女スパイだけに与えられてきた名誉ある称号でもある。
「今度の指令は何かしら、ミスターⅩ」
「うむ、ある製薬会社の研究施設に潜り込んでもらいたい」
「製薬会社? 産業スパイでもやれっていうの?」
「いやいや、そんなちんけな仕事を君に任せるはずがない」
「では、どんな?」
「今、ある地域で流行している致死率90%のウイルス性の伝染病は知っていると思うが、実はあのウイルスは人工的に作り出したものなのだ。そして、それをバイオテロの道具として使おうとしている組織がある」
「ふ~ん、その組織が例の製薬会社ね」
「その通り。そこで君にその製薬会社の研究施設に潜り込んでもらい、ウイルスの製造方法を記録したチップを盗み出してほしい。そのチップがあればウイルスを死滅させるワクチンを作れるのだ」
「こそ泥の仕事ね」
「まあ、そう言わず引き受けてくれ、これは重大な仕事なのだ。そうだ、君の相棒を紹介しよう」
「相棒? そんなものいらないわ。私は一人で十分、相棒なんて足手まといになるだけよ」
「彼はとても頼りになる。さあ、こちらに来たまえ、ジャスティン君」
その大人しそうな青年はミスターⅩの後ろに隠れるように立っていた。
「こちらはジャスティン君。彼は医療、バイオのプロだ。そこら辺の大学教授よりはるかに知識は豊富だ」
「まあ、こんなかわいらしい坊やが?」
「からかわないでくれよ、008」
「は、はじめまして、ジャスティンと申します。専門は……」
「坊や、ほんとに医療とバイオの知識は豊富なの?」
Miyukiはジャスティンの自己紹介を途中で遮った。
「え、ええ。自信はあります。ハーバード大学院で医学と生物工学を学び、博士号を取得しています」
「ふ~ん、天才の域ね、坊や。見掛けにはよらないようだわ。それじゃあ‘坊や’では可哀そうね。そうねぇ、ボーイと呼ぶことにするわ」
「どちらでもあまり変わらないと思うけど……」
「ボーイ、ところでどうやって製薬会社の研究施設に潜り込むつもり」
「はい、もう手は打ってあります。私はウイルスを大量に培養する技術を持っている優秀なドクターという触れ込みで研究施設に迎えられることになっています。そして008、あなたは私の助手ということになっています」
「私があなたの助手ですって!」
こうしてMiyukiとボーイは製薬会社の研究施設に潜入することとなった。
Miyukiの運転する赤いアルファロメオは山の上にそびえる製薬会社の研究施設に向かって走っていた。
「008、すっかりメディカルアシスタントに変装しましたね」
「私はどんな人間にでも成り切ることができるの。ハリウッド女優並よ」
Miyukiは金髪だった髪をストレートの長い黒髪に変えていた。
「その黒ぶちのメガネ、お似合いですよ」
「このメガネにはちょっとした細工がしてあるの。あなたの分も用意してあるわ」
Miyuki達の乗った車は山頂にある厳重そうなゲートの前で止まった。
「すみません、私はゴードン所長から連絡をいただいているバイオ研究のドクターですが」
ボーイはゲートの前で門番をしている屈強そうな二人の男にそう言った。
門番は無線機らしいもので連絡を取っているようだったが、すぐにゆっくりとゲートが開いた。二人の乗ったアルファロメオはゲートを通り越し、大きな建物の前で止まった。
「ようこそドクター」
満面の笑みをたたえながら、イギリス製と思われるカッチリとしたスーツに身を包んだ男がMiyuki達を出迎えた。
「あなたがこの研究所の所長の?」
「ええ、ここの所長のゴードンです。お待ちしていましたよドクター。おや、ドクター、その女性は?」
「ああ、彼女は私の助手で、ミランダと言います」
ボーイはMiyukiのことを助手のミランダと言って紹介した。
「彼のようなドクターの助手ともなれば相当に優秀ですな、ミス・ミランダ」
「いえ、そんなことはありませんわ」
「どうやら、優秀なだけでなく美貌も兼ね備えているようだ」
「まあ、お上手なこと」
「こんな美しいレディーに対して申し訳ないが、念のため持ち物を調べさせていただきますよ。あちらにどうぞ」
Miyukiたち二人は研究施設に入る前に持ち物を徹底的に調べられた。
「すみません。この液体の入った小さなスプレーはなんでしょうか?」
「これはお気に入りの香水よ。とてもいい香りがするの。嗅いでみる?」
Miyukiは持ち物を調べている男にスプレーを吹き掛ける仕草をした。
「い、いえ結構です。では、次はドクターお願いします」
Miyukiは特殊な物質が混ざった香水をなんなく持ち込むことに成功した。
その夜は二人を歓迎するために豪華な晩餐会が催された。
「さあ、お二人とも今日はゆっくり飲んで食べて楽しんで下さい。明日からは実験で忙しくなりますからな」
「ありがとうございます、ミスター・ゴードン。こんなすばらしい晩餐会をご用意していただいて」
晩餐会にはすばらしい料理と酒と共に生のジャスバンドが入り、それは豪華なものだった。
「ミス・ミランダ、あなたはジャスがお好きなようですね?」
「ええ、大好きですの」
「ほう、それでは一曲いかがかな」
「あら、いいんですか? 実はうずうずしていたところですの」
Miyukiは生バンドの演奏をバックに数曲をゴードンに向かって歌った。
「いやぁ、すばらしい。こんな素敵な歌声を聞いたのは初めてだよ。なにか体が震えるような感覚さえ覚えた。あなたの武器は美貌だと思っていたが、その美声のようですな」
「あら、ありがとうございます。そう、私の最大の武器はこの歌声ですの。たいがいの男はイチコロですわ」
「わっはぁはっはぁ~、明晰な頭脳に美貌と美声をも持ち備えているとは益々気に入りました」
この夜は満月に薄雲がかかり、「ぼおっー」とした月明りが窓から差し込んでいた。それは二人のこれからを占っているかのようだった。
「おはようございます、お二人さん。昨日はゆっくり眠れましたかな?」
「ええ、ミスター・ゴードン。昨夜はありがとうございました」
「それでは今日はまず、研究室をご案内しましょう」
二人はゴードンにいくつもある研究室を順番に案内された。研究室はそれぞれ専門スタッフが出入りし、忙しそうに動いていた。
「ミスター・ゴードン。この部屋はなんですか?」
「あ、ええ。ここは言ってみれば私の趣味の部屋でね。私の好きなクリスタルを収集してあるんです。ご覧になりますか」
二人はゴードンの後についてその部屋に入った。
「それにしてもたくさん集めましたね、どれも美しい。クリスタルには不思議な力があるらしいですね。アメリカ国防総省ペンタゴンの地下にも巨大なクリスタルが埋め込んであると聞いたことがあります」
「さすが、ドクターよくご存じですな。私もクリスタルの不思議な魅力に取りつかれているのです」
二人はゴードンに案内された研究室を一部屋づつしらみつぶしに調べることにした。
「008、あなたはどの部屋に例のチップが隠されていると思いますか」
「う~ん、一番怪しいのは資料室だけど、あそこに隠すのは見え見えね。敵もただ者ではないわ、そう簡単に見つかるようなところには隠してないはずよ」
「いよいよこいつの出番ですね」
二人はどう見てもただの黒ぶちのメガネにしか見えない透視ゴーグルをかけた。
「このメガネはどんな物質の内部も透かして見ることができる超高性能透視ゴーグルよ」
二人は実験の合間を見ながら、研究室を探っていった。
「008、どうですか。見つかりましたか」
「だめだわ。この透視ゴーグルで見透かせないものは無いはずなのに……」
「くそ、いったいどこに……」
Miyuki達は焦りを感じ始めていた。それは、時間が経てば経つほど危険が増すからだ。もし、彼らの正体がばれれば生きてこの施設を出られる可能性は薄い。
二人が潜入して既に一週間が過ぎようとしていたが、何も見つからなかった。
「008、残るはゴードンの趣味の部屋、このクリスタルの部屋だけです」
「ええ、そのようね」
二人は最後に残されたゴードンのクリスタルが収集されている部屋に忍び込んだ。
「それにしても今日は暑い。強い日差しがクリスタルに反射して眩しいです」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。ん? ちょっと待って、ボーイ。あのクリスタルだけ光の反射がおかしくないかしら?」
「ん~確かに。だけど光の当たる角度の違いでは?」
「違うわボーイ、よく見て」
ボーイは透視ゴーグルで、いろいろな方向からクリスタルを透視した。
「何も見えませんね、008」
「う~ん、変ね。光り方が違うように見えるのはあのクリスタルだけ光の屈折率が違うのかしら?」
「そ、そうか! 屈折率を人工的に複雑に変えることで透視ゴーグルでも見えないようにしているんだ!」
「なるほどね。切断してみましょう」
ボーイはポケットからメス型のレーザーカッターを取り出し、注意深く少しづつクリスタルを切断していった。
「まだ出てこない?」
ボーイの足元には小さく切断されたクリスタルの破片がちらばっていた。
「あ! これは」
「やったわね、ボーイ。間違いないわ、チップよ」
と、その時、二人の背後で部屋のドアが開く音が聞こえた。
「君たち、そんなところで何をしているのかな」
その声は聞き覚えのある声だった。
「ゴ、ゴードン……」
「始めから君達は怪しいと思っていたが、やはりそうだったか。こうなったらここで死んでもらうしかないようだ。残念だよ、もう一度君のすばらしい歌が聞きたかったよミス・ミランダ」
「あら、お望みならもう一度歌って差し上げるわ」
「ずいぶん余裕だな、自分の立場をよく理解していないようだ。そこの防犯プザーを押せば数十秒で拳銃を持ったセキュリティーがなだれ込んでくる。それで君たちはお終いだよ」
「どうやらそのようね。じゃあ、死ぬ前にお気に入りの香水をつけていいかしら?」
「これから永遠の眠りにつくんだ。大好きな香水の香りにつつまれて棺桶に入ればいいさ」
Miyukiは香水の入ったスプレーを取り出し、なぜか自分にではなく床に散らばっているクリスタルの破片に向かってスプレーした。
「ミス・ミランダ、ずいぶん気が動転しているようだね。そんなところにスプレーするなんて」
「いえ、私は冷静よ。いいことを教えてあげるわゴードンさん。この香水には特殊な物質が混ざっているの。この香水にはね、私の歌声と共鳴する物体に引き寄せられる性質があるの」
「な、なに?」
「晩餐会の夜、私はジャズを何曲かあなたに向けて歌ったでしょ。あれは私の歌のどの音階の曲にあなたの体が共鳴するか試していたのよ」
「はっ、くだらん」
「そして、あなたの体に共鳴する音階を付きとめたのよ。今から、あなたの体と共鳴する音階で歌を歌うわ。どうなると思う」
「ど、どうなるんだ?」
「今、香水をスプレーしたこのクリスタルの破片があなたの体に向かって飛んでいくのよ!」
「ば、ばかな」
Miyukiは晩餐会で歌った歌をゴードンに向けてもう一度歌った。Miyukiの歌声にゴードンの体は共鳴し、ゴードンの体はわずかに震動しているように見えた。次の瞬間、床に散らばっていたクリスタルは勢いよくゴードンの体に向かって吸い込まれるように飛んで行った。そしてゴードンの仕立てのいいイギリス製のスーツには無数の穴が開き、ゴードンはその場に崩れ落ちるように倒れた。
「だから言ったでしょ、ゴードンさん。私の武器はこの歌声だって」
山道を走る赤いアルファロメオは夕陽を反射し深緑の中で輝いていた。Miyukiはタイヤをキュル、キュル鳴らしながら下りの急カーブ走り抜けていった。
「今回は間一髪でしたね、008。一時はどうなるかと思い冷や冷やしました」
「いつもこんなものよ」
Miyukiの長い髪は窓から入り込む風でなびき、舞っていたが、Miyukiはそれを全く気にする様子もなく真っ直ぐ前を見据えアルファロメオのハンドルをただ握り続けた。
THE END