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残念感知 桜守珠美

暗い部屋。この部屋には電気が通っていない。そんなものを通すのは穢れを持ち込むと未だに信じているものがいるからだ。だから辺りは暗くなってきたというのに、その部屋の灯りは蝋燭で、頼りない光が私たちを包んでいた。

その部屋には私以外の人間が二人存在した。

私の父と母。私が嫌う人間たちだ。

私はこの二人が大嫌いだ。この二人が存在しなければ、姉はあんなにも苦しむことは無かっただろう。

……いや、それを言うなら私の存在もか。

私たちの存在が姉を苦しめていた。

そんなことはわかっている。そんなことはわかっているが、もうどうしようもない。

姉は、この世にはいないのだから。

「……今日呼び出したのはわかっているな?君代」

「……」

父が訊いた。

私は何も答えない。

わかっているかわかっていないかでいえば、わかっている。

呼び出した理由は姉の死のことについてだ。

そして言いたいこともわかっている。

私が答えないと、しばらく誰も口を開かなかったが、やがて再び父の口が開いた。

「好代のことについてだ」

「……」

国生好代……それは以前の私の名前。

そして今の姉の名前だった。

「知っていると思うが、好代は人類災厄の殺人鬼に手を出し……殺された。この殺人鬼は国が災厄として認めるほど力が強い殺人鬼だ。災厄に手を出すなど愚かな行為だが、この際そんなことはどうでもいい。私が言いたいのは一つだけだ」

「……」

「間違ってもこの殺人鬼に手を出してはならない。復讐だとかそんな下らないことを考えてはならない。お前は好代とは違い国を護っていかなければならない存在なのだ。下らない情で命を賭けようとするのではないぞ」

「下らない?」

下らない?

この煮えたぎるような怒りが下らないものだというのか?

違う!これは下らないものではない!

真に下らないものは感情的になれない父や母のほうではないのか!?

人間らしい感情を捨てて国のために、それだけのために行動する。

それはまるで機械だ。

人間ではない。人ではない。

だから気づかない。

いつまで経っても気づかない。

永遠に気づくことなんて無い。

だから、こいつらは親じゃない。家族じゃない。

ただの発声器だ。

機械に従うつもりは無い。

「お言葉を返すようですが、家族が殺されたんですよ?それを許せると言うのですか?」

「災厄相手に許すも許さないも無い」

「災厄ではありません。殺人鬼です」

「国は災厄と認定している」

災厄、災厄と言おうがそれを起こしているのは人だ。

そいつを裁かなくてどうする!?

災厄だからという理由で誰も裁かなくなった殺人鬼。

私の姉を殺した殺人鬼。

誰も裁かないと言うのなら、私が裁く。

それが私の答えだ。

誰に言われようと、誰に命令されようと変えるつもりは無い。

「そもそも、好代は不用意に動きすぎていたのだ。確かに好代に国生を継がせる気はなかったが、それでも自分が国生と言う名を背負っていることを認識して動くべきなのだ。全く……今回の件で国生の名がどれだけ下がったことか」

下らない!

それこそ下らないことだ。

私はこの空間が耐えられなくなり、立ち上がった。

「何処に行こうとする?話はまだ終わっていないぞ」

「もう終わっているんですよ。大分昔に」

「君代!」

「まだ気づかないのですね」

私はため息をついた。

「私は君代ではなく好代です」



……勇さんは嫌な人である。

僕を困らせることが大好きだし、隠し事も多い。また意味の無い嘘も毎日のように吐く。

駄目人間、風間勇。

しかし勇さんは意味のある嘘は吐かない。

人類災厄の殺人鬼が死んでいるということ。

それは嘘だとしても意味がある嘘だ。

勇さんがそんな嘘吐くとは思えない。

信じられないが、勇さんの言うことは信じられないが、ただ今回ばかりは本当なのかもしれない。

だが、わからない。それなら何故君代先生は人類災厄の殺人鬼を追っているのか?

単純に考えるなら君代先生はその情報を知らない、ということか。

勇さんがわかっていて、君代先生がわかっていない?

君代先生はその殺人鬼を追っているのにその情報を知らなくて、殺人鬼を追う気がさらさらない勇さんがその情報を知っている?

それはどういうことだ?

あ、そういえば勇さんは異常者専用の探偵さんだったな。

だったら、君代先生の知らない情報を知っていてもおかしくはない、か?

……いや、おかしい。

やっぱり、おかしい。

それならどうして勇さんは君代先生を警戒するように言った?殺人鬼が死んでいるのなら、安全なはずだ。

死人を追っても意味は無い。

意味は無いから安全だ。

それなのに、どうして勇さんは僕に警戒するように言った?

謎だらけだ。

僕はこの事件で殺人鬼を追うだけだと、それだけの役割しかないと考えていたのに、謎を追う必要もあるようだ。

……人類災厄の殺人鬼、綿貫鶴君。

そいつは生きているのか死んでいるのか。

それは結局のところその殺人鬼を追ってみないことにはわからないようだ。


ちなみに、僕は当然のように勇さんに、『その殺人鬼が死んでいるとはどういうことですか?』と訊ねたが、これまた当然のように勇さんは教えてくれなかった。

「好奇心を満たしたいというのなら、その謎を解いてみるのも面白いんじゃないか?」

とのこと。

成る程ね。



日が変わって、そんでもって既に放課後。

さて、今日から君代先生と共に人類災厄の殺人鬼を追うことになる。

トモや小鳥には勿論内緒だ。

そんなことを打ち明けたら絶対に反対されるだろう。

というわけだから、この二人には悪いが先に帰ってもらうことにした。

僕の舌先三寸で騙せない二人じゃない。

案の定簡単に騙されて、先に帰ってくれた。

僕はその足で音楽室に向かった。

そこが君代先生との待ち合わせ場所なのだ。

また音楽室。

今日も昨日と同じコーラス部が使える日なのだろうか?

君代先生ならばその程度の権限は持っていそうだな。

音楽室の前まで着くと、その部屋の前で君代先生と生徒らしき人が立っていた。

……?君代先生の横に立っている生徒、何処かで見たことがあるけど……どこだっけ?

思い出せない。

というか、彼女は男なのか女なのか?

顔立ちは完璧に女の子である。でも制服は男子生徒のものだ。

女の子のような男子?

あれ?いや、前にもこんなことがあったな。

思い出せ。僕の頼りない記憶力。

……残念感知の桜守珠美。

僕はそれを思い出した。真壁君……いや真鍋くんだったっけ?ともかくその事件のときに君代先生と一緒に行動していた女学生。

それが確か彼女だ。

「あ、久しぶりだね、綾瀬君。元気にしてたかな?」

「つーか遅いよ、綾瀬。私たちを待たせるとはいい度胸じゃないか?あぁ?」

「すいませんね。トモと小鳥に嘘を吐くのに少し時間がかかってしまいましてね」

「……そうか。風間にはこの件は話していないのか」

勇さんからは話が言っているかもしれないが、僕からは少なくても一言も話していない。

だから僕は首を縦に振った。

「風間ってあの風間さん?」

珠美さんが首を傾けながら僕らに訊いた。

「あの風間さんってどの風間さん?」

「ほら、この間話していた……」

この間話した?

えっと僕が珠美さんと会ったのはあの事件の時一度きりだから、きっとその時に触れたんだろう。

話したっけ。

「封魔の子でしょ?」

封魔……その言葉で僕はピンと来た。

風間……それは元は封魔から来ている名だという話を、確かにした記憶がある。

その話をしていた時に珠美さんがいたのかどうかは記憶していないのだが。

だが、トモが封魔の子であることは確かにそうだ。

「そうです。その子ですね」

「その子は今回の事件を一緒に担当しないんですか?何か残念だね。君代先生の話だとちっちゃくて可愛い女の子だと聞いていますけど」

「それはトモの前では禁句ですよ」

トモは自分が小さいことにコンプレックスを持っているようで、そのことに触れると非常に怒るのだ。

昨日も怒らせたし。

「確か魔を探すことが出来る能力を持っているんですよね?珍しい戦闘も探索も出来る能力者。あーあ、知り合いになりたかったな」

「そう言えばトモにはそんな能力もありましたね」

全く使えない能力であるから、すっかり忘れていた。

少なくとも僕とトモが一緒に事件について取り組んだときは意味を成さない能力であった。

原因は僕にあるらしいのだが。

「でも僕が近くにいるとその能力が狂うらしいからあまり役には立たないんですよ。何か僕は凄い異常らしいんで」

「そうなんだ」

珠美さんがころころと笑う。

格好はおかしいが、こう笑うと間違うことなく女の子だ。

「そういえば今回は篠本さんも参加しないですねー。彼女なんか予定があったんですか?」

また同じように首を傾げながら君代先生に訊いた。

可愛らしい仕草。

「余計なことは詮索するな」

だが君代先生は切って捨てた。

「その綾瀬は篠本と同じことが出来る。だから篠本は今回必要ないんだ」

「え?本当!?凄いねー!篠本さんと同じ能力って珍しいよね?しかも凄い便利だよね?いいなぁ。あれがあれば今度のテストも一番を取れるんだろうなぁ」

「綾瀬の能力は篠本と同じじゃない。綾瀬は人の殺意……つまりは能力のようなものを視認できる。それ故に他人の能力を複製することが出来る。他人の能力をコピーするのがやつの能力だな」

「ふわぁ!凄い!凄い能力だね!まるで私のお兄ちゃんのよう」

「桜守」

君代先生が珠美さんの話を切った。

どうしたんだろう、君代先生。何か今日は機嫌が悪いようだ。

「余計な話は無しだ。仕事の話をするぞ」

「はーい」

君代先生に厳しく当たられているのに、珠美さんはいつも通りだった。

君代先生と一緒に行動することに慣れているんだろう。

「いつまでも廊下で話すのもなんだな。どこかのファーストフード店で食べながら話そうか」

「あれ?今日は音楽室は使えないんですか?」

「毎日使えるわけがないだろう。今日は吹奏楽部の使用日だ。だから中じゃなくてわざわざ廊下で待っていたんだろうが」

あれ?怒っているのはもしかして僕のせいだろうか?

まああまり気にしないほうが、生きていくのは楽だ。



君代先生は先生なのに放課後に仕事はないのだろうか?あったとしても無かったことにするのが君代先生なのだろうが。

そういうわけで僕らはまず君代先生の車に乗って駅前まで。その後駅前のパーキングに車を停めて、近くのファーストフード店に入った。

駅前にはいろいろなファーストフード店が存在したので、君代先生がどの店に入ろうとするのか興味が湧いたが、何故かそれを僕が決めることになった。

君代先生は「お前が決めないと意味がない」と意味不明なことを言われた。

よくわからなかったが、君代先生には逆らわないほうがいいので適当に選んで解決させた。

三階建てのファーストフード店。一階がメニューを頼むカウンターのみ。そして二階が禁煙席、三階が喫煙席という構成だ。

君代先生の奢りで何か頼んでいいというので僕はポテトとコーラを、珠美さんは紅茶のみ、そして君代先生はハンバーガーのセットを頼んだ。

そして二階の禁煙席に向かった。僕と珠美さんは勿論、君代先生もタバコを吸わないので、わざわざ喫煙席に向かう理由もないのである。

四人がけの席に三人で座る。僕と珠美さんが並んですわり、君代先生は仲間はずれのように対面して座った。

「ねえねえ綾瀬君。ポテト少し貰っていいかな?」

「別にいいですけど」

「えへへ、ありがと」

少しと言いながらパクパクとポテトを口に運んでいく珠美さん。

そんなに食べたければ頼めばよかったのではないだろうか?どうせ君代先生の奢りだし。

「さて、お前たち。私たちは決してここに飯を食べにきたわけじゃない。そこはよく理解しておくように」

「はあい」

「自分はセット物を頼んでいるくせに」

ガン。

足で足を蹴られた。

見えなくて地味な攻撃であるが、結構痛い。

「綾瀬……忘れているようだから忠告しておく。発言は気をつけるように」

「はい」

忘れてはならなかった。

最近はどういうわけか手が出なかったから忘れていたけど、そうだ。これが国生君代先生なのだ。

怒らせたりはむかったりすることは得策ではない。

「お前たちには一通り話したが、私は今人類災厄の殺人鬼を追っている」

人類災厄の殺人鬼。

勇さんが言うには綿貫鶴君というヤツがそれらしい。

「人類災厄の殺人鬼は接触したもの全てを殺している。故に奴の情報は被害者の情報以外一切ない」

やはり、予想はしていたが、君代先生は綿貫鶴君のことは知らないようだ。

いや、勇さんの言うことが正しいのかどうかは判断できないのだけれど。

「この写真を見てくれ」

君代先生は一枚の写真を出した。

それは……人が死んでいる写真だった。

髪の長い……女性だろうか?男性だろうか?うつ伏せになっているのでよくわからない。

ともかくその人物がうつ伏せになり、それを中心として血の池が出来ていた。

尋常でない出血量である。これがその人物から流れ出た血だというのなら、それだけで死んでいるとわかる。

「君代先生……これ?」

「見ての通り死人の写真だ。そしてわかっていると思うが、人類災厄の殺人鬼の被害者でもある」

まあここでそれを見せるんだからそういうことだろう。

しかし、この写真……どこから入手したんだろう。

そんな疑問を吹き飛ばしたのが次の君代先生の発言だった。

「被害者の名前は綿貫鶴君。久しぶりに人類災厄の殺人鬼が殺した、普通の人間だ」


ここで僕は「え?」とか言うへまはすることはなかった。ただ黙ってその写真をみている。そう、君代先生から見れば何のおかしくもないように僕が見えるはずだ。

だが、僕の心中はそんな態度とは別に穏やかではなかった。

綿貫鶴君……その人物は勇さんが言うには人類災厄の殺人鬼、その人である。

だが、その人物は写真の中で死んでいた。

しかも君代先生が言うには人類災厄の殺人鬼に殺された普通の人間。

どういうことだ?思考がまとまらない。推測がたたない。

単に勇さんが嘘を吐いただけなのだろうか?

それならば良い。それならば全てのことに納得がいくのかもしれない。

しかし、僕には勇さんがそんな嘘を吐くとは思えないんだ。

何かがおかしい。全てがおかしい?

「死因は見てもわかるとおり出血多量による失血死だ」

いや、おかしくはない、のか?勇さんは最後に言ったはずだ。

人類災厄の殺人鬼である綿貫鶴君は死んでいると。

そして死んでいた。やはり既に死んでいた。おかしくはない?

……そんなはずはない。おかしい。

勇さんが言うには綿貫鶴君は人類災厄の殺人鬼、その人である。人類災厄の殺人鬼が人類災厄の殺人鬼に殺された?そんなおかしな話はない。

くそ、混乱する。

何がおかしい?どこが間違っている?

勇さんが嘘を吐いているのか?それとも君代先生の情報が間違っているのか?

それとも……

それとも両方とも正しいのか?

うまく……思考できない。

「君代先生?その被害者が人類災厄の殺人鬼にやられたっていう証拠は何なんですか?一般人なら通り魔的に他の誰かにやられたとかいうことも考えられません?」

「特徴があるんだよ。人類災厄の殺人鬼が人を殺したときに行う特徴が……」

「特徴ですかぁ?それって何ですか?」

「人類災厄の殺人鬼は、殺したときに必ず被害者の臓器を抜き取るんだ」

僕には二人の会話すら聞こえてこない。

死んでいる殺人鬼?自分に殺された殺人鬼?というのが正しいのだろうか?

人類災厄の殺人鬼か……まいったな。今回は人探しだけで、ミステリーな要素は何も含まれていないと踏んでいたのだけど、とんだ誤算だ。

なんだろうな。僕はそういう星の下に生まれてきたのだろうか?

「どの臓器かは決まっていない。適当だな。ただ、必ず、人類災厄の殺人鬼に殺された者は臓器が抜き取られている。どういうわけかは知らないがそうなっているんだ。臓器を抜き取るなんて異常なこと普通の人間は行わないし、やるとなったら非常に時間がかかる作業だ。それに人目にもつく。だがこいつは人通りが多いところだろうが何処だろうが、平気でそれを行う。確実に異常者の所業だ。ちっ、嫌な話をしちまったよ。食事時にする話じゃない」

「あの……あんまり聞きたくないけど聞きますね。それが原因で被害者は失血死で死んじゃったんですか?」

「さあな。そこまで詳しくは聞いていない。果たして人類災厄の殺人鬼は被害者を殺してから臓器を抜き取ったのか、それとも生きているときに臓器を抜き取ったのか。私は前者であることを願うよ。そっちのほうが苦しくなさそうだ」

そこで君代先生はハンバーガーをパクリと食べた。

「うひゃぁ。今こんなにグロテスクな話題をしているというのによくお肉が食べれますね」

「話題と食欲は関係ないだろう」

普段の僕であればそこで、「いや激しく関係があります」と突っ込むのだろうけど、僕にそんな余裕があるはずもない。

「とりあえずだ、今日はこの後その現場に向かう。綾瀬は特にやることはないが、桜守。お前はきっちり仕事をしてもらうからな」

「あいあいさー」

「……」

「ん?綾瀬、聞いているのか?」

「……」

「聞いてないようですね、君代先生」

ガン!

「いっ!」

君代先生はその足で僕のすねを蹴った。涙が出そうになるぐらいに痛い。

幸いなのか不幸なのか、ともかくその一撃で僕は現実に帰還することが出来た。

出来たのだが……

「綾瀬、今私が言ったことをちゃんと聞いていたか?」

そこには修羅のようなプレッシャーを放つ君代先生がいた。

……これは僕が今までに味わった恐怖体験でもベスト5には入りそうな恐怖である。

ここで聞いていませんでしたと言えれば男らしいのだが、そんな男らしさは僕はいらない。

「聞いていましたよ」

だから僕は平然と嘘を吐いた。

「ほう。なら私が言った言葉を一語一句間違わずに復唱せよ」

あれ?この展開、何処かでやった気がするが、そんなことより……まずい。

話を聞いていないこともまずいが、その後に誤魔化すために嘘を吐いたなんてことが君代先生に知れたら……

いや、そうじゃない。

そこじゃないんだ、本当にまずいことは。

僕が聞いていなかった理由を問い詰められることがここでは一番まずい。

勇さんはきっとこの殺人鬼に関して何か知っている。何か知っているが、隠している。

そして彼の性格上それを明かすことはしないだろう。

例え君代先生であってもだ。

だからまずい。

僕が今一番真っ先にすること。それは言い訳を考えることよりも、ネタを探すことだ。

僕が気を取られていたネタを。

それがまた理由になるのだから。

僕は君代先生に気づかれないように、視線は動かさず気配のみを探った。

……どういうわけか店内はガラガラであった。店内にいたのは僕らと、もう一組。僕らと対面するような位置に座っている男性と女性の二人組みがいるぐらいだ。

この二人組みに賭けるしかない。

僕はそこで初めて視線を動かした。確認するために。

男性の方は特徴がなかった。年は十代後半から二十代前半だろうか?軟派そうな顔立ちで僕があまり好きではない顔だ。男性が着ているTシャツは特徴的で、白地なのだが中央が真っ赤に染まっていた。

いざとなったら、「あのTシャツ変ですよね」みたいな切り返しで乗り切ろう。

そして僕は女性の方を見た。

年は、僕や珠美さんと同じくらいだろう。その女の子は恐ろしく綺麗で、可愛かった。髪を一括りにしていて(俗に言うポニーテールである)、僕の知らない学校の制服を着ていた。

女の子は相席している男性に全く興味がないのか、ただトレイに置かれている食事を食べているだけだった。

男性の方が声をかけて無理矢理相席をしたということなのだろうか。

それにしては男性は何も動かない。

ああいう男はああいう女の子にこれでもかというぐらい話しかけて気を惹こうとするものではないのだろうか?

最近の若者はよくわからない。

ともかくだ、ネタが出来た。

「ほら、一語一句復唱。つーか目逸らしてるんじゃねえよ!」

「あ、すいません。聞いていませんでした」

「あ?おちょくっているのか?」

「すいません。僕も男なんで……あそこの席の女の子、可愛くないですか?」

珠美さんと君代先生がそちらを向いた。

この瞬間僕は興味を逸らすことに成功したのだ。

しかし、それは失敗の始まりだったのかもしれない。

「あ、本当だ。可愛い女の子だね。同性の私でもつい目を奪われちゃうよ」

「……確かに可愛いことは認めよう、綾瀬。しかしそれはあれか?あの子を見ていたので私の話を聞いていませんでした。そういうことか?」

本当は違うのだけど、その本当の理由は知られたくはない。

「はい、恥ずかしながら」

ガン!

やっぱり蹴られた。啼きそうになるぐらいに痛い。

「今回はそれで許してやる。次回は骨を折る」

「本気ですね」

「私は冗談が嫌いだからな」

やれやれ。バイト料一万円は決して高額ではなかったわけだ。

冷静に考えると割りに合わないかもしれない。

治療費もバイト代に含んでくれるのだろうか?

「……ね、ねぇ?あれって何なのかな?」

余計なことを考えていると珠美さんが何か訊いてきた。

「桜守……今は綾瀬に説教をしているんだ。あとにしてくれないか?」

「で、でも……」

珠美さんは、怯えている?怖がっている?何に対して?

あまりにも異常な珠美さんの反応に君代先生と僕は珠美さんの視線の先を見た。

その視線の先は、先ほどの二人組み。

別に何もおかしいところはない。さっきとなんら変わりない。

男性はまったく動かないで、女の子がパクパクと食事をしているだけ。それだけの光景。

「別段おかしいところは……」

「と、トレイ」

トイレではなくトレイである。間違わないでもらいたい。

しかし、いくら僕でも単語だけで珠美さんが何を言いたいかなど判断できるわけがない。

そう思っていると珠美さんは続けていった。

「……トレイを、男性のトレイを見て」

そしてうつむくように下を向いてしまった。

男性のトレイが何だというのか?

言われるがまま僕は男性のトレイを見た。普通のトレイだ。僕らが使っているのと同じ店員から貰う普通のトレイだ。

トレイに異常があるわけではなかった。

トレイに置かれているモノが異常だったのだ。

それはハンバーガーでもポテトでも飲み物でもない。僕の予測が正しければ食べ物ですらない。

そんなものは普通トレイには置かない。そもそも人目にはつかない。

その塊は赤黒く、ぬらぬらとした光沢を放っていた。

あれは……僕は今まで実物をこの目で見たことがなかったけど、あれは……

心臓だ。

それも、ヒトの。

今は全く動いていないが、紛れもなく人の心臓がそこにはあった。

女の子はそれが全く見えないかのように食事を続け、そして男性は依然動かない。

……そう、全く動かない。

何故なら、男性はもう死んでいるのだから。トレイに置かれている心臓はその男性のものだったのだ。

いったいどういう状況なのだ?これは?

あぁ!!さっきから思考がまとまってくれない!!どうしてこう、混乱することばかりなんだ!?

どうするんだよ、僕!?今、一番優先するべきことは何だ!?

そんな考えもまとまらない中、食事をしていた女の子が立ち上がった。

どうやら食事を終えたようで自分のトレイを片付けるようだ。

そうしてトレイを両手で持った時点で女の子はその男性の心臓に気がついた。

今頃気がついた。

「……うい、そうだったね。すかっりちゃっかり失念していたよ」

女の子は何か忘れ物をしたように「いけないいけない」と可愛らしく舌を出してお茶目な表情をつくり、そしてトレイを左手のみで持つと……

ダン!…ペチャ、ポチャ。

空いたほうの右手でその心臓を叩き潰した。内蔵されていた血液が辺り一帯に飛び散ったが、どういうわけかその返り血を女の子は浴びなかった。

そのあまりの行為に誰も、すぐには行動できなかった。

あの君代先生でさえ、だ。

ただ、珠美さんがポツリと言った。

「……人類災厄の、殺人鬼」

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