忠告者 風間勇
僕が他人の頼みを断れないのはわかっていたが、やっぱり断れなかった。
ジンルイサイヤクの殺人鬼。
正直関わりあいたいとは思わない相手だ。
僕だって、あれがなければ断っていただろう。
「勿論ただで付き合ってくれとは言わない。日給一万円出そう」
この言葉が決定打となった。
七夕祭までもう時間が無い中での、日給一万円……魅力的過ぎる報酬である。
今の僕にとってはお金を確保することが身の安全よりも優先されることなのだ。
いや、ちょっと言いすぎだけど。
ともかく僕はこの君代先生の頼みを受けることにした。
リスクがどれだけ高いのか、特に考えることも無く……
調査というか、殺人鬼捜しというか、どちらが正しいのか、どちらも正しいのかもしれないが、それを行うのは次の日からということで、今日はそれだけ聞いてお開きになった。
僕は今日からでも構わなかったが、君代先生がこの後予定があるそうで、明日からだそうだ。
守銭奴かもしれないが、バイト代が今日は貰えないというのが少し残念であった。
僕にとってはジンルイサイヤクの殺人鬼とやらよりも、約束を破った状態でのトモや柚子のほうが数倍恐ろしい。
しかし、ジンルイサイヤクの殺人鬼か。
それはどんな奴なのだろうか?
最悪と言っているのだから、悪い奴なのだろうが……人類最悪とは、凄い言われようである。
君代先生が言うには、あくまで僕の役割は犯人捜しであって、犯人との対決は望んでいないとのこと。そこからは君代先生自身が行うので安心しろ、とのことであった。
本当に信じますよ、君代先生。
僕はあなたやトモのように戦闘能力が高いわけではないんですから。
トモの殺意を『複製』すれば確かに常人よりは身体能力は高くはなるけど、それでも戦闘型の異常者に勝てるほどの力があるとは思えない。
経験を積めばトモと同じくらいの戦闘力を持てるかもしれないが、勿論積むつもりも無い。
戦闘は他人任せということで。
さて、そういうわけでやることがなくなった僕は下校中であった。
隣には、誰もいない。
久しぶりかもしれない。一人で下校するのは。
最近はドタバタしていたけど、ほとんどトモや小鳥と一緒に下校していた。
昔の僕には考えられないことだ。
僕は変わったのだろうか?
それは小鳥と付き合いだしてから?それとも……
ブー、ブー。
そんなことを考えているとき、携帯電話が振動し始めた。
授業中に鳴ったらまずいのでマナーモードにしていたのだった。
振動の周期からすると、どうやらメール着信ではなく、通話着信のようだ。
誰だろうか?
僕は知人が極端に少なく、また携帯の番号を教えている人も同じように少ないためすぐに選択肢は狭められた。
小鳥、柚子、トモ、那美姉、福田姉妹、そして……
ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、ディスプレイに表示されている名前を見て、僕はため息をつきたくなった。
無視しようかとも思ったが、それはそれで面倒になるだろうと思い渋々ではあったが電話に出ることにした。
「はい、もしもし」
『真君!久しぶりですです!元気にしてましたですか!』
「……」
『あれ、引いた?トモの真似だったんだけど』
「引きましたよ、勇さん」
電話をかけてきたのはトモのお兄さんである勇さんであった。
嫌な人から電話がかかってきたなぁ。
僕はこの人が苦手である。
僕と同じな上に更に年を重ねている分性質が悪い。
出来れば今すぐ電話を切ってしまいたいのだが、もしかすると重要な話であるかもしれないので、切らずにおこう。
「そんなネタは要りませんので、用件だけ話してください」
『そんなぁ、もっとお話しましょうですよ!』
「やめてください。気持ち悪いですよ」
男のくせに猫なで声はしないで欲しい。蕁麻疹が出そうである。
『あぁ!もう、心外なんだよ!心外なんだよ!』
「?……誰の真似ですか?」
『小鳥ちゃん』
「マジやめろ」
『うわ、怒った。すまんすまん冗談だよ、冗談』
「何なんですか?用が無いんだったら切りますよ?」
寧ろもう切りたい。
いや、切ろう。
これでまた下手な物真似が入ったら電話を切る。
『用はある。ただちょっと電話じゃなぁ』
「……まずい話ですか?盗聴されると?」
『え?盗聴されてんの?この会話?』
違うのか?
今の会話の流れだと、そういうことだと思ったのだけど。
「電話じゃ話せないっていうことはそういうことなんじゃないんですか?」
『いや、別にそういうことじゃなくてだな、ただ単に会って直接話がしたいというわけだ』
「何で直接なんですか?電話でもいいでしょう?」
『それじゃあ恐怖が伝わりにくいだろ?』
恐怖って何だよ……
凄い嫌な予感がするが、断れないんだよなぁ……僕って。
「はいはい、よくわかりませんが会えばいいんでしょう。それで勇さんは今何処にいるんですか?」
トモのお兄さんである風間勇は異常者専門の探偵であり、全国各地をうろうろとしながら仕事行っている。そのため家を空けることは珍しくは無いのだ。
その関係でトモが僕の家に寝泊りをしているという訳なのである。
『今は仕事が一段落して家に帰っているよ。だからあの狭い家に来てくれ』
狭い家という皮肉が面白かったのか、勇さんは『あははは』と笑った。
白鳳神社の敷地内にある小さな小屋、それが風間家の実家である。
「いつ来ても狭い家ですね」
「ふふん。なかなか言うようになったじゃないか、真君よぉ」
僕は勇さんと対面するような形でちゃぶ台を囲んだ。ちなみに勇さんの隣には竜花さんが座っている。
この竜花さんという方は滅茶苦茶美人である。
どうして勇さんと仕事をしているのか、またどうして勇さんの彼女なのかは一切不明である。
腕力が常人からかけ離れたほどあるので、怒らせる場合は注意が必要。もっとも怒らせているのはいつも勇さんであるのだけれど。
「単刀直入に聞きますよ、勇さん。何の用ですか?」
「何だ?つれないなぁ。粗茶でも飲んでゆっくりしていってくれればいいのに」
「いえ、粗茶っていうか……水じゃないですか、これ?」
「だってお茶の葉がどこにあるかわからないし」
「自分の家でしょ」
「滅多に帰らないからわからないんだよ。それにお前の場合、お茶を出されようが水を出されようがどちらでも構わないだろう?」
確かに構わないけど……
いかんいかん、勇さんのペースになっている。
僕は水を一口含んで気を引き締めなおした。
「余計な話は無しにしましょう。用件は何ですか、勇さん」
「ふん、話を急ぐか。何を急いでいるかは知らないが、人間っていうヤツは急ぐと大抵悪い結果を招くものだ」
「勇さん」
「わかったよ、わかった。今回は別にお前を事件に巻き込もうというわけではないんだぜ」
そういう話なら真っ先に断る予定だったが(君代先生から先に依頼を受けていたため。それが無ければことわれるわけがない。)、どうやら話は別のようだ。
ほっと一安心。
……している場合ではなかった。
「今回はお前に忠告するために呼んだんだ」
「忠告、ですか」
「あぁ。言わば親切だな、うん」
勇さんがそんなふうに嘯く。
「忠告は一つだ。今の国生君代に近づくな」
「え?」
それは、それはどういうことだ?
……いや、考えてもわかることじゃないな。
素直に勇さんに問いただすことにしよう。
「どういうことですか、勇さん?」
「今言った言葉通りだよ。国生君代には、つまりお前のクラスの担任には近づくな。向こうから接触をしてきたらどんな手を使ってでもともかく逃げることを考えろ。いいか、間違っても話を聞こうだなんて思っちゃダメだ」
「そんなことは聞いてません!どうして君代先生と接触してはいけないんですか!?」
「危険だからだ」
「危険って……君代先生が、ですか?」
「半分正解、半分間違いってところだな」
勇さんが何を言いたいのか全くわからない。
君代先生が危険な存在だと勇さんは言っている。
そんなことはない。確かに君代先生は乱暴な先生ではあるが、すぐに手を出してくるが、気は短いが……すいません良いところが見つかりません、君代先生。
でも根は悪い人ではない。
それはわかる。わかるから僕は君代先生の依頼を引き受けたんだ。
決してお金に引かれたわけでは、ない。
「国生君代はある理由で今ある人物を追っている。一つ目にその追っている人物が……いや、人物じゃないか。まあいい。そいつが厄介なんだ」
「ジンルイサイヤクの殺人鬼、ですか?」
「?……なんで知っているんだ、お前?……まさか」
「そのまさかです」
「あちゃー、手遅れだったかぁ」
勇さんは困ったように頭をペシンと叩いた。
「お前は本当にトラブルに巻き込まれやすい体質だなぁ。俺でも吃驚するぜ」
「今日君代先生から言われました。その殺人鬼を探すのを手伝って欲しいと」
「あぁ、今日か。今日ね……そいつはやけに早い手の回し具合だな。トモや蒼子ちゃんよりも先にこっちから手を出すとは、余程真の体質に希望的観測を持っているようだ。確かに、こいつの運の悪さは予想を一歩斜め上を行っているからな」
「あの、一人で納得してないで、僕にも教えてくださいよ」
「教えてくださいよって、何を?」
「勇さんが知っていることですよ。例えばジンルイサイヤクの殺人鬼のこととか」
「君代先輩からは聞いていないのか?」
それは聞いている。
百人にも及ぶ異常者を殺してきた殺人鬼。
それが僕らの町の近くに潜伏しているということ。
しかしそれだけだ。
僕は実は肝心なことを聞いていない。
「百人以上の異常者を殺した殺人鬼だと」
「そうだな、正しい」
「この町の周辺に潜伏していると」
「うーん、そりゃどうだろうな。流石にもう移動したかもしれないな。わからないけど」
わからないなら、発言はしないでほしい。
「ねえ、勇さん。勇さんは何をそんなに不安がっているんですか?君代先生は異常者の中でも上の方の戦闘力なんですよね」
「あぁ……そうだな。トモよりも上だろう」
「君代先生だって馬鹿じゃない。勝ち目が無い勝負はしないと思うんです。つまり……そのジンルイサイヤクの殺人鬼とかいうやつよりも君代先生のほうが強いんですよね」
「……」
「勇さん?」
勇さんは静かに目を瞑って何か考え事をしているようだった。
しばらくして勇さんは右目だけ開けて、僕の方を見ながら言った。
「お前、何処まで知っている?」
「……え?」
「この事件のこと、どこまで国生君代から聞いている?」
「えっと、だからジンルイサイヤクの殺人鬼とかいうやつを追っていること。その殺人鬼は百人以上の異常者を殺していること。この町の近くに潜伏しているんじゃないかということ。あと……」
「あと?」
「僕への日給が一万円出るということです」
「……」
あれ?今のところ笑うところなんだけど……
もしかして、笑い厳禁?シリアス展開突入ですか?
「なるほど。お金に惹かれたというわけか」
「そ、そんなことないですよ!凄いお金に困っていて、朝からそればっかり考えていたところちょうど君代先生からその話が来て日給一万円だったら多少の危険ぐらいならいいかなとか思ってないですからね!」
「日給一万円、ね。随分安いものだな」
「そ、そうですか?いや、高校生が貰う給料だったら破格の値段だと思うんですけど」
「違う、そうじゃない。その日給一万円というのはお前の命の値段だ」
「え?」
「国生君代から聞いているんだろ。百人以上の異常者を殺してきた殺人鬼。それで何とも思わなかったのか?その殺人鬼を追うということは自分もその中に含まれる可能性が出てくるということだ。その危険性について全く考えなかったのか?」
「多少は考えました」
「多少は考えて出した結論が日給一万円で命を賭けるか。俺なら割に合わないね。普段のお前でもそう思ったはずだ。いやはや、本当に金というのは人間を狂わせる。今回の教訓だな。お前もよく覚えておくといい。と言っても、もう死ぬかもしれないけど」
「お、脅かさないでくださいよ」
「脅かしてないよ。本当のことだ。あぁ、ついでに先程の質問に答えてやるよ」
「先程の質問?」
何だっけ?
「ジンルイサイヤクの殺人鬼と国生君代なら、比べるまでも無くジンルイサイヤクの殺人鬼の方が強い」
勇さんは目の前に置かれている水を口に含んだ。
話してばかりだったのでのどが渇いたのだろう。その行動は非常に冷静に見えた。
逆に僕は冷静ではいられなかった。
「冗談でしょう?」
「冗談ならいいんだけどな。本当だよ。正直相手にならないと思う。片方は無傷、もう片方は死傷。そんな感じだろう?」
「だって、君代先生は異常者でも上位の能力者だって……」
「ああ。そうだな」
「それならその殺人鬼にも勝てるんじゃ……」
「勝てない。確実に」
言い切った。
勇さんはそう言い切った。
「至極簡単な話だ。国生君代は確かに上位の能力者だ。しかし……」
「……」
聞きたくない。それ以上は聞きたくない。
「ジンルイサイヤクの殺人鬼は更にその上を行く。だから勝てない。な?簡単な話だろう?」
「……」
どうして……どうしてこの人は嫌なことばかり言うんだ?
僕と同じで僕の天敵。
やっぱり、わかってはいたけど、嫌いだ。この人は。
「そもそもジンルイサイヤクの殺人鬼ってどういう意味かわかっているか?」
「そのままの意味でしょう?ジンルイっていうのは人間を指しているんでしょ?つまり人間の中で最も悪い殺人鬼。手に負えないって言う意味でしょう?」
「あぁ、違う違う。手に負えないっていう部分は一緒だけどそれは間違った解釈だ」
そう言うと、勇さんは立ち上がりなにやらガサゴソと漁り始めた。
それもすぐに終わる。
戻ってきた勇さんの手にはボールペンとメモ帳程度の紙が握られていた。
「いいか。お前が言っているジンルイサイヤクというのはこういう字な」
勇さんは紙に『人類最悪』という字を記した。
「そういうことじゃないんですか?」
「これだとジンルイサイヤクじゃなくてジンルイサイアクだろ?微妙に日本語が違うだろう。これだから最近の若者は」
……確かにこれだとジンルイサイヤクになるけど、それじゃあどういう意味だというのだ?
「ジンルイサイヤクの殺人鬼というのはこういう字を書く」
勇さんは紙に『人類災厄』という字を記した。
……ハテナマーク。
「わかってないって顔だな。それじゃあ問題だ。災厄っていうのは何だ?」
災厄?
わざわい。災難ってところか。
「正解」
「……僕はまだ何も言ってませんけど?」
「なぁに、初歩の読心術だ。そう災厄っていうのはわざわいや災難のことだ。それじゃあ災難やわざわいにあったときお前はどうする?」
「どうするって……ついてないなぁと思うぐらいですか?」
「つまりそういうことだ」
「どういうことですか?」
さっぱりわからん。
「人類災厄の殺人鬼……やつに殺されてもついてないなぁと思って諦めろと、国が認定したんだよ」
「なっ」
何だそれ?
そんな無茶苦茶なことが通るというのか。
殺人をしたら罰せられるとかそういうものじゃないのか?
「そう。普通は殺人を犯せば罰せられる。それは当然のことだ。しかし罰するために送り込まれた異常者がことごとく殺された。それも一人や二人じゃない。百人だ。もう国はこの殺人鬼に対して打つ手を無くしたのさ。だからこの殺人鬼を災厄扱いにした。どんなに被害を被っても、災厄であるから仕方がないと。それが人類災厄の殺人鬼、だ」
「ジンルイ……サイヤクの、殺人鬼」
僕はようやくその言葉の重みを理解し、そしてとんでもない依頼を受けてしまったということを認識した。
「そんな……そんな殺人鬼をどうして君代先生は追っているんですか!?」
「そんなこと俺が知るかよ」
国が、日本国が罰するのを諦めた殺人鬼。
そんなものをどうして君代先生は追っているのだろうか?
単純に正義感から?
そんなもので人間は危険を冒せるのか?
勇さんが言うには、人類災厄の殺人鬼は圧倒的に君代先生よりも強いらしい。
それを君代先生はわかっているのだろうか?わかっていて人類災厄の殺人鬼を追っているのだろうか?
どうして?
何が君代先生を駆り立てる?
「とりあえず俺から言えることは、お前が死んでもトモの面倒は綾瀬家でみてくれよってことだな」
「サラリと不吉なことを言わないでください」
「まあ、今のは冗談として……国生君代の依頼、受けるつもりなのか?」
「……受けるつもりというか、もう受けてしまったわけで」
「断れるだろう?なんなら断ってやってもいいが」
「……いえ、やります」
数秒悩んだが、僕はそう答えた。
「ほう、どうしてだ」
「確かに危険そうですけどね、こんなに割りのいいバイトは他にないですし」
それに短時間に稼げるのもこれしかない。
と、それは表面的な、つまりは建前である。
本音は違う。
「それで本音は?」
「ありゃ?やっぱり建前だということがわかりましたか?」
「それは当然だろう?お前と俺はほぼ同じなんだから」
「そうでした。それでは本音ですけど、好奇心ですね」
「ふん、好奇心か?」
僕は、興味があった。
百人以上の異常者を殺してきた殺人鬼。
それはいったいどんな人物で、そしてどんな殺意をしているのか?
興味が湧いたんだ。
「好奇心は猫を殺すと言うが、勿論人間も殺すぜ」
「危険なのはわかっています。けど、僕の命はそれほど大事なものではありませんから。命と好奇心を天秤にかけてみたら、なんと好奇心が勝った。それだけの話です」
「ちぇっ、つまんねえの!折角脅かしてやろうと思ってたのによ」
十分脅かされましたよ、勇さん。
だけどね、それ以上に興味も湧きましたよ。
「仕方ねえな。脅かしたまま帰そうかと思っていたが、開き直られたらつまらねえ。そういうわけで隠していたとっておきの情報をお前にくれてやるよ」
「とっておきの情報、ですか?」
「そう、とっておきの情報」
どうせまたくだらない情報だろう。
さもなければ、僕を脅かしたり落ち込ませたりするような情報であることは間違いない。
「人類災厄の殺人鬼……綿貫鶴君というやつなんだが、そいつはもう死んでいる」




