忍はあやとりが得意でございます
「はぁ……」
賢太郎は溜め息を吐いた。学校からの帰り道。いつものように人通りの少ない路地を歩いている。
溜め息の原因はその賢太郎の後ろを歩く忍であった。忍は買い物袋を体の前に両手でぶら下げて不安気な顔で歩いている。ちなみに格好は昨日のようなド派手ピンクの忍者服ではなく、ごく普通の薄手のシャツに上着、それからズボン。ピンクの忍者服は忍にとっていわゆる勝負服だったらしい。
さて賢太郎の溜め息の理由。それは昨夜忍がしれっとベッドに潜り込んできたからでもなければ、今朝早くに起こされた上に出掛けに忍は留守番かどうかで揉めて遅刻ギリギリになったからというわけでもない。
今朝登校した賢太郎は教室に入るなり友人からスマートフォンを突き付けられ、その待受画面に映るものを見てギョっとした。なんとそこには笑顔満面ダブルピースの忍が映っているではないか。画面一杯の笑顔の端にピンク色がチラッと見えていたので昨日の写メである事は明らかだった。
聞くと友人は昨日たまたま近所のスーパーに行き、そこで謎のコスプレ美少女を発見し声をかけて撮らせてもらったらしい。
言うまでもなくそれは忍なのだが、知り合いとも言えず賢太郎は呆れてガックリ肩を落とすしかできなかった。
おまけについ先程、今晩も忍が夕食を作ってくれると言うのでスーパーに寄ると、買い物中のおばちゃん達から「あら昨日の忍者ちゃん」と声をかけられる始末。あまりに声をかけられるものだから賢太郎は途中で忍に買い物を任せてスーパーの外に出たのであった。
それでようやく買い物を終えた忍がスーパーから出てきて、二人で家路についているのが今現在である。
「あの……賢太郎様……」
後ろを歩く忍が恐る恐る賢太郎に声をかける。スーパーの辺りから賢太郎が面白くないような顔をしているので忍は自分が何かやらかしたのかと気が気でなかった。
「うーん……」
さて当の賢太郎はというと、実のところ自分でも何が面白くないのかよく分かっていなかった。いや何となく分かってはいるような気もするが、それを上手く言葉にすることが出来ない。
だから賢太郎は別のことを言った。
「そういえば忍取さん、服ってどうやって買ってるの?」
というよりそもそもどうやって生活しているのか。
忍は不意を突かれたような顔をして答える。
「あ、……はい、その、一応源之助様からのご依頼という形をとっておりますので、その、お給金をいただいており、ます……」
そんな事よりも忍は賢太郎の顔色が気になって仕方がない。
「ふーん」
しかし賢太郎は振り向かない。あえて忍の方を見ないようにしているようなしていないような。
忍は一生懸命考えた。スーパーでの出来事を思い返す。近所の奥様方から声をかけられている辺りから賢太郎の機嫌がよくなかったような気がする。
お、と忍はあることに思い至った。そういえばあの時声を掛けられたのは自分だけで、賢太郎は蔑ろだったではないか。なるほどなるほど、賢太郎は忍がチヤホヤされているのが気にくわなかったのだろう。
これはもう名推理。つまり賢太郎様は寂しかったのだ。ならばいくらチヤホヤされても自分が賢太郎様一途であることを伝えれば万事解決オールOKではないか。
と忍は一人納得し、これはもう賢太郎の機嫌がなおったも同然と気をよくした。
意気揚々、賢太郎に声をかける。
「ご安心ください賢太郎様」
忍の推理は概ね当たっていた。
しかし、それがいけなかった。
「先程のスーパーでは忍ばかりで寂しい思いをされたかもしれませんが……」
忍はそこで足を止めて言葉を切った。切らざるを得なかった。足を止めて振り返った賢太郎の目が、明らかに怒りを孕んだ酷く冷たいものだったからである。
歩きだした賢太郎を追うのも忘れて、忍はしばし呆然と立ち尽くした。
それからマンションに着くまでの間、二人が言葉を交わす事はなかった。
忍はもう泣きたかった。
マンションについてからも賢太郎は口をきいてくれないのだ。いや、忍が何か言えば答えるかもしれないが、もしまたあの目を向けられたらと思うと声も掛けられない。
おまけに賢太郎は私服に着替えるなり電話機に向かったので、ああもうこれはダメだ自分はクビになるのだと忍は覚悟した。
いったい何がそんなに悪かったのだろうと考えながら、チラチラ賢太郎の背中を見ながら夕飯を作るべくエプロンを身に付ける。賢太郎は電話越しに源之助と話していた。忍の耳をもってすれば盗み聞きなど簡単であったが、そうすると聞きたくない致命的な台詞が耳に入りそうで、忍はあえて二人の会話を意識から閉め出した。
どのタイミングで謝罪したら良いか考えながら小さいキッチンにたち、買ってきた食材を袋から取り出す。今の心境で上手くつくれる自信はなかったが、今日は賢太郎の好きなオムライスに挑戦するのだ。これで多少なりとも機嫌がよくなれば良いが。
これが最期の晩餐になるのかしら、なんてことを思いながら玉ねぎを刻む。
ぐすん。
忍の目は真っ赤だった。
そうとは知らず賢太郎。電話で何を話しているかといえば忍の懸念とは全く関係のないことだった。
「……ということなんだけど」
賢太郎はただ昨日の出来事を源之助に話していただけである。
『……うーむ』
源之助が電話の向こうで唸る。
『正直いってまさかお前が狙われるとは思わなんだ。お前にはこの世界と無縁に生きてほしかったが……』
すまんな、と源之助はいった。源之助から謝られることなど今まで無かったので、これには賢太郎の方が動揺してしまった。
「いやじいちゃんは悪くないよ。俺のためを思ってそうしてくれたのはわかるし、それに、こういう時のために護衛もつけてくれたんでしょ?」
言わずもがな忍のことである。
しかし源之助の声はちょっと渋い。
『うむ……まぁ、アレは俺が鍛えてやったから腕は確かなのだが、なぁ。どうも素直すぎるというか、遊びが過ぎるというか』
源之助から見てもやはり忍はちょっと変わっているらしい。
あ、そうだ、と賢太郎。
「あのさ、その、忍取さんの事情も、その、聞いたんだけど、えーと……どうなるの?」
ちらっと忍を振り返る。キッチンで何か刻んでいる忍は、昨日ポニーテールをふりふりやっていたのが嘘のようにしょんぼりしている。そういえば刻む音もどこか間が空いていて頼りない。
しまったなぁ、と賢太郎は思った。実は帰り道で忍を睨んでしまったことを、賢太郎も気にしていたのである。図星を突かれてカチンときてしまったのだ。『寂しい』と言われるのが嫌いだったせいもある。それにしても睨むのはやり過ぎたったかな、と考えるうちに無言になってしまったのが事の真相である。
『忍の奴はな』
と源之助が答える。
『アレは不憫な子だ。頼れる親戚もなく、母親の隼女も忍の父が誰かついぞ口を割らなかった。お前のように戸籍を与えてやりたかったが、親戚がないのではそれも叶わなんだ』
「……じいちゃんが養子にもらうのはダメだったの?」
無理だ、と源之助。
『甲魔家は存在するが、甲魔家という戸籍は存在しない。故に俺も社会的にはそもそも存在していない。お前が名乗っている山凪という姓だって、うちの親戚に無理をいってもらったものなのだ』
当然といえば当然だが、戸籍を持つのもそう簡単ではないらしい。
『それでやむ無く忍を鍛えはしたが、当時の忍に任せられる任務などなかったし、そもそも時代が時代で仕事自体がすくなかった。気休めのつもりでお前の護衛をやらせたのが始まりだったが、ううむ』
まぁなんだ、と源之助は話を切り替えた。
『それで、賢太郎。お前はどうしたい。もし忍が嫌だというならこっちに帰してもいいぞ』
え、と賢太郎は思わず声をあげた。賢太郎は全くそんなつもりはなかったのだ。
「いや、昨日さ、俺が『しばらくよろしく』みたいな事言っちゃったんだけど、不味かったかな?」
『不味いことはない。忍がいても気にならんか?』
気になる、という言葉がどういう意味なのかいまいちわからなかったが、とりあえず賢太郎は
「うん、まぁ、大丈夫だよ」
と答えておいた。
うむ、と源之助が電話の向こうで頷く気配がした。
『お前がいいなら、いい』
それから少し学校や生活の事を話したあと、源之助が忍と代わるように言った。
「忍取さん」
振り返って忍を呼ぶ。しかし忍は全く反応しない。なんだか落ち込んだ様子で何かを切っている。
「忍取さん、忍取さん」
いくら呼んでも反応がないので、賢太郎は四つん這いになり手を伸ばす。お尻を触るのは不味いだろうと思い、受話器を置いて垂れているポニーテールの毛先をちょいちょいと引っ張った。
「ひぃっ!」
……ひぃ?
なぜか悲鳴をあげた忍は怯えた猫のように飛び上がって振り向いた。
そして早口で
「ななななんでございましょう髪の毛ですか忍の髪の毛が悪うございますか」
なんて気が動転したような様子で言った。
いやいや何をそんなに動揺しているのかと賢太郎は首をかしげながら、受話器を拾い上げて言う。
「電話。じいちゃんが代わってって……え? あれ? 目赤くない?」
よく見ると忍の目はウルウルしていて今にも泣き出しそうではないか。
しかし忍はふるふる首をふって慌てた様子で目元を指で拭う。
「た、玉ねぎです!」
玉ねぎらしい。
「なんだ玉ねぎか。泣いてるかと思った」
じゃあはい電話、と賢太郎が受話器を差し出すと忍は「ひぃ」とまた小さい悲鳴をあげた。
忍はこれはもういよいよ源之助からクビを宣告されるのだと勘違いしているのだが、それを知らない賢太郎は何がなんだか分からない。
「いや、ひぃ、じゃなくてさ。電話だって」
しかし忍は刃物でも向けられたかのように後退り、怯えた顔で声を震わせる。
「ひゃあぁ……」
いやだから……、と賢太郎がさらに受話器を近付けると追い詰められた忍が、いや賢太郎は追い詰めているつもりは無いのだが、とにかく先に書いた通りクビにされると勘違いしている忍は起死回生の一手を打つべくお尻のポケットから何かを取り出した。
意を決した顔でバっと賢太郎の前に突き出したそれは、輪っか状の赤い紐であった。
「し、忍はあやとりが得意でございます!」
……は?
突然なにを言っているのかと賢太郎がポカンとしている間に、忍は素早く紐を両手指に絡めてサッサッサと何かをつくる。
「飛行機!」
完成したらしい紐で作った図形を突き出す。ただの三角形のような気もするが、見ようによっては飛行機に見えなくもないようなやっぱり見えないような。
それよりも何故あやとりなのか。
「いや忍取さん電話……」
「カニ!」
なるほど今度はちゃんと蟹に見える。
いやそうではなくて。
「だから忍取さん何がしたいの」
賢太郎の差し出す受話器に対抗するよう蟹をかざす忍。ふざけているような光景だが忍は真剣なのである。
「ど、どうでございましょう賢太郎様! 忍といるとこんなに楽しい特典が!」
クビになるまいと必死な忍に対し、そもそもクビにする気などない賢太郎。突然の特技披露に困惑気味である。
「いや楽しいのは良いけど今はとりあえず電話に」
「と、東京タワー!」
「いやだから後で見るって」
これでもかと言わんばかりにあやとりを披露する忍。
しかし受話器から源之助の「はよせんか」という声がして、忍はついにガックリ諦めたように肩を落とし受話器を受け取った。膝でとことこ歩き電話機の前までいって受話器を耳に当てる。受話器は食材を扱った手で汚れないようハンカチ越しに握っている。
さてリストラを宣告されたサラリーマンのように俯き源之助に応じる忍。源之助がなんと言っているのかは分からないが、何やら忍はしきりに謝っている。よく見るといつの間にやら正座である。
まぁ会話の内容も分からないしただ待っているのも暇なので、賢太郎はよっこらせと立ち上がってキッチンを覗くことにした。
なになに忍はいったい何を作る気なのかと材料を見てみると、ふんふんなるほどどうやらオムライスを作る気らしい。もしかすると好物と知っていてオムライスにしてくれたのだろうか。だったらお礼の1つでも言った方が良さそうだ。
なんてことを考えていると段々と忍の声が耳についてきた。なにやらしょんぼり小さかった忍の声がいつもの元気を取り戻している。
それで振り返った賢太郎はちょっと驚いた。何故なら忍が九死に一生を得たような顔でこちらを見上げていたからである。左手はハンカチ越しに受話器を握ったまま、右拳を頭上に突き上げている。
「え、なに? なに?」
思わず後退りする賢太郎。忍はそれをニコニコ見ながら源之助と話している。
「ええ! ええ! 勿論でございます! この忍取忍が命をかけてお守り……ふへへ」
なんだか後半だらしない笑みを浮かべてはいたが、台詞から察するに源之助から「賢太郎をよろしく」見たいな事を言われたのだろう。
「はい! 大丈夫でございます! それでは賢太郎様に……はい! それでは賢太郎様にお代わりいたします!」
差し出された受話器を受け取り腰を下ろす賢太郎。
それと入れ替わるように立ち上がった忍は両手をバーンと突き上げる。昨日もちょいちょいやっていた喜びのポーズである。それから弾むような足取りでキッチンに戻っていった。
『……賢太郎、本当に忍で大丈夫か?』
忍は電話をする前とは別人のように腰をふりふりポニーテールを揺らし鼻歌まで歌いながら料理を再開した。トントントンとリズムの良い音が聞こえ始める。
あまりの変わりように賢太郎は首を傾げながら、源之助の問いに
「……たぶん」
と答えたのだった。
自身の実力不足を痛感し苦悩する作者、そのうえ書いていくうちに「この話番外編でよくね?」と思い始めてしまいモチベーションはダダ下がりで……!?
それはともかく忍が勘違いで一喜一憂している一方、ネット上のとある掲示板では次なる刺客が名乗りをあげているのであった。
次回『弐ちゃんねる』
乞うご期待!
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