忍が知ってる賢太郎のこと
『そうか』
と電話越しに返事をしたのは源之助。時刻は午後3時。探丸の指定した時刻までまだまだ時間があるので忍はとりあえず源之助に状況を伝える事にしたのであった。
「申し訳ありません。忍がついていながら……」
相変わらず明かりを点けずに忍はうなだれたように座り受話器を握っている。真昼よりは傾いた日の光が射し込んではいるが、忍はあえて光を避けているような様子で日陰の中にいた。
『ううむ、まぁ、その今お前が言った二人は、賢太郎に危害をくわえる気は、ないのだろう?』
源之助の確認に忍はうなずく。
「本人達がそう言っていたのもございますが、そもそも目的を聞く限り、まず深刻な事態にはならないかと思います」
『目的はなんと言った?』
忍は自分の口で言うのがなんとなく恥ずかしいような気がした。
「その、忍と賢太郎様の仲を取り持つ、とかなんとか、でございます」
『は……』
呆れて沈黙した気配に忍は慌てて弁解した。
「い、いえ源之助様、これは探丸という男が勝手にそう言っているだけの事でございまして忍は決してそんなつもりはございません、その、ご安心を」
『いや、そうではない』
源之助はため息まじりに続けた。
『探丸といえば、風賀のところの倅だったか。暇をしているとは聞いていたが、人の恋仲を取り持とうとは、よほど、暇と見える。これは1度親の方に言ってやらねば、ならんなぁ』
と探丸の暇人ぶりを嘆く源之助の言葉。しかし忍は
「い、いえそんな恋仲だなんて、いえ、そんな」
とちょっと照れていた。しかしすぐ「賢太郎様は……」思い出したように顔を曇らせる。
「賢太郎様は、忍を必要としていないのやも知れません」
どうした、という源之助の問いに忍は続ける。
「直接お仕えするようになり六日が経とうとしておりますが、忍には、賢太郎様のお心が見えません。もし不満さえも隠しておられるのならば、忍は少々心苦しゅうございます」
源之助は考えるような間を置いて答えた。
『……賢太郎は昔からそういうところが、あるな』
はい、と静かに忍。
源之助は続ける。
『わがままも言わぬ大人しい子で手はかからなかったが、どうにも、何を考えているか分からぬところが、ある』
忍が賢太郎の護衛として陰からついて回るようになった時には、賢太郎はすでに今源之助が言ったような子供だった。アレが欲しいだとかコレは嫌だだとか、そういう事を言わなかった。しかしそれは、決して賢太郎にそういう心が無かったからではない。
「賢太郎様は」
忍はこれを言って良いものか悩んだ。
「賢太郎様は……ご両親がいない事に引け目を感じておられます」
沈黙があった。薄々は気付いていたが、それをとうとう言葉にされた。そういう沈黙だった。
忍は慎重に言葉を選びながら続ける。
「賢太郎様はご自分が源之助様の負担になっていると考えておられます。どういった理由でかは存じませんが、忍は賢太郎様を見ていて、そのように感じました」
源之助の知らぬ事であるが、賢太郎は学校で流行りの玩具やゲームの話をする同級生を羨ましそうに見ていた。欲しい物がないわけではない、嫌なものがないわけではない。ただそれを口にしないだけだ。
「賢太郎様なりの気遣い、優しさであったのでございましょうが、その為に、賢太郎様はあまりにご自分を抑えておられます」
ふうむ、と源之助がため息まじりに唸った。悩みを打ち明けるような重たい口調で言う。
『思い当たることも、ある。いや、そうだろうと、思っていた。いつからかアイツは、俺に、遠慮するようになった。お前が、ほら、アイツが黙っていた授業参観の知らせを、俺に教えたことも、あったろう』
小学校の頃だ。忍が賢太郎の護衛についてから初めの授業参観。それを知らせる用紙を、賢太郎は源之助に見せずに捨てた。忍から知らされた源之助が、それから必ず用紙を見せるよう約束させた。
「そういう事も、ございましたね」
首を振るのが縦か横かというだけの、泣きそうな顔で終始無言だった賢太郎を思い出す。思えばあの時だって、賢太郎はついに授業参観を知らせなかった理由を話さなかった。
『俺はあの時な』
源之助が言う。
『俺はあの時な、本当に、悲しかった』
その言葉に、今度は忍が黙ってしまった。親であり師である源之助の口から、弱音を聞いたのは初めてだった。そしてそれを言わせてしまったのが他ならぬ自分であることに、強い罪悪感を覚えた。
『精一杯、親の代わりを努めてきた、つもりではあったが、アイツは俺を親とは認めていなかった。お前は親ではないと、そう言われた、気がしたよ』
俺はな、と続ける。
『俺はな、アイツの心を歪めてしまったのが、他ならぬ俺ではないのかと、俺が、育て方を誤ったのではないかと、そう思う時も、あるのだ』
それは違います、と忍は思わず声をあげた。不意にあげてしまった大声に自分でもハッとする。
「も、申し訳ありません。しかし源之助様、源之助様は、決して間違ってなどおりません。側で見ていた忍が保証いたします。源之助様は正しく賢太郎様を育てておりました。賢太郎様の心の有り様は、きっと他に原因があるはずでございます」
しかしな、と口を開いた源之助を遮って忍は言った。
「白烏様も忍も、真実正しく育っております!」
これ以上源之助に弱音を吐かせまいと思った。これ以上は聞くのはあまりに辛い。
しかし、源之助は言った。
『……息子やお前とは、違う』
そんなことは、と言う忍を無視して源之助は続ける。
『息子とお前には、目標があった。忍になるという目標が。アイツには、なにも、ない。俺は親としてアイツに、目標を持たせず無為に過ごさせて、しまった』
息子と二人で決めた事であったが、とさらに気を落としたような声で言う。
『もしかすると、アイツを忍の世界から外したのは、ただ徒に、アイツの目標を奪ってしまっただけなのかも、知れぬ』
忍は正座した膝の上に置いていた左手を固く握りしめた。
自分が恥ずかしくなった。
15年。源之助だって悩んだことがあってもおかしくないのだ。しかしそれを忍には見せず、賢太郎を育ててきたのだ。それなのに自分は、たったの6日で弱音を吐いている。
忍は顔をあげた。挫けるにはまだ、あまりにも早すぎることを知った。そして同時に、尊敬する源之助を、これ以上後悔させてはならないと思った。
それを忍が口にする前に、源之助が言った。
『忍、お前しか、おらぬ』
忍は源之助が何を言わんとしているか、分かるような気がした。
源之助が確信したようなハッキリとした口調で言う。
『アイツの閉ざした心を開けるのは、俺ではなく、きっと、お前なのだ。俺以上に賢太郎を見てきた、お前にしか出来ぬことだ』
はい、と忍は強く頷く。源之助も受話器の向こうで頷いているような気配があった。
『賢太郎を、よう見てやってくれ。俺には、出来ぬことだった。思えば、息子がお前を引き取ると言い出したのは、これを見越しての事だったのかも知れぬ。賢太郎がお前を知ったと聞いた時から、俺は近頃、そう思うようになった。忍、きっとお前なら、アイツのよき理解者になれる。俺は』
そう思う。
忍は真っ直ぐに背を伸ばし、そこに源之助がいるかのように正面を見つめた。
「ご安心ください、源之助様」
もう落ち込んではいない。
「忍は今、心を決めました」
やらねばならぬ事があった。忍はふと窓の外に目を向ける。気が付けば傾いた日の光が部屋の奥まで射し込み、忍を照らしていた。
いかなる光にも眩むことのない強い瞳が、染みるような日差しを真っ直ぐに見詰める。
「必ずやこの忍が、賢太郎様の心の壁を打ち壊してみせましょう」
それと、と電話機に視線を落として続ける。
「さきほど源之助様は、賢太郎様の目標を奪ったと申されましたが、それは違います」
忍は微笑んだ。言いながら、自分でもその通りだと思う。
「源之助様は、賢太郎様に自由をお与えになったのです」
源之助は何も奪っていない。
「賢太郎様は、これから何にでもなれます。忍や白烏様とは違い、ご自分で成りたい物を選べるのです。素晴らしい事ではございませんか。きっと、素晴らしい事ではございませんか」
賢太郎の無限に広がる未来を思い、その眩しさに感極まって泣きそうになりながら、それに、と続ける。
「源之助様と白烏様の血が流れているのでございます。きっと立派な方になられます。忍が、そうします。忍が」
必ず、ととうとう目に滲んできた涙を左手で拭う。
受話器の向こうで、源之助が小さく笑った。目を閉じて微笑むのが見えるような声だった。
「ふ、ふ、そうだな。お前が言うなら、まず、違いない。ふ、いや、まさかお前に言われるとは、な」
忍、と源之助が声を落として言う。
「改めて、賢太郎のこと、頼んだぞ」
涙よりも先に鼻水が垂れてきたのをティッシュで拭きながら、忍は笑って答えた。
「承知いたしました」
これが何よりの源之助に対する恩返しになると思った。賢太郎にとっても、そうなる予感があった。
「もう忍は泣き言は言いません」
新たな決意を胸に抱く。
「例え嫌と言われても、誠心誠意尽くしてやりましょう」
ふは、と源之助が小さく笑った。
『そうだな、忍』
安堵したような声で言う。
『お前はそれくらいが、ちょうど、良い』
まったくその通りである、と作者は思った。
という事で忍は復活というか何だか前より図太くなったような感じである。ちなみに最後の最後でちょっとふざけて作者が登場してしまったがその辺は「何でお前やねん」くらいに軽く突っ込んでおいてくれれば問題ない。
さて探丸が指定した時刻である午後10時までまだ結構時間があるのだが、もうこれ以上時間に沿ってだらだら書くのは書くのも読むのもつまらないので一気に場面をすっ飛ばす。
次回『21部でタワーの展望台部分を展望デッキと書いていましたがタワーの場合はデッキという言い方をしないそうですね。誤りでした』
乞うご期待!
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