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罪悪のこと



 俺はヤクザの下っ端だから悪いこともする。

 女を殴ったこともあるし、それをこどもの前でしたこともある。

 その日はちい先生と同じくらいの歳のこどもがいる家でその子の父親を殴った。借金の返済を求めにきたからだ。

 いまのご時勢、ヤクザから借りた金は返さなくていいみたいな風潮があって、こんな拳なんて振るおうもんなら金回収どころじゃないけれどこの父親は後ろ暗いところがあって後ろ暗い金をとりにきたから殴っても平気。

 平気じゃないのは殴られて痛い父親と父親殴られて泣き喚くこどもくらい。

 俺は平気。

 ちっとも、どこだって、痛くないし、苦しくない。


「だけど、米くん。痛そうな顔をしているよ」


 その日会ったちい先生は開口一番「なにかあったのかい?」と眉を下げながら言った。

 俺はとてもじゃないけど何があったかなんて言えなくて、俯くしかなくて、でもちい先生に心配かけたくなくて「平気だよ」と返すのが精一杯だった。

 そんな俺の両頬を包むようにちい先生が手を伸ばして言った言葉。

 変だな、変なの。

 俺は痛くなんてないのに。

 ひとを殴るのに慣れた拳の皮は厚くてちょっと殴った程度じゃ擦り切れやしないのに。

 それなのになんだってそういうこと言っちゃうの。

 俺は悪いことをしてきたんだよ。

 なのになんでそういうこと言っちゃうのさ、ちい先生。


「悪いことをして胸が痛くなることをなんて言うか知っているかい?」

「……罪悪感に……えっと……」

「罪悪感に苛まれる、だよ」


 そうだ、さいなまれる、だ。

 罪悪感というやつは厄介なもので、未だに俺のなかに巣食ってるらしい。こんなもの早くなくしてしまわければヤクザなんてやってられないのに。


「でも、それがなければ引き際を忘れてしまうよ、米くん」


 引き際。ヤクザにとっても重要なもの。それを忘れるのは困る。でも、罪悪感で胸をしくしくと……ああ、認めてしまおう。胸が痛くなってしまうのだって困るんだ。だってあと何回何十回、何百回と俺は女を殴って男を殴ってときにはこどもを蹴飛ばさなくてはいけないのだから。


「米くん、米くんがなにをしてきたかは聞かないよ。きっと米くんが傷ついてしまうから。だけどね、これだけは言わせておくれ。

 米くんは武器だよ。使うのは米くんに命令をしたひと。でも米くんは人間で、自分の意思があるから全部が全部命令したひとが悪いわけでもない。でも少なく見積もっても半分くらいは命令したひとに責任があるんだよ」

「そんな難しいこと分からない」

「分からないかあ。じゃあ、また考えることができたね。僕も罪悪の判定なんて難しいことはできないから一緒に考えるよ」

「ちい先生でもわからないことあるの」


 ちい先生はなんでも知ってる。

 だって「答え」をくれているもの。それを俺が分からないと言うからさらに踏み込んだ答えを考えようとしてくれている。


「俺がもっと頭良ければいいのに。なんでこんなに馬鹿なんだろう」


 頭がよければちい先生と交わす言葉も話も変わっただろうに。


「米くんは馬鹿じゃないよ」


 だって考えることができるもの。考えて答えを出すことができるもの。


「皆がみんなできることじゃないんだよ」


 じゃあ、そんな俺にたくさん教えてくれるちい先生は?


「僕は頭がいいわけじゃないよ。ただ疑問を口にしているだけ。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥という言葉があるね。僕は一時の恥を他の人より多く耐え忍んでいるだけ」


 お母さんにそういわれたよ。

 お母さん。

 ちい先生にもお母さんがいる。俺が今日殴ってきたようにお父さんだっている。

 やっぱり俺はちい先生のそばにいちゃいけないんじゃないかなあ。

 そう考えたとき、俺の頬にあてていたちい先生の手に力が加わる。


「ひゃあ」

「こら、米くん。なにかよくないことを考えたでしょう」


 そんなことないよ。よくないことをしてきたけれど、考えてなんて……。


「僕は米くんと出会えてよかったんだ。こうしてお話できてとても嬉しいんだ。それを否定するようなことを考えないで。それで、米くん」


 そんなに泣きそうな顔をしないで。


「ちい先生」

「うん」

「ちい先生」

「うん、うん」

「俺は悪いことをしてきたんだよ」

「そうらしいね」

「それなのに一緒にいていいの」


 馬鹿じゃないと言った口でちい先生は「お馬鹿さん」とやさしく言う。


「当たり前じゃない。大好きだよ、米くん。

 たくさんのお話しを聞いてくれて、一緒に本を読んでくれて、やさしい米くん。僕の米くんはそんなひと。大好きだよ、いっぱいいっぱい大好きだよ」


 ちい先生の繰り返す「大好き」に俺の涙腺はぶっ壊れて、その日は事務所に戻って兄貴にものすごく驚かれることになるんだけど、いまの俺はただただ涙を流すことに精一杯で、ちい先生の大好きに「俺も」と返すのに精一杯だから、そんな先のことは考えていられないのだ。


「ちい先生、明日も話してくれる?」

「明日も明後日も明々後日も。たくさんたくさん話そうね」

「うん、うん。ありがとう、ちい先生」


 出会ってくれてありがとう。話してくれてありがとう。


 大好きをありがとう。


 ちい先生はにっこりと笑って「どういたしまして」と言った。

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