飴玉のこと
からころ。口の中で転がした飴が歯にぶつかって音をたてる。
ちい先生とふたり、ベンチに並んでほっぺ膨らませている光景はなかなかに愉快だ。
いま俺たちの口の中に収まっている飴は兄貴が土産にくれた鼈甲飴だ。鼈甲飴といえば平たいあれを思い出す俺だけど、これは三角錐みたいな形をしている。いまは正しく角が取れて円くなっているけれど。
「米くん、平たいのが鼈甲飴で間違いないよ」
「へ、でも味は鼈甲飴だよ」
「材料は特に変わらないしね」
「じゃあ、これなんていうの?」
「有平糖」
「あるへいとう」
ちい先生が言ったまま繰り返す。またころん、と飴、有平糖が音をたてる。
「有平糖は飴細工で有名なんだよ」
花など季節ごとお茶席での菓子に使われるらしく、それはそれは美しい細工ものもあるという。
「鼈甲飴は誰でも気軽に作れるけど、有平糖はそういかないんだよ」
「そっかあ」
鼈甲飴は気軽に作れるのか。だったら今度作ってみようかな。俺は案外鼈甲飴が好きだ。いま思い出したけどずっとずっと昔、一度だけ酒が入って機嫌のいい母ちゃんに祭の土産としてもらったことがあるから。乱暴に放り渡された飴は砕けてしまっていたけれど、その味が変わるわけではない。
「でも、今日ちい先生と食べられてよかった」
「うん?」
「鼈甲飴の思い出ができたから」
首を傾げるちい先生に俺は曖昧に笑う。
苦さをも湧き返す鼈甲飴の思い出は、ちい先生が加わったことで優先順位が変わる。鼈甲飴といえば、俺はこれから有平糖を思い出すだろう。母ちゃんの痛い拳なんかじゃなくて。
「飴細工ってやっぱり大変なのかな」
「熱と時間との闘いだよ」
「そっか。ちょっとやってるところ見てみたいね」
「そうだね」
からころいっていた飴は口の中、ちゃりちゃりと小さな欠片に変わっていて、俺はそれを噛み砕いて飲み込む。
「飴といえば、飴屋さんの包丁捌きもいいものだよ」
「包丁?」
「そう。棒状に伸ばした飴をトンカラリズミカルに包丁を鳴らしながら切っていくの」
「楽しそうだね」
「うん、楽しいよ」
ちい先生は見たこと、聞いたことがあるらしい。
いいなあ、と俺がいえば、ちい先生はくすくす笑いながら「じゃあ、今度一緒に行こうか」と提案してくれる。ちい先生とやりたいこと、行きたい場所はたくさんあって、でも俺は不定休なので中々実行できなかったりする。それが時々申し訳ないのだけど、ちい先生はまったく気にせず「次」の約束をしてくれるのだ。
それがどんなに嬉しいことか。ちい先生は知っているだろうか。
「ちい先生、俺早くえらくなるね」
「なんだい、藪から棒に」
「えらくなれば休みも少しは融通利くはずだから」
ちい先生はぱちり、と瞬きをしてから莞爾として微笑む。
「そんなに焦ることないよう」
よしよしと頭を撫でる小さな手は心地いい。頭を触られるのは苦手だったけど、ちい先生の慰撫するような手は嫌いじゃない。むしろ好き。
認められているような気がするんだ。
そこにいて、こうしている。それを認められている。そんな気が。
「ちい先生、飴もうひとついかが?」
「うん、じゃあ貰おうかな」
「はい、あーん」
「ん」
きらきら金色の飴をちい先生の口に運べば、途端にちい先生は年相応に顔をほにゃりと崩す。飴玉一つで、なんて馬鹿にできない笑顔だ。俺はそれを見れたことが嬉しくて、自分も同じような顔をしていると気付かないまま有平糖を口の中に放り込む。
からり、ころり。
また口の中から音がする。
これはきっと、ささやかな幸せを運ぶ足音と同じ音だ。