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ホットケーキのこと



「米くんはホットケーキを食べたことがあるかい?」

「へ?」


 ちい先生の話題はいつだって急で、不意で、突拍子もない。

 俺は一瞬なんのことだ、と首を傾げたけれど、すぐに言葉通りに受け止めて考える。

 ホットケーキ。丸くて平たいふかふかした甘いあれのことだろう。

 考えてみて、俺は甘いと知っているのに実際には食べたことがないことに気付く。

 人生で一回は食べてもおかしくない定番のおやつというイメージのあるホットケーキだけど、俺にはおやつというもの自体が未知のものとしてこの歳になってしまったのだ。

 無言で首を振る俺にちい先生は頷き「実は僕も食べたことがい」と意外なことを言った。


「ちい先生もないの?」

「うん。ないよ。うちでホットケーキミックスを使うのは蒸しパンを作るときなんだ」

「蒸しパンかあ。ホットケーキミックスって蒸しパンも作れるんだね」


 初めて知った。ホットケーキミックスというくらいなのだからホットケーキしか作れないのかと思った。


「どうやらドーナツも作ろうと思えば作れるらしいよ」

「ドーナツも? ホットケーキミックスってすごいんだね」


 それで、どうしていきなりホットケーキの話になったのだろう。訊ねればなんてことはない、明日はちい先生が通う小学校で調理実習があるらしい。それでホットケーキを焼くんだって。


「僕は牛乳を持っていくことになっているんだよ」

「材料って持ち寄りなの?」

「うん、うちの学校はそうだね」


 学校側が用意するのかと思っていたが違うらしい。

 俺が「へええ」と頷いていると、ちい先生はちょっぴり笑いながら「自分ひとりでできそうだったら米くんに焼いてくるよ」と言った。


「いいの?」

「うん、美味しくできそうだったら、だけどね。米くんは手作り平気かい?」

「うん、むしろ好き」


 手作りってそれだけで十分美味しく感じられる。

 だって、相手を思って作るんでしょう。美味しくなあれって願いながら作るんでしょう。それを一身に受けながら食べるものなんでしょう。美味しくないわけがない。冷たいコンビニ弁当だって平気で食べられるけど、食べられるなら俺は断然手作り弁当がいい。

 ちい先生はほっとした顔をして「じゃあ、がんばらなくちゃね」と拳を握った。


「うん、楽しみにしてる」

「きっと上手に作るよ」


 そんな会話をして二日ほど。

 珍しく俺より遅く公園にきたちい先生は、小ぶりのクーラーボックスを持っていた。


「できるだけ出来たてをって思ったら遅くなっちゃった」

「ううん、全然遅くないよ」

「そう?」

「うん」

「ならよかった」


 ちい先生は微笑み、クーラーボックスを開ける。中には紙皿に乗ったホットケーキがラップに包まれていた。


「米くんがメイプルシロップ派か蜂蜜派か分からなかったから両方持ってきたよ。バターはこれね」


 メイプルシロップと蜂蜜の小さな瓶と、最初から分けられているバターを取り出して、ちい先生はプラスチックのフォークを添えて紙皿を俺に手渡した。


「味見したときは美味しかったんだけど……」


 口に合うかな、とちょっとだけ不安そうにするちい先生は珍しく歳相応に見えた。

 だから、俺はラップを外すと敢えてなにもつけないままホットケーキにフォークをぶっ差して齧り付く。行儀はあまりよくないけど、もくもくと頬張ったホットケーキはやさしい甘さでふわふわあったかくて、すごく美味しかった。

 ごくん、と飲み込んでちい先生を見れば、ちい先生は呆気にとられた顔をしていたので、俺は少しおかしくなって笑ってしまった。


「ちい先生」

「え、な、なに?」

「すっごく美味しい」


 素直にそういうと、ちい先生はぽぽっと顔を赤くさせて俯く。


「あのね」

「うん」

「あの、それ、ホットケーキミックス使ってないんだ」


 俺は目をぱちくりさせる。


「学校で作ったのはなんだこんなものかって味のような気がして、家に帰ってから調べたら案外一から作れそうで……」

「……小麦粉とか計って作ったの?」

「うん」


 ぽやぽやした猫毛を揺らしながらちい先生が頷けば、真っ赤になった耳がよく見えた。

 俺は残ったホットケーキをじっと見つめて、今度はフォークで切ってからじっくり噛み締める。

 美味しい。

 この顔を赤くさせているちい先生は、どれだけ真心を込めてくれたのだろう。

 きっと後にも先にもこれ以上に美味しいホットケーキは食べることができないに違いない。

 これ以上に美味しいホットケーキが作れるとしたら、やっぱりちい先生以外にいないだろうけど、それだってこの瞬間の思い出が、印象が強過ぎて霞んでしまうかもしれない。それくらいにこのホットケーキは美味しくて、嬉しかった。


「ねえ、ちい先生」

「……なあに」

「今度蒸しパンの作り方を教えてよ」


 俺も一所懸命作るから。美味しくできたらちい先生に食べてもらいたいから。

 切々に訴えれば、ようやくちい先生は赤い顔を上げて、うれしそうに微笑んだ。

 手作りって不思議。

 食べたほうも、食べられたほうもうれしくなっちゃう。

 手作りってとっても不思議。まるで魔法みたい。

 俺もこの魔法を使えるように、蒸しパン作りを頑張ろう。


「楽しみにしてるね」

「うん、約束」

「うん、約束ね」


 そうして俺は何度もちい先生と指を切る。

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