お酒のこと
・未来軸
その日はちい先生とバーでデート。
兄貴に教えてもらって以来馴染みのバーは、ちい先生のような小奇麗な容姿のひとをすっかり独特の空気のなかに混ぜ込んでしまう。ちい先生は洒落た場所がよく似合うのだ。
「こんばんは、ちい先生」
「やあ、米くん。こんばんは」
「待たせちゃったかな」
「いや、いま来たところだよ」
ちい先生は先に注文していたらしいマティーニを軽く持ち上げる。
俺はカウンター席に座るちい先生の隣に腰掛けて、マスターにモヒートを注文する。ミントとライムの爽やかさが好きなんだ。
マスターがペストルでライムを潰すのを見ていると、不意にちい先生がくすくす笑った。
「どうしたの、ちい先生」
「なんだか米くんが社会見学にきた子みたいに見えて」
「俺もうそんなガキじゃないよ」
「うん、知ってるよ」
「知ってるだけじゃなくて解ってよ」
知ることと理解してることは別物。随分昔にちい先生に教えてもらったことは、今でも俺の役にたっている。たとえば舎弟の教育とかにも。
ちい先生は「これは一本とられたなあ」なんていいながら、やっぱりくすくす笑っている。別に笑い上戸ではないのだけど、お酒が入ったちい先生は上機嫌でいることが多い。
あんまり上機嫌で美味しそうにお酒を呑むものだから、俺もつられてかぱかぱ飲んでしまう。酒量はちい先生のほうがあると知ったときは少なからずショックだった。がんがん二日酔いで痛い頭を抱えながら見たしじみの味噌汁を作るちい先生の背中の眩しさったら朝日に断然負けてない。
「水と交互に飲むと酔わないよ」
「水飲んでる暇がないときもあるんだよ」
「酒付き合いも大変だね」
「集金先のホストよりマシだよ」
兄貴は美味いものは美味く飲み食いするものだって主義だから、無理やり飲ませることをしないでくれるから助かるけど、他のお偉方がみんなそうなわけじゃない。飲まされるときは徹底的に飲まされる。
「ちい先生はそんなことないの?」
「甘党で通しているからね」
嘘じゃない。ただ辛党でもあるだけで。そういえば、辛党を辛いものが好きなひとって勘違いを正してくれたのもちい先生だ。ほんとうは酒好き、特に辛口のが好きなひとを言うんだって。
つまみのナッツを口に放り込み、俺はかりかり噛み砕く。ほんのり甘くて香ばしいナッツはモヒートによく合う。でも、本音を言えば俺は日本酒派だったりする。いつかそれを打ち明けたとき、ちい先生も日本酒が好きだと教えてくれた。金平糖とか甘納豆と一緒に呑むのが好きらしい。ちなみに俺は味噌を塗って炙った海苔とかが好き。
「そういえば、この前おもしろいのを発見したよ」
「おもしろいの?」
「辛口の日本酒にわさびを軽くいれてステアーするの」
「え」
ちい先生が言うにはきん、と一本芯が通って美味いらしい。ちい先生が言うからにはそうなんだろう。
「名づけて将軍とかどうかな」
「なんで将軍?」
「わさびは山葵って書くでしょう?」
なるほど。
ならば、と俺も実は発見したものを教えてみる。
「辛口のワインと日本酒をハーフアンドハーフでシェイクするのがすごく美味いよ。口当たりいいから女殺しになっちゃうけど」
「へえ、じゃあ今度やってみるよ」
「俺もちい先生が教えてくれたのやってみる」
カクテル作りが趣味ってわけじゃない俺の家でも、ちい先生が教えてくれたやつはできる。
ちい先生は家呑みも好きで結構酒や材料が揃ってたりするから、ひょっとしたら今日帰ったときにでも早速シェイカーを振るうのかもしれない。
「そういえば名前はつけないのかい?」
「あー、名前か……」
そんなの全然考えていなかった。
俺は少し悩んでから「皇帝」とつぶやく。
「ちい先生とおそろいっぽく皇帝で」
「いいんじゃない」
俺達はいたずら小僧みたいな顔で笑い合い、同時にグラスを一気に呷った。
ちなみに、その日も俺はちい先生のペースに合わせてしまい、ぐでんぐでんに酔っ払ってしまったりする。