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銀竜の鱗  作者: みきまろ
第一部
7/14

7 銀のかけらは濁流とともに<前編>





 足元にはところどころに木の根がでっぱり、袖には枝が引っかかる。

 三番目の湖に向かったラヴィニアとユーニスは、予期せぬ山登りを強いられていた。


「うわっぷっ、蜘蛛の巣がっ

 もう、やだぁっ」


「文句を言っていないで、早く歩け。俺が歩いたところを歩けば楽なはずだ」


「足の長さが同じだと思わないでよ……」


 ひょいひょいと木の根をまたいで登っていくユーニスに、ラヴィニアは愚痴をこぼす。背が高く、手足も長いユーニスの一歩は、ラヴィニアの三歩分に相当する。ユーニスがひとまたぎで済むところをラヴィニアはちょこちょこと登ることになり、その分余計なところを通って蜘蛛の巣や枝に引っかかり、疲れも倍増するのであった。


「ユーニス、少し休憩しましょう」


「さっき休憩したばかりだ。あまり休むとかえって疲れる」


「うぅ、いじわる」


 馬鹿、冷血漢。女たらしの根性悪。

 ラヴィニアはぶつぶつとつぶやきながらも、山の中腹を目指して一歩一歩登っていった。






 時は数日前にさかのぼる。

 五色湖で鱗をつかみつつも取ることのできなかったラヴィニアとユーニスは、気持ちを入れ替えて次の湖へと向かった。

 カィエターン王国でも有名な避暑地にあるその湖は、着いてみれば完全に干上がっていた。


「何があったの?」


 以前、家族でこの地を訪れたことのあったラヴィニアは、あまりの変わりように驚いた。

 水がなくなった湖底はひび割れ、魚の死骸が点在している。優雅な別荘が立ち並んでいた湖畔には掘立小屋のようなものが並び、あまり風体のよくない男たちがうろついていた。

 地図を水で濡らしてみると、湖の湖畔にそびえたつ山には、魚の骨のような絵が描かれていた。


「この状態を、予見してたってこと?」


「それはわからないな。近くの者に話を聞いてこよう」


 ユーニスは、ラヴィニアに離れて待つように言って、小屋のそばに座る一人の男に話しかけた。


「あんた、ここにあった湖を知らないか」


「あぁん? 湖ぃ? 俺が来たときにはもうこうなってたからなぁ。おい、おまえ知ってるか」


 ユーニスが話しかけた男は、少し離れたところで酒瓶をあおっている別の男に声をかけた。


「ちょっと前に坑道のどっかが崩れたときから、水が減ってったらしいぜ。

 魚がとれなくなって商売ができなくなったって、飲み屋のおやじが言ってたからな」


「あぁ、そういやそんな話をしてたな」


「坑道?」


「おまえさん、銀を堀りに来たんじゃないのか? 去年そこの山で銀坑が発見されてな。ちょっと掘っただけでわんさか銀が採れるってんで、荒稼ぎしようって連中が集まってるんだ。一攫千金を狙ってるんなら、早くしないと掘りつくされちまうぜ」


「俺らはもう二、三年は遊んで暮らせる分を採ったから、明日帰るんだ。ガラの悪い輩も多いからな。揉め事に巻き込まれちゃつまんねぇ。人間、ほどほどが肝心ってよ」


 男は手にしていた瓶をぐいっとあおり、酒臭い息を吐いた。


「坑道はどこにあるんだ?」


「へへっ、何事も初期投資が肝心だってね」


 酔った男が空になった瓶を振る。ユーニスが小銭をつかませると、男はそれをもう一人の男に渡して酒を買いに行かせた。


「そこの山を中腹まで登ったあたりさ。ちゃんとした道はねぇけど、結構な人数が毎日通ってるから、なんとなく獣道みてぇのができてる。坑道の周りには人が集まってるから、近くまで行けばわかるぞ」


「そうか、ありがとう」


 礼を言って立ち去るユーニスの背中に、「よっ、色男、がんばんな!」という男の声が聞こえた。






 こうして、男たちの話から山の中で何かがあったことから湖が枯れたと推測したユーニスとラヴィニアは、原因を突き止めるために山登りを始めたのである。


「あの、山、で、銀、が、採れ、る、なん、て、聞いた、こと、ない、わ」


 はぁはぁと肩で息をしながら、ラヴィニアが言う。


「本当、な、ら、お父様、は、知って、いるの、かし、ら。課税の、対象、に、なる、ん、じゃ」


「しゃべると余計に息があがる。今はとにかく足を動かせ」


「うぅ、わかっ、て、るわ、よぅ」


 それでも、しゃべっているほうが少しは気が紛れるというものだ。

 少しくらい相手をしてくれてもいいのに、この無神経男、とラヴィニアがぶつぶつと文句を言っていると、突然ユーニスが立ち止まった。

 足元ばかり見て歩いていたラヴィニアは、大きな背中に顔面をぶつける。


「ぶっ

 急に、何……あっ」


 ラヴィニアがユーニスの背中越しに前を見ると、山の中に開けた場所があって、信じられないほど多くの人が集まっていた。


「どうやらこの先が坑道の入口らしいな」


「うん」


 ラヴィニアたちの位置からは、坑道自体は見えない。

 ただ、つるはしや桶を持った屈強な男たちが行き交い、ところどころに煮炊きの煙があがって、店らしきものが開かれているのがわかった。


「あれ、あの人、見たことがあるわ。確か湖のほとりの小間物屋のおかみさん……。

 あ、あっちの人には、私、馬を手配してもらったことがあるわ」


「なるほど。下の連中がまるごとこっちに移動して、一つの村のようになっているのか」


 注意深く見てみれば、男達に混じって小さな子どももいた。背中に籠を背負って走り回っていることから、男たちの手伝いをして小銭を稼いでいるようだ。


「湖が枯れたのがここの採掘のせいなら、なんとかして止めさせないとな」


「そうね」


 湖がないことには、鱗取りはできない。ユーニスが聞き込みをしようと木陰から出ると、当然のようにラヴィニアがついてきた。


「あんたはそこで待ってろ」


「えぇ? さっきも待たされたじゃない。今度は私も行く」


「あんた、本当に馬鹿だな。

 あんたの顔を知ってる者がいるってのに、のこのこ出て行ってどうする」


「変装してるもの、大丈夫よ」


「だめだ」


 ユーニスは首を左右に振って、どうしてもラヴィニアがついていくのを許さなかった。


「けち」


「なんとでも言え。とにかくそこに隠れてろ」


 ユーニスが、木陰の奥の茂みを指差す。ラヴィニアはしぶしぶとその中に入り、ユーニスが男達に近づいていくのを見送った。


(何よ、これじゃ髪を切ったり染めたりした意味がないじゃない)


 いくらそのうち伸びると言っても、髪を切るのはそれなりに勇気のいるところだった。目元を隠すためのマスクもがんばって縛れるようになったし、着心地の悪いチュニックにも文句を言わずに袖を通している。それでも人前に出られないのであれば、無駄な努力に思えた。


(聞き込みくらい、私にだってできるわ)


 夜な夜な話し方の練習もしている。でも話し相手がユーニスしかいないから、練習の成果を試す機会がなかった。

 かくなる上は、やればできることを証明するしかない。

 ラヴィニアはこっそりと茂みを抜け出し、話しかけられそうな人を探すことにした。


「えーっと……」


 ユーニスは、果物を売る中年の女性と話している。

 ラヴィニアがきょろきょろと周りを見回していると、山の斜面の一部に大きな穴が開いていることに気がついた。天然の岩の割れ目を広げたようなその場所は、男たちや籠を背負った子どもがひっきりなしに出入りしている。そこが銀坑に違いないとふんだラヴィニアは、ユーニスに見つからないうちにと急いで穴に向かった。


「おい、おまえ!」


「!」


 穴に入ろうとしていたラヴィニアに、ダミ声の男が声をかける。


「な、なんだい?」


 ラヴィニアは、できるだけ低い声を出して短く答えた。


「手が空いてるならついてこいや」


「え、いや、私……じゃない、ぼくは」


「なんだ、先払いか? ちゃっかりしたガキだぜ。

 ほら、駄賃ならやる。これを持て」


 男は、数枚の銅貨と共に他の子どもたちが持っているような籠と袋をラヴィニアに渡した。

 後ろを振り返ると、ユーニスはまだ中年の女性と話し込んでいる。これは先駆けのチャンスと思ったラヴィニアは、男に付いて坑道に足を踏み入れた。


「うわ……」


 坑道の中は暗く、湿っていた。ところどころに置かれた蝋燭の火は頼りなく揺れ、足元には水が溜まっている。一直線かと思っていた坑道には横穴が無数にあり、奥から人の声がする場所、崩れて入れなくなっている場所があった。


「はぐれんなよ。道一本間違えただけで、二度と日の目を見られなくなるぜ」


「お、おう」


 周りの観察に忙しく遅れがちになっていたラヴィニアに、男が声をかける。男は何を目印にしているのか、迷いのない足取りでどんどん奥へと進んでいった。


「ね、ねぇ。これ、大丈夫なの?」


「あん?」


 しばらく黙って男の後を付いていったラヴィニアが言う。

 奥に行けば行くほど道は狭くなり、すでに天井は前を行く男の頭上すれすれになっていた。


「大丈夫だ。この奥にちょいと広くなってる場所があって、でかい銀の塊があんだよ。

 この辺なんて、いくら掘っても大した金にはならねぇ。いいから黙ってついてこい」


「う、うん」


 男に言われて、ラヴィニアはまた黙って足を進める。奥に行くにつれて銀の含有率が高くなっているのか、湿った岩肌が蝋燭の炎できらきらと輝いていた。

 ばしゃばしゃばしゃ

 ラヴィニアは、足を必死に動かして男に付いていく。

 壁から染み出ていた水はもはや勢いよく吹き出すようになっており、水かさは足首ほどになっていた。


「これさ、水がいっぱいになったりしないの」


「俺ぁ三日前からここに通ってるが、ずっとこんな感じさ。どっかに流れてるんだろ。

 っと、ほら、着いたぜ、見ろよ!」


「わぁ……!」


 男が顎をしゃくった先には、銀色に輝く壁がそびえ立ち、何人もの男たちがつるはしを振るっていた。

 これまでの道より少し広くなったそこには、カァァァン! キィィィン! という硬質な音が鳴り響き、男たちの発するムッとする汗の匂いが充満していた。


「俺らも行くぞ。遅れをとるわけにゃいかねぇ」


「うん」


 男に付いて、ラヴィニアも近くの壁に取り付く。男が力いっぱいつるはしを振るうと、足元に銀鉱がこぼれ落ちた。ラヴィニアはそれを拾い、袋に入れた。

 

 ――で。


「え?」


 ラヴィニアが銀鉱の塊を握ったとき、どこからか声が聞こえた。


 ――とらないで!


「……っ」


 頭の中に響いた声に、ラヴィニアは手にした銀鉱を落とす。一体なんだと辺りを見回したけれど、男たちは先ほどと変わらず一心不乱につるはしを振るっていた。


「おい! 何をもたもたしてやがる! とっとと袋に詰めやがれ!」


「は、はい!」


 男にどやされて、ラヴィニアは急いで男の足元にたまった塊を袋に詰めていく。麻を二重にして作った頑丈な袋はすぐにいっぱいになり、ラヴィニアは次の袋にさらに銀鉱を詰めていった。袋が全ていっぱいになったら今度は籠に入れる番で、袋は男が、籠はラヴィニアが背負っていく手はずになっていた。

 ラヴィニアが、大きな銀の塊を手にする。すると今度ははっきりと少女の声が聞こえた。


 ――とらないで。とらないでよ! 貴女、私の声が聞こえているでしょう!?


 どうやら、少女の声はラヴィニアにしか聞こえていないようだ。ラヴィニアはキンキンと頭に響く声に顔をしかめながら、男に怪しまれないように黙々と銀鉱を袋に詰めていった。


(あなたは誰? どうして私に話しかけるの?)


 ――あぁ、やっぱり聞こえてた! カイルの子孫よ、この男たちをとめて! 銀竜の躰を持ち去らないで!


(カイルって、うちの始祖のこと? 銀竜の、躰?)


 ――この銀鉱は、先代の銀竜の御躰。山を守り、水を守るもの。先代がここを離れたら、この山は崩れてしまうわ。


(そんな……)


 ――もう、水は食い止められなくなってる。あと少し削られたら、一気に溢れ出すわ。あぁ、そう言っている間にも、ほら……!


 カアァァン! と、一人の男がつるはしを振り下ろした音がした。つるはしの先は岩肌に食い込み、男がつるはしを抜くためにぐいぐいと動かすと、ピキピキッと岩に亀裂が走った。


「くそっ、抜けねぇっ」


 男が、力任せにつるはしを揺する。亀裂は広がり、隙間からピシュッと水が吹き出た。


「わっ、なんだ、くそっ」

「おまえ、何やってんだよ、馬鹿だな」

「下手くそが!」


 水がはねた周囲の男たちが文句を言う。つるはしを持った男は、焦ってさらに大きく腕を動かした。

 ピキッ、ピキピキピキ……ッ

 亀裂が上下に走る。隙間から吹き出る水は、さらに勢いを増した。


「これ、やべぇんじゃねぇか」

「おう、やべぇよ。おい、あんた、もう動かすな」

「それ、抜いちゃだめだ。抜いたら水が」


 ――あぁ、だめ、逃げて!


「……うあああああ!」


 亀裂のそばにいた男たちが、一気に吹き出した水をかぶる。足首ほどだった水は、あっという間に膝丈になった。


「逃げるぞ!」


「え、あ、おう」


 ラヴィニアを誘った男が、銀鉱の詰まった袋を持って駆け出す。ラヴィニアも銀鉱の入った籠を背負おうとしたが、手が銀鉱に触れたとたん、少女の声が頭に響いた。


 ――お願い、それは置いていって。


「……うん」


 ラヴィニアは籠を捨て、男の背中を追って走り出した。背後では水の勢いでつるはしが抜け、さらに亀裂が広がって大量の水が滝のように吹き出し始めていた。


「逃げろ!」

「逃げるんだ!」


 混乱した男たちの声が聞こえる。水かさはどんどん増していく。ラヴィニアが必死に走っていると、坑道の横道からも水が流れ込んできて、渦巻く水に足を取られそうになった。


「うわっ」


「どけっ」


 転びそうになったところを、横道から飛び出してきた男に突き飛ばされる。ラヴィニアは壁に頭をぶつけ、ずるりと流れる水に崩れ落ちた。

 ラヴィニアの体は、勢いを増した水に押され、坑道の入口へと流されていく。


 ――貴女! 貴女、しっかりして!


 少女の声が、ラヴィニアの頭の中に響く。


 ――起きて、危険を知らせて! 山が崩れるわ! みんなを避難させて……!


「えっ、山が!? うわっぷ、ごほっ」


 ラヴィニアが気を失っていたのは一瞬のことだった。水の中で意識を取り戻したラヴィニアは、しかし目の前に広がる光景に目を疑った。

 必死に泳ぐ人々の中を、一匹の透明な銀龍が悠々と泳いでいたのだ。


「銀竜? で、でもどうして……ごほっ、ごほっ、ぷはっ」


 ラヴィニアは、水に流されながらもなんとか顔を水面に出す。水と天井との間はとうとう手の平一つ分ほどになり、鼻先を出して呼吸をするのが精一杯だった。


「はぁっ、はぁっ

 ……えいっ」


 ラヴィニアは、胸いっぱいに息を吸い、再び水に潜る。すると銀竜の鱗が目前に迫り、ぶつかる! と思った瞬間、通り抜けた。


「がぼっ、がぼがぼっ」

(ど、どういうこと)


 ――これは、先代の幻。水と一体となった、先代の意識のかけら。あぁ、先代はこのまま湖まで駆けて行かれるおつもりだわ。山が崩れ、洪水が人々を襲う……。先代、先代、おやめください。貴方様の愛した土地が、お守りになっていた人々の命が、失われます……。


 少女が嘆く。

 なんとか息継ぎをしながら出口に向かって泳ぐ――というより流されているラヴィニアは、少女の言葉を心の中で反芻した。


(山が崩れて洪水が人々を襲う? それって大変なことじゃないの! 早く外のみんなに知らせなきゃ!)


 ラヴィニアの頭に浮かんだのは、顔見知りのおかみや馬屋のおやじさん。それから、小さな体に籠を背負って立ち働いていた子ども達の顔。


(だけど、流れる水より早く外に出るなんて、できるわけがないわ。それどころか、このままじゃ私が溺れて……)


 がぼっと、水を飲む。

 天井との隙間はもうほとんどなく、呼吸をしているのか水を飲んでいるのか、わからない状況だ。場所によっては天井に亀裂が入って外の光が見えるところもあったけれど、到底その亀裂に取り付いて登るなどということはできそうになかった。


(これ、すごくまずい。

 あぁ、ユーニスの言うことをきいて、大人しく待っていればよかった)


 けれど、後悔してももう遅い。ついに水は坑道内を埋め尽くし、逃げ遅れた人々を飲み込んだ。


(ごめんなさい、イーティス。ごめんなさい、お父様、お母様。ラヴィニアは鱗を持って帰れません――)


 ラヴィニアの口から、ごぼりと大量の空気が吐き出される。


 銀色に輝く水の中に、力の抜けた少女の体が沈んでいった。







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