4 手がかりは湖の底に
鱗探しの旅に出て二日目。ラヴィニアとユーニスの前には、広大な湖が広がっていた。
穏やかな湖面は澄んでいて、白い湖底が透けて見える。
「儀式の方法とやらに思い当たるものはあるか?」
「うーん……」
ラヴィニアは、あごに手を添えて考える。兄イーティスは、歴代の国王が戴冠式の前に行っている水浴びが、銀竜に会うための儀式ではないかと言っていた。
「でも本当にただの水浴びなの。身を清める以上の意味があるとは思えないんだけどなぁ」
「とりあえずやってみればいい」
「うん」
岸辺に立ったラヴィニアは、マスクをとり、胸元の紐をほどく。チュニックを脱いで下着に手をかけたラヴィニアに、ユーニスは焦ったような声を上げた。
「ちょっと待て。どこまで脱ぐんだ?」
「全部よ。水浴びは裸でするんだもの」
「……俺は向こうを向いているから、水に入ったら教えてくれ」
「どうして?」
「どうしても何もない」
ユーニスが、くるりと背を向ける。ラヴィニアは別にユーニスがどちらを向いていようがかまわなかったので、そのままするすると服を脱いで湖に入った。
「ひゃっ……」
つま先を水につけたラヴィニアが、小さく悲鳴を上げる。澄んだ湖の水は、足が凍るかと思うほど冷たかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない。けど我慢する」
早く鱗を見つけて、早く城に帰りたい。その一心で、ラヴィニアは水の冷たさに耐えた。ユーニスは、ラヴィニアが背中を向けた気配を察して、水辺に近づいた。
「おい、どこまで行くんだ」
「だって、何も起こらないんだもの。どこまで行ったらいいと思う?」
「俺に聞くな。その辺で戻ってこい。あまり離れすぎると守れない」
腰ほどの深さまで進んでいたラヴィニアは、驚いて立ち止まる。振り返って見てみれば、ユーニスは微妙に目を逸らしつつ、腕を組んでラヴィニアのほうを見ていた。
「私を守る気なんて、あったの?」
「当たり前だろう。いいから早く上がれ。一箇所だけでどうこうなるものではないのかもしれない」
「……ん」
ラヴィニアは、ユーニスの言葉にこくりとうなずき湖から上がる。そして岸辺に脱ぎ捨てた服をとり、背中を向けているユーニスの裾をつんと引いた。
「なんだ」
「着せて」
「ふざけるな」
ユーニスの答えはにべもない。それでも、服を脱ぐのはできても着ることはしたことがなかったラヴィニアは、いつも侍女の前でするように両手を左右に開いた状態でユーニスが服を着せてくれるのを待った。
「くしゅんっ」
「あんたな……」
小さなくしゃみが聞こえたユーニスは、がっくりと肩を落とす。
「つまらん意地なんか張らずに、自分で着ろ!」
「意地じゃないわ。着方がわからないの。服なんて一人で着たことないんだもの」
「普通は一人で着るんだよ!」
「普通は侍女が着せてくれるんでしょ」
「この馬鹿野郎!」
自分より頭二つ分は背の高いユーニスに怒鳴られて、ラヴィニアは鼻の奥がつんと痛んだ。
「ま、また馬鹿って言ったっ
なんであなたはそういうこと言うの?
普通って何よ。私の普通は侍女が着せてくれるんだもの。こんな庶民の服、一人じゃ紐も結べないわ!」
「それが威張って言うことか! できないならできるようになれ!」
「……うっ、ふぇ……」
ぽろぽろと、ラヴィニアの頬を涙がこぼれおちる。
そんなに頭ごなしに言わなくてもいいのに。
できないものをできないと言って何が悪い。
今までやったことないことが、突然できるようになるわけないのに。
「も、もう、やだ。馬鹿はどっちよ。あなたなんか嫌いっ
お父様に言って違う人を供にしてもらうっ うわあぁぁんっ」
ばしっとラヴィニアが投げつけた服を、ユーニスが振り払う。服の押し付け合いをした拍子にラヴィニアとユーニスの手がぶつかり、ラヴィニアは後方によろめいた。
「!」
「あっ」
転ぶまいとついた足は濡れた草で滑り、大きな音を立ててラヴィニアは湖に落ちた。
カッ――
湖が、銀色の光に包まれる。
あっけにとられるユーニスの前で、ラヴィニアはがぼっと頭まで湖に沈んだ。
「ラヴィニア!」
湖に飛び込んだユーニスは、必死に手を伸ばす。ラヴィニアとの距離はたった手の平一つ分。けれど、いくら手を伸ばしてもラヴィニアの手を掴むことはできなかった。それどころか、どんどん距離が開いていく。
「なんだ、これは!」
足元にたまっていた砂が舞い上がり、湖を濁らせる。
砂地だった白い湖底はいつの間にか岩のように固いものに変わり、湖の中央へとラヴィニアを運ぼうとしていた。
「ごほっ、うっ、ユーニス! 助けて!」
「ラヴィニア! 掴まれ!」
なんとか顔を出したラヴィニアに、ユーニスが縄を投げる。かろうじてその縄を掴んだラヴィニアは、あらん限りの力で縄を握り締めた。
「今、引っ張ってやるから! 離すなよ!」
ラヴィニアが掴んだ縄を、ユーニスが両手でたぐり寄せる。
ラヴィニアがようやく岸辺に上がったときには二人とも息絶え絶えで、ラヴィニアはユーニスの胸に抱かれて、ぜぇぜぇと息をついた。
ラヴィニアが落ちた瞬間に光りだした湖は、ラヴィニアが上がると元通り静かな湖面へと戻った。
「今の……何……」
「俺が聞きたい。何も聞いていないのか」
「えっと、困ったら地図を見るようにって言われたような……。そこに全部書いてあるからって。でも何も」
ラヴィニアは、凍える腕を伸ばして地図を広げる。濡れた指先で今いる湖の上をなぞると、『白の湖にて銀竜の尾に触れる』という文字が浮かび上がった。
「わ、何これ」
「こんな仕掛けがしてあったのか。あんたも知らないとはどういうことだ」
「ううう~ん……」
そういえば、地図に水がなんとかとか言われたかもしれない。出発前のラヴィニアは、初めての旅に緊張し、また供となるユーニスの態度に怒り心頭で、周囲の話など聞いていなかった。
「あんたな……」
ユーニスがラヴィニアに毛布をかけながらため息をつく。このままではまたなんだかんだと怒られるっと思ったラヴィニアは、話題を変えることにした。
「ぎ、銀竜の尾ってなんのことかしらね」
「ん? あぁ。それらしいものはあったのか?」
「ううん。もう、息を吸うのに必死で……」
ラヴィニアの言葉に、ユーニスが慎重に湖を覗き込む。そこには、海のように白い砂がたまっていた。
「さっきはこれが岩のように見えたんだが……」
「あ、そうね。岩っていうか、薄い石が何枚も重なったような感じで、あれはまるで……え?」
そう、まるで、王冠についていた鱗のようだった。ラヴィニアが湖に落ちたとたん、砂だった湖底が竜の鱗に変わったような気がした。
「まさか……」
ラヴィニアは、信じられない思いで湖を振り返る。すると、遥か遠く、湖の中央あたりで大きな水しぶきが上がった。
「あれは?」
ユーニスがつぶやく。
見ようによっては、巨大な魚のしっぽ。そして見ようによっては、蛇のようにも竜のようにも見えた。
「竜の……しっぽ? 銀竜の!?」
こんなに簡単に見つかるものなの!? とラヴィニアは喜びに飛び跳ねる。そしてユーニスが止めるのも聞かずに湖に飛び込んだが、次は何度出入りしてみても、湖の底は砂のままだった。
「どういうこと?」
「わからない。もしかして、それぞれの場所でチャンスは一回だけなのかもしれないな。カィエターン王国の始祖が儀式を繰り返してはるかサガルマータ山で鱗を得たというのは、つまりそこまで追いかけてようやく取れたということなのかもしれない」
「そっか。それなら、がんばればもっと早く鱗がとれるのかも!
ユーニス! 次の湖に急ぎましょう」
がばりと起き上がったラヴィニアの肩から、毛布がずり落ちる。ユーニスはため息を一つ着くと、「一度だけだ」と言って着替えを手伝ってくれた。
「ありがとう」
「次はない」
そっけなく言いつつも、ユーニスはラヴィニアの髪も拭いてくれた。ラヴィニアは、
(この人、本当は面倒見のいい人なのかしら……?)
と思った。けれど二度も馬鹿呼ばわりされたことはやはり許せない。
「次の湖、がんばるから! それで、一日も早くお城に戻るのよっ」
「? あぁ」
湖は、きらきらと青く輝いている。
澄んだ湖面に、小魚がぱしゃりと跳ねた。